あなたはもしも、を体験したことがあるだろうか?
いきなりで悪いが聞いて欲しい。
もしもというのはよくご存知のはずのあれである。
もしも魔法が使えたら、自分はどうなるのだろう?
もしも自分がジャンボ機のパイロットだったら?
もしも自分が大財閥のトップに立っていて、この世のなんでもを買い占められたら?
いわゆる所の妄想である。
ちなみに今のはもしも人類が俺と同じ考えなら、という妄想が前提であるが。
それくらいの小さな妄想なら誰しもしたことがあるだろう。
もしも自分の部屋のタンスがあと3センチ右にあれば、ティッシュはどこに置くべきだろう?
みたいな。
世間一般にはそれを思考実験と呼ぶ。
今の問題は多少無理矢理だが。
あれほど妄想によって成り立っている学問はないだろう。
とても難解だが、日常生活でよく直面する問題を題材にしているものもあり非常にやりがいと実用性に富む面白いものだ。
一見の価値ありだ。
しかしこの思考実験、俺は不満を感じることもある。
なぜならば、妄想だからだ。
妄想は結局、妄想に過ぎない。
自分の力でどうにもできないものはどうにもできない。
もしも世界が滅んで、しかし自分は止める力を持っていたとすれば?
答えは簡単、止めるしかないだろう。
こうやって文章の上で世界を救ったとしても、鏡を見るとすぐ我に帰る。
自分はそんな力など持っていないのだし、今すぐ世界が滅んでも問題に参加すらできない。
もっと言うなら、多分今すぐ世界は滅ばない。
これについては自分のことではないのでなんとも言えないが。
だから思考実験は現実に則したものであるべきなのだ。
なので今の世界が云々は問題としては成り立っていない。
あれこそが妄想と呼べるものである。
現実味があるかないか。
それが思考実験と妄想の違いだ。
なら。
妄想を思考実験にするにはどうすればいいのか?
つまり、もしも自分がドラゴンを倒しに行く勇者だったら──に現実味を持たせるにはどうすればいいかということだ。
見るからに無理である。
それでもできるようにとするならばそれこそ、世界レベルの話である。
世界を壊してもう一度やり直す。
またはそれが可能な別世界、いわゆるパラレルワールドに移動するかの二つだ。
が。
当然不可能である。
世界は壊すこともできないし、
作ることもままならない。
妄想は現実にはできないのだ。
だからこそ、どんな禁忌も考えることができる。
どんなタブーでも。
もしもこの事務所にいたら?
もしも自分がいなかったら?
もしも自分が、違う事務所のアイドルだったら?