ヒナがフレデリックに連れていかれたのはアビドス高校の体育館だった。
静かだった校舎の中歩いていた時はヒナもフレデリックも黙っていたから静かだったけれど、ひとたびフレデリックが体育館の扉を開けばその静けさがウソかのような騒がしさが二人を包み込む。
そこには風紀委員、アビドス、便利屋のメンバーが協力し合って炊き出しの準備を進める姿があった。
「これは……」
予想だにしない光景にヒナが驚きを隠せずにいると、フレデリックが穏やかな笑みを浮かべる。
「後日改めて集まって状況確認でも良かったが、お前のことが心配でたまらん奴らが帰らねぇって譲らねえんでな。ま、折角なんで炊き出しの準備を手伝って貰ってる」
流石に風紀委員全員を入れてやれるスペースはないから残るのは一部の奴らだけに絞ってもらったが、と付け加えるフレデリックの言葉をヒナはどこか上の空で聞いていた。
だってまさか、こんな光景を見られるとは思ってなかったのだ。
アビドスとはともかく、風紀委員と便利屋のメンバーが同じ場所にいる。それも銃も抜かずに。
流石に追うものと追われるものとで微妙なぎこちなさがあるものの、それでも特に争うこともなくそれぞれがそれぞれの役割を果たすために協力し合っていた。
「俺はゲヘナのことは良く知らねえが……他の学校だとかと協力するのがそんなに珍しいのか」
「……ええ。基本的に、ウチの学校は皆が皆好き勝手やり放題だから」
ヒナの言葉にフレデリックは小さく肩をすくめて頭をガシガシとかく。
「まあ、それは便利屋の連中を見てれば納得は行く。一応聞くが、学生の起業は許可されてんのか?」
「よっぽどの理由があれば不可能ではないけど……基本はダメね。とはいえ、便利屋はまだ大人しい方よ」
「あれでか? そいつはヘヴィなこったな」
今度はヒナが肩をすくませる番だった。
「ええ、本当に。毎日毎日、皆飽きもせずにトラブルを起こすから本当に、面倒くさい……」
「なるほどな……まあ、ここでずっと立ちっぱなしってのもなんだ。中に入れ」
「えっ……あっ!?」
フレデリックに背中を強めに押され、思わず前につんのめってしまう。
とっさに足を前に出して転ばずには済んだけれど、その時にそこそこ大きな足音を立ててしまった。
「……委員長!!」
音に気づき、その音を立てた主がヒナであると気が付いたアコが手に持っていたもの――いくつかの食材と恐らく買い出しした食材をまとめたメモを止めているのであろうバインダー――を放り投げてヒナの方へと駆け寄ってきた。
その背後でアコの手から放り投げられたものをイオリが大慌てでキャッチしていく。なんとか食材を全てキャッチすることには成功したものの、バインダーだけはキャッチできずに角の一番痛い場所を額で受け止めていた。
「委員長、大丈夫ですか!? 申し訳ありません、非常事態だったとはいえこんな風にしてしまって、私……」
慌てたような大声がどんどんと
身長差の関係でアコを見上げる形になっているヒナには、アコが今にも泣きそうな顔をしているのがよく見えてしまっていた。
きっと自分を傷つけてしまったことに対して酷く悔いているんだろう。
そんな
「アコ、落ち着いて。それと、謝るのはその……私の方だから。あなたが気を病むようなことではないわ」
「でも……チナツから聞きました。外面上は大したことはなくても、かなりのダメージを負っているのは間違いないと……私が、もっと上手く立ち回っていれば委員長にここまで怪我をさせることは……」
震えた声で懺悔をするアコに、ヒナの胸がきゅっと締め付けられる。
彼女が悔いる必要などない。元はと言えば、自分が心を強く持っていなかったから起こった事態なのだから。
むしろその悔いはヒナだけが背負うべきもののはずだ。だって、自分のせいで傷つかなくて良かったはずの風紀委員のメンバーは大勢いたはずなのだから。
だから、アコが背負っていたその痛みは自分が引き受けなければ。
風紀委員長の仮面を被った今の自分であれば、どんなに痛くても耐えられるはずだ。
そう決心してヒナは微笑みを浮かべる。自分では上手くできたつもりだけど、どうだろうか。
さあ、今こそ委員長としての責務を果たすときだ。
けれど、そんなヒナの決意が果たされることはなかった。
「おい、話す暇があったらお前も手伝え」
「え……わっ!?」
「ちょっ……フレデリック先生……!!」
何故なら、フレデリックが食材の入った箱をヒナとアコに押し付けてきたからだ。
「話すのは飯を食いながらでもできるだろ。だが話してばかりじゃ飯は出来ねぇ。お前等はこの場にいる奴らを飢え死にさせる気か?」
「フレデリック先生! 今私達は大事な話を――」
話を遮られたアコがフレデリックにかみつくものの、フレデリックはそれを一蹴する。
「やかましい。いいから手伝え」
「……っ! 分かりました……!」
話が通じない、と分かったらしいアコは忌々し気にフレデリックを睨め付けながらずんずんと足を鳴らして押し付けられた荷物を所定の場所へと持っていく。
その後ろ姿に何も声をかけることが出来ないまま、ヒナも手渡された荷物を持ってアコの後ろをついて行くことにした。
それからしばらくして、アビドスの体育館には食欲をそそるいい匂いが漂っていた。
今回の炊き出しでフレデリックが作ったのはカレーだ。
本来外でやるべき火を使った工程も、ジャンクヤードドッグの刀身をコンロ替わりにするという
そんなとんでもない光景に生徒一同を困惑させながらも、カレーは無事完成した。
「良し。配膳はまあ各々上手くやれ。ただし、揉め事を起こすなら叩き出すからな」
そう言ってフレデリックはカレー鍋から離れてパイプ椅子に腰を下ろす。
そんな彼の姿を見て、ヒナやアコ、アル、カヨコ、ホシノ、シロコなど各グループのメンバー達は顔を見合わせる。
やがて、誰が何を言うでもなく肩をすくめ合ってそれぞれのグループのメンバー達を誘導しながら順番に用意されていた容器にカレーをよそって行った。
そうして全員に食事が行き渡ってそれぞれが落ち着ける場所に座った――例によって飛鳥がクラフトチェンバーで作った人をダメにするソファーが用意されていた――頃、アコが立ち上がろうと腰を上げる。
それをヒナが手で押さえて座りなおさせた。
「委員長……?」
「アコ、ここは私が」
心配そうに眉尻を落とすアコにかすかな笑みを返して、ヒナが立ち上がる。
全員の視線がヒナに集まる。それらを見渡して、ヒナは息を吸い込んだ。
「皆、今日はごめんなさい。私のせいで大きな迷惑をかけてしまった。風紀委員の皆、私に付き添ってくれてありがとう。アビドスの生徒達、治療と炊き出しの場所の提供をありがとう。便利屋は……まあ、炊き出しの協力してくれてありがとう」
ヒナの言葉にムツキが意地の悪い笑みを浮かべて声を上げる。
「えー? 私達にはそれだけ―?」
「ムツキ……! シーッ!! シーッ!!! ここで素直に恩を売っておけば後でお目こぼししてもらえるかもしれないんだから……!」
「アル……」
「アル様、わ、私が今から風紀委員長に土下座してきましょうか……!?」
そんな彼女をアルが必死になって抑えようとしていらないことまで口走り、それに対してカヨコが顔に手を当てて大きなため息を吐き、ハルカがチラチラとヒナの方を見ながら土下座の態勢をとろうとしてくる。
何とも締まらない空気になったことで、その場の生徒達の頬が僅かに緩む。
けれど、ヒナの表情は余りほぐれないままだった。
謝罪と感謝をこの場の皆に伝えなければ、とアコを抑えて立ち上がったのはいいもののこの流れで自分が食事の音頭を取って良いものなのかと悩んでいた。
だって、自分は迷惑をかけた側で、炊き出しだって別に大したことはやっていない。
ほとんどの準備は自分以外の皆がやったものなのだから、自分が音頭を取るのも筋違いだろう。
そう結論付けて、ヒナはフレデリックの方へ視線をやる。
フレデリックもヒナの方を見ていた。ならば、あとは彼に任せよう。
「……それじゃあ先生、あとはお願い」
「しゃあねえな。……お前達、冷める前に飯を食え。おかわりは適当にやれよ。以上」
余りにも簡素で適当な音頭に、周囲の――主にアビドスの――生徒達から文句が上がった。
「うわぁ、適当だね~……」
「ちょっと! なんかもうちょっと無いの!?」
「アビドスの奴らと一緒なのはなんか複雑なんだけど、確かにもうちょっとなんかあったでしょ……」
「やかましい。文句ばっか言ってる奴はおかわり禁止にしてもいいんだぞ」
おかわり禁止の一言でアビドスの生徒達がピタリと静かになって、手を合わせていただきますと言い出したのを見て風紀委員のメンバーは面食らった。
ふと見れば便利屋達も黙ってカレーに手を付けているではないか。
おかわり禁止にされるのがそんなに嫌なのか、とヒナを含めた風紀委員のメンバー全員は顔を見合わせてからおずおずとカレーを口に運ぶ。
「……ッ! これ……」
「美味い……!」
「確かに……味は結構濃い目ですが、疲れた体に染みわたるというか……」
「な、なるほど? シャーレの先生もなかなかやるようですね」
美味しかった。別に高級感あふれる見た目と言う訳でもなければ、味だって皆がよく知る普通のカレーとほとんど変わらない。
ルーは辛すぎず甘すぎず、それでいて適度なとろみがあってご飯によく合う。
ご飯だって特別高級なものと言う印象は受けないけれど、パサパサしすぎていることもべちゃべちゃしすぎることもない絶妙な食感だ。
具材に関してはカットを生徒達で分担したから大きさにばらつきがあったりしたけれど、それすらもなんだか美味しさに磨きをかけているような気がする。
ヒナがそんなことを考えている間にもスプーンが容器と口の間を何度も往復していた。
気が付けば、ヒナの持っていた容器は空っぽになっていた。
「あ……」
思わず漏れたため息に、ヒナは思っていた以上に夢中になってカレーを食べていたことをようやく自覚した。
なんだか妙に恥ずかしくなって、そっと辺りを見渡す。
すると、なんだかほほえましいものを見るかのような穏やかな笑みを浮かべたチナツと、なんだかちょっと気色悪いとろけた笑みを浮かべてこちらを見つめるアコがいた。
「あの、あんまり……見ないで」
「ハッ……! ん、んっ! すみません。委員長、おかわり要りますか?」
正気に返ったらしいアコが咳払いをしてから、わざとらしく今ヒナの空になった容器に気が付いたかのようにそう提案してきた。
なんだか素直に認めるのもためらわれたけれど、実際カレーは美味しかったしもう一杯くらいなら食べられそうだし食べたい。
「じゃあ……ん。お願い」
「はい! お任せください!! たくさん盛り付けてきますね!」
「え……ちょっと! 普通! 普通の量でいいから!!」
結局、アコはヒナの言葉が聞こえていなかったのか容器にいっぱいのカレーを盛り付けて戻ってきてしまった。
初めの内は黙々と食べていたヒナも、流石に量が多すぎたせいでだんだんとスプーンの動きが鈍って来る。
容器の中にはまだ半分近くカレーが残っていた。
「……無くならない」
「す、すみません委員長……調子に乗りすぎました」
申し訳なさそうな顔をして謝るアコに、ヒナは苦笑いをしながら首を横にする。
「いいのよ。アコにおかわり持ってくるのを任せたのは私だし」
「ですが……」
なおも謝ろうとするアコの額をツンと指先でつついた。
「なら、残ったカレー。一緒に食べてくれる?」
「え……」
ヒナの言葉にアコの顔がみるみると赤くなっていく。
「アコ?」
どうしたのだろう。急に体調でも悪くなったのだろうか。
顔を真っ赤にして固まってしまったアコに段々不安になってきたヒナは彼女の顔を覗き込む。
そこでようやく再起動をしたらしいアコがピクリと体を震わせてから、勢いよく首を縦に何度も振った。
「よ、喜んで!! 私が多く盛りすぎてしまったものですし、私が委員長の完食に協力するのは義務ですよね!!」
「い、いや……義務とかそこまで重く捉えなくても……」
「いえ! 義務です。いや、そんなものではありません。これは私に課せられた使命なんです!」
「そ、そう……? まあ、一緒に食べてくれるならいいけど」
「はい! この天雨アコ、全身全霊でお手伝いいたします!」
「……ま、まあ無理はしないでね?」
再起動した際にどこか変なスイッチでも入ってしまったのか、妙にエネルギッシュと言うか凄みがあるというかそんな様子でまくしたてるアコにヒナはちょっとだけ引いた。
「アコちゃん……」
「あはは……行政官、元気ですね」
「うるさいですよ! あなた達は早く自分の分を食べなさい!」
アコに威嚇されたイオリとチナツは揃って苦笑いをしながらおかわりをよそいに席を立つ。
そんな穏やかの光景を前にヒナは夢でも見ているかのような心地だった。
これを食べ終わったら、きっとまた自分の過ちと向かわなくちゃならない。
でも、今は。今だけはこの穏やかな空気に浸っていたかった。
「どうかもう少しだけこの時間が続きますように」
誰にも悟られないよう、そっとそんなことを呟いて。
ヒナはアコと共に容器に残った温かいカレーを食べることへと取り掛かったのだった。
Q.なんでグラウンドで炊き出ししないの?
A.砂漠化が進むアビドスで屋外の炊き出しは食べ物に少なくない量の砂が混じると思ったから。
ホントはもっとまじめな話をして物語を前に進ませる予定でした。
可愛いヒナちゃんと愉快な仲間達を書いていたら文字数がかさんだのでそういうのは次回です。