ジャック・オーが採点した模擬試験の結果はと言えば、決して良い物とは言えなかった。
合格したのはヒフミだけ。他は合格ラインの60点を大きく下回るという見るも無残な結果に終わっていた。
この結果に対する反応は様々だったが、ヒフミはこの結果を受けて何かを決意したかのように表情を引き締める。
「これが今の私たちの現実です。このままだと、私たちの先に明るい未来はありません……ここからあと一週間、みんなで60点を超える為には、残りの時間を効率的に使っていかなければならないのです!」
ヒフミの言葉に、コハルとアズサはこくりと喉を鳴らす。ハナコはいつも通りの穏やかな表情ではあるが、その目には若干の困惑の色が浮かんでいた。
ヒフミはさらに続ける。
「そこで! まず、コハルちゃんとアズサちゃんがどちらも1年生用試験ですので……私とハナコちゃんが、お二人の勉強内容をお手伝いします!」
「あ、それなんだけど私からも一つ提案があるわ」
「えっ……?」
ジャック・オーが口を挟むと、ヒフミがキョトンとした顔でこちらへ振り返った。
そんな彼女ににこりと笑いかけながら、ジャック・オーは指を鳴らす。
すると、生徒達の目の前に宙に浮かぶディスプレイが展開された。
「こ、これは……?」
突然のジャック・オーの魔法の行使に、アズサが困惑した声を上げる。
他の生徒達も皆、声を上げずとも同じような表情をしていた。
そんな彼女らにジャック・オーは説明をする。
「これ、今の模擬試験で不正解だった問題と、それに対応する教材のページを取りまとめたデータよ。やっつけだから今はこの程度の情報しかないけど、この後私がこのデータを基に補習問題を印刷するわ。これを使えば、かなり効率的に苦手克服も出来るんじゃない?」
「こ、これだけの情報をあの30分足らずの採点時間で、全員分……ですか……?」
やや戦慄したヒフミの声に、ジャック・オーはウィンクを返す。
「ま、私にかかればこんなものよ。補習問題は苦手な問題以外にも、模擬試験で正解だった範囲も含めるから油断しないようにね」
「す、すごい! すごいです先生! これならきっと一週間で合格ラインも夢じゃありません!」
喜ぶヒフミに、コハルやアズサも希望を見出しかけているようだった。
しかし、そんな彼女らにジャック・オーは指を振る。
「合格ライン? いいえ、目標はでっかくいきましょう! つまり、全員満点合格よ!」
「ええっ!? それは流石に……」
ジャック・オーの無謀とも言える目標に、流石のヒフミも腰が引けた様な声になった。
まあ実際、どんな人間も本番では普段やらないようなケアレスミスを起こすことがある。
それを考えれば無謀、いや無理と言われても仕方のない目標だろう。
それでも、ジャック・オーは全員満点合格という目標で行きたいと思っていた。
――例えば『急に試験の範囲が変わる』ですとか、『試験会場が変わる』ですとか、『難易度が変わる』といったものです――
思い出されるのは以前のナギサとの会話だ。
もし万が一ナギサからの妨害があった時、合格ラインギリギリを目標としていたら学力的にリカバリーするのが難しくなるのは間違いないだろう。
何もなければそれに越したことはない。それにナギサにはどんなことをされても真正面から受け止めるとも宣言した。
これは自分のワガママだ。それに補習授業部を巻き込むことになるが、それでもやり通すつもりだった。その為の苦手分野へフォーカスしたフォローだ。
そこまで考えて、ジャック・オーは微笑みながら生徒たちを見回す。
「分かってる。普通の合格ラインを超えるだけなら、こんなに根詰めなきゃいけないような目標である必要はないわ。でも――」
「いいや、その目標で行こう」
ジャック・オーの言葉を遮って同意の言葉を発したのは、アズサだった。
「確かに、60点で合格できるのに満点を目指すのは無茶なのかもしれない。そこまで必死になっても、得られるのは補習授業部から解放されるっていうだけの結果かもしれない。でも、だからと言って今日最善を尽くさない理由にはならないと思う」
「アズサ……?」
「コハル、私たちは今は合格できないけど頑張ってみる価値はあるんじゃないかな。もし満点合格出来たら、その時の私たちはきっとエリートだ」
「っ! そ、そうよね! 大体、私はエリートなんだから満点くらい取れるわよ!」
「あ、それでしたらえっと……ご褒美を用意してきたんです!」
やる気を出し始めたアズサ、コハルの話を聞いてヒフミが教卓の傍に置いてあった大きな紙袋からごそごそと何かを取り出した。
そうして引っ張り出してきたのは、大小さまざまなサイズのぬいぐるみだった。
……もっとも、そのどれもが何とも形容しがたいデザインだったが。
「こちらです! 模試で良い成績を出せた方には、この『モモフレンズ』のグッズをプレゼントしちゃいます!」
満面の笑みで告げるヒフミはそれはもう嬉しそうな顔をしていた。
ジャック・オーはこの顔を知っている。そう、今自分が研究している分野について聞かれた時の飛鳥の顔にそっくりだ。
そしてこういう状況になると、たいていの場合語っている本人以外が付いていけないということになるのが相場と決まっている。
「モモフレンズ……?」
「……何それ?」
ハナコとコハルが困惑気味にポツリと呟いた。どうやら今回も例外とは行かなかったらしい。
だが悪いことばかりではなさそうだ。
「……っ!!」
ヒフミが用意したモモフレンズグッズを見て、アズサが目を見開いていた。
それははたから見ても分かるほど興味をそそられている顔だった。
が、どうやら歓声か何か上がると思っていたらしいヒフミはそんなアズサの反応に気が付かなかったようだ。
「あ、あれ……? 最近流行りの、あの『モモフレンズ』ですが……もしかして、ご存じないですか……?」
「初めて見ましたね……いえ、どこかでちらっと見た気も……?」
「えぇっ!?」
「なにこれ、変なの……豚? それともカバ……?」
不思議なものを見る目をしたコハルの言葉に、ヒフミが慌てて訂正する。
「ち、違います! ペロロ様は鳥です! 見てください、この立派な羽根! そして凛々しいくちばし!」
が、ヒフミの必死のプレゼンも逆効果だったらしい。コハルは一歩後ろに後ずさってしまった。
「……目が怖い。それに、名前もなんか卑猥だし……」
そう感じるのは流石にペロロ様とヒフミに罪はないのでは、とジャック・オーは苦笑した。コハルが
ともかく、コハルとハナコからの評判は芳しくないようだった。そのことに、ヒフミは肩を落とす。
が、彼女もすぐに異変に気が付いた。
アズサが、ずっと食い入るようにヒフミが抱えているペロロ様のぬいぐるみを見つめている。
そうして、絞り出すようなかすれた息を吐いてから一息に息を吸い込み──
「か……可愛いっ!!」
キラキラと目を輝かせながらペロロ様のぬいぐるみに駆け寄った。
「か、可愛すぎる……! 何だこれは、この丸くてフワフワした生物は……!! この目、表情が読めない……何を考えているのか全く分からない……!」
「さすがはアズサちゃん、ペロロ様の可愛さに気づいてくれたんですね そうです! そういうところが可愛いんです!」
ようやく見つけた同好の士を前にヒフミのボルテージも上がる。
そこからはもはや二人の世界だった。
取り残されたコハルとハナコはただただ呆然と盛り上がる二人を眺めているだけだった。
「すごい、すごい……!! これを貰えるのか? ま、まさか、選んでもいいのか?」
「はい! アズサちゃんが欲しいのを持っていってください!」
ヒフミの言葉に、アズサはすぅー……と深く息を吸い込み、きりりと表情を引き締めた。
「……やむを得ない、元から全力を出すつもりだったが120%の力を出すとしよう。良いモチベーション管理だ、ヒフミ。約束しよう。必ずや任務を果たして、あの不思議でフワフワした動物を手にしてみせる!」
どうやら、少なくともヒフミの試みは一部成功を収めたらしい。
それでも、それはヒフミにとって値千金の出来事だったようだ。
「えへ、えへへへへへ……」
だらしない笑顔を浮かべながら、気持ち身体も少しくねらせていた。余程嬉しかったらしい。
「あら、なんだかヒフミちゃんが楽しそうに、と言いますかお人形さんと同じような動きと表情に……♡」
「ま、自分の好きなものを共有できるのは嬉しいわよね。飛鳥君とかフレデリックもたまにあんな感じになるもの」
「え”……シャーレの先生達があんなキモ……変な顔するの……?」
「いえ、流石にあんなだらしない顔にはならないけど……まあ、なんというか……お酒に酔ったみたいな言動にはなるわね」
「あまり想像できませんが……それはなんとも面白い話ですね」
そんな他愛のない会話を少しかわした後、意識を何とか切り替えられたらしいヒフミの号令で早速勉強を始めることとなった。
全員満点合格。そんな自分のワガママを実現する為に、ジャック・オーもまた問題集の作成に取り掛かるのだった。