最初に異変に気が付いたのは誰よりも早く工場へ駆け込んだモモイだった。
「あれ……? あのロボット達、急に追ってこなくなった……? この工場に入るまでは、恐ろしい勢いで向かってきたのに」
モモイの言う通り、一体どこに隠れていたのかと言いたくなるほどの数で彼女達を追いかけて来ていたロボット達は、まるで最初からそんなことをしていなかったかのようにくるりと踵を返して工場から離れていっていた。
それはつまり、モモイ達の危機が一時的にとは言え去ったということだった。
そのことを認識したモモイがアイスの当たり棒を引いた時のような思わぬ幸運を喜ぶ笑みを浮かべる。
「なんでか分かんないけど、とにかくラッキ~、で良いのかな?」
しかし、そんなモモイに異を唱えるものが一人。ミドリだった。
「良くないよ! うわああああん! もういや! 一体何でこんなところで、ロボット達に追われなきゃいけないの!」
その場にぺたりとへたり込んで、癇癪を起したように声をあげながらミドリはモモイの方を睨みつける。
けれど、そんな抗議の視線もモモイには全く効かなかった。それどころか、抗議の意を向けられていることにすら気づいていないのか、あるいは気づいていないフリをしているのかモモイはミドリに言い聞かせるようにしゃがみ込んで彼女の肩に手を置く。
「落ち着いて、ミドリ。生きてればいつか良い日も来るよ」
うんうん、と訳知り顔で首を縦に振るモモイの手を振り払ってミドリが喚く。
「今日の話をしてるの! そもそもお姉ちゃんのせいでしょ!!」
ミドリの剣幕にちょっとだけ慌てたような表情を浮かべるモモイだったが、すぐに取り繕うように咳ばらいを一つしてから周囲を見回した。
薄暗く、薄い雲に遮られて弱弱しい光を地上にそそぐことしか出来ない太陽の明るさでは通路の奥まで確認することは叶わない。
そんな闇に呑まれてしまいそうなほどの暗闇の奥からは、工場だというのに何の物音もしないのもまた不気味だった。
「とにかく……本当にここ、何をするところなんだろ」
それでも、今いる場所がいわゆるエントランスであることは何となく分かった。
そこそこ広い空間に、しばらく開いた形跡のない大きな扉がモモイ達の正面で静かに眠っている。
そして訪問者が施設内部に入れるかどうかを判別するのに使うのか、プロジェクターかと見紛うほどのサイズのカメラレンズを携えた機械が2台、扉の両端の上に備え付けられていた。
カメラは通電しているのかいないのか、モモイが今いる位置からは分からなかった。少なくとも、今はピクリとも動いていない。
もしかしたら近づいた瞬間に動き出して『お待ちしていました、勇者様』なんて言葉をかけてもらえたり──そんな妄想に少しだけ頬を緩めながらモモイが一歩踏み出そうとした時だった。
余りにもか細い、情けないくらいに死にそうな声がモモイを引き留める。
「も、モモイさん……あまり一人で歩き回らないで……あともう少しき、休憩を……」
「あ、そう言えば先生のこと忘れてた。大丈夫?」
「せ、先生! ほら、お水お水!」
今にも息絶えそうな様子で地面に倒れ伏した飛鳥に、ミドリが背負ったリュックから未開封のペットボトルを取り出して駆け寄る。
ミドリに手渡された水をぎこちない動きで何とか開封し、喉を鳴らして水分補給を終えると飛鳥はほう、と一息ついた。
「ありがとうミドリさん。助かったよ」
「い、いえ……でもその……先生、本当に体力ないんですね……」
飛鳥のあんまりな有様に困惑した表情を隠せずにいるミドリに対し、飛鳥は至って真面目な顔で返した。
「僕は昔から研究室にこもりきりになるタイプだったから、こういうフィールドワークは余り得意じゃないんだ。君達二人だけで危険な場所に向かわせるのは大人として良くないからと付いてきたけれど、僕としたことが自分の体力の無さを失念していたよ。正直、もう一歩も動きたくない気分だ」
「せ、先生……私達が帰るまでちゃんとついてきてよ!? こんな所で置いてけぼりなんて嫌だからね!?」
慌てたように飛鳥に駆け寄るモモイに、飛鳥はうっすらと笑みを浮かべた。
「冗談だよ。こんな廃墟の奥地まで君達を連れてきておいて放置するなんて無責任なことはしないから」
「あんまり冗談に聞こえなかったです……」
じっとりとした視線をミドリから突き刺されて、困ったように頭の後ろに手をやった飛鳥はそれを誤魔化すように咳払いをしてゆっくりと立ち上がった。
「とにかく、G.Bibleの捜索を再開しよう。幸い、あのロボット達もここに入ってこられないし一旦この辺りの地形を把握し……うわっ!?」
立ち上がり、出口に向かって足を前に出そうとした飛鳥が突然バランスを崩してモモイの方に倒れ込みそうになるのを防ぐように勢い良く後ろ歩きをし始めた。
「えっ!? わ、わわっ!?」
流石のモモイもこれには驚いて、飛鳥の背中に押し倒されまいと一緒になって後ろ歩きをし始める。
しかし、そこは大人と子供の歩幅の差がもろに出た。
あっという間に飛鳥に追いつかれたモモイは、もう駄目だととっさに手を前に突き出す。
果たしてモモイの手は飛鳥の体を受け止めることに成功したが、それでも成人男性の全体重を支え切るには体勢が悪すぎた。
「お姉ちゃん!」
そんなモモイを助けるように飛び込んできたミドリがモモイと一緒に飛鳥の体を支える。
そこでようやく飛鳥の体が止まり、姉妹に押し返されるようにして直立の体勢へと戻った。
「す、すまない……思った以上に膝に力が入らなくて……」
謝る飛鳥の膝はモモイから見て明らかなくらいにはガクガクと震えていた。まるで生まれたての小鹿だ。
あんまりにも貧弱な飛鳥の姿にちょっとからかってやろうか、なんてモモイがニヤリと笑ったその時。
「接近を確認」
部屋全体に機械音声が響き渡った。
一体誰が、どこから。そんな疑問と混乱に辺りを見回すモモイとミドリを余所に音声は続ける。
「対象の身元を確認します。才羽モモイ、資格がありません」
「え、え!? なんで私のこと知ってるの!?」
「対象の身元を確認します。才羽ミドリ、資格がありません」
「私のことも……一体どういう……?」
困惑する姉妹に対し、飛鳥は何かを考えこむようにあごに手を当てて俯いていた。
謎の機械音声による身元確認は続く。
「対象の身元を確認します……飛鳥=R=クロイツ先生」
これまでと違い、即座に資格がないことを告げる言葉が放たれないことにモモイが首をかしげる。
その直後だった。
「資格を確認しました。入室権限を付与します」
「ええっ!?」
「どういうこと!? 先生はいつこの建物と仲良しになったの!?」
モモイに服の袖を掴まれて体を揺すられながら、飛鳥は首を小さく横に振った。
「僕にも分からない。少なくとも僕はこの施設には初めて来たし、この廃墟に関連する物を持ってきてなんか……いや、待ってくれ」
「先生?」
再び考え込みだした飛鳥をモモイが不思議そうに見つめるが、その間にも機械音声は処理を続けていた。
「才羽モモイ、才羽ミドリの両名を、先生の『生徒』として認定、同行者である『生徒』にも資格を与えます。承認しました。下部の扉を解放します」
「……下部の扉? この目の前の扉じゃなくて?」
「それより、下部ってもしかして……」
ミドリの疑問に、モモイがやや引きつった表情で問い返すがミドリが小さく肩をすくめる。
「さすがに違うでしょ。どこからどう見てもただの床──」
ミドリが言い終わる前に、大きな物音と共に三人の足元が無くなった。
気が付いた時には遅かった。飛びのくことも、穴の
いくらキヴォトスの生徒が頑丈とは言え、怪我をすることをモモイが覚悟してギュッと目を閉じた時だった。
下腹部をくすぐるような浮遊感が急に消え、足の裏に確かな地面の感触が伝わってくる。
「……え?」
そっと目を開くと、モモイは間違いなく地面に二本の足で立っていた。
ふと横を見れば、ミドリもまた自分と同じように驚きをあらわにして立っている。
「ここの施設を作った人は、安全基準という言葉を知らなかったらしいね。それとも、この入室方法自体がセキュリティを兼ねているのか……。何にしても、二人共怪我はないかい?」
振り返れば何事もなかったかのように飛鳥がそこに立っていた。ただ、その手が二人に向けられていたことからモモイ達が無事に着地できたのは飛鳥が何かをしたからのようだった。
「せ、先生がやったの?」
恐る恐るモモイが問いかけてみれば、飛鳥は一瞬キョトンとしたような顔をして、それからすぐに微笑む。
「ああ、言い忘れていたっけ。僕は魔法使いなんだ。魔法使いを名乗る以上、このくらいのサポートが出来なかったら勇者を支えるには力不足だと思わないかい?」
魔法使い、という言葉にモモイとミドリの目が輝きに満ち溢れる。
何せ、科学という名の魔術にあふれたミレニアムに籍を置いている彼女達でさえ、魔法というものは見たことがなかったからだ。
それは空想の世界の産物でしかないと思っていた魔法が、それを使えるとてもすごい人が今目の前にいる!
「ね、ね! 先生! 魔法ってどんなことが出来るの!? やっぱりゲームみたいに雷を落としたり、何もない所に氷を生やしたりっていうの出来ちゃうの!?」
「私も気になります! テレポートとか、防御力あげたりとか、そういうのもやっぱりできるんですか!? ていうか、私達も使えるようになったりするんですか!?」
次から次へと浮かぶ疑問をマシンガンのように飛鳥にぶつける二人に、飛鳥はやや仰け反りながら手で制止してきた。
「落ち着いて。無事だったとはいえ、危険な方法で移動させられたんだ。これが何らかの罠ということもあり得る。まずは周囲の状況を確認しよう」
飛鳥の言葉に思わず我を忘れたことに対して恥ずかしさを覚えながら、それを誤魔化すようにモモイは銃のグリップを握りしめて引き金に指をかけながら周囲を見渡す。
そうして、少し先から他に比べて明るい場所があることに気が付いた。
明るい、ということは何かがあるかあるいは外に繋がっているということだろう。
もしかしたら出口か、あるいは何かめぼしいものがあるかもしれない。
そう思ってそちらの方へ歩いて行ったモモイは、そこで信じられないものを目にした。
「……えっ!?」
「どうしたのお姉ちゃん? ……えっ!?」
驚きの余り大声をあげたモモイの異変に気付いたミドリが彼女の傍に駆け寄ってきて、視線の先にあるものに気づき同じように声を上げる。
そこにあったのは……いや、居たのは自分達とさほど年が変わらないだろう少女だった。