正直に言って、ハナコはジャック・オーという大人を甘く見ていた。
濡れても良い服で、と皆に言いながらあえて制服を着てきた自分に盛大なツッコミを入れてくれたコハルを面白く思いながら、一方でどこかホッとしている時だった。
ジャック・オーの明るい声がプールサイドに響く。
「皆、お待たせ―」
ハナコは自分よりも遅くプールへやってきたジャック・オーに皮肉のひとつでも言おうと声がした方向へ視線をやった。
そして、思わず声を失ってしまった。
誰からも何の声も上がらなかったのを見るに、きっと他の補習授業部の皆もそうなのだろう。
やってきたのは彼女の髪色によく似た鮮やかな赤いビキニを着て、その上から動きやすそうな薄手の黒いパーカーを羽織ったジャック・オーだった。
別にビキニ自体はどこにでもあるようなシンプルな無地のデザインだ。
プロポーションだって胸の大きさだけならハナコの方がきっと大きい。
だというのに、同性である自分達でさえ思わず見とれてしまう魅力が彼女にはあった。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。まさにそんな言葉がぴったりで、挙句自身に満ち溢れたその雰囲気がより一層ジャック・オー=バルサラという女性を引き立てている。そんな風に感じられた。
「どう? 結構似合ってるでしょ?」
そんな生徒達の視線に気が付いたのか、ジャック・オーがウィンクをしながらポーズを決める。
「す、すごいですねジャック・オー先生……ちょっと憧れちゃいます」
そんな素直な感想を言ったのはヒフミだった。確かに、年頃の女の子としてジャック・オーの姿は憧れるだろう。
「……ジャック・オー先生は実は結構訓練してたりするのか? その引き締まり方、なんとなくそんな風にも見えるけど」
「まあねー。なんだかんだ定期的にフレデリックと訓練してたりするわよ」
「! やっぱりそうなんだ。シャーレでも常在戦場の心構えがあるということなんだな」
「いや、そんなわけないでしょ! ……ないわよね?」
アズサの質問にジャック・オーがおおらかに答え、続くアズサの納得顔にコハルが鋭いツッコミを入れる。直後に切れ味がなまったのは、まあトラブルに巻き込まれてばかりといううわさ話もある以上仕方がないとハナコは思った。
「あはは。大丈夫よ。キヴォトスで起きてる騒ぎなんて、戦場なんて言葉で表すほどのことなんて基本的に無いしね。そんなことより! せっかく皆着替えてきたんだらプール掃除、始めましょ!」
そう言いながらジャック・オーが指を鳴らすと、虚空から補習授業部全員分よりも多い数のデッキブラシやバケツ、それから大きなクーラーボックスまで現れた。
しかも、それらを持っているのは別館の掃除の時にも呼び出していた”サーヴァント”と呼ばれる2頭身の不思議な生き物たちだ。
「……何度見ても思うけど、本当に先生って魔法使いなのね」
「便利ですよねえ……えっと先生、実はテレポートとか使えたりしませんか……?」
「ん? 私やフレデリックは無理だけど、飛鳥君ならできるわよ」
「テレポート……瞬間移動か。それが可能だとするとこれまでの戦術や戦略の常識が全部ひっくり返るな……」
「…………」
誰もがジャック・オー先生に目を向けている。プールサイドに制服を着てきたハナコではなく。
だから、自然と唇の先がとがりそうになったのも仕方がない。そう、仕方がないことだ。
悪いのは、全部ジャック・オー先生なんだから。
「ねえハナコ、プール掃除だったらどこから始めればいいと思う?」
だというのにほら。どうしてこの人は自分がモヤモヤし始めた瞬間にこちらへ話を振って来るのだろう。
「そうですね。まずはプールサイドから綺麗にして、それからプールの中というのはどうでしょう。先に中から手を付けてしまっても、プールサイドを綺麗にした時の汚れが中に入ってしまってはもったいないですから」
「うん、いい考えね。じゃあ、皆でプールサイドから掃除しましょうか!」
ああもう。へそを曲げる暇さえない。完全にこの場を先生に支配されてしまっている。
なのに、プール掃除の音頭をとるのは自分という流れを作られてしまった。
「それでは、私は奥の方を。コハルちゃんは手前を。ヒフミちゃんとアズサちゃんは両サイドをそれぞれ担当って形でどうでしょうか?」
「あ、はい。ハナコちゃんの言う通りで良いと思います。それじゃあ、掃除を始めましょうか」
「了解」
「わ、分かったわよ……」
そうして、モヤモヤを抱えたままプール掃除が始まった。
だが、掃除をする為にデッキブラシを擦ったりして体を動かしていると不思議なものだ。
いつの間にか、あんなにモヤモヤしていた気持ちもどこかへ行ってしまっていた。
皆の傍にずっと付かず離れずついて、掃除の手伝いをしてくれるサーヴァントたちに癒されたのもあるかもしれない。
彼らはハナコたちが握るデッキブラシが汚れたりした時の為のバケツを持っていてくれた。
それ以外にも綺麗な水を汲んではハナコたちが掃除した場所に水を流して綺麗にしたり。
ある程度時間が経ったらクーラーボックスに入っていたのであろうペットボトルを(水やお茶、スポーツドリンクだった)を手渡してくれたり。
サポートは的確なのに、その小ささのせいかひとつひとつの動作に愛らしさを感じずにはいられなかった。
そうこうしている内にプールサイドの掃除が終わり、プールの中の掃除に移った頃。
いつの間にか随分と気分が良くなっていたハナコは、掃除の為の水を撒くホースの口を近くで掃除していたヒフミへ向ける。
「見てください、虹ですよ! 虹!」
「ひゃっ!? ちょっ、ハナコちゃん冷たいですよぉ!」
「ふふっ、トリニティの湖から引っ張ってきている水みたいですので、そのまま口を開けて飲んでも大丈夫ですよ?」
そう言いながらホースの口を指で押さえて流れ出る水をシャワーの様にしながらヒフミの方へ向ければ、ヒフミもきゃあきゃあ言いながら気持ちよさそうに声をあげる。
そんなヒフミの足元にサーヴァントがやってきたかと思えば、一体どこから持ってきたのかサイズに見合ったパラソルを開いて降り注ぐ即席の雨を受け止めて遊び始めた。
それならばとハナコは手首のスナップを利かせてホースの水を左右に振り、更にそれっぽくなるように水を降らせる。
その水が太陽光を浴びて綺麗な虹を作り出した。虹の中でヒフミやサーヴァントたちが楽しそうにくるくると踊っている。
そんな光景が、ハナコはとても楽しくそして綺麗に思えた。
ハナコがヒフミやサーヴァントたちとじゃれているところから少し離れた場所ではコハルが何やら考え込むような表情でうつむいている。
「ど、どうしてこんなことに……」
そんなコハルの足元に、サーヴァントがふよふよと近づいて紙パックのジュースを差し出した。
「あ、ありがと……」
ほんの少し顔を赤らめながらお礼を言う彼女に、サーヴァントはグッと力こぶを作るようなジェスチャーをする。
そんなサーヴァントを見て、コハルは小さく噴き出した。
「ふふ、変なの」
そう言って笑いながらパックについていたストローをパックに差し込んで口をつける。
いちごミルクだった。
美味しい。美味しいのだが。
棒状のものから、白濁した液体を、ちゅーちゅーと吸う。という行為を自分がしている。
そんなワードがコハルの頭の中に浮かび上がる。
プールサイドで、皆からちょっと離れた場所で、ちゅーちゅーと、白い液体を──。
「え、エッチなのはダメ! 死刑!!」
サーヴァントに落ち度があるとすれば、きっと渡す飲み物のチョイスを間違えたことだろう。
ともかく、コハルの豊かな想像力という爆弾の導火線に火をつけてしまったサーヴァントは、まだ中身の残ったいちごミルクの紙パックを顔面で受け止めるという不幸に見舞われたのだった。
その更に少し離れた場所では、アズサが付いてきていたサーヴァントへ視線をやりながらブラシを片手に足早に移動を始めていた。
「こちらのブロックは完遂した。続けて速やかにあちらへ向かう」
アズサの言葉にサーヴァントがビシッ、という擬音が聞こえてきそうな勢いで敬礼をしてサーヴァントサイズのデッキブラシを持ちながらアズサに追従する。
「うん。サーヴァント……あなたたちは皆サーヴァントと呼べばいいのか……? わからないけど、一緒に戦ってくれてとても心強い。おかげで掃除もあっという間に終わりそうだ」
アズサが小さく微笑みながら追従してくれるサーヴァントに語り掛ければ、サーヴァントは小さく首を傾げてからサムズアップの恰好をとる。
「うん。残りも頑張ろう」
<マカセロ>
「……っ!? え、あなたたち喋れたのか?」
<イクヨー!>
「あ、うん……?」
呆気にとられるアズサを置いてブラシを持って移動し始めたサーヴァントの後を、彼女は慌てて追いかける。
その後も一人と一体はどんどんと息を合わせて効率よく掃除を進めていくのだった。
そうこうしている内に掃除は終わり、プールに水も溜め終わった頃。
空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
「皆お疲れさま! 何とか暗くなる前に終わったわね」
心地の良い疲労感と達成感に包まれる補習授業部たちをジャック・オーが笑顔でねぎらう。
「なんだか、不思議な気分だ」
「ええ、掃除の後の綺麗なプールで浮き輪でゆらゆらと揺られる……幻想的ですね」
「プールの上でジュースなんて……ちょっといけないことしてるみたいですね」
ちゃぷちゃぷとプールの水が浮き輪にはねる音を聞きながら、ハナコたちは昼間ジャック・オーが見つけた浮き輪に乗ってジュースやらアイスを頬張っていた。
プールだから波はないが、皆が身じろぎをする度に浮き輪が少し揺れる。その小さな揺れが、また心地よかった。
これ以上ないイベントだ。ハナコが望んだ、学生らしいイベント。
いや、それ以上かもしれない。だって、プールに浮かべた浮き輪の上でジュースやアイスを頬張るなんて背徳的なこと、普通じゃ思い付いたって出来やしない。
本館から離れた、誰も来ないような別館だから。補習授業部の皆しかいないから。
監督しているのがジャック・オー先生だったから。
結局、今日もずっとジャック・オー先生の手のひらの上だった。それだけが、ハナコはなんだか面白くなかったけれど。
でも、手のひらで踊らされた結果がこれなら、まあ。
ほんのちょっとくらいは感謝しても、いいのかもしれない。
「コハルちゃん、あーん♡」
「は!? アンタそれ今自分で口をつけたアイスでしょ! なんで私に──」
「ほらほら、早く食べてくれないとアイスこぼれちゃいますよ?」
「~~~~~~っ!!」
紙スプーンから今にもこぼれそうなバニラアイスを見て顔を真っ赤にしながらスプーンにかぶりつくコハルに、ハナコは笑顔を浮かべる。
今日くらいは、負けを認めてもいいか。そんなことを頭の片隅で考えながら。
年内最後の更新になります。
今年も一年お世話になりました。誤字報告、感想大変励みになっております。
エデン条約編、当初想定からすでに大分路線が変わっていますが今考えてる構想の方が多分楽しいのでこのままいきます。
来年もよろしくお願いいたします。それでは皆様、良いお年を。