コハルと一緒に押収品を戻しに行き、合宿所で生徒たちと夕食を一緒に食べた後のこと。
自分の部屋で模試の結果をもとに生徒たちの苦手分野をまとめながらジャック・オーが問題集を作成していると、突然スマホから慌てた声が響きだした。
『た、た、大変ですジャック・オー先生!!』
「アロナ? どうしたの?」
声の主はスマホにいたアロナだった。普段から喋るときとなると割と賑やかな彼女ではあるが、今回はそんな軽い言葉で片づけられないようなひっ迫した雰囲気を感じる。
そして、そんなジャック・オーの予感通りというべきか。アロナから語られたのはジャック・オーが思わず作業の手を止めてしまうほどの知らせだった。
『ふ、フレデリック先生の位置情報が完全に途絶しました! 通信も全くつながりません! ど、ど、どうしましょう!?』
フレデリックが事実上、消息不明の状態になってしまった。本来であればさしものジャック・オーも狼狽えるような情報にも、比較的冷静さを失わずにいられたのは目の前であたふたと慌て続けるアロナの姿を見たからだろうか。
「アロナ、落ち着いて。いつからフレデリックの場所が分からなくなったの?」
『え、えっと……その瞬間は私ちょっとシエスタしてたっていうか……だからその、何時って断言できないっていうか……』
どうやら寝ていたらしい。そんな事実を真っすぐ言葉にすることがあまり良くないことだと分かっているのか口ごもるアロナを見て、ジャック・オーは苦笑する。
AIにしてはどうにも人間臭さが行き過ぎているような気がしないでもないアロナだが、ジャック・オーは自身も似たような存在だったのだからと彼女を責めるつもりにはなれなかった。
だから、アロナが話しやすいように柔らかい声で問いかける。
「そんなことじゃ怒らないわ。大体でいいの。お昼とか、夕方とかくらいでいいから教えて?」
どうやらそんなジャック・オーの試みは上手くいったらしい。ディスプレイの中で目を泳がせながら、アロナはおずおずと言った様子で口を開いた。
『え、えっと……多分、夕方あたりだと思います。メトさんが模試を受けている時ぐらいでしょうか』
「……その直前位でいいわ。フレデリック、どこにいたの?」
『それは分かります! ゲヘナ学園の風紀委員会の部室にいたみたいですよ!』
アロナの言葉にジャック・オーは考え込む。そう言えば、フレデリックとは昨日エデン条約について話し合った。
ヒフミが途中で来たから話は中断したけれど、もしかしたら彼もゲヘナ側の条約を知っている生徒に話を聞きに行ってくれたのかもしれない。
なら、彼の足取りを追うのならゲヘナの風紀委員会の子に話を聞くのが良そうだ。
幸い、まだ時間は夜遅くというほどでもない。とうに最終下校時刻は過ぎてしまっているから少し気後れするが、事情が事情だ。軽く話を聞く位はさせてもらおう。そう思って、ジャック・オーがスマホに手を伸ばしたその時。
『先生、着信です! これは……非通知?』
「繋いで」
こんな状況で非通知から連絡が来るなど、余りに都合が良すぎる。であれば、これはきっと偶然ではない。
果たして、スマホのスピーカーから聞こえてきたのは聞き覚えのある声だった。
『やあ、ジャック・オー。元気にしていたかな?』
何処か薄気味悪さが漂うへらへらした声。聞き間違えることはない。
「ハッピーケイオス……一応聞きましょうか。要件は何?」
長々と話す気にはならない。どうせ今回もろくでもないことをしたに違いないのだから。
『おいおーい、もうちょっとアイスブレイクをしようとかは思わないのかい? 円滑なコミュニケーションのためにも必要だろう?』
「残念だけど、私は仲良くする相手を選ぶ主義なの。私とおしゃべりしたいというのなら、その為にも用件を伝えてくれないと」
『んー、まあいいか。ソルだけどね、彼にはしばらく出張に行ってもらうことにしたよ』
やはり、この男はロクでもないことをしていた。そして、その内容はとても聞き捨てならない。
「彼をどこへやったの?」
思っていた以上に低い声が出たことに、ジャック・オーは内心で少しだけ苦笑いする。どうやら、それなりに頭に来ているらしい。
だが、そんなジャック・オーの反応すらケイオスは楽しそうに笑うばかりだった。
『んふ、いいね。その声。やっぱり彼を出張に出して正解だった』
「……私に揺さぶりをかけているつもり?」
『ちょっと違う。君は感情を手に入れた。人間になった。ホワイトハウスの一件でね。でも、まだ足りないんだ』
「貴方に人間と認められるのは喜ぶべきかしら?
そんな皮肉を言って鼻を鳴らすが、ケイオスはまるで堪えた様子はない。まさに
『君は随分と自分の感情に素直になった。アリエルスや僕らと戦った時に比べれば別人と言っていい。でもね、人間になった君は一人になったことはないだろう?』
「……何が言いたいの」
『君はソルに頼りすぎなんだ。確かにソルは君に相談されれば
ケイオスの言葉に思わず奥歯を噛みしめる。彼の指摘はジャック・オーにとって痛いものだった。
ユニカやネルヴィルたちの時*2も、アビドスの時だってジャック・オーは別行動をとることはあってもずっとフレデリックと一緒だった。
最終的な選択自体は確かにジャック・オーが決めたものはたくさんある。けれど、選び取る前にはいつだってフレデリックが傍にいてくれた。
それはつまり、ジャック・オー一人で何かを決断しきれたことがないとも言い換えられるのかもしれない。
『ま、そういう訳だからさ。期待しているよ。ああそうそう、ソルについては心配しなくていいよ。ちょっと連絡取れなくしてるだけで、彼には君と同じように別の学校のフォローに向かって貰ってるだけだから。じゃあね』
「なっ、待ちなさい!」
ジャック・オーの制止も聞かず、無慈悲にも通話はそこで切れてしまった。
最早何の応答も帰ってこないスマホのディスプレイをちょっとだけ忌々し気に見つめるが、だからと言ってケイオスが折り返してくれることはない。
『ジャック・オー先生ぇ……』
スマホから響く自分を気遣うような、それでいてどこか泣きそうなアロナの声にジャック・オーはハッとする。
自分がこんなことでどうする。それに、フレデリックならきっと大丈夫だ。ケイオスの言葉を鵜呑みするわけにはいかないが、それでも他の学校のフォローに向かっているというのならきっと彼一人でも無事にやり遂げることが出来るだろう。
今は、それよりも目の前の問題に集中するべきだ。ケイオスが明確にコンタクトをとってきたということは、今回のエデン条約を軸とした一連の出来事にも確実に彼が関与しているのは明らかだ。
「大丈夫よアロナ。フレデリックも、私もね」
どこで誰に関与したかは分からない。それを探る時間も余裕もない。
だが、ドラマを作るというゲームを楽しむケイオスであれば恐らく補習授業部の全員合格という最終目標にまでは手を加えることはないだろう。
そんなことをすればただのちゃぶ台返しだ。こちらからのアプローチでそうなるのならケイオスは楽しむだろうが、自分からするとは思えない。
そこまで考えてジャック・オーは苦笑いを隠すことが出来なかった。
ハッピーケイオスによって事態を滅茶苦茶にされているのに、一方では彼の人間性を信頼してこちらの行動方針を決めている。実におかしな話だ。敵対関係に一種の信頼を置くなんて。
それでも、それが通用するなら使わない手はない。
結果だけ見ればフレデリックと協力して出来るだけ多くエデン条約についての情報を集めたり、それについて話すことが出来なくなっただけだ。
冷たい言い方になるが効率が落ちただけで、やるべきことは何も変わらない。
補習授業部を全員合格させ、ナギサの
「負けないわ。必ず、皆が笑える結末にしてみる」
それは宣言だった。ケイオスに対して、そして何よりも自分自身に対して。
そんな宣言を呟いた時だった。部屋のドアがノックされる。
「はーい! 開いてるわよ」
「先生、お疲れ様です」
入ってきたのヒフミだった。どこか悩んでいるような顔にも見える。
「あら、浮かない顔ね。何かあったの?」
ヒフミに座るよう促しながら机の縁に腰かけるような形で聞いてみれば、彼女は何度か目を泳がせた後ゆっくりと口を開いた。
「ハナコちゃんのこと、なのですが……少し聞いてほしいことがあるんです。私一人じゃ、どうしたらいいのか……分からなくて……」
「話してみて? ゆっくりでいいから」
そしてヒフミは1つずつ話していった。
模試を作るために模範解答を集めていたら、ハナコの解答用紙が束になって保管されているのを見つけたこと。
それは1年から3年までの全ての試験を満点で合格したものであったこと。
明らかに補習授業部でのハナコの成績とは食い違うことから、間違いなく現在のハナコが意図して試験に落ちていると考えられること。
「それと、今日のハナコちゃん……なんだか様子がおかしくって。私に聞いてきたんです。”何でも出来ていつも楽しそうな先生がうらやましくなりませんか”って」
「ハナコが? 珍しいわね」
「はい。それで私”うらやましいけど、別に先生になりたいとは思わない”って答えたら、ハナコちゃんなんだか辛そうにしてて」
「…………」
ハナコが自分をうらやんでいるのは少しだけ意外だった。どちらかと言えば、ずっと警戒されていると思っていたから。
けれど”何でも出来ていつも楽しそうなジャック・オーがうらやましい”という言葉で、なんとなく腑に落ちたような気がした。
ハナコはいつだって自由に、そして楽しそうに振舞っていた。けれど、ジャック・オーもまた同じように振舞った。
ジャック・オー自身にハナコへ意地悪をするつもりはなかった。折角の機会だからみんなにも楽しい思い出が残せればと思ったし、何より自分も楽しみたかったから。
でも、それはハナコにとっての挑戦を邪魔していたのかもしれない。
「ハナコは、みんなと一緒に色んなことを楽しみたかったのかしら」
「……え?」
思わず口からこぼれた言葉に、ヒフミが少し驚いたような表情を浮かべる。
「私は神様じゃないからハナコが本当はどう考えているか分からないけれど……あの子は、本当はただ純粋にみんなと色んな楽しいことをしたかったのかなって。だから、今日までの私の振る舞いを見て”うらやましい”って思った……なんて。そんな気がしただけよ」
ただのあてずっぽうのつもりで口にした言葉だった。
けれど、ヒフミはそんなジャック・オーの言葉に何か思い当たる節があったらしい。
じゃあもしかして、だから、と膝の上に置いた手をキュッと握りしめながらぶつぶつとなにごとかを呟いていた。
「先生……私、ハナコちゃんについて思ったことが──」
意を決したように顔を上げてヒフミがハナコについて何かを話そうとした時だった。
「ジャック・オー先生、ちょっといいですか?」
ノックと共に扉を開けてメトが部屋に入ってきて、ヒフミがギョッとして彼女の方へ顔を向けた。
「あっ……えっと、もしかしてマズかった……?」
「あ、いえ……大丈夫です!」
気まずそうな顔になったメトへヒフミがワタワタと慌てたような仕草をしながら首を横に振る。
ジャック・オーもヒフミがハナコについて何を思ったのか気にはなったが、聞けるような雰囲気でもなかった。
「メト、どうしたの?」
仕方がないので、メトの要件を聞いてみればメトは一通の封筒を差し出してきた。
「さっき合宿所の入り口で受け取ったんです。先生宛だって」
差し出された封筒にはジャック・オーの宛名が書かれていた。差出人は書かれていない。
けれど、封筒にはティーパーティーのシンボルが薄くプリントされている。ナギサからのものだろうか。
「これを渡してくれたの、誰だったの?」
誰から渡されたのかで差出人を予想しようとメトに聞くも、メトはバツが悪そうに視線を逸らす。
「えっとそれが……多分トリニティの制服ってことしか分かんなかったから誰かまでは……」
「そう言えば貴方は今日来たばかりだったものね。OK、届けてくれてありがとう」
「はい。じゃあ、私は部屋に戻りますね」
「あ、そしたら私も戻ります先生」
メトに続くようにヒフミも立ち上がったのを、ジャック・オーは呼び止める。
「ヒフミ、さっきの続きはいいの? 話したいなら聞くわよ?」
けれど、ヒフミは首を横に振って笑った。
「いえ、大丈夫です。もう少しだけ、自分の中で考えてみようかなって思うので……」
「そう? あんまり一人で抱え込まないようにね」
「はい、ありがとうございます。では、おやすみなさい先生」
そしてヒフミとメトは退室していった。
一体ヒフミが何を言おうとしたのか気になるが、本人に話す気がまだないのなら仕方がない。
それよりも、メトが届けてくれた封筒の中身が気になった。
デスクの中からペーパーナイフを取り出して丁寧に封筒を開け、中の便箋を取り出す。
「……これは」
便箋に書かれたものを読んで、ジャック・オーは思わず窓の外──その視線の先にあるであろう生徒会室の方を見やる。
外灯の光が頼りなく感じるほどの暗闇が、今のジャック・オー達を取り巻く環境そのものの様だった。