ケイオスについて一通りの情報交換を終えた時、それまでずっと静かにしていたエイミが唐突に声をあげた。
「部長。要件はもう一個あったでしょ」
「ああ、そうでした。忘れるところでした」
エイミに言葉で何かを思い出したかのようにヒマリがポンと手を叩いて、再び居ずまいを正してから飛鳥の方に向き直る。
「飛鳥先生。先生がゲーム開発部の子達と回収してきたG.Bibleについて一つご相談……いえ、こちらは報告といった方が正しいでしょうか。とにかく、お伝えしておきたいことがございます」
「なんだい?」
「先生もご存じかとは思いますが、私の可愛い後輩達が”鏡”を使って取り出したファイルには確かにG.Bibleというプログラムが入っていました。ですが、もう一つ……”Key”というプログラムも一緒に入っていたのです。こちらについてはゲーム開発部たちの子達からは……?」
ヒマリの問いかけに飛鳥は首を横に振る。
「いいや、僕はその話を聞いていないよ。あの時は、彼女達が大冒険で得られたものについて意識が行っていたしね」
「そうですか……とはいえ、こちらから説明できることもあまりないのです」
「というと、”Key”の方は解析できなかったのかい?」
飛鳥の言葉に、ヒマリの表情がわずかに曇った。答えとしてはそれだけで十分だった。
最も、それも無理からぬ話だ。
科学者として、自力では解き明かせないものが目の前にある不完全燃焼感は飛鳥にもかすかにおぼえがあるのだ。”全知”を自称するヒマリにとっては、それなりに納得のいかない状況だろう。
「なるほど。でも、今のところは何も起きてないんだね?」
「はい。あれからゲーム開発部から特に異変が起こったという話も、アリスに何か変化があったという話も聞いていません。プログラム自体はモモイのゲーム機の中に入ったままのようですし」
「ふむ……」
ヒマリからの報告に、飛鳥は顎に手を当てながら考え込む。ヒマリでさえ把握しきれていない、未知のプログラム。ケイオスの手によるものか。
いや、ケイオスであればもっと巧妙に隠すし、仮にこうして見つけられることを前提とするならば解き明かすためのヒントをばら撒くはずである。
そうでなくとも、それらしいことをほのめかす位のことはするだろう。
つまり、これは彼の仕業ではない。それが逆に飛鳥にとっては頭が痛くなる結論ではあった。
「状況から見て、師匠のやったことではなさそうだ。……そうなると、誰が何のために用意したものか見当がつかないな。とにかく、一旦モモイさんからその”Key”が入ったデバイスを借りて来て……」
「いえ、一旦様子を見ませんか?」
飛鳥の言葉を遮ったのはヒマリだった。どういうことかと、飛鳥がヒマリの方へ視線を向ける。
「飛鳥先生の考えは理解できます。分からないものを放置して、万が一があっては確かに良くないでしょう。ですが、逆にこうは考えられませんか? 私達が手を出すことによって、不測の事態が起きてしまうかもしれない、と」
「…………」
ヒマリの論も一理ある、と飛鳥は思った。
IT技術に特化した生徒に見せれば、それこそ躍起になってこの課題を解こうとするだろう。解き明かした結果、その鍵が何を封じるための錠を開けるものなのか知りたくなるだろうから。
未知を既知に変える。それが科学者の本分だ。
そんなことまで考えこんだ飛鳥の思考を切り裂いたのは、長らく黙り込んでいたエイミだった。
「部長。いくら何でも流石に無理やり過ぎない? もっと素直に言えばいいじゃん」
「え?」
素直に、とはどういうことかと思わず飛鳥はエイミに視線を向ければ、エイミは肩をすくめた。
「飛鳥先生。部長はこういうところあるんだよ。素直にこうしたいって言えばいいのに、やりたいことに筋が通ってないって思うとあれこれと理屈をつけたがるの」
「エイミ、それは違います。アリスの周囲のものは基本的に今の私達では解析すらおぼつかない未知の技術ですから、これは真っ当な──」
「つまり要約すると、部長は今のゲーム開発部の邪魔をしたくないんだよ。あの子達が──アリスが楽しそうにしてるのは先生の方がよく知ってるでしょ?」
「エイミ!」
最後の方はやや悲鳴じみた声でエイミを制止するヒマリの表情は、明らかに困ったように眉尻が下がっていた。
そんな彼女の様子は、飛鳥が明星ヒマリという生徒に持つ認識をがらりと変えるには十分なものだった。
「そうか。明星さん、君は道端の花を慈しむことの出来る人なんだね」
「へっ──?」
今度こそ、ヒマリの口から素っ頓狂な音が漏れ出す。
一方、エイミの方は眉間にシワを寄せて小さく唸った。
「うーん。先生、別に部長は博愛主義者とか、そういうんじゃないよ」
飛鳥の言葉が納得いかないとばかりにこぼすエイミに、飛鳥は薄く笑いながら首を横に振った。
「分かっているよ。人は、誰が見ても価値のある物を大事にしがちだ。でも、明星さんは自分がその時”いいな”と思ったものを大切にできる人なんだろう。その対象が、ほとんどの人にとって価値のない道端の小さな花であってもね」
飛鳥の説明に、ヒマリのエイミも黙り込む。
「でもそうだね。自分が大事だと思うものを守りたい、助けたい。そう思うのなら、その気持ちははちゃんと相手に伝えるべきだよ。その為に、自分がどんな手段をとろうとしているかもね」
本当に、キヴォトスに来てからというもの事あるごとに過去の罪と向き合わされることが多いと飛鳥は思わず苦笑いをしてしまった。
自分も、フレデリックも、キヴォトスの生徒達も。どうしてこう、皆素直に思いを口にできないものなのか。
そんな考えに耽りかかった飛鳥を、エイミからの問いかけが現実に引き戻す。
「でも、やろうとしてる手段を相手が望まないことだってあるでしょ? そうしないと助けられなかったとしても」
エイミの問いかけに、飛鳥は首を縦にふる。
「そうだね。反発されることだってあるだろう。それでも、やっぱり僕は出来る限りちゃんと話し合った方がいいと思うよ」
「どうして? そこで反発しあったら、助けられるものも助けられなくなるかもしれないじゃん」
エイミの鋭い問いに、飛鳥はゲーム開発部がヴェリタスやエンジニア部と手を組んで生徒会を襲撃しようと言い出した時のことを思い出す。
「強引なやり方は、それこそ本当にどうしようもない時の最終手段として使う分には仕方がないと思う。でも、やっぱりそういうやり方は相手を傷つけることにもつながるんだ。そうして、助けたかった人から憎しみをぶつけられることにもなるし、そんな相手にどうしてそんなことをしたのかを告白するのだって怖いものなんだよ。世界を救う方が楽だと感じるくらいにはね」
フレデリックにすべての真実を明かさなければならないとなったあの時のことは、今思い出しても心拍数が少し上がる。
慈悲なき啓示との戦いの中で、あの瞬間が一番怖かったと言えるだろう。
そんな怖い思いはしないに越したことはない。
そう思って二人の顔を交互に見れば、ヒマリがどこかやるせない表情を浮かべていた。
「どこぞのビッグシスターに聞かせたい話ですね。ええ。……本当に」
呟きながら唇の端を噛むような表情をするヒマリを見て、飛鳥は彼女と手を組んでいる調月リオという生徒がどういう言動をしているのか、なんとなく想像がついてしまった。
だが、それについて今ここで話しても仕方がないとも思った。何せ、この場に当人がいない。
「今度調月さんと会うことがあるのなら、その時は僕も呼んでくれないか。僕も少し、彼女と話してみたいと思ったよ」
そんな風に声を掛けてみれば、ヒマリは困ったように肩をすくめた。
「……あの岩よりも固くなった鉱石頭女がその頼みを聞いて頷くとは思えませんが、一応提案はしてみます。ただ、あまり期待はしないでくださいね?」
「勿論。無理強いはしないよ。それこそ、まだその時じゃないだろうしね」
「あのリオに限って話し合いですんなり心を入れ替えるなどないでしょうが……そんなときが来ないことを祈りたいですね」
そうして小さくため息を吐いたヒマリは、そこで表情を整えて最初に顔を合わせた時のような飄々とした笑みを浮かべる。
「さて、随分と話し込んでしまいました。今日のところはお開きとしましょう。エイミ、先生を外まで送ってもらえますか?」
「うん、了解。さ、先生」
「分かった。それじゃあ明星さん、何かあればいつでも連絡してほしい」
「ふふ、頼りにさせて頂きます。では、飛鳥先生。また」
そうして、飛鳥はヒマリのいる部屋から退室した。
「さあ、ミレニアムタワーのエントランスだよ。どうする先生、シャーレまで送って行こうか?」
「いや、大丈夫だよ。流石にここからなら僕一人でも帰れる」
「分かった。今日は部長のワガママに付き合ってくれてありがとう」
ミレニアムタワーのエントランスまで飛鳥を送ってくれたエイミが、そこで初めて微笑んだ。
どうやら、一定の信頼を彼女からも勝ち取ることはできたらしい。
だが、どうせならもっと頼ってもらいたいところだ。
「今度会う時は、和泉元さんのワガママも聞かせてほしい。折角なんだ、君のにも付き合わないと不公平だろう」
飛鳥がそう言って笑えば、エイミはやや驚いたように目を見開いて動きを止めた。
かと思えば、すぐにじっとりとした視線を飛鳥の方へと投げかけてくる。
「先生、そういうこと皆に言って回ってるの?」
「え? それはまあ、教師として誰かのワガママを聞いたなら他の子も聞かないと不公平だろう? ……やっぱり無茶なこと言ってるかな?」
キヴォトスの生徒全てに平等に接するなど、神に近しい力を持った飛鳥でも不可能だ。
それでも、手の届く範囲、目の届く範囲くらいは平等でありたい。とは思っているのだ。
「無茶だと思うよ。先生は神様じゃないんだし、全員を助けるなんて出来ないでしょ。……でも、そういうんなら今度ちょっと付き合って貰おうかな」
そんな飛鳥の心情を察知したのか、エイミはため息を吐きながらもジト目で飛鳥を見つめてきたが、最後にはふわりとした笑みを浮かべてくれた。
そのことに飛鳥はホッと胸をなでおろす。勿論、後でどんなワガママを言われるかは未知数だからそこについては若干の不安もあるけれど、それについて考えるのは後で良いだろう。
「それじゃあ、また今度」
「うん。気を付けて帰ってね先生。あ、そうだ。先生、折角だから魔法で氷出してよ。あの部屋暑いんだけど、部長が寒いって言ってクーラーのリモコン渡してくれなくて」
飲み物に入れる氷が部屋にないのだろう。だが、そのくらいなら可愛いものだ。と飛鳥は手元から本を呼び出した。
「じゃあ、どのくらいの量がほしいんだい?」
「んー、抱き枕に出来るサイズで」
「……えっ、抱き着くのかい?」
「……? 当たり前でしょ?」
何を当たり前のことを聞いているんだ、と言わんばかりの表情をするエイミに凍傷の危険があることと溶けてしまった後の処理をどうするのかと聞いてみたものの、納得はして貰えず。
結局、エイミの等身大の氷を作ることになった。
特異現象捜査部の二人のエミュが余りにも難しい……今回も難産でした