飛び入りで参加することになったメトの模擬試験の採点が終わった。
結果は──92点。
ジャック・オー自身メトを含む元カタカタヘルメット団の生徒たちの勉強を見ていたのだから、この結果自体には何の疑問もない。
むしろ、連邦生徒会への編入を希望する
だから問題は、そんなメトが編入試験で落第させられたという事実だ。
模試の結果から見て、彼女の学力で落第するということはほぼあり得ない。名前を書き間違えたとか、答案が一問ずつズレていたとか……そういうトラブルでもない限り。
けれど、話を聞く限りどうやらギリギリで不合格になった、と説明を受けたらしい。
メト自身、別室で行われた模試の結果から今回の件については不信感を抱いたようだった。自分が原因の可能性もあるけれど、それ以上に何らかの思惑があることに感づいているようだ。
だから、ヒフミたちのいる教室へ戻る前に軽く事情を説明することにした。
エデン条約の締結前でかなり不安定な状況であることと、それを妨害しようとする存在がトリニティ内部にいることを。
そして、その候補者が補習授業部に集められていることも。
最初は補習授業部設立の真の目的について話すか迷った。だが、これほど露骨な工作に巻き込まれている時点で、遅かれ早かれメトは気づくだろう。そう判断してのことだ。
もちろん、他のメンバーには話さないように口止めもしたが。
「まあ、確かにタイミング的に見たらすっごい怪しいですよね。私だって、大きな仕事の邪魔をする奴がいるって知ってる状態でいきなりよく知らない子がヘルメット団に入りたいって言ってきたら疑います」
事情を聴いたメトは、怒りをあらわにすることこそなかったものの、不快感と納得、それから諦めがない交ぜになった渋い表情をしてうつむいた。
「ごめんなさい、事情を知っていたはずなのに貴女を巻き込んでしまったのは私のミスだわ」
今回の件については完全にジャック・オーのミスと言えた。事前にナギサへ一言伝えるだけでもこんなメトの努力が踏みにじられるようなことにはならなかったはずだ。
だが、起きてしまったことはどうしようもない。ジャック・オーに、イノやアクセルのような時間を跳躍する力はないのだから。
故に、今の彼女が出来るのは真摯にメトに謝罪することだけだった。
そう思って頭を下げれば、どうしてかメトはクスクスと笑い出した。
対応を間違えたのだろうか、と驚いて顔を上げればメトは目を細めながらふわりと笑う。
「気にしてません、と言えばウソですけど。先生、忘れてませんか? 私、元ヘルメット団ですよ? この位のだまし討ちなんて慣れっこです」
「でもそれは、貴女が理不尽な目にあっていい理由にはならないでしょう? 今日の為にどれだけ努力したか、私だって知ってるもの」
努力が結果につながるとは限らない。それでも、出来ることなら報われるべきだ。子供たちが未来を悲観してしまわないように。
自分たちの望む未来を見失わない為に、彼女たちの進む方向を指し示す。その為に、出来ることをする。
それがジャック・オーが自分の中に見出した『先生』に求められた役割だ。
けれど、今回はその役割を果たすどころか真逆のことをしてしまっている。
なのに、メトは穏やかな表情を崩さずに続けた。
「そりゃ、私の努力がよく分からない企みで滅茶苦茶にされたのはムカつくけど……でも、ブラックマーケットの大人たちよりマシですよ? だって、私にはまだチャンスがある。ここで結果を残せば、私の望む結果を手にできるチャンスが」
確かに、補習授業部全員で合格をすればヒフミたちは元の学校生活に戻ることが出来、メトも編入が認められる。
そういう意味では、まだチャンスは残っていると言えなくもない。
だがそのチャンスが、
しかし、メトもまたジャック・オーと同じことを考えていたらしい。おどけたように肩をすくめながら続けた。
「先生が考えてることはちょっと分かります。私がこれだけ露骨に妨害されたんです。このままこれからも普通にテストを受けさせてもらえるとは思ってません。でも、チャンス自体はある。しかも2回も。契約書にない、なんて屁理屈でタダ働きさせてそれっきりなブラックマーケットのクソジジイどもに比べたら百倍マシですよ。それに……」
メトが暗さを感じさせない、屈託のない明るい笑顔を浮かべて言った。
「今回はジャック・オー先生が一緒です。アビドスの時だって私たちを助けてくれた。だから、今度も助けてくれるって……私は
メトの笑顔と、何よりその言葉にジャック・オーはハッとさせられた。
生徒にここまで言われて、いつまでもめそめそしていたらそれこそ先生失格ではないか。
「ありがとう、メト。なんだか、最近は皆に助けてもらってばかりだわ、私」
生徒を導く側のはずなのに、生徒に色々と気づかされることが増えてきたことにジャック・オーは思わず苦笑する。
そんなジャック・オーにメトは上機嫌な顔で腰に手を当てながら胸を張った。
「どうです? これでちょっとくらいは恩返し出来たんじゃないですかね? まだまだ返済しきれてないんですから、もっと取り立ててくれていいんですよ?」
「これからさらに負債を抱え込むって宣言した割には随分余裕じゃない。借金まみれで首が回らなくなっても知らないわよ?」
「あ~、ジャック先生私の返済能力疑ってます? 私、これでもウヅキちゃんにも勉強教えてたんですよ? 補習授業部の子たちの助けになる自信、結構あるんだけどなー?」
上機嫌を通り越して小生意気さすら感じるニヤケ面になったメトに、けれどジャック・オーは釣られて笑顔になるのを抑えきれなかった。
初めて会った時に比べて、随分と強くなった。
自分の
彼女たちがそんな強さを得られたことが、今はだた嬉しかった。
そして同時に、そんなメトが傍にいてくれることがとても心強く感じた。
なればこそ、ジャック・オーもまたメトを頼ることにした。
「それじゃあ、そんな債務者のメトにはとびきりの活躍を期待させてもらおうかしら」
あえて挑発するような言葉を選んでジャック・オーもまた唇の端を吊り上げてみれば、メトもまた胸の前で腕を組んで自信に満ちた笑みを浮かべる。
「任せてください! 利子付きで返して見せますとも!」
茶番にも思えるようなそんなやりとりをして、どちらともなく小さく噴き出す。
笑いながら、ジャック・オーは確かにメトとの間に信頼を感じていた。
信頼とは、互いが互いを信じることで初めて生まれるものだ。
それはきっと、今回の戦いでとても大きな武器になる。
今はまだ、メトとヒフミ位としか信頼を築けていないけれど。
もしも補習授業部全員と、そしてナギサやセイアとも信頼を築けたのなら。
いや、築いてみせる。それこそが、ジャック・オーが知る
下江コハルは顔から火が出そうかと思うほど恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
きっかけはひょんなことだった。アズサに勉強で分からないところを聞かれて、即答できなさそうだったから参考書をカバンから取り出そうとしたのだ。
中身をよく確認せず、手触りと重さで目当ての参考書を掴んだと思ってそれを引き抜いた。
アズサと話しながらだったのもある。自分がエリートだと言われてちょっと気分が良かったのもある。
でも、まさかそれで寄りにもよって隠し……いや、押収品倉庫にしまい忘れていた大人向けの本を引っ張り出してしまうなんて。
アズサはよく分かってなかったけれど、ヒフミはちょっと顔を引きつらせていたし、当然ハナコにはここぞとばかりにからかわれた。
しかもタイミングの悪いことに、そこへ今日から補習授業部に入ることになったらしい金田メトとかいう奴がジャック・オー先生と一緒に戻ってきてしまった。
「……あっ」
メトは、コハルの手に握られた本を見て全てを察したらしい。ジャック・オー先生はなんか……怒るでもなくニコニコしている。こっちはいつも通りかもしれない。
でも、変な勘違いされても困るからコハルは反射的に声を上げてしまった。
「違うから!? 違うからね!?」
「……や、まあ。趣味は人それぞれだし……?」
「いいんじゃない? そういうのに興味を持つのは健全なことよ、人間としては」
「だから違うんだってばあっ!! これは私のじゃないの!! 押収品をしまうの忘れてただけなのっ!!!」
恥ずかしすぎて涙すら出てくるのを感じながら声を張り上げる。
返そうと思っていたのだ。ただ、急に補習授業部に入ることになったからすっかり今の今まで忘れていただけで。嘘じゃない。……半分くらいは。
「ま、まあまあ……それならほら、返しに行けばいいんじゃない? バレない内に」
なんかもう色々ひどくて泣きそうになるのを、必死でこらえているコハルにメトがこちらに向かって歩みよりながらそんな助け舟を出してくれた。
「ついでにトリニティの案内とかもしてくれたらなー……って思うんだけど。あ、ジャック先生も付いてきてほしいです。こういうの返すときに先生がいてくれればほら、バレても先生が誤魔化してくれると楽ですし」
「貴女、随分
一体何を言っているんだコイツは。という気持ちと、何とか誤魔化せそうだという安心感がごちゃごちゃになったコハルは思わずメトのことをじっと見つめてしまった。
そんなコハルの視線に気づいたらしいメトが、こちらを見つつ軽くウィンクしてから内緒話するように耳打ちをしてくる。
「ね、あとでおススメ教えて?」
「えっ」
耳打ちされた言葉にコハルはメトの顔を二度見した。大人に隠れていたずらした時みたいに舌先だけペロ、と出したその顔はコハルの見間違いじゃなければちょっと赤く見える。
もしかしたら、この人はそんなに悪い人じゃないかもしれない。少なくとも、ハナコみたいに何かとからかってくることはなさそうだ。
いや、別にハナコが嫌いという訳じゃないんだけれども。
そんなことを考えてきたら、そのハナコがにじり寄ってきた。
「あら~、二人で内緒話なんてずるいです。私も混ぜてくださ~い。それに、金田さんを案内するならみんなで行きませんか?」
「まあ、そろそろお夕飯の時間ですし休憩がてらにいいかもですね」
ハナコの言葉にヒフミが苦笑交じりに同意する。……心なしか、ハナコの距離が近い。それに、なんだかちょっと目つきが怖く見えた。
「ええ。金田さんには、是非ともトリニティの良い所を知ってこれからも一緒に通いたいですから~」
ハナコの声はいつも通りに聞こえる。気のせいだったのだろうか。
「仲間が増えるのは良いことだ。私も賛成する」
「それじゃあ、まずは正義実現委員会の部室ですね♡ まあ、みんなで行ってしまってはバレやすくなってしまいますし、私たちは適当なところで待っていましょう。部室へは、先生とコハルちゃんだけで行くと良いと思います」
「オッケー。それじゃあ行きましょうか」
ジャック・オー先生の号令で、みんなが席を立ち教室の扉へと歩き出す。
やっぱり、何か変だ。そう思った時には、コハルの口は勝手に動いていた。
「ねえハナコ」
コハルの呼び止めに、ハナコは足を止めてこちらを振り返る。その顔には、いつもと同じ何を考えているかよく分からない笑みが浮かんでいた。
「どうしましたか、コハルちゃん? あ、もしかして私だけに聞かせたいお話があるとか? た・と・え・ば……」
「……その、なんか怒ってる?」
ハナコの言葉を遮って、コハルは彼女に感じていた違和感を突きつける。
そしてその突き付けた言葉に、ハナコの表情が強張った……ような気がした。
「……そんなことないですよ? コハルちゃんには、私が怒っているように見えたんですか?」
そんな風に目を細めて笑うハナコは、いつものハナコのように見える。怒っているようには、これっぽっちも見えなかった。
「……分かんない。でも、なんか変だなって思ったの。ねえ、私……アンタを怒らせるようなこと、しちゃったかな」
ハナコにはイライラ……という訳でもないけど色々されてる。文句を言いたいこともいっぱいある。
でも、コハルは正義実現委員会の未来のエリートだ。……今はまだちょっと、エリートじゃないかもだけど。
だから、自分が間違ったのならそれは正さなきゃいけない。
「ハナコに、ひどいこと言っちゃったとかだったら……私、謝る。……その、アンタはムカつくけど……勉強、たくさん教えてもらってるし」
コハルは気まずさでいっぱいになりながら、それでもハナコを真っすぐと見つめる。
それがコハルに出来る、精一杯の誠意だと思ったから。
けれど、先に目を逸らしたのはハナコだった。でもそれも一瞬のことだ。
再びコハルを見つめたハナコの目は、いつもと変わらないよく分からない微笑みだ。
「うふふ、コハルちゃんは良い子ですね」
「良い子って、子供扱いしないでよ! 真面目に話してるんだけど!!」
「ええ、勿論。……コハルちゃんが思っているようなことはないんです。もし私が怒ってるように見えたのなら、それはきっと気のせいです。ほら、カッコいい顔とか見方によっては怖く見えたりするものでしょう?」
「……よく分かんない」
ハナコの言うことは相変わらずよく分からない。
ただ、やっぱり自分の思い過ごしだったのかもしれない。
だったら、もうこんなところでぼやぼやしてる場合ではないだろう。
「ん。じゃあ行こ。皆待たせちゃってるだろうし」
「はい♡ あ、手とか繋いじゃいますか? 遅れて出てきた二人、ギュッと繋がれた手、赤く染まった頬、そして二人は観衆の前で……」
ハナコの一言一句がコハルの頭に刻みつけられていくのと同時に、その言葉にピッタリな映像が頭の中に浮かび上がってくる。
それどころか、その言葉の先にあるであろう光景まで勝手に浮かび上がってきてしまって──
「~~~~っ!! えっちなのはダメ! 死刑!! 早く行けこの馬鹿、変態、破廉恥!!」
「あらあら~♡」
そんな想像をしてしまった自分が恥ずかしくて、それを分かった上であんな言葉を口にしたのだろうハナコがムカついて。
いつもみたいに顔の熱さを誤魔化すように前を行くハナコに怒鳴り声をあげるのだった。