それでも表情は穏やかな笑みのままでいられたのは、これまでの学園生活で培ってきた──否、培わざるを得なかったもののおかげだろう。それはとても皮肉なことではあったけれど。
「よろしくね、ハナコ」
ハナコがこれほどまでに警戒心を抱くことになった原因は、この目の前の大人の女性だ。
ジャック・オー=バルサラと名乗ったこの大人は本当にごくごく普通の口調と表情で──いや、むしろハナコにも劣らない穏やかな表情で微笑んでいる。
傍から見ればまるでハナコがどんなことをしても受け入れるつもりかのような、そんな慈愛の表情にも見えるだろう。
ハナコにとって、それこそがジャック・オー=バルサラという大人を警戒する理由だった。
「先生ッ!? なんでそんな普通にこの変態に挨拶してるの!!? 学校の敷地内を水着で徘徊する変態なのよソイツ!! しかも、現在進行形で!!」
キンキンと騒ぐのは桃色の髪をツインテールにした小柄な生徒──下江コハルがジャック・オーの方へ向き直って顔を真っ赤にしながらまくしたてる。
そうだ。一般的な常識を持ち合わせているのなら、彼女の反応こそが正しいのだ。
ジャック・オーの傍にいるもう一人のプラチナブロンドの髪をおさげにした生徒も困ったように引きつった笑みを浮かべていた。
当たり前だ。だってハナコは今コハルが言った通り、プールにいるわけでもないのに学校指定の水着だけを着用している格好で皆の前に立っているのだから。
コハルやプラチナブロンドの髪の子からの視線はぞくぞくしてたまらないが、それだけにそういった反応を一切しないジャック・オーの反応が異質だった。
髪は腰まで届くほどの長さだ。鮮やかな紅い髪をメインに、白のインナーカラーが目を引く。
身長はおおよそ165㎝と言ったところだろう。ハナコよりは少々高い位だ。
服装はオーソドックスな白いブラウスにレディースのパンツスーツという恰好だ。まさに”大人の女性”然とした格好と言えるだろう。
なのに、しっかりと自己主張する胸とおしりのせいで
そんなジャック・オーの目は、どこまでも真っすぐだった。ハナコの言動に驚くでもなく、ドン引きするでもない。
ただありのままハナコのことを受け入れようとしているような、そしてハナコの心の奥底まで見透かすような……そんな真っすぐな目。
ああ、とハナコはそこまで考えて自覚した。
(私は、この
「と、とにかく早く戻って、早く! もうすぐ先輩たちが来ちゃうから!」
だから、コハルが大声を出しながらハナコを正義実現委員会が留置場として使っている部室の奥の部屋を押し込もうとしてくれたのは幸いだった。
「やん♪ 下江さんってば大胆ですね。このまま奥の部屋で一緒に──」
「うるさいうるさいっ、この公共破廉恥罪!! 早く戻れ!!」
「すみません、どうやら色々混乱している状況のようですので、また後程お会いしましょうね?」
出来ればしばらく会いたくないけれど。そんな本音を押し殺しながら、ハナコは再び穏やかに笑ってコハルに押されるがまま奥の部屋へと押し込まれることを甘んじて受け入れた。
「ほんっとに!! アンタ大人しくしてなさいよ!!? 次同じことしたら死刑だからね!!」
顔を真っ赤にして唾でも飛ばしそうな勢いで叫ぶコハルが、今のハナコにとってはこれ以上ないくらい心の癒しだった。
「…………」
ハナコがコハルに奥の部屋へ押し込まれているのを、ヒフミは呆然と見送っていた。
何とも強烈な人だった、とヒフミは思う。まさか、補習授業部のメンバーの一人である浦和ハナコがこんなところで水着姿になって平然としている人だとは思わなかったのだ。
それも驚きだったけれど、隣に立つジャック・オー先生が全く動じていないのも意外だった。
「んー、嫌われちゃったかしら」
「えっ?」
そんなジャック・オーの言葉に、ヒフミは思わず声をあげてしまった。
二人のやり取りに特に何か問題があったようには見えなかった。ジャック・オーもハナコもごくごく自然な会話をしているようにしか、ヒフミには見えていなかった。
そんな声をあげてしまったヒフミに、ジャック・オーはけれどウィンクをしながら笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。ファーストインプレッションはダメだったかもしれないけれど、それはこれから挽回するから。それで、次に会いに行く子は誰だったかしら?」
「あ、えっと……もう一人は……
「アズサ、ね。どこにいるかとかってヒフミちゃんは知ってる?」
ジャック・オーからの問いにヒフミは困ってしまった。何せ、初めて聞く名前だからだ。
だが、そんなヒフミの様子を見てジャック・オーは察してくれたのだろう。
「それじゃあ、一旦知ってる人がいないか聞いてまわりましょ──」
ジャック・オーが言い切るその前に正義実現委員会の部室の扉が開かれる。
副部長の羽川ハスミを先頭に、ぞろぞろと委員会のメンバーが入ってきた。
「ただ今戻りました」
一仕事終えたといった表情で入室してきたハスミの背後から、小柄な正義実現委員会の制服を着たボブカットの生徒がよく通る声を部室中に響かせる。
その内容は、ヒフミが声をあげてしまうほど驚くものだった。
「任務完了です! 現行犯で白洲アズサさんを確保しました!」
「はい……はいぃっ!?」
驚くヒフミを余所に、コハルがホッとしたような表情で部室に入ってきた先頭の二人の生徒の名前を呼んだ。
「あっ、ハスミ先輩、マシロ!」
呼ばれたマシロとハスミはそこでジャック・オーの存在にも気が付いたようだった。
――シューッ、シューッ……
「コハルさん、お疲れ様です。あれ……?」
「ジャック・オー先生?」
「ハァイ、ハスミ。それと、初めましてマシロ。シャーレのジャック・オーよ」
フランクな挨拶をかわすジャック・オーにマシロはピンと背筋を伸ばしてから勢いよくお辞儀をする。腰を綺麗に直角に折り曲げたそれはとても綺麗なお辞儀だった。
「
「元気があっていいわね。うん、よろしく!」
――シューッ、シューッ……
え、この状況であのガスマスク姿の推定白洲アズサを無視して普通に話しているのはどうなんだろう。というのがヒフミの正直な感想だった。
「ところで、ジャック・オー先生はどうしてこちらに?」
そんなヒフミの想いは通じたのか、ハスミがジャック・オーに用件を尋ねてくれた。
「ああ、補習授業部のメンバーに会いに来たのよ。ヒフミにハナコ、それから……ちょうどそこのアズサに」
「……惜しかった。弾丸さえ足りていれば、もう少し道連れに出来たのに」
「……随分と派手なパーティをしてたみたいね?」
余りにも物騒な発言をガスマスク越しのくぐもった声で呟くアズサに、ヒフミは先が思いやられるのだった。