体を優しく包む温もりに頬が緩むのを感じながら、ホシノはゆっくりと瞼を上げた。
目の前に広がったのは白い天井だ。見慣れてると言うほどではないけれど、知らない天井ではない。
学校の保健室だと気が付いたホシノが体を起こそうとして、自分の体に誰かの腕が回されていることに気が付いた。
体の上に回された腕をそっと退けて、体を起こしてみれば対策委員会の皆が自分を囲むようにしてスヤスヤと眠っている。
「うへ……ホント、私にはもったいない子達だよ」
「そうでもねえさ」
不意に横から聞こえてきた低い声に、けれどホシノは驚くこともなくそちらの方へ視線を向けた。
フレデリック先生だ。窓際に座って、いつもの仏頂面でこちらを見ている。
手元にタブレット端末があるところを見ると、自分より早く起きて仕事をしていたんだろう。
「おはよ、先生」
「ああ。その様子なら、しっかり睡眠はとれたみたいだな」
そう言って薄く笑うフレデリック先生に、ホシノは唇を尖らせてそっぽを向いた。
「昨日、誰かさんにボッコボコにされたおかげで限界だったからねー」
「そいつは災難だったな。まあ雨に降られたとでも思っておけ」
ホシノのささやかな口撃に、しかしフレデリック先生はさも当然のようにすっとぼけてくる。
けれど、そんなフレデリック先生の態度がなんだか心地よく感じられていた。
「ねえ先生?」
「ん?」
「ありが──」
「ソイツは全部が解決してからにしておけ。まだ何も終わってねえからな」
昨日のことにお礼を言おうとした瞬間、まだ早いと遮られたことにホシノは少し驚き、その通りだと思い、そして……また意地悪をしてやろうと思って笑った。
「なーに? もしかして昨日の約束、守れる自信がないの?」
「寝て起きただけで随分と元気になったじゃねぇか。その様子なら何も心配はいらねえな?」
ほんの少しだけ眉間にしわを寄せながら眼鏡のブリッジを指で押し上げる先生の姿に、これは思ったより効いているのかもとホシノは自分でも分かるくらいに笑みを深めた。
「……何笑ってる」
「別に~? おじさん最近笑いの沸点が低くてさ?」
「あんまり騒がしくするなよ。他の奴らを起こす気か?」
まともに言い合うと分が悪いと踏んだのか、フレデリック先生はそう言って露骨に話題を切り上げようとする。
そんな彼の様子に、あのフレデリック先生に初めて目にもの見せてやったのだとホシノはこの数週間で一番スカっとした気分になれた。
「ん……」
そんな悦に浸っていると、すぐ隣で眠っているシロコが吐息を漏らして身じろぎをした。
さっきまでホシノの体に回していたはずの腕に何の感触もないからか、シロコの手が何かを探すようにベッドの上をさまよう。気持ち、寝顔も不安そうなものに見えた。
そんな愛おしい後輩の手を、ホシノはそっと握ってあげる。
すぐにキュッとその手を握り返してきたシロコの寝顔は、とてもわかりやすい位に安らかなものへと変わっていた。
薄暗かった外が少しずつ明るくなり、保健室の窓から朝日が差し込み始める。
「んん……ほしのせんぱい……?」
まだ眠たげに細めた目を緩く指先でこすりながらノノミがゆっくりと体を起こす。
「おはよう、ノノミちゃん」
「はい、おはようございます。……えいっ☆」
「うぉわ……わぷ……!」
不意にノノミがホシノに抱き着いてきて、ホシノの顔はノノミの豊満な胸の中に埋もれる。
石鹸の香りがほのかに漂う柔らかな谷間にもみくちゃにされて、ホシノはなんだか申し訳ない気持ちになった。
だって、ノノミの体はほんの少しだけ震えていたから。
「どこにもいっちゃイヤですよ、ホシノ先輩」
明るさの中に、けれど確かに震えが混ざった声にホシノはそっとシロコの手を握ってない方の腕をノノミの背中に回す。
「うん。もうどこにも行かないよ」
小さな子をあやすようにとんとん、とノノミの背中を軽く叩く。
「ふふ……なんだか、いつもとは逆ですね。先輩にあやしてもらう日が来るなんて」
「ノノミちゃんはいつもしっかりしてたから。だから、私ずっと甘えちゃってたんだよね~」
でも、とホシノはノノミの体をグッと抱き寄せる。
「これからは、私に甘えてもいいからね」
「……っ! はい!」
そうして、しばらくの間ホシノとノノミは固く抱きしめ合った。
どれくらいそうしていただろうか。
不意に、学校の外から車が走ってくる音が聞こえてきた。
既に起きていたホシノとノノミは一瞬で表情を強張らせて、ベッドから起き上がろうとする。
それをフレデリックが手で制した。
「俺が行く。どうせ書類を届けに来ただけだ」
全く気負いのないフレデリックの態度に、ホシノは肩の力を抜いて再びベッドに寝転がった。
「ほ、ホシノ先輩?」
「大丈夫だよノノミちゃん。先生なら絶対大丈夫だから、もっかい寝よ?」
そう言ってノノミが寝ていた場所をポンポンと手で叩いて寝転がることを促す。
「……先生」
「俺が簡単にやられるタマに見えるか?」
「帰ってこなかったらジャック先生に言いつけますからね」
「…………当然だ」
若干苦い顔をして保健室を出ていくフレデリックに、ノノミはなんでか安心した。
あんなにぶっきらぼうで強面なのに、大事な奥さんには弱いのだということがフレデリックもまた一人の人間なのだと分かったからだろうか。
普通の人で、でもすっごく強い。そんなちょっとおかしなフレデリック先生なら、きっと大丈夫。
なんとなく、そう思えた。
結果から言えば、事態が悪化するようなことはなかった。あったとすれば、何故かフレデリックと一緒にジャック・オーまで保健室に来ていたことくらいか。
書類の入った封筒を抱えて戻ってきたフレデリックは、どこか賭けに勝ったような笑みを浮かべている。
「あら、随分と嬉しそうね? そんなに情熱的なラブレターだったの?」
「ああ。書類にはこうある。”貴殿が把握している情報を誰にも開示しないこと。違反した場合はその時点で契約不履行とみなし、即座に小鳥遊ホシノの身柄を要求するものとする”とな」
「それじゃあ、誰にも助けを求められないってことじゃ……」
流石にキツイ状況だ、とホシノが顔を曇らせるが、フレデリックはニヒルな笑みを浮かべて首を横に振った。
「そうだな。だが、書類に明記されたのは”情報を開示しないこと”だけだ。つまり──」
「つまり彼がひとりで取引現場に押しかけて、情報を奪うとかの不利益を与える行動は制限されていない。……屁理屈だけど、書類に明記しなかった以上向こうの落ち度ね」
大きなため息を吐きながらジャック・オーが仕方がない人とフレデリックに事をジト目で睨む。
「そんな顔をするな。必ず帰る」
「業務3日分の肩代わり、忘れないでよ」
「……ディナーの予約はしておく」
頬を膨らませて下から覗きこむように睨むジャック・オーの圧に、フレデリックは思わず体を仰け反らせる。
「私が昨日言ったこと、覚えてるわよね?」
「当たり前だ。自分で決めたことを自分で破るつもりはねぇ」
「なら良し。……いってらっしゃい!」
ジャック・オーがフレデリックを送り出すように彼の背中を叩く。
「ああ。……そういうわけだ。俺はしばらくここを空ける。お前等、ちゃんとジャック・オーの言う事を聞けよ」
それだけ言って保健室を出ていこうとするフレデリックを、ホシノは思わず呼び止めた。
「フレデリック先生!」
「ああ?」
「信じてるから。熊からパンダが生まれることもあるって」
ホシノの言葉にフレデリックは笑みを浮かべた。
「まあ、野郎共に目にもの見せてやるさ」
フレデリックの言葉に、ホシノは初めて心からの笑顔を彼に向ける。
そんな笑顔に、フレデリックは小さく手を上げて保健室を後にした。
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最近結構評価を入れてもらえることが多くて喜びのSヴォルカ連打をしてます
アビドス編も佳境に入るので、是非お付き合いください。