「それじゃあ、細かい日程が決まったら教えてね」
人好きのする笑顔を浮かべながら小さく手を振って、ジャック・オーはティーパーティーのバルコニーから退室していった。
彼女の姿が閉まる扉の向こうに消えたのを見届けた後でも、桐藤ナギサは少しの間気を緩めることなく優雅な姿勢のまま立ち続ける。
そうしてもうジャック・オーが戻ってくることはなさそうだろうか、と思えた頃ようやくナギサは肺の中の息をゆっくりと吐きだした。
それは隣に立つ幼馴染の聖園ミカも同様だったようだ。彼女はナギサと比べてもっとわかりやすくため息を吐きながら脱力していたが。
「ふぃー……先生、行ったみたいだねナギちゃん」
「ミカさん、気持ちは分かりますがもう少し気を付けてください。誰が見聞きしているか分からない場ですよ」
口ではそういいつつも、ナギサも体にのしかかる疲労をほぐそうと小さく肩を回す。
「……ごめん、ナギちゃん。私が少し甘かったかも」
不意に、隣からそんな幼馴染の声が聞こえた。
「……え?」
だから、普段は押さえているはずの素の声がナギサの口から漏れ出てしまった。
そのことにしまった、と思いながらもそんなそぶりは見せるまいと傷つけない程度に軽く口の中を噛みながら表情を整えてミカの方を向く。
「どうしたのですかミカさん。先生の協力は取り付けられましたし、まずは一歩前進でしょう?」
ミカはよくやってくれているとナギサは思っている。シャーレという第三者的立ち位置の協力者を学園内部の問題の解決にあてられるのは、エデン条約締結を目前に控えた現状においてはこれ以上なくローリスクハイリターンの手段と言えよう。
……そう思っていた。さっきまでは。
恐らく、ミカが謝ったのはそのことなのだろうとナギサは察していた。
「……一応確認なんだけど、セイアちゃんのこと。誰かが情報を漏らしたとかそういう話、聞いた?」
「……いえ。事実を知っている方々以外は耳聡い方でも入院している、と聞いているくらいかと」
「そうだよね……でも、ジャック・オー先生はセイアちゃんがティーパーティーってことを知ってた。どうやって……?」
ミカの疑問は最もで、そしてそれこそがナギサがジャック・オーを警戒する……いや、せざるを得ない理由だった。
キヴォトスでも有数のマンモス校であるトリニティの生徒会、そのホストを務める彼女が何者かの手によって襲撃され、再起不能になった。
そんなスキャンダル、表沙汰になればエデン条約締結どころではない。まして条約締結の相手はあのゲヘナである。これが向こうに知れてしまえば、きっとこちらに不利な条件での締結を強いられるのは明白だった。
それどころか、最悪の場合条約締結すらままならない可能性がある。内部崩壊寸前の組織を前に、お行儀よく仲良し同盟を組みましょうなんて言う品性が
だから何としてもこの事実を隠蔽する必要があった。その為にナギサは根回しを徹底したのだ。
その甲斐あって、学園内でもセイア襲撃事件の
にもかかわらず、あのジャック・オーという先生はセイアの不在を不審に思った。
どこから漏れたのか。あるいは、こちらからでは認識できないような手段を使ったのか。
しかし、引っかかるところもある。
「そもそも、ジャック・オー先生はセイアさんの名前を知りませんでした。彼女が挙げたのはセイアさんと一致する身体的特徴だけ……ですが、彼女がティーパーティーの一員であることは知っていた」
「普通そんなことある? シャーレだから各学園の名簿とかにアクセスが出来るくらいはあってもおかしくないけど、だとしてもセイアちゃんの名前は知らないけどティーパーティーってことは知ってるなんてちぐはぐな覚え方、しないと思わない?」
「セイアさんが健在だった時にばったり出会って、その時に名前は聞かなかったけれど役職だけは聞いた……とかであれば分かりますが……」
ナギサの推論にミカが苦笑を返す。
「ナギちゃん……流石にそれはないよ。あのセイアちゃんだよ? 自治区の外になんて出たことないだろうし、大体自治区の中でばったり先生にあったとしてもよく分かんない話し方で煙に巻いてティーパーティーってことすら話さないよ」
ミカの物言いはあんまりなものではあるが的を射ているのも確かだった。セイアはどうにも小難しい言い回しをすることを好む生徒である。ナギサも時折彼女の言わんとすることを理解するのに苦労することがあったほどだ。
だとしてもジャック・オーのあの言動は不自然極まりなかった。彼女の態度や言葉に嘘はない、と思いたい。
しかし、そう信じるにはあまりにも得体が知れない。シャーレでも比較的評判の良い彼女であれなら、他のシャーレの先生と呼ばれる大人は一体どうなってしまうのか。
「……私達は”先生”という存在を甘く見積もっていたかもしれません。ですが、それは歩みを止める理由にもなりません。ティーパーティーのホストとして、私は為すべきことを為すだけです」
その障害足り得るのであれば、たとえ先生であっても──。
そっと握りしめたつもりの掌に、爪がきつく食い込んだのも構わずにナギサはエデン条約締結を無事に終わらせるのだという決意を強めるのだった。