キミの歌が聴きたい 作:オオサンショウウオさん
「お疲れ様」
日課となりつつある体術の指南をしていた傑はタオルで汗を拭いている蘭華に自販機で買ったスポーツドリンクを差し出す。
「ありがとう、夏油くん! あ、お金は後で渡すからね」
「いいさ、これくらい」
冷んやりしたスポーツドリンクを受け取った蘭華は蓋を開け、ゴクゴクと飲み出した。
「ぷは……はぁ、やっぱり夏油くんはすごいね。全然攻撃が当たる気がしないや」
「フッ……教えてる側がそう簡単にやられてちゃ、信用できないだろう?」
「アハハ、確かにそうかも!」
汗をかく蘭華とは対照的に、傑は汗一つかいていない。傑にとって、初心者の蘭華に教える範囲の部分は、準備運動のようなものだ。積んできた修練の差というのはとても大きい。
「このまま基礎を積んで行けば、3級程度なら楽に祓えるようになるだろうね」
「おぉ……なんだかやる気出てきたかも」
傑はそれがいつになるか、までは言わなかった。確かに、このまま順当に基礎を鍛え、技術を学べば成長するだろう。だが、それにはかなりの時間を要するし持ち前のセンスの問題もある。
はっきり言ってしまえば蘭華にセンスはない。体術の話ではなく、戦闘そのものの話だ。蘭華は言うならば硝子と同じ後衛タイプ。前衛の悟や傑とは性質そのものが違い、前衛の戦術を学んだところで損は無いが活かすことはできないだろう。
「少しずつ学んで行けばいい。キミは高専に来て、呪術を学び始めてからまだ半年なんだからね」
蘭華が高専に来て半年が経過した。上層部は蘭華の扱いに困っているのか、定期的に力の調査を行えと夜蛾に指示を下しているが、夜蛾はこれに成果は芳しくないと返答をしていた。
「そういえば、硝子に反転術式について聞いていたよね? 成果はあったのかい?」
「あー、えーっと……」
蘭華は硝子との会話を思い出す。硝子の仕事の負担を少しでも減らしたいし、自分もみんなの傷を癒したい。そう思って聞いて見た。
「蘭華の呪力量じゃ学んでも意味ないんじゃない? というか、向いてないと思う」
仮に反転術式を使えるようになったとしても、元々の呪力量が少ない蘭華ではかすり傷を治せたらいい程度だし、辞めといた方がいいよ。硝子はタバコを咥えながらそう言っていた。
「……成程ね。なら、仕方ないか」
傑も理由を聞いて納得する。
「私も呪力をドーン! って飛ばせたら良かったのに……」
唇を尖らせ掌を前に向ける。その手には薄くだが呪力が纏われており、蘭華の脳裏には悟が見本で見せた姿が浮かんでいた。その時の威力は壁を容易く木っ端微塵にしてしまう程だった。その後二人揃って夜蛾に怒られたが……。
「呪力を飛ばすこと自体は誰でもできる。けど、威力は本人の呪力量と呪力操作によって変わる。悟の場合は六眼もあるからね」
「いいなぁ六眼……」
「ハハ、無いものねだりをしても仕方がないさ。さて、もう少しやるかい?」
傑が砂埃を手で落としながら立ち上がると、蘭華は自分の顔を気合いを入れる為に手でぱんぱんと叩く。
「よーし! お願いします夏油師範!」
「うむ、来なさい」
蘭華の格闘漫画のようなノリに傑は笑みを浮かべながら付き合う。その後、傑が任務に向かう30分前まで体術の指南が行われた。
それから約数時間後。傑が任務から帰ってきたのは深夜の2時を過ぎた頃だった。相手をしたのは二級呪霊で傑からしたら楽な相手と言える。
「……ん?」
誰もいない静寂に包まれた高専内を歩いていた傑は、食堂に明かりが付いていることに気がついた。消し忘れか? そう思ったが深夜まで点いていたら誰かしらが気づくだろう。
「悟か?」
同じく任務に駆り出され気味の親友の姿を思い描いた傑はそのまま食堂へ向かう。食堂に近づくにつれて、傑の鼻は微かだが料理の匂いを感じた。夜食なら一緒に食べるか。傑は己の腹と相談しつつ足早に行く。
「これは……」
角のテーブルには何故かパンダの柄の毛布が掛けられた蘭華が机に突っ伏したまま寝ており、その隣には大皿いっぱいに注がれ、ラップのされた色とりどりの具材が入ったシチューがあった。
そして、その隣に置かれた紙を傑は手に取る。
『夏油くんへ 日頃お世話になっているから、晩御飯を作ってみました。冷めてたらレンジを使ってください! 味の保証は硝子ちゃんと、偶々居た五条くんもしてくれたので安心してね! 蘭華より』
彼女が好きだというゆるキャラことオオサンショウウオさんが描かれた紙にはそう書かれており、傑は自分が帰るまでここで待っていたのか、と少し呆れると同時に嬉しくなった。
「ありがたく戴くとするよ」
傑は手紙を懐に仕舞うと、蘭華を起こさないようにゆっくりとシチューを手に取り、レンジを使う。温めが終了した音が意外にも大きく、蘭華を起こしてしまったかもしれないと振り向いてしまうが、蘭華はあいも変わらず寝息を立てていた。傑は安堵すると、離れた席に座る。
「……ハハ、なんだか懐かしい味だ」
スプーンで一口。とても美味しい、という訳ではない。良くも悪くも普通のシチューだ。だがその味は傑の舌が覚えていた。……そうだ、幼い頃に母親が作ってくれた物と似ている、家庭的な味。
傑の術式、呪霊躁術は降伏した呪霊を取り込み自在に操ることができる。階級換算で2級以上の差があれば、降伏を省きほぼ無条件で取り込むことができるが呪霊を取り込むには球状にした呪霊を飲み込む必要があり、その味は吐瀉物を処理した雑巾を丸飲みしているようらしい。
傑は毎回そんなモノを味わっているなどと誰にも言っていない。辛いと言えば辛いが、作業のように飲み込んでしまえば意識をしなくても済む。仕方がないと受け入れていた。
任務が終わり、呪霊を取り込んだ傑の舌にはその味が残っていた。だが、このシチューを食べる内にそれは流れ落ちる。
(久しぶりだな、任務が終わった後に口の中がまともなのは……)
シチューのおかげだろうか。傑は胸の内も暖まるようだった。
(……流石にこのまま寝かせておくのはまずいかな)
誰が掛けたかは分からないが、季節の変わり目に毛布一枚で寝かせたままなのは風邪をひいてしまう可能性がある。シチューの皿を洗い終えた傑は気持ちよさそうに寝ている少女を起こすかどうか悩んだ。
(いや、ここで運んで他の人に見つかったりでもしたら妙な勘違いを産みそうだ。うん、起こそう)
悟にでも見つかったら確実に、少なくとも半年は揶揄いのネタにしてくる。傑はその想像が容易に出来た為、蘭華の肩をポン、と優しく叩いた。
「──んぁぇ? 私、ねちゃってた?」
重い瞼をゆっくり開けた蘭華は小さく呟いた。
「や、おはよう。……おはようなんていう時間じゃないけどね」
「おはよ……って、夏油くん?」
意識がハッキリとしてきた蘭華の目に最初に入ってきたのは困ったような笑みを浮かべている傑だった。
「寝ているところを起こすのは悪いと思ったんだけど、流石にこのままじゃ風邪を引きそうだから」
蘭華はそこで漸く、自分が今いる場所が食堂である事に気付いた。
「あ……そうだ、私シチューを作って、硝子ちゃんたちと食べて、片付けをした後夏油くんが帰ってくるまで少しだけ待とうと思ってそのまま……アハハ」
寝落ちしてしまった事実に恥ずかしそうに蘭華は頭を掻いた。
「すまないね。もう少し早く帰れれば良かったんだけど……」
「ううん、夏油くんが気にする事ないよ! 私が勝手に待ってただけだし、この毛布も夏油くんが掛けてくれたんでしょ? ありがとう!」
蘭華はパンダ柄の毛布を畳むと、傑に差し出した。
「え? いや、その毛布は私のものではないよ。私が来た時には君に掛けられていた」
「えぇ? そうなの? じゃあ、誰のだろう……」
「悟……では無いだろうし、硝子じゃないかい?」
「う〜ん、硝子ちゃんこんな柄持ってたっけな? まぁいいか、明日聞いてみよっと」
持ち主不明の毛布を蘭華はとりあえず持ち帰る事にし、椅子から立ち上がる。その顔には、腕枕をしていたせいで跡が付いてしまっていた。
「フッ……そうだね、自分の部屋で寝た方がいい」
なるべく笑わないように気をつけたつもりだが、傑の口から漏れてしまった笑い声を聞いた蘭華は不思議そうに首を傾げていた。
「じゃあ、おやすみ夏油くん」
「あ、そうだ」
「どうしたの?」
自室に戻ろうとした蘭華は傑の声に振り返る。
「シチュー、ありがとう。美味しかったよ」
蘭華は一瞬ぽかんとし、また明日ね、と満足げに微笑み、去って行く。
「また明日」
その小さな背中に、傑は自然とそう言っていた。
ファンパレ早く夏油出して…