墜ちてくる太陽を受け止めきれず、その熱と光の奔流に押し流されるのに身を任せようとしたホシノは、突然誰かに抱きかかえられた。
ホシノを抱きかかえた誰かは、そのまま横方向へと跳ぶ。
着地も受け身も考えていなかったのであろうそれに巻き込まれて、ホシノは誰かと一緒にもみくちゃになって地面を転がった。
「ケホッ……ケホッ……な、何が……」
痛む体に鞭を打って体を起こして辺りを見回す。
そこには両手を地面についてぜえぜえと肩で息をするシロコの姿があった。
「し、シロコちゃん……?」
「ほ、ホシノ先ぱ……だいじょう……ぶ……?」
息もまともに整わないまま、シロコが心配そうな表情でホシノの方を見つめてくる。
そのあまりにも真っすぐな瞳は、心の底から自分を心配してくれていたのだということが痛いほど伝わってきた。
だからこそ、ホシノはその瞳を真っすぐと見返すことが出来ずに視線を逸すことしか出来なかった。
「なんで、助けたの?」
口から出たのは、そんなシロコを突き放すような言葉だった。
言ってしまってから後悔したけれど、もう遅い。
ホシノの言葉に、シロコは目を吊り上げた。
ゆらりと立ち上がって、ツカツカとホシノの方に歩み寄って来る。
けれど、それでもホシノはシロコの方を向くことが出来なかった。
すると、突然胸倉を掴まれて無理やり立たされる。
次の瞬間、ホシノの頬に鋭い痛みが走って無理やり顔を反対方向に向かされた。
それが平手打ちされたということに気が付くのに、数秒かかった。
ジンジンと痛む頬を片手で押さえながら、ホシノは呆然とする。
「え……?」
そこでようやく、ホシノはシロコの顔をしっかりと見た。
泣いていた。目はものすごく吊り上がっていて、怒っているのが一目で分かるくらいに険しい表情だったけれど。
その瞳からはポロポロと涙がこぼれていた。
「しっかりしてよ!! なんで勝手に諦めてるの!! そんなの全然──ホシノ先輩らしくない!!」
シロコの叫びに、ホシノの中でせき止めていた何かがにじみ出す。
「私らしくないって……シロコちゃんは、私の何を知ってるのさ」
ああ、こんなことを言いたいんじゃないんだ。そんな顔をさせたいわけじゃないんだ。
そう思いながらも、一方ではずっと抱え込んでいた全てをせき止める何かにヒビが入っていく。
「分からないよ!! だってホシノ先輩、いっつもはぐらかしてばっかりだから!! 私達のことはいつも心配して、励ましてくれるくせに……自分のことは何も教えてくれない……!! それでどうやってホシノ先輩のことを分かれっていうの……!?」
「そ、それは……」
シロコの言葉に声を詰まらせていると、バタバタといくつかの足音が聞こえてきた。
「「「ホシノ先輩!!」」」
ノノミ、セリカ、アヤネだった。
「皆……?」
後輩達が皆一様に心配そうな顔でホシノの元へ駆け寄って来る。
「話してよホシノ先輩。今、先輩がどんな気持ちでどうしたいのかって」
涙を流しながら、それでもシロコは真っすぐな瞳でホシノのことを射抜いてくる。
その視線が怖くて、ホシノは思わず助けを求めるように周囲の後輩達へと視線を巡らせる。
けれど、皆シロコと同じような真っすぐな瞳でホシノを見つめていた。
逃げ出したかった。だって、こうなったら今の状況に至るまでの経緯を説明しなくちゃいけない。
皆は優しいから、きっと怒ってくれる。止めてくれる。
でもそうしたら、自分はきっとその優しさに甘えてしまう。
そうして、終わりのない地獄へ皆を引きずり込むことになってしまう。
「あ、う……えーっとね……その」
しどろもどろになりながら、何とかこの場を切り抜ける言い訳を探すけれどいいものが思いつかない。
ちょうどそこへ、あの大人の声が皆の後ろから聞こえてきた。
「おい。今は模擬戦中だ。見学なら離れた場所でやれ」
「そ、そうそう! 今ちょっとおじさんは先生と模擬戦やってるからさ! 皆はちょっと離れたところに……」
これ幸いと大人の言葉に乗っかろうとしてシロコの隣をすり抜けようとした時、両手を掴まれた。
「へっ……?」
両手を掴んでいたのはアヤネとセリカだった。二人はどこか責めるような視線でホシノのことを睨んでいる。
そして、シロコとノノミは銃を構えてホシノをかばう様に大人の前に立ちふさがった。
「模擬戦っていうのなら、私達が代わりに相手する」
「ホシノ先輩はお疲れのようですし~。先生が暴れたりないというのなら私達がお相手しますよ~?」
そんな後輩二人の言葉に、ホシノは大いに焦った。
だって、二人があの大人に勝てるわけがない。自分が本気で勝ちを狙いに行ったのに、有効打らしい有効打を一つも入れられなかったのだ。
そんなバケモノを相手に、二人だけで戦ったところで返り討ちに遭うだけだ。
「だ、ダメだよ二人共! 大体、これは私と先生の──」
「ホシノ先輩☆ 少し大人しくしててくださいね。先輩をイジメたこの人を、ボッコボコにしてきますから」
「どんな理由があったとしても、先輩を傷つけたのは許せない。先生、覚悟は良い?」
銃のセーフティを外して、シロコとノノミが大人に銃を向ける。
ダメだ。ダメだダメだダメだ。ここで二人が大人と戦ってしまったら、護られてしまったら。一体自分は何のために。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、ホシノは自分が今考えていたことが何なのかに気づいた。気づいてしまった。
(ああ……私、皆が護りたかったわけじゃ、なかった)
ホシノの中にある芯のヒビがより深くなっていき、そして遂にポキリと大した音も立てずに折れたような感覚がした。
その瞬間、ホシノの膝から力が抜けてその場にへたり込む。
「ホシノ先輩ッ!?」
突然くずおれたホシノに驚き、アヤネが心配そうな声を上げる。
それすらどこか遠くのもののように聞こえた。
ホシノがずっと抑え込んでいたものせき止めていた何かが、音を立てて決壊していく。
それは涙となってホシノの瞳から次々とこぼれていった。
ホシノの異変に気が付いたシロコとノノミが慌ててこちらを振り向く。
「シロコちゃん、ノノミちゃん……アヤネちゃん、セリカちゃん……ごめん……ごめんね……!」
口にできたのはそれだけだった。視界は涙でいっぱいになっていて、もうほとんどがぼやけて何も見えない。
喉がきゅっと締め付けられるような感覚がして、いつもみたいに喋れない。
頭の中はぐちゃぐちゃだ。何を話すべきか、これから何をしたらいいのかもう何も分からない。
「私が悪いんだ……! 私が、アビドスを復活させようってワガママで対策委員会なんかを作ったから……皆をこんな酷い状況に……!」
「それはッ! それは違うって今朝──」
シロコの否定の言葉を遮るようにホシノは叫んだ。
「嬉しかった! 誰も私のやりたいことを否定しないで、一緒に頑張ろうって言ってくれたのが! 何があっても今日までずっと一緒に頑張ってきてくれたことが!! 皆と一緒なら、いつか本当に借金を返し切れるかもしれないって……一瞬でも本気でそう思えたんだ!!」
滅多に声を張り上げることのないホシノの
「色々大変だったけど……でも皆が笑ってる姿を見るのが好きだった! 先生が来て、事態が前に進んで……皆がもっと明るい顔をするようになったのが嬉しかった!! だけど……そもそも、私がワガママなんて言わなかったら……きっと今頃皆はもっと……もっと明るくて、楽しい生活が出来てたんじゃないかって思って……!! だから!! 私がカイザーに行って、借金全部失くしちゃえば……!! そうしたら、アビドスはなくなっちゃうかもしれないけど……皆がこの先の学校生活で借金に苦しむなんて馬鹿みたいなことにならなくて済むんだって!! その方が良いって……思って……!!」
もう限界だった。ホシノは自分を抱きしめるように腕を抱いて、体を折る。
「皆を護りたいって思ってた! そう思ってたのに……違ったの!! 私は……結局自分が楽になりたいだけだった!! 護るとか綺麗な言葉で誤魔化して……ホントは自分のせいで皆が辛い顔や悲しい顔をするのが耐えられなかっただけだった!! その責任を負わなきゃいけないことが嫌だった!! 怖かった!! だからっ……!!」
そこから先はもう言葉にできず、ホシノは絞り出すように泣き声を上げる。涙と鼻水で制服が汚れるなんてことすらも考えられないまま、ただただ大きな声を上げて泣いた。
合間合間にごめんなさい、と何度も繰り返して。
誰に対して、何に対してのごめんなさいなのか。それはもうホシノ自身にもよく分かっていなかった。
不意にホシノの体を温かくて柔らかい何かが包み込んだ。
「ごめん、ホシノ先輩……ッ! 私、ずっと怖くて……私を見つけてくれたホシノ先輩が知らないうちにどこか行っちゃうんじゃないかって怖くて……! でも、自分の事ばっかりでホシノ先輩のこと全然考えてあげられてなかった……!」
シロコの声だった。自分を包み込んだ温もりが、シロコが抱きしめているんだと気が付いたのはその時だった。
けれど、自分を抱きしめるシロコの手は小さく震えていた。
「ずっと……ずっと辛い思いしてたんだね……! ごめんね先輩……気づいてあげられなくて……! 力になってあげられなくて……!」
「ち、違……シロコちゃん、違うの……私……」
「ホシノ先輩。私も、ごめんなさい」
すぐ傍からノノミの声が聞こえて、ホシノは涙でぐしゃぐしゃの顔をそちらに向ける。
そこには自分と同じように涙をポロポロとこぼすノノミがいた。その後ろには目に涙をためるアヤネとセリカもいる。
「誰よりもずっと先輩の傍にいたのに。先輩が何かを抱えてきっと苦しんでるんだってことにも気づいていたのに……無理に聞き出したりするものじゃないって、見ないフリをしてました」
「だって……それは私が、聞くなって態度をしてたからで……」
「そうですね。だから、私もそれに甘えてしまっていました。ホントだったら喧嘩することになってでも、もっと早くホシノ先輩が本音を話せるような状況を作るべきだったのに……本当に……ごめんなさい」
そう頭を下げてきたノノミに、ホシノはなんて返したらいいか分からなかった。
そんなホシノに、セリカが一歩歩み寄る。
「先輩……私、馬鹿だからあんまり難しいことは分かんないんだけどさ。……私は、ホシノ先輩がいる対策委員会が好きなの。皆と一緒にあれこれしてきた、この街が好きなの。だからさ……いなくなったり、しないでよ……もっと私達と一緒にいようよ!」
「セリカちゃん……」
「私もセリカちゃんと同じです。確かに状況は良くありません。ホシノ先輩がやろうとしてたことが間違いだって、私は言い切れません。でもッ! 私は、やっぱりホシノ先輩に残ってほしいです! それで辛い思いをすることになっても、きっと……ホシノ先輩と、皆と一緒だったらきっと何とかなります! 今は、フレデリック先生達もいますから!」
「アヤネちゃん……」
ああ、やっぱり私の後輩達は優しい。こんな温もりに包まれてしまったら、ダメになってしまう。
ふと、ずっとこちらを遠巻きに見つめていた大人の方へと向ける。
あの鈍器を地面に突き刺し、腕を組んで立っている彼の視線は戦闘時に比べればマシだけど、それでも鋭いままだった。
……ここが最後のチャンスだ。この温もりを振り払って、自分のエゴを押し通して皆を助ける最後のチャンス。
きっと、今もう一度続きをやろうと言えばあの人は応じてくれる。そしたら今度は、ヘイローが砕けるまで粘ってみよう。
そこまでやれば、流石のあの人だって折れてくれる。そうなれば、もう誰も自分を止めることはない。
「ねえ、先生」
「なんだ?」
さあ、言おう。私がこれから、どうしたいのか。
そんなことを考えながら、ホシノはふと後輩達を見回す。
……皆、優しく微笑んでくれていた。涙でぐちゃぐちゃで格好付かない酷い顔だけど、それでも確かに温もりを感じる笑顔だった。
「わた……私さ……その……」
さあ、言え。今しかないんだぞ小鳥遊ホシノ。ここを逃したら、お前は誰も守れない。
そんな言葉が頭の中に響く。分かっている。ここでこの温もりに溺れてしまったら、結局皆を苦しめることになる。それこそ、奇跡でも起きない限り。
奇跡。そんな言葉が脳裏に浮かんだ時、連鎖的に思い出されたのはユメ先輩のことだった。
【もし何か奇跡が起きたら、またこの頃みたいに人がたっくさん集まって──】
「ねえ先生……」
ホシノの口が自然と動く。
それを口にするな。そんなことを言ったところで何の気休めにもならない。そんな自分を責める声が頭に響く。
それでも。ホシノはそれを止めることが出来なかった。
「奇跡を……奇跡が起きるって期待してもいいのかな……? 先生だったら、この状況を全部ひっくり返してくれるって……熊からパンダも生まれるんだって
ホシノの問いかけに、フレデリック先生は一瞬驚きに目を見開いて──そして不敵に笑った。
「奇跡が起きるかどうかなんざ知ったこっちゃねえが……
力強いその返答に、ホシノはへにゃりと笑ってシロコに体を預けた。
体全体から力が抜けていく。瞼が重い。
ああ、でもまだダメだ。もう一つ、聞いておかなきゃいけないことがある。
「ねえ……皆? こんなカッコ悪い私だけどさ、まだ委員長やってても……ここにいても……いいかな?」
ホシノの問いに、なんとなく皆が顔を見合わせた様な気配がした。
「ん。当たり前。対策委員会の委員長は、ホシノ先輩しかいないから」
「もちろんです! まだまだ委員長やってくださいねホシノ先輩~」
「当ったり前でしょ! ていうか、ホシノ先輩がまとめないと締まらないじゃん!」
「皆さんの言う通りです。また明日からも……ううん、これからもずっと……よろしくお願いします。ホシノ先輩」
そんな温もりに満ちた返答がホシノを包み込む。
心地良い温もりだった。日向ぼっこしながらのお昼寝なんて比較にならない。
温かいふかふかのベッドだって、この心地良さには敵わない。
だから、ホシノはもう我慢をすることなくその心地良さに身を任せて、意識を手放した。
今日は、きっと夢を見ることもなくぐっすり眠れそうだ、なんてことを考えながら。
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