楽しい時間、というのはあっという間だ。
そんなことを考えながら、ベッドで横になっていたヒフミはあれほど楽しかった気分が幻だったかのように気分が落ち込んでいくのを感じていた。
補習授業部の合宿が始まった。残されたチャンスは、2回。
ティーパーティーのナギサから聞いた補習授業部の真の目的が、ヒフミの心の隅からじわじわと侵食してくるような気分だ。
トリニティの裏切り者を見つけ出せ。それは”普通”の学生生活を送っていたヒフミにとっては、余りにも毒性の強い依頼だった。
依頼人が、たとえ仲良くさせてもらっているナギサだったとしても。
トリニティの裏切り者とはいったい何なのか。見つけ出して、どうしたら良いのか。
ヒフミは補習授業部になってから今日までの出来事を振り返る。
皆ちょっと変わったところはあるかもしれないけれど、いい子達だと思う。
ハナコは小難しい言い回しをすることがあったり、たまに場違いな服装をすることはあるけれど勉強の教え方はとても上手だ。
それに、なんだかんだ皆のことをよく見てくれているようでさりげなくフォローを入れてくれることも多い。
コハルは多分、ちょっと見栄っ張りなんだろうなとは感じている。それでも、補習自体を嫌がったりしていないし掃除にだって積極的に参加してくれていた。
ハナコにからかわれることが多いのも、きっと根が真面目だから何だと思う。それはそれで、ちょっとかわいそうな気もするけれど。
アズサはどこに行くにも戦うつもりで行動している不思議な子だ。もっとも、銃撃戦が日常茶飯事のキヴォトスではああいう子もきっといっぱいいるんだろう。それに、彼女もまた勉強に対してはかなり真摯に向き合ってくれているように見えた。
皆良い子達だ。だから、この中に裏切り者がいる……なんてヒフミは考えたくなかった。
誰かが、トリニティを滅茶苦茶にしようとたくらんでいるなんて思いたくなかった。
そんなことを考えながら、明日からの合宿に望むのは……嫌だった。
でも、やらなければならない。出来なければ、自分もろとも退学だ。
どうしてこんなことに。私はどうしたら。
そんな言葉で頭がいっぱいになって、どうにも寝付けなかった。
何度も寝返りを打ってみるけれど、これっぽっちも寝られそうにない。
不意に思い出されるのは、寝る前のこと。
「それじゃあ、私はあっちの部屋にいるから何かあったらいつでも呼んでね」
そう言って自分達が寝る部屋から少し離れた部屋へ引き上げて行ったジャック・オー先生の姿だ。
先生になら、話してもよいだろうか。この、補習授業部の真の目的や自分が頼まれたことについて。
そこまで考えた時、ヒフミは自然と体を起こしていた。
ちょっと、お手洗いへ行くついでに顔を出すだけ。
世間話をするだけだから。これは別にいけないことじゃない。
誰に言い訳するでもないのに、そんな言葉をつらつらと頭の中に浮かべながらヒフミは寝室をそっと抜け出した。
補習授業部の真の目的は、トリニティの裏切り者をあぶりだすこと。
もしもそれが出来ない場合は、怪しい生徒も含めすべてを排除する。
ジャック・オーはナギサと会話した時のことを思い出していた。
考えるべきことは多い。
ナギサの真の目的……これはおそらく、エデン条約の締結そのものではない。あくまでもこれは手段だろう。
彼女から直接は聞き出せていないが、補習授業部の真の目的について聞いたあの日にナギサが不意に見せていたあの目……。
セイアとミカをどこか疎むような口ぶりをしながらも、二人が座っていたのであろう空の席に向けられた不安や悲しみをないまぜにしたようなあの視線。
あれはあるべき場所にあるべきものがない。それを悲しむ視線だったように思う。
そこから推測されるナギサの本当の願いとは、もしかしたら”自分の居場所を取り戻したい”……そんなささやかなものではないだろうか。
では何故、そんなささやかの願いの為にエデン条約締結という大掛かりな手段が必要なのか。
その為には、エデン条約そのものについてもっと考えなければならない。
そこまで考えた時、部屋の扉をノックする音がジャック・オーの鼓膜を揺らした。
誰が来たのだろう。そう思いながら声をあげる。
「開いてるわ。入って」
「あ、えと、失礼します……」
遠慮がちに扉を開いて部屋へと体を滑り込ませてきたのは、ヒフミだった。
「その、夜中にすみません……」
「構わないわ。どうしたの、ヒフミ?」
ジャック・オーの問いにヒフミは目を伏せる。
「その、なんだか眠れないと言いますか……あれこれ考えていたら、その……あうぅ……」
どうやら相当な悩み事らしい。モモフレンズのグッズが手に入れられない環境にストレスを感じているのだろうか。
大分失礼な想像だったが、フレデリックからの話を聞いている以上有り得ないとも言えない。
とにかく、話を聞いてみないことには始まらないだろう。
「考えがまとまらない時は、誰かに話してみるのが良いかも。話している内に頭の中が整理されることも多いしね」
「そ、そうですか……? えと、じゃあ…………どこから話せばいいんでしょうか……」
「落ち着いて。なんでもいいわ。1つずつ、頭の中にあるものをそのまま言葉にしよう?」
そう言われてヒフミは少しの間視線をさまよわせながら口をパクパクとしていた。
ジャック・オーはその間も口をはさむことなく、黙って待つ。
時間にして1、2分だろうか。そのくらい経った頃、ヒフミがようやく言葉を紡ぎ始めた。
「えっと……明日から本格的な合宿、なのですが……私たち、このままで大丈夫なのでしょうか……」
かなり漠然とした悩みだった。このまま、とは一体どういうことなのか。
その問いを投げかける前に、ヒフミは言葉を続ける。
「もし一週間後の二次試験に落ちてしまったら、三次試験……。万が一、それにも落ちてしまったら……」
そこまで聞いて、ジャック・オーの頭の中で1つの仮説が立てられた。
もしやヒフミは、三次試験までに全員合格できなかった場合のペナルティを知っているのではないか。
「……全員、退学にさせられるかもしれない。それが不安なの?」
ジャック・オーの言葉に、ヒフミがハッとした表情でこちらを見る。ビンゴだ。この反応は、ジャック・オーの仮説が正しいことの証明に他ならない。
「……やっぱり、先生も知っていたんですね」
「まあね。ナギサから一通りの話は聞いてるわ」
一通りの話を聞いている、という言葉にヒフミがほんの少し目を見開いて少しだけ身体を前の乗り出すような姿勢で口を開いた。
「じ、じゃあ……補習授業部が作られた本当の目的についても……ですか……!?」
今度はジャック・オーがほんの僅かに片眉を上げる番だった。
「……ヒフミ、貴女ナギサから他にも何か聞いてるのね?」
ジャック・オーの問いかけに、ヒフミは唇をかんで小さく頷いた。
「……トリニティの、裏切り者を見つけてほしい……と」
重々しい口調で告げられたその言葉に、ジャック・オーは今度こそ眉をひそめた。
「そうだったのね。……ナギサはその時、他になんて?」
「えっと……ナギサ様は、私がシャーレと繫がっているから私に補習授業部へ参加させたのだと……おっしゃっていました。第三勢力である『シャーレの先生』がいれば、裏切り者はうかつに動けないと」
「確かに、貴女は以前私たちと一緒にアビドスの件で関わったことがあったわね。縁がある、とは思っていたけど……縁があったからこそ、という訳か」
ヒフミがシャーレと繋がっていることをナギサが知っていたのなら、どういう経緯でヒフミが自分達と繋がりを持ったのかを調べていてもおかしくはない。
――その過程で、ヒフミが学区を抜け出してブラックマーケットに出入りしていたという事実を突き止めることも。
疑わしきは罰す。そんな強権を振りかざすことすら
要は、ナギサはヒフミに踏み絵をしろと言ったのだ。お前が裏切り者でないのなら、真犯人を見つけ出せと。
フレデリックから聞いた話では、ヒフミはほんの半日行動を共にしたアビドスの生徒達にさえ感情移入をし、あまつさえ無茶と知りながらもナギサに助力を求めるほど真っすぐな心を持っている。
そんな彼女には、余りにも酷な話だ。
だがそれは、アビドスの生徒たちの置かれた状況だけではなく彼女たちの人となりを知り、その詳細な
ナギサの持つ情報網がどれほどの精度かは分からない。だが、当事者たちほどではないのは明らかだろう。
だからはたから見れば、ヒフミは他校の生徒とブラックマーケットで知り合い、あまつさえその繋がりの為にティーパーティすらも利用できる生徒、と見られてもおかしくない。
そして、その繋がりを逆手にとってトリニティに敵対的な存在へ内部の情報を横流しにすることが可能な人物――すなわち”トリニティの裏切り者”であるとも。
「わ、私はその、裏切り者なんて、そんな話……」
小さく震えるヒフミの声に、ジャック・オーは思考に沈みかけた意識を引き戻された。
「みんな、同じ学校の生徒じゃないですか……今日だって、皆でお掃除をして、一緒にご飯を食べて……」
ヒフミの手がジャージの裾を握りしめ、シワを作る。その手は、小さく震えていた。
「これで、誰が裏切り者なのかを探れだなんて、そんな、そんなこと……そんなこと、私には……」
震えるヒフミに、ジャック・オーは少し深めに息を吸い込んだ。
そして、出来るだけ優しい声色になるよう意識をしながらヒフミに語り掛ける。
「貴女は優しくて、真っすぐな子よ。アビドスの時も、貴女はあの子達の助けになってくれたものね」
「せ、先生……?」
ヒフミに裏切り者探しは出来ない。そして、させるべきでもない。彼女には、もっと別の役回りが向いている。
「大丈夫、その件は私に任せて。代わりに、ヒフミには自分にできることを頑張って貰いたいの」
「私に、できること……」
ヒフミのその真っすぐさは、ある意味ではシンに似ているところがあるのかもしれない。
ユニカ*1と、彼女を送り込み人とギアの全てを根絶しようとすらしたネルヴィル*2すら本当は殺したくなかったとこぼしたあの真っすぐさに。
「大丈夫。貴女がやりたいと思ったことを、好きにやればいいの。失敗しても、私がそれをフォローしてあげるから」
だから、彼女には頼まれごとをするよりもきっと思うままに動いてもらった方が上手くいく気がするのだ。
そしてそんな子供を導くのは、いつだって大人の役割だ。
でもそれは、使命なんかじゃない。
自分自身の意志で決めた、自分の世界の為だ。
「……はい! 分かりました! あ、その、私に何が出来るのかは、まだ分かりませんが……ちょっと考えてみようと思います」
ジャック・オーの言葉で吹っ切れたのか、顔を上げたヒフミの目は先程までとは異なり力強いものへと変わっていた。
「先生、ありがとうございます! なんだか心が軽くなりました……!」
「どういたしまして。何かに迷ったら、またお話しましょ?」
「はい! では、おやすみなさい先生」
そうして、すっきりとした表情になったヒフミを見送りながらジャック・オーは決意を新たにするのだった。
必ず、皆の世界を守ってみせると。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年はエデン条約編4章が終わるまでを目標にします。