問題児だらけのゲヘナ学園で風紀委員として数々のトラブルを鎮圧してきたイオリはもはや並大抵のことでは驚かない自信があった。
だから委員長のヒナが不在の間、近く迫ったトリニティ総合学園と取り交わされる条約への不確定要素の排除をすると行政官の
ましてやアビドス近辺に向かうのはそこにゲヘナ学園の問題児達でもとりわけ面倒な集団の一つである便利屋68がいるからとあれば、やること自体はいつも通り自校の生徒を鎮圧するだけだけなのだから驚く要素などほとんどないに等しい。
アコが動員してきた風紀委員の数が便利屋68の捕縛の為だけに使うには余りにも過剰戦力であることはやや疑問に思ったものの、そもそも相手だって何度も風紀委員から逃げおおせている曲者だ。
今度こそ、とアコは意気込んでいるんだろうと思えば特に不思議なことでもない。
故に油断だけはするまいと自分に言い聞かせて作戦に望んだ。そして実際に油断はなかったと思う。
なのに、最初の一手から何もかもがおかしなことになった。
まず、相手の射程外から仕掛けた迫撃砲弾が不発になった。
いや、不発なだけならまだいい。こちらの整備不良か、あるいは単に質の悪い砲弾を使っただけかもしれないと言い訳が出来る。
だが、不発の砲弾が便利屋達の直上で落下しきることも、どこかに弾かれるようなこともなくピタリと静止しているのは理解が出来なかった。
ともあれ、奇襲が失敗したのならもう迫撃砲は使えない。相手だってそれなり以上の手練れであるからには、砲撃を逆手にまた逃げられたりアンブッシュされる可能性がある。
故に正面から数で圧す作戦に切り替えた。数は有利なのだ。戦場全体の把握と部隊全体への指示はアコがフォローしてくれる。
自分はとにかく正面から攻撃をして便利屋の動きを止める必要があった。
便利屋の傍にアビドスの生徒がいるのは一緒に出撃していたチナツから報告を受けていたが、イオリは大して気にも留めていなかった。
既に戦闘は始まっているのだ。事情を説明している暇はないし、もし反抗的な態度をとるのなら便利屋共々ねじ伏せればいい。
そう思って前進を続け、便利屋達を射程に捉えたその時だった。
「ゲヘナの風紀委員の皆だね? 申し訳ないが、少し僕の話を聞いてはくれないかい?」
アコからも、チナツからも、先行していた部隊の誰からも報告にない一般人がそこに現れた。
「だ、誰だ!!」
反射的に銃を構えて照準を不審者に合わせる。
イオリの動揺に釣られるようにして率いてた部隊の風紀委員メンバー達も銃を構えた。
「あ、飛鳥先生!?」
そんな状況の中、驚きの声を上げたのはチナツだった。
チナツの反応に対し、飛鳥と呼ばれた大人は穏やかに微笑む。
「やあ、火宮さん。この間は護衛をありがとう」
「おい、チナツ。この大人と知り合いなのか?」
イオリがチナツに問いかければ、チナツは僅かに額に汗を滲ませて小さく頷いた。
「はい。彼はシャーレの飛鳥=R=クロイツ先生です」
「シャーレ? なんだそれ?」
「連邦生徒会長が設立した一種の超法規的機関だよ。とはいっても、一応は部活でもあるから希望者は入部することもできる。僕はそこの顧問を任されているんだ」
「ふ~ん? ま、それはいい。とりあえず飛鳥先生とやら、そこをどいてくれないか? 私達は便利屋を捕まえに来たんだ」
正直イオリの興味は既に飛鳥から失せていた。いや、いつからそこに居たのかとか不発になった砲撃はこの大人がやったのかとか気になることはたくさんある。
いきなり目の前に現れた時なんかここ最近で一番ビックリしたと言っていい。
けれど、所詮はヘイローも銃も持たないただの一般人だ。障害になどなり得ない。
そんなことより便利屋だ。さっきからずっといつ逃げ出そうかという算段を立てているかのように頻繁にアイコンタクトをしている。
一刻も早く制圧しなければ、奴らはすぐにでもここからいなくなってしまうだろう。
そうなってしまえば無駄足だ。そんなのはまっぴらごめんだった。
けれど、そんなイオリに対して飛鳥は穏やかに微笑むばかりで譲る気配はない。
暗にお前の言う事には従わない、と言いたげなその態度にイオリが苛立ち始めたその時飛鳥の背後にいたアビドスの生徒が声を荒げた。
「ちょっと! 他所の学校の自治会に土足で踏み入った挙句に砲撃までしておいてなんなのその態度は!?」
「アビドスの生徒は黙っててくれ。お前達には関係のない話だ」
「なっ……なんですってぇ!?」
ああ、なんて面倒な。とイオリの内心はどんどんとささくれ立っていく。
ただでさえ何度も煮え湯を飲まされたクソみたいな便利屋を捕まえる絶好の機会だというのに、どうしてこうも邪魔ばかり入るのか。
そんな彼女に追い打ちをかけるようにアビドスの生徒達の上を飛んでいたドローンから一人の生徒が投影される。
投影された生徒は、敵意を僅かににじませながら口を開いた。
『アビドス対策委員会の奥空アヤネです。所属をお願いします』
「あ? 聞こえなかったのか? 私達がここにいるのはお前達アビドスには関係のない――」
イオリが苛立ちを露わにしてアヤネの話を突っぱねようとした時だ。
『それは私から答えさせていただきます』
割って入ってきたのはアコだった。イオリの傍を飛んでいたドローンからアコの姿が投影される。
「アコちゃん!?」
「アコ行政官……?」
イオリは一気に混乱の極致へと叩き落された。
アビドスは所詮廃校寸前の弱小校だ。しかも対策委員会は正式な部活ではないとアコから聞いていた。
生徒会ならまだしも、非公式の部活に所属した生徒などに気を使う必要が一体どこにあるのか。
そんな混乱の真っただ中のイオリに対して、アコは穏やかな声で話しかけてきた。
『イオリ。反省文のテンプレートは私の机の、左の引き出しにあります。ご存じですよね?』
余りにも横暴なアコの言葉に、けれど怒りよりも先に驚きと困惑が湧いてきたイオリは抗議の声を上げた。
「ええ!? なんでさアコちゃん!! 私は命令通りに行動しただけじゃないか!!」
『命令に、「まずは無差別に発砲せよ」なんて言葉が含まれていましたか?』
「い、いや……状況を鑑みて必要な範囲で火力支援、は失敗したけど相手の実力も考慮して歩兵による制圧射撃をしようと……」
変わらず穏やかで、けれど底冷えのする声色で返ってきたアコの言葉にイオリは思わず口ごもる。
そんなイオリにアコは出来の悪い生徒に言い聞かせるように続けた。
『ましてや
「…………」
アコの言葉に今度こそイオリは言い返すことも出来ず黙り込んだ。彼女の行ったことは正しく、自分はそれに対する反論材料をもう持ち合わせていない。
そうしてアコは再びアビドスへと会話の相手を切り替えた。
『失礼いたしました、対策委員会の皆さん。私達ゲヘナの風紀委員会はあくまで、私達の学園の校則違反をした方々を逮捕する為に来ました。幸い、まだ行き違ってお互いに矛を交えるような事態にもなっていないことですし、ここはどうか引いてはいただけないでしょうか?』
あくまで穏やかに、丁寧に。相手を刺激しないよう、けれどこちらの要求を通せるように。
『そうはいきません! 他の学校が別の学校の敷地内で、堂々と勝手に戦闘行為をするなんて! 自治権の観点からして、明確な違反行為です!』
「便利屋には私達も迷惑を掛けられてる。状況からして結託してるようには見えないけど……アビドスの自治区にまで出張ってきて捕縛なんて、自校の生徒の違反行為を裏でうやむやにするための方便ともとれるよね」
「すみませんが、警告も無しに私達のそばに砲撃をしてきたあなた達を信用は出来ませんー。便利屋をどうするかは私達が決めさせていただきますねー」
アヤネの言葉に銀髪と金髪、二人のアビドス生徒がアコの申し出に対して拒絶の意を示す。
そんな彼女達に、アコは小さくため息を吐いた。
『ふぅ……失礼を承知で申し上げますが、アビドスの皆さん。状況を分かっていますか? 私達は今、便利屋もろともあなた達を完全に包囲しています。こちらが用意しているのは、イオリが引き連れてきた目の前の部隊だけではありませんよ?』
アコの言葉と同時に、アビドス生徒を取り囲むようにイオリの奥や左右方向からバラバラと多数の
「こ、これは……」
『ぜ、全方位から風紀委員会の更なる兵力が集結中! こんな数……!』
『こういうやり方は武力にモノを言わせて強引に解決しているようで少々気が引けるのですが……私達にも事情というものがありまして』
ワザとらしく不本意であると言いたげに肩をすくめるアコは、しかしどこか勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
そんな彼女に鋭く問いかけたのは便利屋メンバーの鬼方カヨコだった。
「アコ、アンタ……私達が目的じゃないでしょ。アビドスでもない。アンタの目的はシャーレの先生だ。その為に私達を捕まえるなんて方便でこんな過剰なまでの要員を動員して、あまつさえ他校の自治区にまで出張ってきたんだ。……違う?」
カヨコの言葉にアコがわずかに目を見開く。そして笑みはそのままに、けれど目つきは先ほどよりも鋭くしてカヨコの方を見た。
『……そうでした。便利屋には貴方がいましたね、カヨコさん。のんきに雑談なんてしている場合ではなかったかもしれません。……まあ、半分程度は合っていますよ』
「半分……?」
『シャーレの先生に用があるのは確かです。……つい今朝方情報部からトリニティ総合学園の生徒会、ティーパーティがシャーレに関する報告書を手にしているという話が上がってきました。そこでチナツさんの報告書を読んでみたところ、連邦生徒会長が残した正体不明の組織で大人の先生が担当している、超法規的な部活だと言うではありませんか』
「確認するの遅くないですか……?」
イオリの背後でチナツがボヤいたのが聞こえたけれど、アコは全くそんなことを気にすることもなく話を続けた。
イオリはイオリで、シャーレと言う組織がいかに怪しい存在であるかを今認識した。
「いや、そんな怪しい組織の大人がなんでこんな所に居るんだよ!」
イオリは内に沸いた疑問を目の前の穏やかな笑みを浮かべた大人へとぶつけた。
「僕達はそこに居るアビドスの生徒達から救援要請を受けててね。今、シャーレはアビドスのフォローアップの対応をしているんだ」
イオリの問いかけに飛鳥は先ほどと変わらず穏やかに応対する。
そんな彼に合わせるように、アコもまた穏やかな口調で話しかけた。
『貴方がチナツさんの報告書に会った飛鳥=R=クロイツ先生、ですね? 卓越した指揮能力をお持ちだとか……』
「そういう君はゲヘナ学園の風紀委員行政官、天雨アコさんだね。さて、シャーレについて怪しむのは当然だ。何せ活動を開始して日も浅いし、にもかかわらず僕達が持っている権力は相当強力だ。だから、君達がシャーレを怪しむのは理解できるつもりだよ」
飛鳥の言葉にアコが満足そうに頬を緩める。
『お話の分かる方で大変助かります。であれば、単刀直入に申し上げます。この場を穏便に済ませる為にも先生の身柄をこちらでお預かりさせていただけませんか?』
アコの提案に目を吊り上げたのはアビドスの生徒達だった。
「ハァ!? アンタいきなり何を言ってんの!? そんなの認められるわけないでしょ!」
「流石に横暴じゃありませんか?」
「これだけの武力をチラつかせて、穏便に済ませる為に先生を渡せなんて、ちょっとふざけてる」
『そもそも、先ほども申し上げましたがここは私達アビドスの自治区です! そんな勝手な言い分が通るはずありません!!』
口々にアコの言葉に反発するアビドスの生徒達を、飛鳥はスッと手を上げて制止した。
「なるほど。僕達が自由に動くと、何か君達に不都合があるということかな? シャーレは連邦捜査部、なんて仰々しい名前がついているけれど存在意義は生徒達の助けになることだと認識している。であるからには、君達の言い分もちゃんと聞いておきたい」
『……分かりました、お話ししましょう』
観念したように小さく息を吐いたアコが事情を説明する。
もう少ししたら長年敵対関係だったトリニティとゲヘナでとある条約を締結することになっていること。
条約自体がかなりデリケートな内容であり場合によってはキヴォトスで混乱が起こる可能性があること。
故に連邦生徒会長が任命した要人であるシャーレの先生に危害が及ばぬよう、条約締結まで風紀委員で保護したいと考えていること。
つまるところ、条約締結までは大人しくしていてくれと言うのがアコの主張だった。
そんなアコの話を聞いた飛鳥は、わずかに考えこむような素振りをした。
それから顔を上げてアコに向かって質問を投げかける。
「事情は大体分かったよ。それじゃあ、今回の君達の行動は
『ッ!? それは――』
飛鳥の穏やかな態度から繰り出された、あまりにも予想外で鋭すぎる一撃にさしものアコも言葉を詰まらせた。
ゲヘナに学校全体の総意なんてものはない。風紀委員は事実上の生徒会である
にもかかわらず、この場で飛鳥の言葉を安易に肯定して目的を達成できないなんてことがあれば、万魔殿からどんな嫌がらせをされるのか分かったものではない。
だから、アコは首を縦に振ることが出来ないのだろうということはイオリにも分かった。
「最初から僕達に事情を説明しなかったのは、トリニティ側に君達の動向を悟らせない為かな? あくまで自校の校則違反者を取り締まるという体で戦力を投入し、”たまたま”その場にいた僕の身柄を押さえる。そうすれば、トリニティからの追及は避けられる。大体そんなところなんだろうね」
『…………』
飛鳥の指摘にアコは答えない。それは飛鳥の指摘が正しいことの何よりの証明だった。
そんな彼女に飛鳥は人差し指を一本立てた。
「ただ、君の作戦には一つ大きな間違いがある」
『間違い、ですか』
アコが飛鳥の言葉をオウム返しした時、イオリの部下にあたる風紀委員の生徒が駆け寄ってきた。
「報告します! 高速でこちらに接近する反応有!」
「何!? どこのどいつだ!?」
イオリの言葉に応えるように遠くからバイクのエンジン音が徐々に大きくなってくる。
その音を聞いてか、飛鳥の笑みが深くなっていった。
「シャーレの先生はね、一人じゃあないんだ」
彼の言葉に応えるように、アビドス生徒の後方に配置されていた風紀委員たちのいる方向から慌ただしい声が上がり、まるで海を割ったかのように風紀委員たちが道を開ける。
その道を、一陣の風が吹き抜ける。
『アレは……!』
その風は深紅のボディをしたバイクだった。
そして、そのバイクにまたがっていた人物が地に足をつける。
決して機敏とは言えない、けれどダラダラしていると言う訳でもない気負わない動きでその男はバイクから降りた。
その姿を見たアビドスの生徒達の表情がパアっと明るくなる。
「フレデリック先生!!」
「悪ぃ、遅くなったな」
さらなる大人の登場によって、風紀委員側の動揺はさらに広がっていく。
その時だった。
「アコ?」
『へっ……? ひ、ひ、ヒナ委員長!?』
聞きなれた、この場にいないはずの声がイオリ達の後方から聞こえ、アコがあからさまに動揺する。
まさかと思い、イオリ達が振り返ればそこには制服を身にまとい、肩から機関銃をかけた我らが委員長がいた。
「委員長……?」
ただ一点、いつもと違うのは。
「シャーレの先生もいるのね。なら、ちょうどいいかもしれないわ」
その頭部に、ウサギの耳のような物が生え、耳元まで届く位の大きさの口が気色悪い笑みを浮かべた赤くてグロテスクなマスクを被っていることだった。