野暮用でアビドス高校の体育館を離れていたフレデリックが戻ってきた時、炊き出しで出されたカレーは既に完食されていた。
自分の作った料理が好評だったことに、隠居を始めてからそれなりに料理についても色々試しておいて良かったと過去の自分を褒めたくなる。
流石に平和になって賞金稼ぎ生活を辞めてからは、野ウサギを狩って焼いて食べるだけなんてサバイバルな食事を続けるのは流石にどうかと思ったところもあったのだ。
そんななんてことないことを考えながらも、フレデリックは自分が座っていたパイプ椅子に腰を下ろして生徒達の方を見やる。
少々の騒がしさはあるものの、時折笑顔を浮かべたりしながら穏やかに談笑をするその光景は平和そのものだった。
そんな雰囲気に水を差すのは何とも気が引ける話ではあったものの、元々この場にこのメンバーを残したのは一緒に飯を食わせるだけが目的ではない。
本来の目的を果たさなければと、フレデリックは小さく息を吐いてから立ち上がる。
「全員飯は食い終わったか」
フレデリックの言葉に全員が反応しこちらを見る。
そして彼がまじめな表情をしていることに気が付いた生徒達から穏やかな雰囲気が霧散した。
「よし。それじゃあ今日の騒動を起こしたイカレた野郎についての話だ」
それからフレデリックはケイオスの特徴を話していった。
フレデリック達が過去に対峙し、死んだと思われていた危険人物であること。
フレデリック達の世界の技術――法力については余り詳しく語らず、技術ということにした――において彼の右に出る者はいないこと。
人の姿と心を自由に操ることも可能であること。
「対策を取ろうにも、野郎の目的がさっぱり読めねぇ。ヒナを洗脳したかと思えば、野郎は俺にカイザーの目論見についてヒントを残していった」
「うーん……ねえ先生。そのケイオスって人、自分の目的について何も語らなかったの?」
そう問いかけたのホシノだ。
それに対してフレデリックは頭をガシガシとかいてため息を吐いた。
「ドラマを作る、と言っていたな。以前野郎とやり合った時もそんなことを言っていたらしい」
「ドラマ……?」
予想だにしない目的にカヨコが怪訝そうな表情をした。
「カイ……大国のトップから聞いた話じゃ『リアルの脚本を書き、真実のドラマを味わう』とか抜かしていたらしい。恐らく、今回もそう言う感じだ」
「ハァ!? ソイツふざけてんの!? 私達に辛い思いをさせて、それを安全なところから高みの見物して笑ってるってわけ!?」
フレデリックの語ったケイオスの目的に怒りをあらわにしたのはセリカだった。
無理もない、とフレデリックは思った。ホワイトハウスで実際に彼の手のひらの上で転がされていたフレデリック自身でさえ、ふざけた野郎だと思ったのだから。
しかし、ケイオスがシャーレに現れた時のやり取りがふとフレデリックの脳裏に蘇ってきた。
【君は風雨にさらされながらもたくましく生き抜いて立派な大樹へと成長する植物と、何の慈悲も希望も抵抗もなく燃やされて灰になる植物、どちらの物語が面白いと思う?】
「野郎の目的は、お前達が苦しむ様を見るんじゃない。困難を前に抗い、打ち勝つ姿かもしれねぇ」
「……どういうことですか?」
冷え切った声で問いかけて来たのはアコだ。ヒナを傷つけることになって元凶が許せないのかその目つきは鋭く細められている。
「野郎が初めてシャーレに侵入をしてきた時、こういった。『風雨にさらされながらたくましく生き抜いて立派な大樹へと成長する植物と、何の慈悲も希望も抵抗もなく燃やされて灰になる植物。どちらの物語が面白いか』ってな」
「なんですかそれは。下界の人間に試練を与えて、その様を楽しむ悪趣味な神様にでもなったつもりなんですか、彼は」
不快感をあらわにして吐き捨てるアコに声を上げて賛同する生徒こそいなかったものの、おおむね他の生徒も似たような反応を示す。
「野郎にとっては世界全体がゲームと変わらねぇ。理屈だとかを求めるだけ無駄だ。……だが、今回に限って言えばもしかしたら単なる敵じゃないかもしれねぇな」
「どういうこと……? そのケイオスって人、私達を追い詰めようとしてるんだよね?」
フレデリックの仮説にシロコが眉間に皺を寄せた。
「飛鳥から聞いたが……ヒナの奴の洗脳があまりにも簡単に解けたらしい。野郎の洗脳は、対象が気絶した程度じゃ解けない位強力なもののはずだ」
フレデリックがヒナの方へ眼をやると、ヒナは居心地が悪そうに少しだけ肩をすぼめた。
「だが、実際にはヒナが意識を失った時点で洗脳が解けた。……ヒナ、お前ケイオスにあった時何を話した?」
「………………」
フレデリックの問いかけに、ヒナは黙り込んでしまった。
沈黙がその場を支配する。
ヒナが話さなければ、今回のケイオスの目的も分からないと言っていい。
けれど、その場の誰もがケイオスとヒナの間で起こったやり取りについて彼女本人が話したくないと思っていることは感じ取れていた。
そして、それを無理に聞き出そうとする無粋な生徒もまたいなかった。
静まり返った体育館に、ヒナが深呼吸をする音が溶けて消えていった。
「……ケイオスは。私に『ワガママになってみようか』と言っていたわ」
「ワガママ……ですか。確かに、委員長がワガママを言ったところは見たことがありませんでしたが……」
「そんな暇、ないもの」
アコの言葉に一言そう告げて、ヒナは俯いた。
「なんにしても、私のせいで皆に迷惑をかけたのは事実。この失態は必ず埋め合わせを――」
「んー、あんまり気にしすぎても仕方ないんじゃないかなあ」
ヒナの言葉を遮ったのはホシノだった。
「ホシノ先輩?」
突然声を上げたホシノにアヤネが驚いたように目を見開く。
「……小鳥遊ホシノ?」
「ありゃ、私のこと知ってたんだ。ひょっとしておじさん有名人?」
「情報部にいた頃、各自治区の要注意生徒達をある程度把握してたから。……人違いじゃないかって思うくらいに雰囲気変わっていて、今の今まで確証が持てなかったけれど。でも、驚いた」
「驚いた?」
「あの事件の後、アビドスを去ったものとばかり思っていた。……でも、そうか。だからシャーレがあなた達に協力していたのね」
ひとり納得するように頷くヒナに、フレデリックが眉を潜める。
「何の話だ。俺達はアヤネからの手紙を受け取って支援に来た。ホシノがどうこうしたからじゃねえぞ」
「そうだよー。おじさんはシャーレに頼るつもりなかったからねー。……ま、そんな話はどうでもいいのさ。話を戻そう。風紀委員長ちゃん、アビドスに対して埋め合わせするっていうなら要求は一つだよ」
ホシノの雰囲気が少し変わる。口調は何時もののんびりとしたものだが、その目つきだけは鋭いものへと変わっていた。
「私達のことは私達で何とかするから、
「……っ!」
フレデリック、ヒナ、アコ、カヨコ、そしてノノミはホシノの言葉の裏側の意図に気づきそれぞれがそれぞれの反応をする。
そんな皆に気づいたのか、ホシノは表情を緩めてだらけた声で続けた。
「ほら、ウチってゲヘナとかおっきな学校の相手をしてあげられるほど人手があるわけじゃないからさ。それに、今回のことはソッチにとっても災難だったし私達に気を使うくらいなら自分達のことを優先した方が良いと思うんだよね~」
「……分かった。心遣い感謝するわ」
「気にしない気にしない。それと、ケイオスについても正直まだ風紀委員の中で止めておいた方が良いんじゃないかなっておじさん思うよ」
ホシノの言葉にその意図を察したアコが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……確かに、姿も心も自在に操れる存在がいると広まれば
「そういうことー。利用するはずが逆に手駒にされてアビドスに来ちゃいましたー、とかされたらさ。流石にひとたまりもないんだよね」
ありえないとは誰も言えなかった。
重苦しい沈黙がその場を満たす。
それを打ち破ったのもまたホシノだった。
「あー、ほらほら! だから、とりあえず今ここにいるのはたまたまウチに遊びに来たっていうだけの生徒ってことで良いんじゃないかな。カレー一緒に作って食べたし、フレデリック先生は甘いものか何か買ってくれてたんでしょ?」
そう言ってホシノはフレデリックの方をちらりと見た。
甘いもの、という言葉に反応した何人かの生徒も期待を隠そうともせずにフレデリックの方へと振り返った。
やってくれたな、とホシノに視線をやれば彼女はいたずらっぽくペロリと舌を出して笑っていた。
「……人数分のシュークリームを買って来てある。並んで取りに来い」
フレデリックがそう言うと、その場の大半の生徒が歩いて――食い意地の張った生徒はほとんど競歩みたいな状態だったが――こちらに寄って来た。
「やれやれだぜ」
その様子に若干呆れつつも、フレデリックは体育館の隅に置いていたビニール袋を手に取って中に入ったスイーツを生徒達に配り始めた。
スイーツを受け取りワイワイと騒ぎながら舌鼓を打つ生徒達を見つつ、フレデリックは一人険しい表情をする。
結局、まだケイオスの概要を伝えただけだ。
恐らくヒナはケイオスに出会った時のことを全ては明かしていないし、話を強引に打ち切ってしまったホシノの態度も気にかかる。
かといって、無理に聞き出そうとしたところで逆効果なのだろう。
ここに来て、フレデリックは年頃の子供の相手と言うのがいかに難しいかというのを実感していた。
子育て経験がないわけではない。けれど、育てていたのはシンと言う良くも悪くも素直で純粋な子供だったし、一時面倒を見ていたラムレザルやエルフェルトも似たようなものだった。
ディズィー*1に関しては自分は全く育てていないのでカウントできない。
「あれ、先生は自分の分の甘いもの買ってこなかったの?」
そんなフレデリックに近寄って声をかけて来たのはホシノだった。
「ん? ああ、俺は年なんでな。甘いものは控えるようにしてんだよ」
「またまたぁ~。言うほど年寄りじゃないでしょ先生~」
「そうでもねえ。こう見えて百歳は越えてるんでな」
そう言って肩をすくめたフレデリックの言葉に、ホシノは思わず固まってしまった。
「えっ……いやあ、流石に冗談でしょそれは。こんなぴちぴちなおじいさん見たことないよー」
「そうか? お前だってそのなりで中年だと自称してたじゃねえか。同じ理屈で行けば俺の年齢と外見が一致しないのも納得だろ?」
「うっ……それは……まあ。そうかもだけど」
「ま、俺からすればお前ら全員子供だな。ちゃんと寝る前には歯を磨いておけよ?」
クツクツと喉を鳴らして笑うフレデリックに、ホシノがむくれる。
「ちょっとー。あんまり子供扱いしないでよね。先生に助けられたのは確かだけど、私達だけでもこれまでやってこれてたんだからさー」
そんなホシノの文句にフレデリックはどこ吹く風と言った態度で空になったカレー鍋の片付けなどを始める。
「ねえ、フレデリック先生! 聞いてるの!?」
「やかましい。話だったら後でいくらでも聞いてやるから、お前は他の奴らんところ行ってこい」
フレデリックがあごで指し示した方向には、ちょっぴり不安そうな顔でこちらを見つめるアビドスの生徒達の姿があった。
「アイツらに心配かけてたんだ。ちょっとくらいはその埋め合わせをしてやれ」
「…………うん」
こちらを心配そうに見る皆の顔を見てハッとしたホシノは小さく頷いて、ゆったりとした足取りで彼女達の方へと向かう。
それを横目で見ながら、フレデリックは片づけを進めた。
まだまだやること、聞かなければいけないことはたくさんある。
問題は山積みだ。
「ヘヴィだぜ……」
誰にも聞こえないように呟いたフレデリックの言葉は、体育館を満たす生徒達の楽し気な喧噪の中に霧散していった。
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