腐敗を冠す賢老、春雷を告げる雛鳥   作:しゅないだー

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#1 賢老と雛鳥

 

 

 勇者ヒンメルの死から27年後。

 中央諸国のとある村から少し外れた、グレーセ森林に程近いその場所を彷徨う人影が2つ。もうすぐ日が暮れるというのにも関わらず、広範囲に魔力探知魔法を広げながら歩き続けるエルフに少女は心配そうに声を掛けた。

 

「あの、フリーレン様」

「……いないね。魔力探知にも引っ掛からない、少なくともこの近辺からは姿を消しているみたいだ」

 

 少女は強く前を行くフリーレンと呼んだエルフの肩を掴み、顔を覗き込む。そうまでしてやっと気付いたのか、彼女は「ごめん」とばつが悪そうに呟いた。

 

「フリーレン様、差し当たって被害は出ていないのですから。あまり根を詰め過ぎるとお身体に障ります」

 

 昼から飲まず食わずで辺りを探し続ける彼女に対して、少女は流石にそう苦言を呈した。

 

「フェルン。クヴァールだけはどうしても私が直接殺しておきたかったんだ」

 

 人形を思わせるような端正な顔立ちでそんな物騒な台詞を言ってのける師匠を前に、フェルンと呼ばれた少女は先程の村人とのやり取りを思い出していた。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 

「──クヴァールの封印が解かれた? 誰に?」

 

 表情こそ変わらないが、その僅かな声色の違いから師が少なからず動揺している事をフェルンは感じ取っていた。麦わら帽子を携えた老人は明らかに狼狽しており、一層老け込んで見える。

 

「数日前にまだ歳若い魔法使いが一人村を訪れたんですが……その翌日、見回りに行った村人が『クヴァールの姿がない』と……」

 

 

 腐敗の賢老クヴァール。

 80年前にこの地で悪逆の限りを尽くし、勇者ヒンメル一行によって封印された魔族である。

 魔王を討伐した彼らですら封印という、言うなれば決着を先延ばしにする事しかできなかった強者。

 

「近くの村や町で魔族の襲撃を受けたという話は?」

「いえ、聞いておりませんが……」

 

 そう聞くとフリーレンは口元に手を当てながら、ぶつぶつと何か呟いて思案している。

 

「その魔法使いが殺した……? それともクヴァールが返り討ちにして身を潜めている……?」

 

 クヴァールの使う魔法は、今の時代の人類にとってはありふれた物に過ぎない。封印から解かれた直後、本調子でなければ不意を打って単独での討伐もあり得ない話ではない。

 その魔法使いがかなりの手練れであれば、の場合だが。

 

 だが、何の為に? 

 腐敗の賢老を討ち取ったという勇名が欲しいならば、それを喧伝して回る筈だ。

 仮にクヴァールが返り討ちにしたとすれば、中央への侵攻を再開している事は間違いない。ならば魔族による被害が報告されていないのはおかしい。

 

 フェルンの目から見ても、村全体に不安が蔓延しているように思える。魔王が存命の頃は何処もこんな様子だったのだろうか、そんな事をぼんやりと考えた。

 

「フリーレン様」

「うん。とりあえず行ってみる事にしよう」

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 老人の言った通り、クヴァールの影も形もなかった。半日を費やして周辺を捜索したものの、直接その行方に辿り着けそうな手掛かりも見つからない。

 穿たれた木々や僅かに残る魔力の残滓からここでそれなりの規模の戦闘があった事は確かだが、そもそもクヴァールの行った戦闘だという確証もない。

 

「戦闘はあったようですが……どちらが勝ったか分かりませんね。クヴァールと全く関係ない可能性も捨て切れませんし」

「……はあ。魔族の死体は残らない。生きているにせよ死んでいるにせよ、手掛かりの1つもないなら見つけ出すのは難しいね」

 

 諦めたようにフリーレンはそう呟くと、村へと戻る道を歩き始める。

 

 

 もし仮にクヴァールが生きているとしたら、きっと数日で今の人類の魔法体系など看破するだろう。そして数年、いや数ヶ月で今の防御術式すら容易く穿く人を殺す魔法(ゾルトラーク)へ辿り着く。

 だから何としても自分の手で奴を葬っておきたかった、そうフリーレンは考えていた。

 

「……この近くにはもういない、とだけ彼らには伝えよう。不安を取り除ける訳ではないけれど気休めにはなる」

「これからの旅路で、何か分かるといいですね」

 

 一抹の不安を抱えながらも、彼女達の旅はまだ続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 魔法使いフリーレンとその弟子フェルンが訪れる数日前の事。

 決して栄えている訳ではないが、穏やかなその村に旅人が足を踏み入れた。

 目を引く特産品がある訳でもなく、近くにこれといった見所がある訳でもない。もうすぐ日が暮れる前に一晩だけ宿を取る、そうでもなければ寄り付く理由も無い。そんな村だったためか、村人達にもその旅人の事は奇妙に印象付いていた。

 

「腐敗の賢老が封印されてるのって、この近くで合ってます?」

 

 麦わら帽子を被った老人に声を掛けたその旅人は、青年と呼ぶにはまだ幾分幼さの残る少年だった。人の良さそうな笑みを浮かべ、萌木色の緩やかに癖付いた髪が無造作な印象を与える。

 

「ええ。ですが、何の御用で?」

「観光に来たんです、勇者ヒンメルが好きでしてね。縁のある場所を旅して回ってるんです」

 

 歳の頃はまだ16、17といった所だろうか。黒を基調としたゆったりとしたローブは彼が魔法使いに類する者だという事を示している。

 

「そうですか。ただもうそろそろ封印が解けてしまうので、あまり近付かない方が良いと思いますよ」

 

 それを聞くと少年は辺りを見回す。嘗てこの地で暴虐の限りを尽くした大魔族の復活を前にしているにしては、些か穏やかが過ぎる。

 

「……それにしては村の皆様もあまり怯えていらっしゃいませんね」

「ヒンメル様をご存知ならフリーレン様のお名前も聞いた事がおありでしょう? あの方がきっともうすぐやって来られて、良いようにして下さいますから」

 

 フリーレンの名を聞くと、合点がいったように少年は頷いてクヴァールの封印場所の方角へ歩みを進める。

 

「……そっか。じゃあ尚更さっさと見に行かないとですね。ありがとう、失礼します」

 

 怪訝に思いながらも老人がその少年を見送った翌日。

 腐敗の賢老クヴァールは封印を解かれ、姿を消した。

 

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

 小高い丘の上、人の数倍はある体躯を持つ魔族が膝を突いていた。

 嘗てこの地に君臨した大魔族、腐敗の賢老クヴァールの成れの果てである。

 眠るように佇むそれに、少年はそっと手を触れる。

 

「……80年前でこの完成度か。後1年早く来てたらそもそも解けなかったかもな」

 

 先程の老人への丁寧な語調とは打って変わって、歳相応に生意気そうな様子で彼は一人呟くと指を構え、詠唱を始める。

 数十秒で庇っていた封印が解けると同時に、クヴァールはその身を起こした。少年を一瞥すると、それだけで今の状況を把握したのか彼に問いを投げ掛ける。

 

「ふむ……小僧。儂が封印されてから何年経った?」

「80年って所らしい」

 

 たった80年か、そうつまらなさそうにクヴァールは呟くと辺りを見回した。鳥が囀り、爽やかな風に木々がその葉を揺らす。ここで嘗て大虐殺が起きた、と言われても大抵の人間は一笑に付すだろう。

 

「長閑な所だ、争いの欠片も見えんとはのう。魔王様は?」

「勇者ヒンメル御一行に討伐されたよ。ずっと昔の話だ」

 

 取り立てて動揺した様子も見せず、彼は繁々(しげしげ)と顎を撫でながら独り言を洩らした。

 

「……なるほどのう、しかし80年か。最早ヒンメルもハイターも生きてはおるまい」

 

 何処か名残惜しそうにも聞こえるその声は再び目の前の少年へと向けられる。

 

「最後に問うが、何故儂の封印を解いた?」

 

 空気が一段と冷えるような。聞きたい事は聞いた、お前はもう用済みだと暗に告げている。それに気付いた少年は首筋に伝う汗を見えないように拭いながら、事も無げにクヴァールに答えた。

 

「あんたの魔法に興味があったから」

 

 少年の言葉と同時に何も無かった筈の宙から杖が飛び出し、彼の手に収まる。

 華美な装飾こそ施されていないが、金属で作られた刃が各所に備え付けられているその杖は近接武器としても実用に耐え得るだろう。

 

 高速移動や肉体強化の魔法を用い、自ら攻撃するタイプの魔法使い。腐敗の賢老はその可能性を頭の片隅に入れ──それでも尚、彼の取る行動は変わらない。

 

「そうか。では礼にたんと見せてやる事にしようかのう」

 

 クヴァールは何の感慨もなくそう言ったかと思うと、指揮者が指揮棒(タクト)を振るような流麗な動作で指を動かす。数瞬置かず、指先から迸る光が少年へ向けて撃ち出された。

 

 人を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 名は体を表すという言葉がある。

 人を殺す。それだけに特化したその魔法は人類の防御魔法は勿論のこと、装備の魔法耐性すら貫通して人体を直接破壊する。

 この地方では冒険者の4割、魔法使いの7割が人を殺す魔法(ゾルトラーク)に葬られたとさえ言われていた。威力もそうだが、特筆すべきはその速度。並の戦士では避ける事すら叶わない。

 

 だが。

 

 その魔法が少年の身体に届く事はなかった。周囲の地面や樹木こそ根こそぎ削り取られているものの、前面に展開したハニカム状の防御術式がその光を打ち消し、彼に傷一つ付けていない。

 

「あんたが暢気に眠ってた80年で人はあんたの魔法を研究、解析して自分達の魔法体系に組み込んだ。さっきの防御術式だって今じゃ誰でも使える。僅か数年で人を殺す魔法(ゾルトラーク)は人を殺す魔法じゃなくなったって事だ」

 

 嘗ての大魔族の圧すら意に介していないのか、立て板に水の調子で滔々と語る少年をクヴァールは顎を撫でながらじっと見ている。

 

「今あんたの魔法を俺達がなんて呼んでるか教えてやろうか? "一般攻撃魔法"って言うんだ、それ」

 

 嘲笑いながら醜悪な笑みを浮かべる少年は、その表情の奥で相手の出方を窺っていた。

 自らの人生を懸けて創り上げた魔法が通用しないと分かれば、絶望するだろうか? それとも認められず、怒りを顕にするだろうか?と。

 

 だが目の前の相手は、そのどちらでもなく。

 

「なるほど。なるほどのう」

 

 少年の挑発などそもそも耳に入っていなかったのだろう。それ以上に今初めて見た防御魔法に興味を惹かれていた、と言うべきか。

 

「攻撃魔法に同調し威力を分散させる仕組みか……複雑な術式じゃのう」

 

 クヴァールが指を鳴らすと同時に少年が使っていた防御術式の一欠片と全く同じ物が展開され、消える。それは効能から術式構造まで、この一瞬で看破したという事に他ならない。

 

「魔力の消費もさぞ辛かろう」

「80年を5分で追い付くのかよ」

 

 少年がそう言い終わるよりも早く、クヴァールは宙空に数多の魔法陣を展開する。人を殺す魔法(ゾルトラーク)の速射性を活かし、防御魔法が魔力切れを起こすまで物量で圧倒する魔法戦のセオリーに彼はこの数分で辿り着いていた。

 弧を描きながら時間差で着弾するそれは、通常の魔法戦であれば最適解と言える。

 だが少年は臆する事なく杖を構え、クヴァールを真正面から見据えると詠唱を始めた。

 

 それは現在の人類の魔法体系では実在すら証明されていない筈の、御伽噺に例えられる(空間転移)魔法。

 

「──二つの物を入れ替える魔法(エイゼヴァルツ)

 

 クヴァールの視界からは目の前の少年が突如消え失せたように見えた。並の魔族であれば、彼我の実力差を把握した相手が恐れ慄いて逃走を図ったのだと考えるだろう。

 だが依然として近くに存在し続ける魔力からクヴァールはそれを否定した。

 

「後ろか」

 

 そうクヴァールが振り向いた瞬間、先程相手に向けて放った筈の魔法が彼の身体を穿った──ように見えた。

 

「確かに出来が良いのう。着弾と同時に展開すれば弱点の魔力消費も抑えられる」

 

 少年が最初に展開した防御魔法と寸分違わない物が、それを紙一重で防いでいた。

 一度見ただけの術式を完璧に再現してみせるその様は、魔王軍屈指の魔法使いという肩書に相応しい。

 

「もう解析したのかよ、やっぱり別格だな」

 

 感心したように少年は呟きながらも、彼の手に携えられた杖は依然としてクヴァールを捉え続けていた。数秒にも満たない溜めで、自らの用いる魔法よりも更に高圧縮された力の奔流が迸る。

 腐敗の賢老はその輝きを一目見て悟った。今、自分が見た防御術式ではそれを防げない。

 

 これは最早人を殺す魔法ではない。

 これは魔族を殺す魔法(・・・・・・・)だと。

 

人を殺す魔法(ゾルトラーク)

 

 それは黒く、細く、鋭く。

 

 ただただ命を吹き消す為に研ぎ澄まされたその魔法はクヴァールの防御術式を容易く穿き────

 

 彼の顔を掠めて明後日の方向へ飛んでいった。一拍置いて、幹を吹き飛ばされた数十本もの木々が轟音を立てながら崩れ落ちる。

 

「人を殺す魔法は、魔族を殺す魔法になった」

 

 二人の間に沈黙が流れる。数瞬にも数時間にも思えるその果てに、口火を切ったのはクヴァールだった。

 

「外す腕でも無かろう」

 

 興が冷めた、と言わんばかりの口調でそう吐き捨てるクヴァールに少年は初めて笑顔を見せた。

 

「褒められると嬉しいな。まあ俺はそもそもあんたを殺しに来た訳じゃないし」

 

 杖を地面に刺すと、それにもたれ掛かるようにして少年は気安い調子で語り始めた。

 

「でも勝ちは勝ちだよな、つまりあんたは俺に借りがある事になる」

 

 怪訝な表情を見せるクヴァールに対して、少年は全く気にしない様子で続ける。だがその身体には依然として緊張が張り詰めており、少しでも目の前の相手が不審な動きを見せればすぐさま撃ち抜ける手筈が整っていた。

 

「俺は魔族が嫌いだ。まあ大体の人間はそうだと思うけど」

 

 魔族と人間、魔王が討ち取られた後でさえも両者間の溝が未だ埋まる事はない。一部の魔族の中には人に歩み寄っている個体もいるようだが、必ずそれは何処かで破綻を迎えていた。

 

「でもあんたの創り上げた魔法は美しいと思ってる。少なくとも、俺は」

 

 魔族は姿形こそ人に近いが、その構造は根本的に異なっている。とある魔法使いは魔族の事を「人語を話す獣」とすら言い切っている程に。

 そして長命の彼らは生涯を懸けて己の使う一つの魔法を開発し、研鑽し、発展させる。

 それ故に魔族の用いる魔法は、その殆どが人にとっては理解の及ぶ物ではない。文字通りそれは彼らの生に他ならず、人と魔族は決して分かり合えないからだ。

 

 

 だがそんな中にあって腐敗の賢老クヴァールの創り上げた人を殺す魔法(ゾルトラーク)は僅か数年という期間でその全てを暴かれ、人類の魔法体系に組み込まれた。

 そして80年という月日を経て魔法使いの戦闘には、その根底に基準として人を殺す魔法(ゾルトラーク)が根付いている。かの魔法を防げる防御魔法を、かの魔法よりも優れた攻撃力を持つ攻撃魔法を、という風に。

 

 魔族の生み出した魔法でありながら、人類が容易に扱える程に洗練された美しい術式構造。

 それこそが人を殺す魔法(ゾルトラーク)の唯一の欠点だった。

 

 

「魔族が人に似てるのは、その姿や声で欺き殺す為だって言われてるらしいな。実際俺もそうだと思ってる」

 

 魔獣と魔族の最たる違いは、命乞いをするかどうかだ。そう言っている者もいるくらい、そもそも魔族は根本的に人間とは異なっている。

 であるならば、魔族の中での異端とは寧ろ人に近いのではないか。少年はそんな仮説を立てていた。

 

「でもあんたは俺達とは似ても似つかない。"将軍"のように腕っ節で戦う訳でもなし、そんな厳つい見た目をする意味も無い筈だ」

 

 寧ろ魔法を主力とするならば、人から油断を誘えない怪物じみたその体躯は無駄としか言い様がない。

 

「あんたは良くも悪くも人間に興味がないんだろ。人が死のうが構わない代わりに、人が生きてようがどうでもいい。ただの魔法狂いだ」

 

 俺と一緒で、少年がそう付け足す。

 

「小僧、お前が儂に対してどう考えているかは理解した。ただそれを踏まえても儂を生かしてお前に利があるとは思えんがのう」

 

 よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに彼は手を打った。

 

「知りたいんだ。歳月を経て人を殺す魔法ではなくなった"人を殺す魔法(ゾルトラーク)"を、今の腐敗の賢老ならどう編むのか」

「……何?」

 

 人を殺す事に特化したという性質は、寧ろ人間にとって忌避感を齎す物だと考えていたクヴァールにとって目の前の人間は理解し難かった。

 

「人類にとって人を殺す魔法(ゾルトラーク)は一つの転換点だった。でも俺はまだ先があると思ってる。そこに近いのは、やっぱりそれを生み出した本人だと思うんだよ」

 

 理屈は通るが、人としては間違っているのではないか。魔族であるクヴァールですらそう考えた。だが目の前の少年は寧ろ熱が入ったようにより雄弁に語り続ける。

 

「あんたのやりたい事は何だ? 勇者ヒンメル御一行に仇討ちでもしに行くか? 魔王亡き今、穏やかに暮らすのが望みか?」

 

 やりたい事。そう言われてクヴァールは封印から解かれて初めて、自らについて思いを巡らせた。

 

「流石に人殺しは手伝わないが、それ以外なら協力する。だからその代わりにあんたの魔法を、そしてそれを研ぎ澄ます様を一番近くで見せてくれ」

 

 魔法狂い、と伊達に自分を評した訳ではないのだろう。天敵と呼べる魔族にまで教えを請うほどに渇き、飢えている。人間としては破綻していると言わざるを得ない。

 

「甦ったあんたが更に極めた人を殺す魔法(ゾルトラーク)を俺は超える。俺の名前が先の先、そのまた先の世に届く様に」

「つまり名誉が欲しいという訳か。俗物じゃのう」

 

 鼻を鳴らして否定も肯定もしないまま、少年は語り続ける。

 

「一級魔法使いになったって、死んで数十年もすれば誰も俺の事なんか覚えてない。でも俺があんたを超える魔法を創れば、その魔法はずっと残る。誰も俺を忘れられない」

 

 クヴァールは考えた。

 この少年は人類の中でも上澄みに位置するだろう。しかし決して突出した個(・・・・・)ではない。

 仮に先程の位置交換魔法を解析したとて、それだけが芸でもあるまい。この少年並の人間が3人もいれば今の自分一人で勝てる可能性は限りなく低い。であるならば、まず自分が取るべきは目先の衝動(虐殺)ではなく今の世情について見聞を広めるべきだろう。

 

「なら故郷を一目見たい。それまでならば付き合っても構わんがのう」

 

 魔族には親子の情という物は皆無であり、況んや望郷の念などある筈もない。単に魔王城の位置する北部に行くほど魔族の生き残りがいる確率が高く、行動を起こす際に有利になる。困難な旅路はこの80年後の世界に適応するのに十分な時間を稼げるだろうという打算からだった。

 

「魔王城……大陸北部か。分かった、付き合う」

 

 二つ返事で承諾すると、少年は改めてローブに付いた埃を払って名乗りを上げた。

 

「レルヒェ、二級魔法使い。魔法の道の末席を汚す者として、かの腐敗の賢老とお近付きになれて光栄だ」

 

 そう名乗ると、手袋を取ってクヴァールに差し出す。何のつもりだ、と目を細める彼に対してレルヒェは痺れを切らしたようにもう一度手を突き出した。

 

「握手だよ。魔族にだってあるんじゃないのか」

 

 人類は自分の魔法から学び、それを上回る力を手に入れた。ならば学ぶ側に回った自分が試してみるのも悪くない。何よりこの程度で相手の信用を少しでも得られるのならば、容易い事だ。

 握り潰せそうなほどに小さなその手に触れると、意外なほどに温かい。

 

「しかし、小僧。お前のやっている事は同族への裏切りだと思うが」

 

 そう言われてレルヒェは少しだけ鬱陶しそうな表情を見せた。

 

「魔族がそれ言うのかよ、まあ勇者様御一行ならこんな事しないだろうな。でもさ」

 

 杖を抜くと、空に向かって掲げてみせる。神さえ恐れない、そんな傲岸不遜な様子で天を突いた。

 

「勇者ヒンメルはもういない。今を生きているのは俺だ」

「驕っとるのう」

「調子に乗るのは若者の特権だろ」

 

 心弾んだ様子で喋り続ける様は、歳相応の少年のようにはしゃいでいた。

 

「最近また動き出してるらしいけど今はもう魔族だって残り滓みたいなもんだしな。七崩賢も殆ど死んだって聞いてる、人にはその理すら解せないっていう魔法見てみたかったんだけど」

 

 冬の眠りのような安寧に微睡んでいた、地中の虫を叩き起こす春の雷。

 その危うさにも似た青さを、腐敗の賢老は少しだけ面白いと感じた。

 

「ああ、でも1つだけ約束して欲しい事がある」

 

 なんだ、と問い返すクヴァールへ少年は真剣な顔を見せる。

 

「あんたが目的を果たして、それでも魔族として人を殺す道を選ぶんなら。最初に殺すのは俺にしてくれよ、それくらいの責任はあるつもりだ」

「考えておこう。魔王城へ行き着く前にお前を殺すかもしれんが」

 

 冗談とも本気とも付かないその言葉に動揺した様子もなく、寧ろ少年は半笑いを浮かべながら言い返した。

 

「まあ、その時が来たら俺も躊躇無くあんたを殺すよ。勝てるかどうかは分からないが、死んだら俺は所詮その程度の器だったって事だし」

「戦向きの性格だな、今の平和な世はつまらなかろう」

「ご明察、俺は生まれてくる時代を間違えたんだろうよ。もう100年前に生まれてくりゃ、退屈なんかせずにその内死ねただろうに」

 

 そう嘯くレルヒェは笑ってこそいたが、その瞳の奥は暗く澱んでいる。満たされる事のない衝動に渇く獣を思わせるそれは、少なくとも単なる名誉を欲している物ではないとだけはクヴァールにも理解できた。

 

「小僧。お前は嘘を吐いている」

 

 そう投げ掛けられ、それまで揺るがなかったレルヒェの表情が僅かに歪む。

 

「……はあ? だったら? そもそもどんな嘘を吐いてるって言うんだよ」

「ああ、それは別に構わん。儂はお前の事情なぞ何の興味もない」

 

 呆気に取られたような表情を見せたレルヒェに、クヴァールは心底可笑しそうに喉を鳴らした。

 

「ただ……今のその、まるで全てが自分の思い通りになるとでも思っているような面が歪む様はそれなりに面白かったのう」

 

 顔を微かに赤らめながらレルヒェは「うるさい」と一言呟いて村とは真反対の方向へ歩き始めた。未だににやけ笑いを顔に貼り付けながら、クヴァールがその後へ続く。

 

「では、北へ。気長に参るとするかのう」

「ああ、北へ。見せてくれよ、あんたの全て」

 

 

 

 

 

 いつか陰惨な結末を迎える旅路である事を、その胸の片隅に留め置きながら。

 腐敗の賢老と雛鳥は、遥か北を目指す。

 

 

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