あなたが「いちにんまえ」になるまで   作:オーバードライヴ

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書けてしまったので投稿です。


はじめのいっぽ

「あのね! 私にもトレーナーさんが付いてくれるかもって!」

 

 部屋で携帯電話をつなぐと、スピーカーモードにした電話からは明るい叫び声が届いてきました。黄色い声という表現があると小学校で学びましたが、たぶんこういう声なのでしょう。

 

《ほんとっ!? よく頑張ったわね! あっ、お父さん! フラワーちゃんにトレーナーが付くかもって!》

 

 ちょうどお父さんも帰ってきたタイミングだったみたいで、電話の向こうがにぎやかになります。トレセン学園に行くと言ってから、ずっと応援してくれたお母さんとお父さん。こうやって報告できるのは、なんだかうれしくて。

 

《よかったなフラワー! デビューに向けた第一歩だな!》

「うん! あ、でもでも、今から基準タイムを超えられるまでの仮契約で、そのタイミングで本契約をするかとかはもう一度相談って言われてるし、決まりってわけじゃないんだけど……」

《それでもそうやって声をかけてもらえるなんてすごいことよ! まだ入学して1週間ちょっとでしょ?》

 

 どうやらお母さんもスピーカーモードで話しているみたいで、お母さんの声もお父さんの声も聞こえてきます。なんだかこうやって喜んでもらえるのがとても、とてもうれしくて。さっきからずっと『うれしい』という気持ちがもっとたくさんの『うれしい』を呼んでくるみたいで、胸の中が一杯になります。ほっぺたが赤くなってしまうのが自分でもわかりました。

 

《そのトレーナーってどういう人なんだい?》

「えっと……星越さんていう人で、すごく優しそうなの。保健室の先生もやってて……」

 

 昨日過呼吸になって倒れかけた話は、どうしてもできませんでした。話してしまったらきっと、お母さんは今からでも新幹線に飛び乗ってこっちまで来てしまうから。

 

《だったら安心だ。フラワーは時々無理しすぎるときがあるからなぁ、その先生の言うことをまもって頑張るんだぞ》

「ははは……」

 

 お父さんの心配に苦笑い。結構このあたりは親譲りだと思ってしまいます。

 

 だから、頑張ろうと思えたし、頑張りたいと思えるのだと思うし、だから今は笑うだけ。

 

「トレーナーさんも優しそうだし、きっと大丈夫。その場で決めずに時間をかけて考えなさいって言ってくれたし、ちゃんと考えて頑張ろうと思ってるの」

《うん。それがいい。……フラワーちゃんが寮生活を初めてまだ3週間も経ってないけど、どんどんしっかりしていくわね。お母さんじゃもう勝てる場所がないかも》

「そんなことないよぉ!」

《レースは最初から負けっぱなしだし、お料理も勝てなくなっちゃったけど、お掃除とかお洗濯ならまだ……》

《こらこら、娘相手にムキになっちゃだめだよ母さん》

 

 笑いながら会話を合わせていきます。あぁ、なんて私は恵まれているんだろうって胸があったかくなって、それでまたうれしくなって、それに笑ってしまいそうになります。

 

「でね、トレーナーさんとの契約に、保護者の印鑑が必要なものもあるみたいだからいろいろお願いするかも」

《契約……そうね。トゥインクルシリーズを走るには必要だものね》

《任せなさい。いつだってお父さんもお母さんもフラワーの味方だから》

「うん。ありがとう。またなにかあったら連絡するね」

 

 そんな会話をして、携帯電話を切ります。胸の中にはワクワクがいっぱいで、それを落ち着けるようになんとか深呼吸。

 

「……大丈夫。きっと大丈夫」

 

 そうつぶやいてから自分用のデスクに向かいます。飛び入学したから覚えなきゃいけないこととかもたくさんで、ノートをまとめ直すことで復習をしたりしないとあっという間に置いていかれてしまう。このあたりは身体が小さいからお姉さんたちについていけないのと、いっしょ。

 

 トレセン学園、それも中央校は本当に特別な場所です。勉強だってハイレベル。ついていけなければどんどん振り落とされていきます。気を抜くと私だって赤点を取るかもしれません。

 

 通常授業が始まって最初の数学なんて、多項式の移項だったり、加減乗除の符号の替え方だったり、50分の授業で15ページも一気に進んで真っ青になりました。もちろん真っ青になってたのは私だけではないけれど、予習復習が追い付かないぐらいの速度で授業が進みます。綺麗に板書を取る余裕なんてなくて、急いでぐちゃぐちゃでもノートを取って、その日のうちにノートをまとめ直さないと自分でもわからなくなりそうです。

 

 小学校までとは全然違うと、本当に思ってしまいます。

 

「これが、トレセン学園の生活……」

 

 飛び級だからとか、身体が小さいからとか、そういう手加減は一切無し。それを望んでいたし、それが心地いいけれど、それでもきっと私がしていた覚悟は甘かったんだと思い知りました。

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園府中中等教育学校――――――それが、私が飛び入学した学校の正式名称。通称、トレセン学園中央校。

 

 入学した日にあったオリエンテーションで緑色のスーツを着た事務員さんから「本校は内務省主管の日本ウマ娘トレーニングセンター学園設置法に基づいて設置された特殊法人日本ウマ娘トレーニングセンター学園が運営する私立学校です」なんて言われましたが、それがほかの学校と何が違うのか、私は上手く理解できていません。私が理解できるのは、ここにたくさんのトレーニング設備があって、私たちがトレーニングするための時間と空間を、たくさんの人がお金をかけて用意してくれているということです。

 

 体育館とは別に用意されたマシントレーニングルームにテレビでしか見たことのないような大きな機械がたくさん並んだり、VRシステムと連動したトレーニングシステムがあったり、低酸素トレーニングルームがあったり……グラウンドに降りると、芝からダート、ウッドチップなどさまざまなコースがあり、一部には屋根付きの全天候レーンも少しだけあったりして、めまいがしそうなくらいの設備が整っています。

 

 それはつまるところ、トレセン学園の生徒は、いろいろな人から期待されているということです。それに応えるためにも、できることはしっかりやらないといけません。

 

「がんばるぞー! おー!」

 

 一人で気合を入れて学習机に向き合います。食堂の夜ご飯提供開始まであと45分くらい、それまでに数学と社会のノートのまとめ直しを終えておかないと。そうしてお気に入りのボールペンを手にしました。

 

 

 


 

 

 

「おかえりなさいませ」

「うん。ただいま、ルビー」

 

 寮に戻ると、おれの同居人であるダイイチルビーが備え付けの机に向かっているところだった。ルビーはおれよりも前にデビューしていたウマ娘で、今年の桜花賞覇者で、今はオークスに向けた調整中のはずだ。

 

「……なにか、良いことでもありましたか」

「あはは……ルビーにはバレちゃったか」

「珍しく頬が緩んでいたので」

「そんなに珍しいかな? 笑うようにはしているつもりなんだけど」

「笑うようにしているという時点で、あまり笑えていないかと」

 

 ルビーのどこかひやりとした声は、なんだか窓ガラスにそっと触れたときの触覚に似ていると思う。クリアで、まっすぐで、それでいて、別の世界があることを覗かせてくれるような声。

 

 すまし顔の多いルビーに言われるとなると、おれは自分で思っているよりも焦っていたのかもしれない。

 

「トレーナーが仮契約を結んでくれることになったんだ。……うん、やっぱりおれ、思ったより浮かれてるかもしれない」

「なるほど。おめでとうございます」

「ありがとう、ルビー。だけどまだ仮契約って段階だから気も抜けないんだけどね」

 

 僕がベッドに腰かけると、臙脂色の万年筆がことりとペントレーに乗る音がする。ルビーは書き物をやめて椅子を回して向き合ってくれた。

 

「ミラクルさんは短距離志望でしたね」

「うん。ルビーのティアラ路線、マイル・中距離路線とは違う方向になっちゃうけど」

「いいえ、それは僥倖というものでしょう」

 

 ルビーのゆるりと首を振るしぐさも気品があふれている。ルビーもどこかいろいろ背負っているところがあるのはなんとなくわかる。

 

「僥倖? ラッキーという意味だよね?」

「はい。わたくしは華麗なる一族の血を引く身。それは、わたくしの前にいかなるウマ娘が立ちふさがろうとも必ず差し返すということです。故に有力候補が直接対決を避けてくれるということはわたくしにとっても僥倖です」

 

 そう答えると、さっと目を伏せるルビー。

 

「それにミラクルさんは、間違いなく強敵になりますから」

「ありがとう。そうなれるようにおれも頑張るよ」

「……お言葉ですが」

 

 ルビーの声が少し硬くなる。なにか変なことを言っただろうか。

 

「わたくしはお世辞が言えるほど器用ではありません。そのようにとらえられているのであれば不本意です」

 

 ルビーは一歩俺のほうに踏み出してくる。ぐいと顔を覗き込んでくるのはルビーにしては珍しい。

 

「ミラクルさんの速度は既に脅威として認めざるを得ないもの。ですから胸を張りなさい。それだけの素質を持つ以上、ミラクルさんも無関係ではいられないのです。そして、その力を振るうことをミラクルさんは自ら選んだのですから、その力と決断は、ミラクルさん自身が貶めていいものではありません」

 

 ルビーの瞳は澄んでいて、同時に宝石のような冷たさもある。おれには一族の期待とかそういうものはわからないけれど、それでもルビーがそれらを受け入れて、背負って、戦ってきたことはわかる。

 

「謙虚さは美徳です。しかしそれは卑屈さにつながり、そこには必ず隙が生じます。その隙を見逃してもらえるほど、トゥインクルシリーズというのは甘くない」

 

 一呼吸置いたルビーはおれから目を逸らすことなく、そしてすっと指を伸ばしてくる。ほっそりとした指がおれの頬にふれて、その熱を感じる。

 

「わたくしとて未熟な身。それでもこの身で言えることがあるとすれば、自らの実力を正確に測れなくなったウマ娘から振り落とされていくということです。自らを過大評価すれば真正面から食いつぶされ、過小評価すれば対策の隙を与える……自らの現状を見つめるというのは常に茨の道です。しかしその道を辿らない限り、栄光には手が届きません」

 

 ルビーは既に重賞GⅠを経験している。ルビーは優しいから、その経験をおれに伝えようとしてくれているんだ。

 

「ですからミラクルさんはまっすぐ前を見てお進みください。そしていつか、ターフの上でお会いできる日を楽しみにしております」

「うん。ありがとう。ルビー」

 

 頬に触れている暖かい手にそっとおれの手を重ねる。やはりルビーの手は暖かい。そしてそれはルビーにおれの手の冷たさがルビーにも移っている、ということでもある。

 

「いえ、こちらこそ差し出がましいことを」

 

 そうするとそっと指が引かれた。ルビーの指の熱が少し名残惜しい。おれの頬に残った熱も、すぐに部屋の空気に溶けて消える。

 

「ちなみにそのトレーナーはどのような方なのですか?」

「えっと……」

 

 おれは手帳を取り出して、挟んでいた名刺を見る。ルビーはそっと隣に回り込んで、その名刺を覗き込んでいた。近づくと本当にかすかにお香のような香水の香りがする。

 

「……なるほど」

「ルビー?」

 

 なにか思うところがあったのか、一言そう言って離れていく。

 

「この三月までチームスピカのサブトレーナーをしていた方ですね。その前にはリギルにもいたことがあったかと。年齢のわりに経験はあるかと存じます。ですが、ミラクルさんに合うかどうかはわかりかねます」

「スピカにリギル……すごい人なのかな」

「サブトレーナーやアシスタントとして新人を抱える事ができるチームは限られます。ですので、中央での活動を志望するトレーナーは名門チームのチーフトレーナーの元で研鑽を積むことが少なからずあります。彼もそのパターンかと」

 

 トゥインクルシリーズはウマ娘に注目が集まりがちなのもあって、このあたりはおれもまだよくわからない世界だ。新人で自信がなさそうにしていたあのトレーナーは、どうなんだろう。

 

「でも、おれに声をかけてくれたんだから、それに足りる位の恩は返していかないとね」

 

 ルビーは心配そうにおれを見てくる。なぜか、それが少し気になった。




トレセン学園だったり、トレーナーのあり方だったりはかなりオリジナルが入っていますのでご承知おきください。

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