シャーレにハッピーケイオスが侵入してきた翌朝、陽が上る前の暗い時間にフレデリックはアビドスへ向かう準備を整えていた。
シャーレオフィスからアビドスは遠く、バイクをどんなに飛ばしたとしても二時間以上はかかる。
小ズルい悪徳企業を相手にする程度であればそこまで焦ることもないが、相手はハッピーケイオス。世界最強の大魔導士だ。
ホワイトハウスでの一件*1では最後の最後までケイオスに後れを取っていたのだし、シャーレオフィスに侵入された挙句あっさりと逃げられた。
これ以上後手に回るのを避けるためになるべく早くアビドスに戻りたいとフレデリックが思うのは当然と言えた。
シャワーを浴び、服を着替え、バイクの収納へジャンクヤード・ドッグを収める。
そしてバイクにまたがりエンジンを掛けようとしたところで、フレデリックの視界の端で紅い髪が流れたのが見えた。
フレデリックがそちらの方を見れば、そこには寝起きなのかややラフな格好をしたジャック・オーが柔らかく微笑んで立っている。
「いってらっしゃい、フレデリック」
ジャック・オーの言葉はそれだけだった。相手の強大さを、そしてこれから何が起こるかも分からない状況になったことは彼女も分かっているはずだ。
それでもジャック・オーは微笑んでフレデリックを見送ることにしたのだろう。
ならば、フレデリックもそれに応えなければならない。
「ああ。いってくる」
御託は要らない。やると決めたことをやり遂げて、再び彼女の隣に戻る。
結局のところ、フレデリックが為すべきことはそれに尽きるのだ。
バイクのエンジンをかけ、アクセルを吹かしてまだ薄暗い街の向こうへとフレデリックは走り出した。
フレデリックが夜明け前の街へと姿を消したのを見送ったジャック・オーは、微笑みを消して真剣な表情で踵を返した。
アビドス対策委員会の生徒達のことはフレデリックに任せておけば問題ない。
だから、ジャック・オーもやるべきことをやらなければならない。
シャーレに来てから着るようになったパンツスーツにブラウスへ着替えてシャーレの腕章を腕につける。
そうして壁に穴の空いてない臨時のオフィスへと入室する。
「ああ、おはよう。ジャック・オー」
「おはよう飛鳥君。ちゃんと寝た?」
からかう様にそう問いかけてみれば、飛鳥は曖昧な笑みを浮かべてジャック・オーから僅かに目をそらした。
なんとなく予想はしていたものの、やはり眠れなかったらしい。
それもそうだろう。100年ぶりに再会した
これで平静を保っていろと言うのは、いささか酷というものだ。
それでもジャック・オーは隠し事をしようとする子供に言い聞かせるように腰に手を当てた。
「貴方の気持ちも分かるけど、休みはちゃんと取らなきゃダメよ? 相手がケイオスなら、なおの事万全を期す必要があるんだから」
「はは……返す言葉もないよ。でも、正直なところ混乱しているんだ。師匠が生きていることを否定したい気持ちと、どこかホッとしたような気持ち。その二つが同時に僕の中に存在しているから……」
飛鳥の言葉にジャック・オーはかつてフレデリックに言われたことを不意に思い出した。
「ねえ、飛鳥君。これ、フレデリックの受け売りなんだけどね」
飛鳥に歩み寄り、ジャック・オーは人差し指を飛鳥の額に突き付ける。
「人間のここには過去が刻まれてるの。でもね、今この瞬間は――」
飛鳥の額に突き付けた指を彼の胸の中心へと下げて、ジャック・オーは微笑んだ。
「ここにあるんだって。だから、今の貴方がケイオスに対してどんな風に思っているのか。これからどうしたいのか。その答えに迷ったなら、ここに聞くといいわ」
「……君が、
飛鳥の問いに、ジャック・オーはほんの少しだけ照れくさそうな笑みを浮かべて頷いた。
「ほとんどフレデリックに引っ張り上げられたようなものだったけどね。……だから、そうね。もし貴方がどうしても決断できないっていうのなら、私かフレデリックに相談してよ。力になるから」
ジャック・オーがそう言ってとん、と指先を飛鳥の胸の中心をつついて笑えば、飛鳥もそれに釣られるようにして微笑んだ。
「フレデリックに言ったら『気合が足りねぇんじゃねえのか』なんて、笑われそうな話だね」
「あはは、それは確かに有り得るかもしれないわね」
「でも、そうだね。師匠が相手なら、いつまでもうじうじしているわけにもいかない。僕はアビドスの土地に何か知られていない価値がないのかを調べてみるよ。ジャック・オーはどうするんだい?」
飛鳥の問いにジャック・オーは真剣な表情でシャーレの体育館がある方角へ視線を向ける。
「カタカタヘルメット団……うーん、長いわね。なんかそのうちいい名前考えないと。とにかく、あの子達の力を借りられないか話をしてみるつもり」
「そんなことをしなくても大丈夫じゃないかな? 元々彼女達はジャック・オーに拾われた身なんだし……」
飛鳥の言葉は正しい。あのままフレデリック率いるアビドスと敵対していたのなら、コテンパンにされた上にカイザーコーポレーションからも使い捨てられて碌なことにならなかっただろうことは想像に難くない。
それをジャック・オーの言葉が変えた。だからジャック・オーが力を貸してくれと頼めばきっと彼女達は力を貸してくれるだろうし、またそうしなければならないという強迫観念にすら駆られるだろう。
けれど、役割を果たすことだけに自らの価値や居場所を見出して戦いに身を投じるのでは
故に、飛鳥の言葉にジャック・オーは首を横に振った。
「そうね。恩義の話を持ち出すなら、飛鳥君の言う通りよ。でも、それじゃ無理やりあの子達を戦わせてるのと変わらない。役割だから、そうしなければいけないから。そういう気持ちで戦いに望んだら、どういう行動を起こしかねないかは貴方だってホワイトハウスで見たでしょ?」
「それは……」
ジャック・オーはあくまで彼女達の意志でこの戦いに力を貸してほしいと思っている。
かつて己が役割にしか居場所を見いだせず、他の可能性に目を向ける勇気を持てなかった末に自分を犠牲に世界を救おうとした愚かな先達として、生徒達には役割だとか義務感で大きな戦いに飛び込ませるような真似はしたくなかった。
戦うのであれば、せめてフレデリックの様に自分が欲しいものが何かをしっかりと見られるようになってからだ。
だから、ジャック・オーが今するべきはヘルメット団達の世界を見つける手伝いをすること。
「私はあの子達がただ生きるだけじゃなく、未来を望めるようにしてあげたい」
「未来、か……。そうだね、僕達は何時だって自分が望む未来のために戦ってきた。師匠が言う通り、もしもそれすら見つけられていない生徒がいるのなら僕達がすべきはそれを見つける手伝いをすることなのかな」
「そうかもしれないわね。でも飛鳥君? もっと肩の力抜いても良いと思うわよ?」
「え……?」
ジャック・オーの言葉に飛鳥の口から間の抜けた声が漏れる。
そんな彼にジャック・オーは悪戯をした時のような無邪気な笑顔を浮かべた。
「人生なんてお菓子いっぱい持って、新しい靴でどこまで行けるかなって気分で生きればいいんだわ。フレデリックを見てよ。彼、自分の役割だとかそういうの考えて生きてるように見える?」
「……確かに、フレデリックはそういうのよりも自分が欲しいものの為にいつだって全力だったね」
「でしょー? 一世紀も趣味の時間をお預けにされたからって
「それに、世界よりも君を選んだ」
穏やかに笑みを浮かべた飛鳥にジャック・オーの頬が朱を差すように赤く染まった。
「……まあ、プロポーズとしては及第点だったわね」
「ふふ、僕としては満点だったと思うよ。また君達が共に人として、平和に生きていけるようになるのが僕の望みだったからね」
クスクスと笑う飛鳥を恨みがましい目で睨んで、けれど態度を変えようとせず穏やかに笑う彼の姿にジャック・オーはそっぽを向いた。
ホワイトハウスでイノを挟んでのフレデリックからのプロポーズは、今思い出すだけでも胸の内が熱くなるくらいに情熱的なものだった。
あの時の言葉は今でも一言一句間違えずに
ジャック・オーだって一人の乙女なのだ。胸の内に秘めておきたい思い出の一つくらいは持っている。
「……とにかく! 生徒達を導くっていうんならまず私達が今を楽しんで未来を望むような背中を見せないと。でしょ?」
「今を楽しむ、か。なんだか、長い間そんなことを考えてこなかったからどうしたらいいかちょっと困るな」
「またそんなおじいさんみたいなことを……というか、飛鳥君もシャーレの外に出た方が良いわ。あなた、こっちに来てからほとんど動いてないでしょ」
「い、いや僕はインドア派だから外であれこれするっていうのはあんまり向いて――」
「ほらほら! そんなこと言わないで今日は私と一緒にヘルメット団の子達とお出かけしましょ!」
笑顔で飛鳥を無理やり立たせて、呼び出したサーヴァント達で飛鳥を更衣室へと放り込む。
中から飛鳥の情けない悲鳴が漏れてくるのにまた笑いながら、ジャック・オーはヘルメット団達が寝泊まりしているシャーレの体育館へと足を向けた。
さあ、今日はどんなことをしようか。
軽く弾むような足取りで歩くジャック・オーを祝福するかのように、ビルの窓から朝日が差し込んで彼女を照らしていた。
前回、ケイオスを登場させたらすごい一杯感想来て笑いました。
皆ケイオス好きなんやなって。
彼には目いっぱいキヴォトスをひっかきまわしてもらおうと思います(出来るかどうかは自分の技量次第ですが……
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