ちょっとラクーンシティに帰省してました。
ジャック・オーがコハルを抱えて大聖堂の屋根から飛び降りてきた時、ヒフミは先生が魔法使いだということを改めて実感した。
飛び降りる、とは言ったけれどその落下速度は重力に身を任せた自由落下のそれとは程遠い。
まるで膨らませた風船が高い所から落ちてくる時みたいに、その動きは重さを感じないものだった。
遠くからでも目立つ、深紅の髪をたなびかせながらコハルをお姫様抱っこして文字通り舞い降りてくるジャック・オーの姿が外灯の光に照らされた時なんか思わず「これが神秘的、っていうものなのかな」なんて言葉が浮かび上がった。
「みんな、お待たせ。それじゃあ別館に戻りましょうか?」
コハルを下ろしながら微笑むジャック・オーの顔は、まるで本当に綺麗でおとぎ話に出てきそうな天使様の様に見えた。
「ふふ、そうですね。帰りましょうか」
ハナコの言葉でヒフミは自分がジャック・オーに見とれていたことに気が付いて、慌てて首を小さくふるふるとさせる。
別にやましいことをしていたわけじゃないと思うけれど、なんとなくそれを他の人に知られるのは無性に恥ずかしい。
「ヒフミ、どうしたんだ?」
けれど、現実はまあまあ非情らしくて。
自分の奇行をアズサが目ざとく見つけてしまったらしく、声を掛けてきた。さあ、なんて誤魔化そう?
「え、えっとぉ……大聖堂の屋根から落ちたら怖いなって想像しちゃって!」
口を突いて出たのは、あり得そうだけど今しがたそこから飛び降りてきた二人を前にして言うのは余りにもあんまりじゃないかという言い訳だった。
けれど、アズサはそこに疑問を抱くようなことはなかったらしい。
「うん、まあ確かにあの高さから落ちたら流石に無事では済まないな。かといってパラシュートを開くほどの高さがあるわけでもないし……ん、そういえばジャック・オー先生はパラシュートもないのにゆっくりと落ちて来ていた。何か仕掛けがあるのか?」
「ん? ああ、まあ一言でいうなら魔法で見えないパラシュートを開いていた、ってところかしら」
「なるほど……魔法っていうのは便利なんだな」
使いこなせれば便利よ。まあ、それがかなり難しいんだけどね。とジャック・オーがアズサに笑いながら答える。
どうやら、上手く誤魔化せたようだった。ジャック・オー先生を囮にしてしまったみたいでちょっと罪悪感が芽生えるけれど。
そんな風にホッとしていた時だった。
「ヒフミちゃん、ジャック・オー先生に見とれていましたがもしかして……?」
「うひっ?! ち、ちち、違いますよ!? 別にやましいことなんて何も考えてないですからね!?」
耳元でささやかれたハナコの言葉に、肩が跳ねて変な声が口から漏れる。
これはマズい。この流れはどう考えてもハナコが嬉々として──
「あら、私は別にヒフミちゃんが先生に見とれていたけれど、もしかして先生の顔に何かついていたのか気づいたのでは? と聞きたかっただけなのですが♡」
ああ、ほらこうなった。というか、それなら黙っていればもっとうまく誤魔化せたということじゃないか。完全に墓穴を掘っただけになっている。
その事実に、ヒフミは自分の顔がとても熱くなっていくのが分かった。きっと、耳まで真っ赤になっているんじゃないだろうか。
それをあんまり見られたくなくて、自然と視線が自分のつま先に落とされた。
「ち、違うんですぅ……ただコハルちゃんを抱えて降りてきた時の先生がとっても綺麗だなぁって思っただけなんですぅ……」
ともあれ、こうなったハナコには
こんなこと、先生に直接聞かれたそれこそ恥ずかしすぎて死んでしまう。先生は、きっと「あら、ありがとう」って笑って流してくれるとは思うけれど。
そう思ってチラリと視線を上げれば、先生はアズサとまだ魔法について話していた。なんなら、コハルとメトも加わって盛り上がっている。どうやら、こちらのことは気づいていないみたいだ。
そのことにホッと胸をなでおろす──暇もなかった。
「……そうですね。本当に、うらやましいくらいです」
唐突に聞こえてきたのは、あんまり聞いたことのもないようなハナコの声だった。
「えっ……?」
声色が何というか、落ち込んでいるとはまた違うけれど……それでも普段よりも覇気のないソレに加えてハナコらしからぬ他人を心からうらやむような言葉に驚いてそちらを見やる。
そこには、口元だけは笑っているけれどなんだか今にも泣きそうな雰囲気のハナコがいた。
「元気で、何でも出来て、いつでも楽しそうですよね。ジャック・オー先生って。まるで、それが当たり前みたいに」
「…………」
普段とは違うハナコの様子に、ヒフミは何も言えなかった。何かを言って遮るべきではないとも思った。
「もしかしたら、先生も私たちには想像もできない苦労をしたのかもしれません。でも、そんなこと証明のしようもない。だから私にとっては、今の先生の姿が全てに思えてしまいます。……ヒフミちゃんは、先生がうらやましくなりませんか?」
「えっ」
泣きそうな笑顔のままのハナコから突然問いかけられて、ヒフミは慌ててどうだろうと頭を回す。
ジャック・オー先生をうらやましいと思うかどうか。……うらやましいと思うことがないわけではない。
「……確かに、あんなふうに魔法が使えて色々出来たらいいなって思うことはあります。でも……」
「でも?」
視線を問いかけてきたハナコから視線を外して、前を行くジャック・オーの背中を見つめる。
とても綺麗な紅い髪が風に揺られている。けれど、その歩く姿は揺らぐことのない大木の様にどっしりした印象を受けた。きっと、自信にあふれているんだろう。
でも不思議と、ああなりたいとは思わなかった。
「先生は、すごいと思います。でも自分でもよく分からないんですけど……あんな風になりたいなとは、思えなくて。えっと、別に悪い意味ではないんですけど! 私は、私ですし。……あはは、すみません。変なこと言っちゃってますよね、私」
ハナコほど言葉にするのは得意じゃないから、結局自分でも何を言っているのか分からなくなってしまった。
どうしよう。ハナコは、こんな答えで納得してくれるだろうか。
そんな不安と共に彼女の方をチラリと横目で見た。
「…………そうですね。結局、人は誰かになることは出来ません。その誰かの気持ちを理解することも」
「ハナコちゃん……?」
「すみません、変なことを聞いてしまって。今のことは、忘れてください」
ヒフミの答えを聞くこともなく、ハナコが隣を通り過ぎて前を行く先生たちに早足で追いついていく。
数秒経って、自分だけが置いていかれそうになっていることに気が付いてヒフミも慌てて駆け出した。
けれど、自分を追い抜いていくときのハナコの表情がどうしても忘れられなかった。
今のことは忘れてほしい。そういった時のハナコは、それこそ今にも泣きそうなのを必死でこらえながら笑ったような顔をしていたから。
きっと答え方を間違えてしまったのだろう。自分は、ハナコが求めている答えを提示することが出来なかった。
彼女がどんな答えを望んでいたのかはヒフミには分からない。でも、一つだけ分かったことがある。
ハナコはきっと、何かに悩んでいる。その何かが、今の彼女のテストの点数と関係があるに違いない。
だから本当は補習授業部に入る必要がないほどの学力を持っているはずなのに、テストに落ちつづけているのだ。
一体ハナコが何に悩んでいるのか、ヒフミには分からない。それこそ、彼女が言うようにヒフミには想像も出来ないような苦労があったのだろう。
そこで、ヒフミはある可能性が思い浮かんだ。
もしかしたらハナコがトリニティの裏切り者なのかもしれない。何か深い事情があって裏切り者をやらなくちゃいけなくて、それが嫌だからテストに落ち続けることで自主退学をしようとしているのでは?
筋は通っているように見える。そう説明されれば、納得も出来る。
じゃあ、自分はどうしたらいいんだろう。
ヒフミは迷った。だって、もしハナコが本当にトリニティの裏切り者だったのならこれをナギサに報告すればテストなんて面倒なことをやらなくても自分は解放されるのだから。
でも、そうじゃなかったら? この考えが違ったとしたらヒフミに突き出されてしまったハナコはどうなるんだろう。自分は? 皆は?
(先生、私はどうしたらいいんですか?)
たまらず空を仰ぐと、うっすらとした雲が星の輝きを覆い隠していくところだった。
まるで、これから良くないことが起きてしまことを暗示しているみたいに。