【完結】トレーナー育成計画(仮)   作:壱合目

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お目通し頂き、ありがとうございます。
勘違い要素どこに行った?な11話目です。
もっとコンパクトに話を纏める能力が欲しい……

※R6.1.21 誤字修正しました。ご指摘頂いた方、ありがとうございました!


11話目 有馬記念決着

 人(他人)の不幸は蜜の味――という言葉があります。

 自分と関係ない他者の不運や失敗等で快感を感じる心理のことです。

 褒められた精神ではありませんが、大多数の人間の深層に潜んでいる本能と言ってもいい感情ですね。

 

 ……ただ、実はそれにも限度ってものがあるんです。

 度が過ぎた不運は、ネタにも出来ないんですわ。

 

 ……ええ、中の人のことです。

 いやあ、有馬記念のスタートでやらかしましたねえ……ここまで大コケするとは。

 白状しますと、最初の転倒の時点では

 

 ――うは、メシウマww――

 

 とか思ってました、ハイ。

 青年トレーナー君への仕打ちのことを考えますと、ね。

 ざまをみろ、とほくそ笑んでしまったというのが本音です。

 

 ……だた、その後に泥水を目にモロに被ったり、腕を痛めたりするところまで連鎖するとは……

 さすがに茶化せないですわ、コレは。

 

 おっと、中の人もメンタルにダメージが来ているようです。

 身から出た錆とは言え、大一番でここまで出鼻を挫かれたら萎えますわな。

 ここから1人で立ち直る力は中の人には無いでしょうし。こりゃ、リタイアかな?

 

 

 ……ん?どうした中の人?別の方向を見たりして?

 目線を追ってみましょう。

 

 …

 ……驚きましたね。

 視線が向けられていたのは、青年トレーナー君が居る場所でしたわ。

 まさか、彼の姿が分かったというわけではないでしょうけれど。

 

 それにしても……青年トレーナー君は相変わらずですね、良い意味で。

 大本命のウマ娘を敗北させたということで責任を追及されたり、誹謗中傷を受ける恐れがあるというのに、そんなことなど気にもせず、中の人のことを案じていますね。

 

 ……そんな、泣き出しそうな表情を浮かべてさ。

 

 中の人よ、本当に彼に出会えた幸運に感謝すべきだぞ?

 今回の失敗を糧にして、少しは成長に繋げて……

 

 …

 ……アレ?

 らしくない顔をして、どうした?

 

 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 ウマ娘のトレーナーという職業は、過酷ではあるが非常にやりがいのある仕事だ。

 夢に向かって進むウマ娘達を近くで支え、共に歩んでいく。

 その過程で得たものは、何にも代られない財産になる。

 

 ……だが、時として耐えがたい無力感に苛まれる仕事でもある。

 実際にレースで走るのはウマ娘自身。手助けはできても、直接の介入はできない。

 走ることによって生じる辛さ、苦しさに寄り添うことはできても、代わることはできない。

 肉体の苦痛や疲労は、彼女達自身で乗り越えねばならない。

 競技者である以上、それらは彼女達が背負うべき当然の責務だ。

 ……ただ、頭ではそう理解していても感情は別物。

 実際に担当ウマ娘が苦しんでいる姿を目の当たりにしているのに手助けができないという状況に身を置いたならば、苦悶に身を焦がすことになる。

 

 ──今の青年トレーナーのように。

 

 輝かしい栄光が約束されている【彼女】の未来。

 もし、惨敗させて戦歴に傷を付けてしまったら。

 もし、負傷させてしまったら。

 

 かって抱いた、そんな恐怖が現実になろうとしているこの瞬間。

 青年トレーナーが想っていたのは、【彼女】のことだけ。

 自らの保身のことなど、思考の片隅にも無い。

 

「……っ!」

 

【彼女】が今、苦しんでいる。

 それが、胸を張り裂けるほどに辛くて。

 そして、そんな場面で何の力にもなれない。

 手を貸すことも、寄り添うこともできない。

 そんな現状が歯痒くて、手を潰さんばかりに拳を握り締める。

 出来ることといえば、声を上げることだけ。

 

 だから、叫んだ。

 

「──────!」

 

【常勝】という敬称ではない、【彼女】の名前を。

 数えきれないほどの大観衆が埋めるレース場で、届くはずが無いと解っていても。

 

 そう。

 いくら声を張り上げたところで、たった1人の声が、幾万もの群衆の中で聞こえるはずも無い。

 

 ……だから。

 遥か先の競技場内で身を起こした【彼女】が、まるでその声が聞こえたかのように青年トレーナーの立つ方向に顔を向けたのも、きっと偶然に過ぎないのだろう。

 或いは。不運が積み重なる様を哀れに思った神の気紛れで、一瞬だけ声が聞こえたのか。

 

 どちらにせよ、この出来事が1つの歯車を動かすことになった。

 

 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 因果応報。そんな言葉が浮かんだ。

 レースを走り始めた直後の転倒。

 重傷こそ辛うじて避けたものの、ダメージは大きい。

 腕は痺れ、動かすと痛みが生じる。

 泥水を被ってしまった目も同様に痛みが発生し、視界が上手く確保できない。

 

 こんな醜態を引き起こしたのは、他ならぬ自分自身。

 上出来とは言えない中身の【自分】であっても、それぐらいは理解できる。

 勝手に1人でハルウララの影に怯えて、睡眠を取れずに調子を崩した──

 言い訳のしようもない失態。正しく自業自得。

 

 ……そうやって反省したところで、もう遅い。

 起こしてしまった過ちは、無かったことにはできないのだ。

 急速に精神が沈下していく中、思い浮かんだのは──

 

 ──『大丈夫。君なら勝てる』

 

【自分】の傍にずっと居た、1人のお人好しのことだった。

 

 過ちというのなら、彼に対する接し方こそが最たるものだろう。

 どこまでも真摯に【自分】のことを考えてくれて、思い遣ってくれた。

 ……【自分】は、彼のことを己のための腰掛け程度にしか考えていなかったというのに。

 

 その報いが、今、こうして返ってきたというワケか。

 

 ただただ不格好な【自分】の姿に、嗤いが漏れようとしたその時。

 聞き覚えのある声が、届いたような気がした。

 

「──────!」

 

【常勝】という敬称ではない、【自分】の名前を呼ぶ彼の声。

 

 いくらウマ娘の聴覚が優れているといっても、これだけの大観衆の中でたった1人の声を聞き取ることなどできるはずが無い。

 だからこれは、【自分】に都合の良い幻聴に過ぎない。

 

 …

 ……だが。視線を転じた先に、確かに見た。

 悲痛な顔をして、【自分】の名を呼ぶ彼の姿を。

 

 これもまた、自身の願望が見せた妄想なのかもしれない。しかし、確信があった。

 あのお人好しならば。

 転倒した今の【自分】の姿を見て、我が事のように苦しんでいるのだろうと。

 

 思わず胸中で苦笑する。

 こうなったのは他ならぬ【自分】のせいだというのに、そんな顔をするなんて。

 

 ──『……ありがとう』

 

 耳に蘇る、レース前の彼のお礼の言葉。

 彼のことを、都合の良い存在としか扱っていない【自分】の小賢しい振る舞いを勘違いして──

 お人好しにも、ほどがある。

 

 ……それに当てられてしまったからだろうか。

 彼に応えたい、なんて考えてしまうのは。

 これは、ほんの一時の気の迷いだ。

 このレースが終わった後には、間違いなくいつもの狭量な自分に戻っている。

 

 ──だけど、このレースの間だけは。

 少しだけ、彼の為に頑張ってみようと思った。

 

 

 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

『レースは中盤のコーナーに差し掛かります!ハルウララ、ここでも突撃を敢行!

 素晴らしいスピードでカーブを通過していきました!』

 

『文句のつけようも無い好タイムです……ただ、雨中で全く減速しないという走り方が余りに無謀過ぎる。身を削っての捨て身走法、肉体の消耗は非常に大きいはずです」

 

『そうなるとスタミナ切れが心配ですね。他のウマ娘達にチャンスが生まれるんでしょうか?』

 

『誰もが力走を見せてくれていますから、そう言いたいんですが……ハルウララが完全な独走態勢に持ち込んでいますからね。他のウマ娘が差し返せるのか、気になる開きです』

 

 有馬記念に出場してきたウマ娘達は皆、実力者であるし、計り知れない努力を積んでいる。

 その成果を発揮して、見事な走りを見せているのだが……

 スタートでの出遅れと、ハルウララの身を賭したコーナー走行によって築かれた差は余りにも大きかった。

 少しずつ距離を詰めていくのだが、未だにウララの独走を崩すには至っていない。

 

 レースも後半に差し掛かってくる局面。

 盛り上がりが最高潮に達するであろう場面を前に、実況者は状況を再確認しようとして。

 

 その時、生じた変化に気付いた。

 

『おっと!先程まで強く降り続けていた雨が、弱まりました』

 

 豪雨とも呼ぶべきだった強い降りが、急速に治まっていく。

 空を見上げれば、今まで一面に広がっていた分厚い雲が一気に薄くなっていくのが見て取れた。

 微かに陽の光すら覗かせる急激な天候の変化は、まるで何かが起こる予兆にも思える。

 そんな感傷を抱きながら、実況者は話を進行させた。

 

『ここまで急に天候が変わると、ウマ娘達の走りにも影響が出そうですか?』

 

『バ場には大量の水分が残りますから、走り難さは変わらないでしょう。

 ただ、雨が止んだことによって視界が開けて、今の様に互いの位置を確認しやすく……っ!?』

 

 説明を行っていた解説者は、絶句して言葉を止めた。

 それは実況者も同様。

 口を開けたまま固まり、中継を続けることができない。

 そんな硬直を起こしたのは、彼ら2人だけではない。

 この場でレースに立ち会った誰もが、驚きの余りに動作を止めていた。

 

 目の前に映っている光景が、信じられなくて。

 

 誰もが感じた驚愕を、実況者が絶叫する。

 

『【常勝】が、最後尾に付けている!?有り得るのでしょうか、こんなウマ娘が!?』

 

 とうに脱落したと思われていた大本命が、挽回不可能としか思えないほどの遅れを埋めて舞台に再度、上がってきた。

 その事実に、会場は大歓声が沸き起こる。

 

『何という爆走!これが無敗の貫禄と重み!王者の勝利の芽は、未だ潰えてはいなかった!

 この距離なら……この距離なら、射程範囲内です!』

 

『他のウマ娘達も素晴らしい走りなのに、その中をここまで追い上げてくるのは流石としか言いようがありません……ただ』

 

 過熱気味の実況を抑えるかのように、そして思いもよらない展開に動揺する己を静めるように、解説者が口を開く。

 

『これほどの追走を見せたということは、ほぼ全力を出し切っているはずです。余力は殆ど残っていないでしょう』

 

 その見解が正しいことは、【彼女】の顔を見れば一目瞭然。

 大粒の汗が浮かび、荒い呼吸を繰り返している。

 ここまでどんなレースでもどこか余裕を漂わせていた【常勝】が、初めて見せる明確な疲労。

 今までの完全無欠さとは掛け離れた姿が、限界近くまで肉体を酷使していることを示していた。

 

『いかに【常勝】でも、ここからさらに再加速することは……』

 

 解説者が、そう言葉を続けた時だった。

 

 小康状態になっていた雨が完全に止み、上空の雲の隙間から太陽が姿を覗かせた。

 降り注いだ陽の光が、今まで暗かった視界を一気に晴らしていく。

 その情景は、まるで道を照らす照明を思わせた。

 

「……」

 

 それを認めて、【彼女】は一瞬だけ瞼を閉じる。

 何かを想い浮かべるように。

 

 そして、再び開いた眼を前方へと向ける。

 視線が見据えたのは、はるか前方。

 桃色の髪を揺らして駆ける小柄な背中。

 

「──―」

 

 そうして、息を吐いて。【彼女】は一歩、踏み込んだ。

 抉り取るかのような勢いで地面へと食い込む足。

 

 その刹那。競技場が、揺れた。

 

 実際に振動が起こったわけではない。

 ウマ娘が足を踏み出しただけで、広大なフィールドに目に見えるほどの影響を与えることができるはずもない。

 だから、錯覚に過ぎないのだ。

 ……けれど。大気に奔った震えを、その場に居た誰もが感じ取った。

 走る度に勝利しか刻んでこなかった無敗ウマ娘が、全力を解き放つ瞬間を。

 

 そうして、【彼女】は翔けた。

 走るのではなく、まるで飛ぶかのように。

 

 

 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

『出た!【常勝】が、ここでさらに加速しました!』

 

『……脱帽と言うしかありません。まさか、ここまでの走りを見せるなんて……!』

 

『バ群をごぼう抜きにしていく、飛ぶような走り!一体、この娘はどれほどのギアを持っているのか!?』

 

 そんな中継放送を聞きながら、老トレーナーは手を握り締める。

 全身が総毛立つほどの恐れを、少しでも和らげようとして。

 

「──イレギュラー……!」

 

 意識もせずに口から零れた呟き。

 今までのトレーナーとしての日々の中でも見たことの無い逸材──

 自分が【彼女】に対して下していたその評価は、桁を読み違えた過小評価だったのではないか。

 

 レース前の調子は絶不調。

 スタートでは転倒による致命的な出遅れ。

 その際に負傷してダメージを負い、視力と腕部は十全では無い。

 

 ……これだけの最悪な出目を重ねながら、こんな快走を見せる?

 ここまで来ると、もはや才能や素質といった言葉で収まる領域では無い。

 もし呼ぶとすれば、先程、思わず漏れた言葉──イレギュラー。

 トレセン学園内に止まらず、競争ウマ娘という概念の中でも他に類を見ない唯一無二の存在。

 

『ハルウララ、最終コーナーに入る!今までと同様の身を賭した突撃走法で、怒涛の勢いで進んでいきます!』

 

『体力を殆ど使い果たしているであろう中でも、一切怯まない。その心の強さには称賛しかありませんね』

 

 実況者と解説者の言葉の通り、ハルウララの走りは凄まじい。

 思い起こされるのは、レース直前の光景。

 身を案じる老トレーナーに対して、返された言葉。

 

 ――『心配かけてごめんね、トレーナー……でも、私、勝ちたいんだ』

 

 そこに在ったのは、己の心身を全て投げ打つ決死の覚悟。

 その気持ちが形になったのが、今の走りだ。

 

 安全性を無視したその走りは、決して他者に薦められるようなものではない。

 けれど、見る者の心を掴んで離さない輝きがあった。

 

『さあハルウララ、最終コーナーをまもなく抜けます!向かうのは最後の直線!』

 

『いよいよ最終局面です。中山レース場でこのポジション。本来ならば、ハルウララの安全圏と言っていいリードなんですが……』

 

『ええ、中山の直線は短い!ですが、今、後ろには──』

 

 そこまで実況者が話すと同時。

 ──再び、競技場が揺れた。

 原因が何かなど、わざわざ目を向けるまでもなく分かる。

 

『来た、来た、【常勝】が来たぁ!ここで再度のスパート!凄まじいスピードで追いすがります!』

 

『……今、私達はとんでもない場面を目にしているのかもしれません。疲労の極みにあるこの局面で、再加速するなんて……!』

 

『一体、この娘はどこまでデタラメな力を持っているのか!?みるみる差を詰めていきます!』

 

 スタートからウララが心血を注いで稼いだ距離が、いとも簡単に縮められる。

 それはまさしく、蹂躙と呼ぶしかない光景だった。

 圧倒的能力による、理不尽な暴虐。

 

 そんな存在に迫られるプレッシャーは、想像を絶するものがあるはずだ。

 比類ない圧迫感に晒されているウララを案じて、その顔へと老トレーナーは視線を向ける。

 

 ──だが。ハルウララは、そんな化物と相対しても負けてはいなかった。

 

 既に肉体は限界を超えているのだろう。

 目の焦点は合っておらず、何度も食い縛ったであろう唇の端からは血が滲み、顔には夥しい汗が浮かんでいる。

 だけれども。宿している戦意は、微塵も揺らいでいなかった。

 

 

 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

「(凄いなぁ)」

 

 疲労で朦朧とする思考の中で、ウララの頭に浮かんだのは感嘆の言葉。

 背後から迫ってくる【常勝】の気配が急速に濃くなってきている。

 振り返るまでも無く、一気に接近されていることをウララは肌で感じ取っていた。

 決死の走りと恵まれた幸運で作り上げたリードは、今やほとんど残っていない。

 相手を捻じ伏せるような圧倒的な力が、すぐ後ろに肉薄する。

 

『──捉えた!レース開始からずっと先頭を走ってきたハルウララ!その背中を、最後の直線で遂に【常勝】が捉えました!』

 

『これはラストスパート勝負になりそうですが……序盤から無理を重ねてきたハルウララに、それに耐え得るだけの力が残されているかどうか……』

 

『ハルウララ、前回は掠めることすらできなかった有馬の頂点!その栄光の座まであと僅か!

 しかし、その前には無敗の王者が立ち塞がります!』

 

 出場レース全てで、レコードを刻んだ上での圧勝。

 そんな常識外の実績を残す【彼女】は、本当に凄いウマ娘なんだろう。

 それだけ凄い人と一緒に走れるなんて、楽しい。

 以前のウララなら、それだけで満足していただろう。

 

 ──だけど、今は違う。

 

「(勝ちたい……!)」

 

 体の奥から湧き上がり続ける、勝利への思い。

 

 敗けられないのだ。

 いつも最下位だった頃から応援し続けてくれている、商店街の皆を始めとする応援団のためにも。

 こんな自分を見捨てずに寄り添い続け、支え続けてくれたトレーナーのためにも。

 

 例え、相手が自分より遥か格上でも。

 近い将来、世界を変えるであろうほどの歴史的な存在であったとしても。

 ここは、譲れない──!

 

「(勝つんだっ……!)」

 

『さあ、【常勝】が一気に躱しにかかる!ここで決まりか!?今回も勝者となるのは、やはりこの娘なのか!?』

 

 体の奥から湧き上がり続ける勝利への思い。

 その熱は、遂に【常勝】に横に並ばれたときにも、微塵も衰えなかった。

 

「(私が、勝つんだっ──!)」

 

 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 有馬記念。

 実績を積み上げ、人気も獲得したウマ娘達によって争われる大祭典。

 今年も開かれたこの祭りも、閉幕の時が間近に迫ってきた。

 残すのは、ゴールまでの僅かな直線のみ。

 栄光への花道を、2人のウマ娘が並んで駆け抜ける。

 

『──抜かさせない!【常勝】が前に出るかと思われましたが、ハルウララもここでスパート!

 最後の力を振り絞ります!』

 

『……私はハルウララに謝罪しなければなりませんね。その強さを、余りにも見縊っていました』

 

 自戒の念を込めて、静かに解説者は続けた。

 

『スタートから決死の走りを繰り出す勇気。作り上げたリードを無敗の王者に潰されて、それでも折れない精神。その姿に、心からの拍手を送りたいです』

 

 栄誉を手にすべく、残された力を注ぎ込んで駆ける2人の乙女。

 その姿に、集まった観衆が我を忘れて声援を送る。

 幾人もの思いが結集した大歓声が、大気を震わせた。

 鼓膜が破れるのではないかとすら思える大音量に、中継音声すら掻き消されそうになる。

 

『今年の有馬は最後に劇的な展開が待っていました!2人のウマ娘による一騎打ち!

 両雄、全く譲らず完全に横一線!ゴールはもう目の前だ!』

 

『今まで全て大差での勝利を収めている【常勝】は、ゴール前での競り合いは初めてのはず。

 しかし、純粋な脚力ではハルウララが不利なのは厳然たる事実』

 

『では、どちらが勝ってもおかしくないと?』

 

『ええ。どちらが勝っても、誰も文句は言えません』

 

 そこまで話した解説者は一拍の間を置いた。

 名勝負を前にして興奮する自らを静めるように。

 そして、この競技場に集った者達の意見を代弁するように。

 

『──この勝負の行方を、記憶に刻みつけましょう』

 

 そんな思いの籠った声援を背に受け、2人のウマ娘は走る。

 経歴も能力も、まるで異なる両者。

 ただ、彼女達に共通していることが1つある。

 

 それは──このレースでの勝利を求める気持ち。

 我欲のためでは無く。

 各々、様々なモノを背負った上で、己の勝利を求める──

 

『まだだ!まだ完全に並んだまま!相譲らないまま、最後まで行くのか!?』

 

 もはや中継としての体を成していない実況者の絶叫が響く。

 

『頂点しか知らない絶対王者か!?最底辺から上り詰めてきた挑戦者か!?

 勝つのはどっちだ!?』

 

 互いに譲れぬ想いが交錯する、魂と魂のぶつかり合い。

 その結末は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『同着!両者、ほぼ同時にゴールイン!この瞬間、今年の有馬の覇者が誕生しました!

 さあ、果たしてその座に就いたのは2人のどちらなのか!?』

 

『肉眼ですと差が全く解りません。写真判定になるでしょうが……相当、際どいタイミングでしょうね』

 

 結末は、判定が人の手では下せぬほどに高次元なものになった。

 

 出走者がゴールして幾ばくかの時間が経過しても、電光掲示板には着順が表示されない。

 それは解説者の見立て通り、裁定が難航していることを示していた。

 勝者が誰なのか判明しないことで、ざわめきが広がっていくが……

 当事者の2人は、そのことに気を向ける余裕は無かった。

 

 ゴールした後に彼女達が見せた動きは、非常に似通ったものだった。

 後続のウマ娘達の邪魔にならないような位置に退くこと。

 そして、その後、まともな行動が取れなくなること。

 普段であれば両者とも差こそあれ、注がれる声援に応えるのだが……

 今回、限界を超えて体を酷使して走り切った2人に、その余力は残されていなかった。

 

【常勝】は、立ち止まると膝に手をついた。

 俯くように下に向けられた顔。

 荒い息が絶え間なく口から漏れ、肩が大きく上下している。

 いつもならば観客に対して控え目ながらも手を振るのだが、その返礼すら行えぬほどに消耗している。

 これまで見せてきた超然とした姿は、そこには無かった。

 

 いつもと違う姿というのならば、ハルウララも同様。

 限界を超えた疲労によって、表情が抜け落ちた顔。

 日頃から浮かべているトレードマークの笑顔の片鱗すら無い。

 糸が切れたかのようにヨタヨタと蛇行し、それでも何とか声援に応えるために両手を振ろうとして──

 それは果たせず、そのまま倒れ伏した。

 転倒したことで全身が泥にまみれるが、そんなことを気にする余裕などない。

 ただ、か細い呼吸を繰り返すので精一杯だった。

 

 そんな姿を見て、それぞれのトレーナ──―青年トレーナーと老トレーナーは直ぐにでも駆け寄りたくなるが、それを寸でのところで堪える。

 他の出走ウマ娘が居るのだ。

 2人が先着したことで自らの勝利が無くなった後でも、最後まで懸命に走り続けた彼女達が。

 そんな尊い覚悟を前にして、レース場内に立ち入ることなどできない。

 順位が定まるまでは、レースは彼女達のものだ。

 その場に立ち入ることは、何人たりとも許されない。

 

『全てのウマ娘がゴールしました!順位こそありますが、どの娘も己の全てを賭けて走り抜けた。

 その尊さに優劣はありません!』

 

『同感です。全員、素晴らしい走りを魅せてくれました。

 有馬記念という名誉ある大会に相応しい出走者達でしたね』

 

『そんな大会を締め括る順位発表ですが……未だに掲示板には着順が表示されません』

 

『写真判定でさえも判定し難いほどの際どい差だったのでしょう。或いは、同着優勝という可能性も──』

 

 結果が判明しない。

 そんな事態に、息苦しさを感じさせるジリジリとした焦げ付くような空気が広がっていく。

 

 

 

『──今、結果が出ました』

 

 そんな時間にも、終わりが訪れた。

 先程までの大雨が嘘のように澄み渡った空から降り注ぐ陽光。

 その光に照らされた掲示板に、着順が表示される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──1着、ハルウララ!』

 

 示された結果に、競技場が割れんばかりの大歓声が巻き起こった。

 

『年末の中山で、とびっきりの春が咲きました!勝ったのは、ハルウララ!ハルウララです!』

 

 自らの名前を聞き取り、蹲っていたウララが、のろのろと顔を上げる。

 疲労で明滅する視界の中に捉えた掲示板、その1番上に表示されている己の番号を確認して──

 見せたのは、いつもの笑顔ではなく──瞳から流れる一筋の涙。

 

 

 その結果を、【彼女】も同様に確認した。

 

『【常勝】、敗れる!この有馬で、定位置であったセンターから陥落!

 無敗神話、ここに終焉!勝利のみを刻み続けてきた戦歴に、遂に黒星が記されました!』

 

 レース後の掲示板に表示される自分の番号が、いつもとは異なる場所に有る。

 それは、見慣れた位置──1番上では無くて。

 ──敗北。

 突き付けられた結果を、【彼女】は自らの目に焼き付ける。

 転倒で泥水を被って充血した眼に。

 その瞳を閉じて──息を1つ、吐き出す。

 

「……ふぅ」

 

 そこにいかなる思いが込められているのか、余人には知ることもできない。

 ただ──再び開いた目には、涙の痕跡は無い。

 己の結果を静かに受け入れる姿が、そこにはあった。

 

 

 勝利確実と謳われていた絶対王者が、這い上がってきた挑戦者に敗れる──

 後にも広く知られる大波乱と衝撃を残して、ここに今回の有馬記念は終幕した。

 




今回、拙作を読んで頂いて本当にありがとうございます。
チートオリ主がハルウララに敗北する話を書きたい、というのが当作を作り始めた動機でした。
こうして自分が書きたい場面にまで辿り着けたのは、掲載の場を設けて下さったハーメルン様、
そしてお読みくださっている皆様のお蔭です。

次で最終更新になりますが、頂いた御恩に少しでも応えられるように最後まで頑張ります!

……また時間が掛かってしまうと思いますが(汗)
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