ヒフミはメトと共にジャック・オーの部屋から出ながらずっと考え事をしていた。
頭の中に浮かぶのは以前ジャック・オーから言われた「自分のやりたいと思ったことを好きにやっていい」という言葉だ。
ジャック・オーの予測では、ハナコは皆と楽しいことをしたがっているのではないかと言っていた。
その予想は、ヒフミが先程立てていたものと不思議と噛み合う。
ハナコは、自分達に言えない秘密を持っている。それはもしかしたらトリニティの裏切り者であるということかもしれない。
そして、ハナコはその役目を果たすことを嫌がっていて、だから退学になろうとしている。
けれど、きっとそんなことをすればこの先真っ当な人生を歩むことなんて出来ないだろう。
だから、最後に一つでも多くの楽しい思い出を作りたい。そんな風に考えているのではないか。
そう考えれば、コハルや自分をからかったりして笑うハナコの行動にも納得がいくような気がした。
もしかしたらヒフミの予想はトンチンカンなものなのかもしれない。それならそれでもいい。
でも、ハナコが楽しい思い出を作りたいと思っているのならそれは叶えてあげたいと思った。
ハナコだけじゃない。アズサやコハル、そしてメトにも。
補習授業部は思い出作りをする場所じゃないことなんて分かってる。そんな暇があれば勉強をした方がいいことだって。
でも、自分たちは花の女子高生なのだ。女の子が一か所に集まって勉強しかしない? そんなのあり得ない。
勉強は大事だ。それは間違いないと思う。でも勉強よりもモモフレンズの方が大事だし、おんなじくらい友達と笑顔でいられることの方が大事に決まっている。
だったら、ヒフミのやるべきことはハッキリしている。
「よし、決めました!」
「わ!? びっくりした」
不意に声を上げてしまったから、並んで歩いていたメトが驚いてしまったことにヒフミは慌てて謝る。
「ご、ごめんなさい! 急に大きな声を出したりしちゃって」
「ううん。でも、ずっと考えこんでたみたいだけど……大丈夫?」
「え? あ、あはは……そう、ですね。ちょっと考え事をしてました」
「何か悩みでも? 良ければ相談に乗るよ?」
メトにも楽しい思い出を、なんて考えている矢先に逆に気を遣われてしまった。メトだって今日来たばかりで、色々不安なことだらけだろうに。
でも、だったらなおのこと彼女にも楽しい思い出を作ってもらいたい。
「んーと。なんていうか、せっかく皆で合宿をしてるんだしもっと思い出が作りたいなって思ってるんです」
変ですかね、なんて言いながら笑ってみたが、メトはそれに対して表情を曇らせた。
何か、彼女の気に
「思い出って……その、阿慈谷さん。……ちょっといい?」
「えっ、ちょ、なにを――」
「しっ。大きな声出さないで」
周囲を警戒しながらもこちらを鋭い視線で真っすぐと見つめながら、メトが後ろ手で扉をそっと閉める。もうとっくに夜になっていて、電気のついていないこの部屋の光源は廊下の明かりだけ。
だから、扉を閉められた瞬間当たり前だけど部屋は真っ暗になってしまう。
そして部屋が完全な暗闇に閉ざされると同時に、カチャリという小さな音が聞こえた。
聞き間違いでなければ、今の音は扉の鍵を閉める時の音だ。
暗闇、密室、女の子と二人きり、思い出。
まるでこれから周りには言えないようなことをしそうなこのシチュエーション。
ヒフミだって年頃の女の子だ。
でもだからって、今日会ったばかりの子とそんなことをすることになるなんて想像できるわけがない。
真っ暗で静かな部屋だから、心臓の音がバクバクとなっているのが良く聞こえてしまう。
緊張とパニックで息が上がりそうになるのを必死でこらえる。でも、顔が熱いのまでは誤魔化せない。耳の先っぽまで熱いのが目が見えないからこそ余計にハッキリと分かる。
「あ、あの……金田さん? 一体何を……」
声、上ずってないだろうか。出来るだけ普段通りの声を出すように努めたけれど、自信がない。
少しずつ暗闇に目が慣れてきた。窓からかすかに入る外灯の光でぼんやりとだが辺りが見えるようになってきた気がする。
その時だった。急に眩しい光が目の前に現れて、思わず目を細める。
眩しいとは言ったが、目を
それはメトのスマホのバックライトの明かりだった。ディスプレイにはメトや他の子たちが笑っている写真が映し出されている。
「よし、明かりはまあこれでいっか。……阿慈谷さん? 大丈夫?」
「……へ? え、あ、えっと……大丈夫……です?」
状況が呑み込めず、しどろもどろになりながらとりあえず頷いてみれば、今度はメトの方がなんだか様子がおかしくなっていった。
「……あっ。……あー、えっと……その。あ、阿慈谷さん。違うの。そういうつもりでこんなことしたわけじゃなくて。大体、私たち今日会ったばっかりなんだしいきなりそう言うことするのはちょっと段階飛ばし過ぎっていうか、ヤるにしてももうちょっとムードというかそう言うのが欲しいっていうか」
「か、金田さん待って、ストップ。違うんですいや違わないんですけどそれ多分墓穴掘ってるっていうか言葉にされると余計ちょっとその、恥ずかしいっていうか!?」
「えっ、あっ、ゴメンそうだよねいきなりこんなこと言われたらドン引きするよねゴメン本当に!」
「いえその勝手に勘違いしたのは私の方ですからそんなに気にしなくて大丈夫です!」
あんなにドキドキしてたのに、いつの間にかお互いに謝り合うばかりの珍妙な状況が出来上がってしまった。一体どうしてこんなになったんだっけ、とヒフミが混乱した頭の片隅で考えだしたころだ。
どうやら自分よりも早く正気を取り戻したらしいメトが咳ばらいを一つして、ヒフミの方を真剣な表情で見つめてきた。
「ジャック先生に『他の人には言うな』って言われたから聞かれたくなかったの。それで、とっさにここに押し込めちゃって」
「……その、先生からは何を聞いたんですか?」
きっと、真面目な話だ。だからヒフミもメトの目を真っすぐと見つめながら問いかける。
「この補習授業部が作られた、本当の理由」
メトの言葉に、ヒフミは思わず小さく息を呑んだ。この人は知っているんだ。でも、どうして先生は彼女にこの秘密を教えたんだろう。
そんな疑問が浮かんだが、それよりもメトがどこかホッとしたような笑顔を浮かべた。
「その反応、阿慈谷さんも知ってるんだね。部長だから先生に教えてもらってたの?」
「いえ……私はその、ナギサ様から直接……」
「ナギサ……ティーパーティーのホストの人だね。……阿慈谷さん、実はすごい人?」
「そんなことは……私、自分でもどうしてナギサ様が私にこんな役目を任せたのか分からなくって……」
トリニティの裏切り者を探せ。それがナギサが自分に課した役割だ。
今でもどうして、という気持ちが最初に来る。そう言うのはそれこそティーパーティーや正義実現委員会とかの先輩方にやってもらった方がいいはずなのに。
思わずパジャマ代わりにしているジャージの裾をギュッと握りしめる。
ナギサが何を考えているかは分からない。それでも、自分は補習授業部の皆を疑うことなんてしたくない。
そんな風に思っているヒフミの前で、メトはふっと小さく息を吐いた。
「ホントはね。私、編入試験に受かってたと思うんだ。阿慈谷さんが作ってくれた模試、92点だったし」
「え……? それってどういう……」
一瞬、メトの言葉の意味が理解できなかった。編入試験に合格できたなら、補習授業部になど入る必要はない。というか、あの模試でそれだけの高得点が取れるのならばまず編入試験にだって合格出来ているだろう。
なのにどうしてここにいるのか。その答えは、すぐに思い付いた。思いついてしまった。
「ま、まさか……そんな……不合格になるように工作……」
「たぶんそう。まあ、状況を考えたら仕方ないんじゃない? エデン条約? っていうのが締結される直前にどこの誰かもよく分かってない生徒がいきなり来るんだもん。そりゃ怪しいでしょ」
そう言って肩をすくめながらメトは笑みを浮かべる。
それは何とも言えない笑みだった。そういう目に遭うのが珍しくないとでもいうかのような、諦めの混じった笑顔。
かつてアビドスの対策委員会の委員長だったホシノが見せたソレにどこか似ていた。
「そんな……」
あの時──ブラックマーケットから脱出した後、アビドスの生徒たちと分かれる前の時だ。
アビドスを助けるように意見具申をする、と言ったヒフミにホシノは笑って首を横に振っていた。今のメトがしたような、諦めの混じった笑顔で。
どうして。こんなの間違ってる。でもじゃあどうしたらいいんだろう。
「だからさ、楽しい思い出を作る暇なんてあるのかなって。だって、皆が合格できないと全員退学でしょ?」
「そ、れは……」
確かにメトの言う通りだ。もし一人でも不合格の生徒がいれば、全員が不合格の烙印を押される。
そして3回目のテストで不合格になれば、その時は全員退学だ。
指先が震えそうになる。自分は優先順位を間違えていたんだろうか。いや、そんなことは分かっていたはずだ。それでも、思い出を作りたい。そう思った。
でもそれは、とんだ思い上がりなんじゃないか。
そう思った時だった。
「ま、私は最悪退学でもいいんだ。ダメだったら別のところの編入試験を受ければいいし、元から根無し草だったから。騙されたりするのも馴れっこだしね」
嘘を言っているようには聞こえない、自然な声色だった。メトのスマホのバックライトが照らすその横顔にも、力みは感じられない。
けれど、そんな表情は次の瞬間には消え失せ真剣な表情へと切り替わる。
「でも、阿慈谷さんたちは違うでしょ。ずっとこの学校にいた。ここで過ごして、そしてそれが当たり前だった。そうでしょ?」
「えっ!? えと、はい。退学なんてさせられたら、どうなるかとかなんて……想像も出来ません」
「そうだと思うし、その方がいいよ。あんな思いは望んでたってするものじゃないから。だからこそ、言うね。──思い出作りより優先することがあるんじゃない?」
そう言われて、ヒフミはメトがアビドスの砂嵐で真っ当な学校生活を奪われた人だったことを改めて突き付けられた気持ちになった。
この人は、居場所を失うことがどういうことかを知っている。だから、きっとこうして自分に忠告してくれたんだ。
優しい人だ、と素直に思った。強い人だな、とも。
でもだからこそ、ヒフミはモヤっとしたものを感じた。
だって、メトの言い方はまるでハッピーエンドの中に自分を入れていないように聞こえる。
退学でもいい? 根無し草だったから? 騙されるのは慣れっこ?
ヒフミはメトのことを良く知らない。知ってるのは今日、メトが自己紹介の時に軽く教えてくれたことだけだ。
アビドスにいて、砂嵐で学校と家を無くして、最近先生たちに助けられるまでずっと酷い生活をしてきた。
そんなメトがトリニティというキヴォトスでも最大級のマンモス校に編入しようと勉強してきた。
それはきっと、ヒフミには想像もできない位大変な日々だったはずだ。
やっとつかんだチャンス。それを、怪しいっていうだけで滅茶苦茶にされた。
なのに、メトは笑う。そんなのは馴れっこだって。なんてことないんだって言うように。
違う、そんなわけない。いや、もしかしたらメトにとっては本当になんてことないのかもしれない。
でも、だからってこんなのはあんまりじゃないか。
「……やっぱり」
気が付いたら、自分の口が勝手に動いていた。
「やっぱり、ダメです。このまま、勉強ばっかりの合宿になるなんて」
「ちょっと、阿慈谷さん私の話──」
「聞いてました。金田さんの言う事は、きっと正しいです。私たちのことを考えてのことだってことも」
「じゃあ──」
反論なんてさせる暇は与えない。この気持ちに嘘はつけない。
「でもやっぱりダメです。金田さんも、ハナコちゃんも、アズサちゃんも、コハルちゃんも! 私は皆が笑って思い出せるような素敵な思い出、作りたいです!」
「いやいや、それで退学になったら元も子もないって話をしてるんだよ?」
「だったらどっちも出来るように頑張ります!」
そうだ。私は、私のやりたいことをやる。その上で、
そしてもう一人。勉強に関しては、とても心強い味方が入ってきたじゃないか。
ならできる。きっと何とかなる。そんな気持ちと共に、メトの手を自分の手で包むように握る。
「だから、力を貸してください金田さん!」
「へっ……?」
ちょうどその時だった。
「ちょぉぉぉっと!! エッチなのはダメ!!! 死刑、死刑ぃぃ!」
音を立てて部屋の扉が開けられたと同時にキンキンと耳に響く位の大声を上げながらコハルが部屋に飛び込んできた。
「えっ!? 鍵かけたのに!?」
「それなら私がピッキングした。しばらく使われない位に古い場所なのに、思ったより時間がかかったぞ」
「あ、アズサちゃん!?」
「うふふ♪ 金田さん、思ったより手が早いんですね? ヒフミちゃんともうそういう関係になろうとするなんて……♡」
「えっ!? い、いや浦和さん誤解! 誤解だってば!」
「そうです! 私たちはまだそういう関係じゃ……!」
「まだ、ということは脈があるということでしょうか。一体どんなことを
「だから、そう言うえっちなのはダメぇぇぇっ!」
さっきまでの真面目な雰囲気とか、ヒフミが考え込んでたこととかそんなにはどこかへ飛んで行ってしまうくらいに滅茶苦茶だった。
考えることは多分色々ある。でもまずは。
「あ、あのっ! 落ち着いてください、私たちは単に明日からの勉強について相談し合ってただけで──」
この誤解を何とかして解かなければ。いくらなんでも、誤解されたままというのは恥ずかしすぎるんだから。
「真っ暗な部屋で二人きりになって相談、ですか? 怪しいですね♡ 保健体育の相談でもしていたのでは──」
「わ、わ、わーーーーっ! エッチなのはダメ! 死刑!」
……ダメかもしれない。
そんな諦めの気持ちと共に、ヒフミは視線を泳がせながら乾いた笑いを溢すことしか出来なかった。
ヒフミちゃんなんか強すぎない?(思ったよりメンタルが頑丈なヒフミの言動に首をひねる作者