◇トーチカ
「前と同じなら、ここにいるはずです」
居住区の廊下の一角。一見して何の変哲もない扉だが、知っている。以前飛び込んだことのある場所だ。あの時は何日もかけて探索しなければならなかったが、今回はある程度の道のりなら覚えている。まずはデータの掃き溜め、謎の立方体が浮遊移動する不思議空間だ。前回は思いっきり滑り落ちてクランテイルに助けてもらった。2度もうまくいくような話じゃないだろう。
「あっちのずっと奥の方にあって……飛び移っていくしか……」
「どういう理屈やら、天井もなくなってますわね。ということは、一歩が相応に大きければ楽になるのではなくて?」
「え?」
リオネッタの目がチェルナーに向いた。チェルナーは首を傾げたが、リオネッタが難航しつつも説明してやるとなんとか理解したらしく、魔法少女を両肩に乗せられるだけのサイズに巨大化。トーチカがふわふわのコスチュームに掴まってなんとか振り落とされないようにする中、彼女は軽快に飛び跳ねていく。
「うわぁあああ!? ちょっ、やば、落ち、落ち……っ!」
「思っていたより……揺れますわね……」
「あっ! あっちに地面があるよ」
この摩擦のない不思議な立方体ゾーンをお散歩気分であっさりと突破してしまい、到着したのは前回も通った草原のエリアだ。広い、が大きくなったチェルナーなら移動は容易い。飛び跳ねることによる魔法少女でなければ絶対耐えられない揺れとGに晒されながら、目を閉じて深呼吸する。
「本当に、あのゲームの中ですのね」
「……リオネッタさんはこの景色、知ってるんですね」
「えぇ。那子と、クランテイルと……ペチカさんと。歩きましたとも」
「……」
ここからは顔は見えないが、思い出させてしまっただろうか。そもそもリオネッタがペチカを許せない理由を、トーチカは知らない。姉のことは知りたいが、本当は触れない方がいいのかとも思ったが、リオネッタは懐かしむ声色で続けた。
「あの時のペチカさんはあまりにも逃げ出そうとするもので、縛り付けて無理やり連れていました」
「ちょっと待って、姉ちゃんにそんなことしてたんですか」
まあ逃げ出そうとするのはあの弱々しい姉らしいというか。トーチカの場合は多少魔法少女慣れしていたからよかったものの、リオネッタやクランテイルの姿は実際目にすると結構異様なわけで。とはいえ縛り上げるというのは流石に手荒すぎである。
「見て、お城!」
「あれは……魔王城」
チェルナーが声を出した。指の先には確かに城がある。リオネッタはこちらにも見覚えがあるらしい。忌々しいものを見るように吐き捨てた言葉を聞いた。
城の目の前までは大きいままで移動し、入口で元の大きさに戻って、チェルナーは胸を張った。
「チェルナーさんがいてくれて助かりました。前は奥まで進むのに何日もかかりましたから」
「当たり前だよ。ふふん」
「えぇ、本当に……煩雑なミッションもなくて良かったですわ。先を急ぎましょう」
大理石の床をコツコツと──チェルナーだけはもちもち、だが──足音を立てながら駆けていく。ピカピカの通路を抜け、果てにあったのは仰々しいまでに飾り立てられた扉。まさにここが終着点だとひと目でわかる。罠の類があることを警戒するトーチカだが、リオネッタは先に前へ出て躊躇なく扉を開く。問題は扉の部分ではない。その向こうにある、最後の部屋。一度訪れたことのある、真っ白な空間だった。踏み入れるとともに、中央に豪華なソファごと浮遊する少女がこちらに気付き、眼鏡をぐっとかけ直し、意地の悪い顔を見せた。
「懲りずにもう1回来るなんてね。しかも今度は別の女を連れて」
「……キーク」
「貴女がゲームマスターですのね。あれだけお世話になっていながら、顔を合わせるのは初めてなんて。忌々しい」
リオネッタに睨まれてもキークは動じない。ソファの上にごろんと転がり寛ぎながら見下ろしてくる。
「あたしとしたことがさ。チャンスを与えるのを忘れてたんだ。そう、あたしはゲームマスター。攻略不可能なゲームは作らない」
「……御託はいいですわ。那子とクランテイルを──」
「やっぱりそこがお望みだよね。いいよ、ほら」
キークの合図で空間が動く。目の前が渦状に2つ、ぐにゃりと歪み、それぞれの中央から会いたかった相手が現れる。彼女らは静かに息を吐き、目を開いた。まさかこうもあっさりと再会できるとは思っていなかったのか、言葉を失っていたリオネッタは歯を食いしばり、1歩、2歩と歩み寄る。トーチカはそれを引き止めた。
「……まだ本物と決まったわけじゃないですよ」
「っ、そうですわね。私としたことが」
「本物だよ。ね、2人とも」
「それ、自分から本物って言った方が嘘くさくなりマース」
那子は相変わらずの調子で茶化し、クランテイルは静かに佇んでいる。振る舞いは確かに2人に違いない。ただ同時に、キークが簡単に2人を返そうとするはずがないとも考えていた。
「全く……こうも待たせて、貴女は本当に」
「おっと。それ以上近寄るなデスよリオネッタ」
「そこから先は容赦しない」
心配は当たる。近寄ろうとしたリオネッタに対し、那子はその手に握っていた黒い馬上鞭でピシッと地面を打ち払いこちらに敵意を向けてくる。傍らでは同じく黒い鞍を着けられたクランテイルが蹄を鳴らし、トーチカの隣でチェルナーが身震いした。
「来るよ!」
「っ……!?」
突如現れた影。数メートルはあろうかという体躯の大蟷螂だ。鎌を振りかざし、そして振り下ろした。刃が空を切る。あのままであれば両断されていた。それだけじゃない。那子が鞭を鳴らすたび、どこからか魔物が現れる。那子の魔法はあんなものじゃない、キークが付与したアイテムか何かか。
「トモキ!」
チェルナーが突っ込んできたクランテイル、その下半身の熊が振るった腕を受け止めてくれた。しかしクランテイルに巻きついた鞍と手綱がオーラを放ち、チェルナーを力で押し切ろうとしてくる。チェルナーはこれに大きくなって対応、気合を込めた掛け声とともに彼女を投げ飛ばす。
「っ、待ちなさいな、那子! なぜ私たちが……!」
「残念デスがこうするしかないのデース」
「はぁ!? 何を言って!」
「わかりまセンカ? ワタシとクランテイルさんが魔王なのデス」
リオネッタは目を見開き、信じられないという顔をした。
「あははっ! 今回の魔王は2人。お互いのクリア条件は相手の全滅! さあ、正しい魔法少女なら……どうするかな!」
「キークッ! 貴女はっ、どこまで私達を玩具にすれば気が済むんですの!?」
激昂を見せながらモンスターの猛攻を潜り抜け、人形に仕込まれた暗器で反撃を続けるリオネッタ。襲い来る巨鹿の首筋を撫で、毒蝶の羽を裂いて、伸ばされる大蛙の舌を突く。
向こうではチェルナーと組み合いになったクランテイルが半身を蛸に変化させ、触腕で彼女を拘束しようとしている。強引により大きくなって打破するも、ちぎれた触手は治りが早く、トーチカはリオネッタの戦う中に飛び込み、彼女の落とした刃を拾って駆け出す。
が、突き立てても蛸のぬめりでうまく通らない。むしろこちらに蛸の腕が伸びてきて、チェルナーにまた庇われた。
「チェルナーは強いもん。平気だよ」
「っ……!」
圧倒的なサイズで戦うことは相手を殺すことになる。それがキークの思う壷だと、チェルナーもわかってくれている。だからこそこうして取っ組み合いを挑んでいるのだ。
リオネッタはモンスターに囲まれつつあるが、彼女の立ち回りは上手く、人型に近いモンスターの死体を操り手駒として状況を巻き返し、那子の操るモンスターたちとは一進一退である。
「さあ、決めなよ。2人のためにここで死ぬか。2人を殺してまで生き延びるか。あんたの姉と、ペチカと同じ選択を」
リオネッタ、チェルナー、双方がこちらを一瞥したのに気がついた。
ペチカの名を聞いて、お陰で何のためにここまで来たのか思い出した。あぁ、そうだ──何を選ぶかは、もう決めているんだった。呼吸を整え、手元の刃を握り直し、空いている手で前髪を掻きあげ、瞳を輝かせる。光を放つ眼が映すのはキーク、悠々と煽り続ける彼女の姿。
「ごめん──2人とも。もう少し、時間稼いでくれますか」
「もちろんですわ」
「うん!」
トーチカの目は、手段を選ばぬためにある。この瞬間、『レシピを視る』魔法をキークの魔法に使っていく。この世界そのものを作り出すほどの魔法、その内容は複雑怪奇で、一瞬で脳がパンクしそうになるほどの情報量だ。データとコードの濁流が押し寄せてくる。隅までの理解はできていない、それでもそこから、見えてくるものもある。
「……何? その目。あんまりじろじろ見ないでよ、気持ち悪いな」
「──こう、か」
空中に向かって刃を突き立て、所定の動作で空に走らせる。キークは何をしているんだという目で見ているが、『こうすれば、こうなる』。それがトーチカの編み出すレシピなのだ。刃が描いた軌跡が隠しコマンドとなり、突如として空中にキーボードを浮かび上がらせる。半透明で虹色に輝くそれは、キークにとっても予想外の存在。目を丸くして、ソファから身を乗り出した。
「……は?」
キークが状況を飲み込むより前に、トーチカの魔法は次の段階へと進む。ゲームの世界に対して直接命令を打ち込めるキーボードを引っ張り出したのなら、あとはそれを操作すればいい。脳内に次々と現れるレシピを頼りに、理解するより先に手を動かす。魔法少女にできる限界のスピードで、タイピングを遂行する。
「っ、有り得ない! そんなの、チートだ、チーターだ! この、強制ログアウトを」
『ERROR』
「はぁ!? なんで!」
まずはゲーム機能そのものの一部を制限して止めた。いくら魔法の持ち主でも、魔法そのものに介入され弄り回されては思い通りにいかなくなる。キークから制御を奪った次は、ルールへの介入。クリア条件そのものを変えようとする。
「っ、この、モンスターどもにあいつを攻撃させろっ!」
「……ゲームマスターが言うなら仕方ありまセン」
那子の鞭がまた音を立てる。今度は上空から、飛翔する鳥のモンスターだ。彼らは弾丸の如き急降下を一切の減速なく行い、地面に突っ込んでくる。トーチカは咄嗟にキーボードから離れ、地面に激突した鳥の自爆から逃れた。そして、キーボードそのものは破壊されない。煙の中を突っ切り、今までいた場所に戻ろうとし、そこで待ち構えていたドラゴンに襲われた。鋭い爪と牙が振るわれてコスチュームごと裂傷を負い、馬乗りになられて炎を吐き出される。顔面への直撃は避けるが髪が焦げた。どうにか抜け出そうともがき、ようやく抜け出せたのはリオネッタが糸を飛ばしてドラゴンを引き剥がしてくれたからだった。
「っ、ありがとう」
「貴女まで、喪ってなるものですか。それに……方法があるのでしょう。吠え面かかせてやりなさいな」
リオネッタは再び那子に迫る。モンスターたちの注意がトーチカに向いていた、ということはそれを操る彼女の護衛が減っている。モンスターたちの首を鉤爪で撫で切りにしながら潜り抜け、那子に向けた鉤爪は空を切る。反撃に鞭がリオネッタを叩き、そこから発生した植物のモンスターが拘束してこようとするが、人形の体は仕込み刃まみれ。暗器によって対処され、苦し紛れにさらなるモンスターを展開してくるしかない。
トーチカはその隙にキーボードに取り付いた。再び魔法を使い、ゲームそのものへと干渉する。チェルナーとクランテイルの激突が起こす地震、那子が向かわせリオネッタが捌くモンスターたち、もうどちらにも怯まない。トーチカが選ぶのは、トーチカだけのやり方だ。
「っ、くそぉっ! あたしの庭で……好き勝手するなよぉ……っ!!!」
キークも負けじと、マスター権限ではなく同様に出現させた入力端末にかじりつき、連打を繰り返してくる。本来の主だけあってそのスピードは必死のトーチカにも迫り、読み取り続けているはずのレシピが目まぐるしく変化してしまう。それでもできることは、歯を食いしばって、手を止めないことだけ。
『ERROR』
「くっ……!」
「はっ、自力じゃあコードも書けない雑魚がっ、あたしの土俵に立とうなんて──」
ズドン、と轟音が響く。キークの周辺に貼られていたバリアに投げ飛ばされたクランテイルが激突、それを追ったチェルナーが体当たりを繰り出しバリアごと揺れている。安全圏が揺らいでいる。キークが咄嗟に顔を隠したその隙が差だった。彼女の妨害によって出来なかったクリア条件の上書きをやり直す。対象の絶命ではなく──恐らくは2人を洗脳しているあのアイテム、その破壊へと。
「リオネッタ! チェルナー! 那子さんとクランテイルさんについてる黒いやつを狙って!」
「……! 待っ、やめろ、それは!」
「これで……! 行っけぇえええっ!!!」
エンターキーを殴りつけ、通った。ゲームへの変更が適用され、自分の魔法の端末が通知音を鳴らす。それを合図に、2人の狙いも切り替わった。リオネッタは再び近接戦に持ち込み、那子の振るった手を蹴り払い、手から離れた鞭に狙いを定める。チェルナーがクランテイルを掴まえて押さえ込み、彼女に着けられた鞍に手を伸ばす。
「っ、ノー! せっかく貰った呪いの武器が!」
「引きちぎるつもりか……!」
鞭はリオネッタの刃に切り裂かれ、鞍はチェルナーの膂力に引きちぎられ、バラバラになって地面に落ちる。すると一瞬の静寂の後に燃え上がり、やがて消滅していった。それを皆が見届け、荒い息ばかりが聴こえる。次に聴こえた他の音は、柔らかなソファを殴りつける、ぽす、なんて気の抜けた音だった。
「ふざけっ……あ、あたしのっ、あたしのゲームなのに……なんで、なんでこんなっ!」
キークの慟哭に対し、無慈悲に突きつけられたのは、空間に浮かび上がる、ポップに飾り付けられた文字。
『GAME CLEAR』
鳴り響くファンファーレに、肩の力が抜け、トーチカは深く息を吐いた。無理やり動かし続けた手の疲労感がどっと来る。
「全く……こんなことさせられるなら、精一杯悪役してやろうと思ったのに。台無しデース」
「貴女は本当に……ほら、立てるでしょう?」
「……ありがとデス」
リオネッタが差し伸べた手を那子が取り、助け起こす。互いに目を合わせ、少し見つめあった後、どちらからともなく目を逸らした。
「怪我をさせてしまった」
一方のクランテイルは、チェルナーの肩についた傷に申し訳なさそうにしていた。ただチェルナーの方はけろっとしていて、気にすることもなく笑った。
「ううん。チェルナー、楽しかったよ」
じゃれ合いの範疇にはないはずが、そうだったことにしてくれようとしているらしい。元々面識がないはずの2人がなんとなく打ち解けられそうなのを見て、不思議と微笑ましくなる。
「もう戦う必要はないんデスよね?」
「えぇ。トーチカさんがクリア条件を書き換え、このゲームはクリアされました。よって──」
空間にノイズが走り、暗くなり、エンドロールらしきものが流れ始める。ということは、この空間から弾き出されるということだ。
「ワタシ達の体、どこにあるんデスカネ」
「広報部門の施設で保護してありますわ。目が覚めたら、知らない天井でしょうね」
「オーノー! 自宅がどうなってるか想像もしたくありまセーン!」
なんて話しているうちに、エンドロールもどんどん進んでいき、終盤に差し掛かったのか、魔法少女たちの体は光に包まれ始めていた。つまり、この世界とはお別れだ。なんとなく察して、那子がトーチカに駆け寄り、手を取った。
「トーチカさん。貴女は命の恩人デス」
「……そんな大層なものじゃ」
「そんな大層なものデース! 今度、お礼させてくだサーイ!」
隣にやってきたクランテイルも静かに頷き、頭を下げた。慌ててそこまでしないでくれと伝えようとして、光が強くなってくる。
「ではまた……」
「現実の世界で」
──ぶつんと電源が切れるように視界が変わる。気がつけばここはただの屋内に変わっていた。レジスタンス拠点の一室だ。くたびれたソファの上に、キークが俯いている。那子とクランテイルの姿はない。傍らにいたリオネッタ、チェルナーと共に、その哀れなまでの姿を見下ろした。
「違う……あたしは……このゲームでっ、正しい魔法少女を」
ぶつぶつと何かを呟いているが、リオネッタはそれに構うことなく、彼女を人形の操り糸で縛り上げる。彼女にはまた牢獄で大人しくしてもらわなければ。背負ったら、後はこの建物から抜け出す準備をする。
「……トーチカさん」
部屋を出ようとして、ふいにリオネッタが声をかけてくる。何かと思い振り返ると、彼女はぐっと裾を握り締めていた。
「私、ペチカさんにお願いされていましたの。『ずっと、私を許さないで』……と。ですから……私には、ペチカさんを許すことはできません。ただ」
リオネッタの目が、トーチカの瞳を見た。
「貴女は」
「……わかってます。姉ちゃんは、自慢の姉だって。これから、もっと話聞かせてくださいよ」
「……えぇ、もちろん」
リオネッタは早足で、トーチカを追い越した。その横顔は、これまで見てきた険しいものじゃなかった、ような。
「むぅ。トモキ! チェルナーは?」
「チェルナーさんも自慢の友達ですって」
トーチカはまた歩き出す。むくれるチェルナーを連れて、扉を開き、騒がしい現実、マリア率いるレジスタンスと皆が戦っているその最中に足を踏み入れる。