「レムス、俺の言った事は覚えているか?
闇の回廊を通り、リンダを見た後に尋ねた時の事を。
俺は、お前に語った言葉を撤回しようとは思わぬ。
聞くまでもないと思うが、再言する。
お前は、俺に、助けてほしい、と望むのか?
今の境遇から脱出したい、と真剣に望んでいるか?
そうしたい、と望むのであれば。
なんとかして、力を貸してやりたい。
俺には、出来る事と、出来ない事がある。
ヤンダルの様に、お前に《力》を与える事はできぬ。
だが、おのれの力で、《そこ》から抜け出す意志があるのなら。
真に望んでいるのであれば、力を貸そう。
お前は竜王の魔力、カル=モルの亡霊から解放された。
元々の人格、レムス唯一人に戻ったのだ。
俺は、約束を破らぬ。
成長の過程で挫折、鬱屈、煩悶を経験しない者はおらぬだろう。
千尋の谷底に突き落とされ、希望を棄てる獅子の子供も数多いかもしれぬ。
正念場だぞ、レムス。
餓鬼の儘で被害者を装った事が身の破滅を招いた事実から眼を背けぬのなら。
竜王の支配を受け容れた弱さ、卑怯な態度を《誰か》に責任転嫁せぬのであれば。
お前が自身の裡に《何か》を見出す為、力を貸そう」
豹頭王は前言を覆し、レムスの手を握った。
「大導師アグリッパ、イェライシャ老師は何も解らぬ私に様々な秘密を語ってくれました。
そして、意気消沈した未熟な愚か者を気の毒と思ったのでしょうね。
『大導師様も、儂も、最初は若造だったんだよ』と激励されましたよ。
私だって宰相に指名され、陛下の最側近として支えなきゃいけなかった重罪人だ。
レムス様が悪いなんて、口が裂けても言えません」
ヴァレリウスが低い声で呟き、ヨナも深々と頷く。
グラチウスも何か言いかけたが、グインに睨まれ無音の遠隔心話に留めた。
アモンは姿を消した儘、何の気配も漂わせておらぬ。
何故か闇の司祭に頭を下げ、感謝の意を表した後で語り始める豹頭の戦士。
「土壇場で聖王レムス自身が精神支配、呪縛を祓い竜の門を退ける要因となった。
恐怖と怨嗟の対象、魔王子と称する怪物は聖王夫妻の血を引いておらぬ。
黒魔道の詐術で《出産》を捏造したに過ぎず、妊娠の事実は無かった。
その線で《真実》を触れ回り、一刻も早く《誤解》を解かねばならんのだがな。
無辜の民が竜の門に虐殺され、阻もうとした護民騎士団の指揮官も斃れた。
パロ聖騎士団も殺戮を援護した形になり、人々の激昂を宥めるには相当な時間が要る。
ナリス殿の言に従い聖王夫妻への敵意、誤解を調整する歌劇は明日にでも始めたい。
だが暫くの間ワルスタット選帝侯ディモス、アクテ夫妻の許に滞在して貰う方が良いだろう。
ディモスは実直、朴訥と評され裏表の無い人物である事は俺が保証する。
アクテ殿も言葉を飾らず、内気で豪奢な都より素朴な生活を好まれる女性の様だ。
夫婦生活の参考になると思われ、アルミナ殿の御気持も寛ぐと思う。
アグラーヤ王夫妻には催眠術、疑似体験で真実を御理解いただく他に妙案が見当たらぬ。
処刑されても構わぬ、と言い切った覚悟は認めるし、高く評価する。
だがな、レムス。
死ぬ事は、簡単だ。
ある意味では、ナリス殿に難題を押し付け、逃げた事になる。
本当に辛いのは、どちらだと思う?
批判に晒され、耐え続ける方が、遥かに辛いと思わぬか?
死ぬ事は、簡単だぞ。
それより、生き長らえ、パロ復興の為に力を尽くせ。
ナリス殿の旋策が軌道に乗らず、攻撃の矢面に立たされる時が来るかもしれぬ。
その時こそ、お前の出番だ。
窮地に陥った従兄弟を救う為、身を捧げろ。
処刑も厭わぬ真摯な言葉、気迫、物腰は必ず人々の心に通じる。
生きて、パロ復興の礎(いしずえ)となれ。
お前は竜王の授けた魔力、邪な《パワー》を棄て、裸一貫の自分自身に戻った。
俺も、約束は破らぬ。
一刻も早く聖王復帰の道を切り拓く為、力を貸すぞ」
穏やかな声が響き、紫色の瞳から涙が溢れた。
「感謝致します、グイン殿。
私は、玉座に就きたくありませんのでね。
本当だよ、レムス。
夢の回廊を通じて竜王と直接、対決した際に痛感した。
冷血非情な策謀家を気取っていたが、正体を隠していたに過ぎない。
本当は弟に見棄てられる事にも耐え切れぬ程、心弱い人間だったのだと。
君の耳には、入っていないかもしれない。
私は神聖パロ帝国解消、パロ解放軍の最高指導者に就任を宣言したよ。
キタイ勢力撃退、再侵略の根を絶つ為に長期遠征も示唆してある。
クリスタル奪還後、グイン殿との協定を遵守しなければならない。
魔道師軍団を率い、ケイロニア軍を援護する事は決定事項だ。
ヴァレリウス達も同行して貰うから、ファーンに聖王代行を打診したのだけどね。
彼に固辞されてしまって、困っていたよ。
リンダは人々の同情を集めていて、パロ再建の象徴《シンボル》として最高なんだが。
女性に重荷を背負わせるのは忍びない、と悩んでいたのさ。
マール公は老齢だし、カラヴィア公アドロン殿は私がお嫌いと聞いている。
ワリス聖騎士侯は政事に疎く、サラミス公には領地から物資の供給を願いたい。
情けない話だが、他には頼れる者が見当たらないだろう?
リュイス、頼む。
暫くの間、パロ復興の舵取り役を担って貰えないか?」
急に話を振られた親衛ナリス派の貴族、ランズベール侯の眉が跳ねる。
次の瞬間には意を決して剣を抜き、ナリスに柄頭を向け床に置いた。
「御心の儘に、アル・ジェイナス。
私の忠誠は常に変わらず、ナリス様にお捧げ申しております。
我が居城にて御身が拷問を受け、健康を損なわれた故に報復を誓っておりましたが。
己の浅慮、不明を恥じ聖王レムス陛下の為に微力を尽くす所存です」
「よく言ってくれた、リュイス。
貴方以外の者では経験が浅くて、とてもじゃないが任せられないからね。
ファーン、リンダ、ルナン、ダルカン、ダーヴァルス達にも事情は伝えておく。
魔道関係の事に携わる必要は無いから、安心して政務に専念できるよ」
ランズベール侯の剣を手に取り、口付けして優雅に持ち主へ贈る貴公子。
見違える程に回復を遂げた姿に胸が詰った故か、大きな青い瞳からも涙が溢れる。
「シリア姫も聖王夫妻と共に、ワルスタット城を訪れてみませんか?
リンダは復興の旗印、クリスタル再建の象徴として各地を訪問して貰わなければならない。
私もお供をしたいところですが、キタイ遠征の準備がありますのでね。
ケイロニア南部は気候が温暖、クム産の美味しい御茶も飲めますよ」
可愛らしい鳩の様な姫の顔が輝き、両掌を胸の前で握り締めた。
父親の顔を振り向き、優しく頷く様を確認すると歓喜の感情が爆発。
アルミナと抱き合い、喋り始めようとした其の時。
新たな声が響き、空気が凍った。
「実に見事な論理《ロジック》です、アルド・ナリス殿下。
数百年に一度の感銘を受けました故、幾つか情報を提供致します。
ゴーラ王妃アムネリス殿下の侍女、フロリー殿だったかな?
イシュトヴァーン陛下と一夜を過ごし、愛児を得た彼女は大変困惑している模様ですね。
ミロク教の信者達と遭い、ガウシュの村と対岸の湖畔で平穏無事に過ごしていたのですが。
ルーアン宮殿に囲われ、クム大公の熱烈な求愛に戸惑っていますよ。
タリク公子、もとい、大公は或る貴族の娘に言い寄られ嫌気を覚えていたのですが。
獰猛、いや、猛烈な求愛を受け続けた反動の故か、新鮮に感じたのですかね?
内気で控え目な女性に惹かれ、正室に迎えると駄々を捏ねておられますよ。
無論クム宮廷は猛反対だが、心の底から堪えたのでしょうな。
タイス伯爵の娘と結婚する事態を恐れ、宰相も手を焼いています。
ゴーラ王の長男となる愛児も物怖じせず、待機の片鱗を感じさせたのかもしれません。
クム大公は彼を嫡男と認め、イシュトヴァーン陛下の後盾を得る事も考慮していますよ」