ホシノがこてん、と頭をシロコに預けてそれっきり何もしゃべらなくなった時、ノノミはかなり焦った。
もしかして、本当にホシノが死んでしまったんじゃないかって怖くなった。
「ほ、ホシノ先輩……?」
慌ててホシノの肩に手をかけようとして、そこでようやくホシノから規則正しい寝息が聞こえてくることに気が付いた。
少し回り込んで見てみれば、その寝顔はあんなに激しい戦闘をした後だとは思えない位安らかなもので。
けれど、まだその瞳の端に光る涙を見て、ノノミは指先でその涙を拭う。
「……お疲れ様でした、ホシノ先輩。おやすみなさい」
「んぅ……ふふ……」
涙をぬぐった瞬間、ホシノが身じろぎをしたので起こしてしまったかと思ったけれど、ホシノは吐息を漏らしてからほんの少しだけ口元を緩めただけでまたすぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
そんなホシノの様子に自然と笑みがこぼれる。
ふと周りを見回せば、シロコ、アヤネ、セリカも皆同じように微笑んでいた。
「私、先輩を保健室に寝かせてくるね」
「はい。お願いしますね」
ホシノを起こさないようにシロコがそっと彼女を抱きかかえながら立ち上がる。
そうしてゆっくりと校舎の方へ歩いていくシロコを見送ってから、ノノミはフレデリックの方へと向き直る。
「先生、ありがとうございました」
「何のことだ」
ノノミの礼にぶっきらぼうな口調ですっとぼけるフレデリックを見て、この人はこう言う人だったなとノノミは苦笑いをする。
「私達では、ホシノ先輩の本音を引き出すことが出来ませんでした。きっと、先生がいなければ誰もホシノ先輩を止められなかったと思います」
「どうだかな。アイツも、思ったより頑固な野郎だった。俺一人じゃ、口を割らなかったかもしれん」
言外にノノミ達が駆けつけて来てくれたから事態が丸く収まったのだと言ってくるフレデリックに、ノノミはなんて素直じゃない人なんだと笑うしかなかった。
なるほど、頑固で不器用なところはホシノ先輩にも通じるところがあったのかもしれない。
フレデリック自身、それに気が付いていたから模擬戦だなんて乱暴な方法をとったのだろう。
それはそれとして、だ。
ノノミは浮かべていた笑みを消して、ツカツカとフレデリックの目の前まで歩み寄る。
それに対し、フレデリックはノノミの目を真っすぐと見据えたまま動こうとはしなかった。
こちらの意図が伝わっているのか、そうでないのか。ノノミにとってはどっちでもいい話だった。
フレデリックの目の前で立ち止まったノノミは、振りかぶった右手を思い切り彼の頬に叩き付ける。
パシーン! という大きな音が静かなグラウンドに響き渡った。
「えっ……ノ、ノノミ先輩!?」
アヤネの焦ったような声が聞こえるが、知ったことではない。
確かにフレデリックのやり方は結果的には正しかったのかもしれない。
けれど、それでもやっぱりホシノを傷つけるようなやり方を取ったのは許せなかった。
「フレデリック先生。ホシノ先輩の本音を引っ張り出してくれたのは感謝してます。でも、あんなやり方は認められません。先生は賢いから、きっとホシノ先輩に大怪我させないようにずっと気を使ってくれてたんだと思います。だとしても……だとしてもあんな、あんなやり方っ……!」
ノノミは別にホシノとフレデリックの戦闘を直接見ていたわけではない。
それでも、今こうしてピンピンとしているフレデリックと力尽きるように眠ってしまったホシノを見れば、どんな状況だったのかはある程度想像が付く。
きっと、ホシノは一方的に負けてしまったんだろう。それでも必死に食らいついて、でもダメだった。
シロコがかばったからギリギリ大丈夫だったけど、もしあのままフレデリックの拳が振り抜かれていたら。
そうしたら、本当に大怪我をしてたんじゃないか。そう思うと、怖くてたまらなかった。
自分達ではホシノを止められなかった悔しさ、今まであったはずのチャンスを全部無駄にしていた不甲斐ない自分、ホシノを失ってしまったかもしれない恐怖。
そんな色んなものがごちゃごちゃになってあふれ出し、ノノミの頬を伝う。
瞳から零れ落ちるそれを制服の袖でごしごしとぬぐっていると、不意に頭に手が乗せられた感覚がした。
「悪かった」
いつもよりも気持ち優しい声色のフレデリックにそう言われ、そのままガシガシと乱暴に頭を撫でられる。
まるで泣きじゃくる子供をあやすようなソレに、思わずノノミは唇を尖らせた。
「……子供扱い、しないでください」
「そう言うのはもう少し見れるツラになってから言え」
「誰のせいでこんなになったと思ってるんですかぁ……! ジャック・オー先生に言いつけますから! フレデリック先生に汚されたって」
「おい、言い方ってもんがあるだろうが……」
露骨に困ったような声色に変わってしまったフレデリックに、けれどもう少しやり返してやらなきゃ気が済まないノノミは追撃を仕掛ける。
「事実です! 人前でこんなに泣いたことなんて一度もないのに……! 先生が初めてだったんですからね……!」
「……クソ、悪知恵ばっかり働かせやがって」
そう毒づきながらも、フレデリックはノノミの頭を撫でることは止めなかった。
ノノミも、そのごつごつした温かい手を振り払おうとはしなかった。
そうして、慌ただしくて長い一日がようやく終わった。
フレデリックは保健室に置いた自分用の人をダメにするソファーに体を沈めた。
正直な話、ホシノの戦闘力をナメていた。
銃を使うとは言え近距離戦をメインとするショットガンが相手なら、何とでもなるだろうと高をくくっていたのだ。
実際に何とかなったものの、一発だけとは言えほとんどもろに模擬弾をわき腹に撃ち込まれてしまった。
思ったよりも痛かったし実際一瞬体勢を崩されかけたが、何とか追撃を貰う前に気合で飛び上がってフロート*1で空中から強襲をかけられたのは単にホシノがこちらの手の内を知らなかったからと言うだけだろう。
恐らく、二度は通じない。二度とやるつもりもないが。もうノノミに小言を言われるのは勘弁だ。次はシロコも殴り掛かってきてなお面倒になるのは間違いないだろう。
何にしても、ヘヴィな一日だった。とフレデリックは肺の中の空気をゆっくりと吐き出す。
だが、明日からはもっとヘヴィになる。一週間後までにカイザー理事のニヤケ面を凍り付かせるくらいの証拠を集めなければならないのだ。
一週間という短い期間では、相手の闇取引へ踏み込める回数もたかが知れている。
便利屋のところへ行ったカイザーの手先による脅迫の音声データもあるが、それだけでは決定打にはなり得ない。
それでもやるしかない。ホシノの決意を踏みにじって自分の勝手を押し通した以上は、最後まで悪あがきをするのが筋というものだ。
ふと、保健室に備え付けらえたベッドの方へと目をやる。
いくつかあったベッドを全て横に並べて、一つの大きなベッドにしたそこには対策委員会の生徒達がホシノを挟み込むようにしてスヤスヤと眠っている。
ホシノが過去に何を失ったのかは知らない。恐らく、大切な人なのであろうという推測が立てられるくらいだ。
そんな彼女も、後輩達に囲まれることでいつの間にか自分の世界を見つけられていた。
それでも、そこに自分の居場所はないと思っていたのだろう。だから、世界を守る為に自分を犠牲にしようとした。
実に見覚えのある光景だった。少し前のジャック・オーがほとんど同じような行動に出ていたのを思い出す。
だが、フレデリックはホシノのことをほとんど知らない。だから、口で何を言っても彼女の心には届かないだろうと思った。
だから、飛鳥の時やカイの時のように戦うことを選んだ。
結果だけ見れば上々だ。ホシノは無事に対策委員会の後輩達から赦され、そして自分を赦すことが出来たのだと思う。
人の居場所とは安らぎがある場所だ。安らぎは人が罪を赦すときに生まれる。
もう、ホシノにはちゃんとした居場所がある。それは、後輩達に囲まれながら安らかな表情で眠っている彼女の姿を見れば明らかだろう。
それでも、フレデリック一人ではこの結果は得られなかったと強く感じた。
シロコが、ノノミが、アヤネとセリカが駆けつけて来たからこその結果だ。
これまでのようにいくらフレデリックが戦いや行動を通じて相手とぶつかり合ったとしても、フレデリックはやはり余所者だ。
ホシノのように悩みや罪の意識を抱えた生徒を真に救うのは、きっとフレデリックのような余所者ではないのだろう。
そもそも、若者の心を開かせるのは余り得意ではないのだ。そういうのはシンの方が余程上手い。
そんなことを考えて、フレデリックは苦笑いをしながら首を横に振った。
こんな弱気なところをシンに見られたらきっと笑われてしまうだろう。と言うか、その前にカイから生暖かい視線を向けられて笑われそうだ。
そう考えたらなんだかムカついてきた。あの坊やに生意気なツラさせるのはどうにも腹が立つ。
「ったく。やれやれだぜ」
くよくよするのは終わりだ。
今日はもうサッサと寝て、明日からに備えよう。
そう心の中で喝を入れて、フレデリックも目を閉じた。