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勇者ヒンメルの死から28年後。
中央諸国、ルイン地方。人里離れた山中でクヴァールとレルヒェは野営を行うべく火を起こしていた。
何かの間違いで人に出会ってしまえば騒ぎになる事は避けられない事を想定してのルートだったが、魔族であるクヴァールがいる為か魔獣の襲撃は殆どなかった。
食事の用意といえば聞こえは良いが、単に干し肉を焚き火で軽く炙りながらレルヒェは難しそうな顔をして顎を撫でる。
「しかしエンデか……面倒だな。順当に行くならヴィレ地方からリーゲル峡谷、そこを抜けてまずは北側諸国の関所って所だけど」
「何か問題でもあるのか」
そう尋ねるクヴァールに溜息を吐いてレルヒェは肩を竦めてみせた。
「問題しかない。その図体で『魔族じゃないです、危なくないので通して下さい』って言って首を縦に振るお人好しが何処に居るんだよ」
目の前の魔族は凡そ人の数倍はある体躯を誇る。山羊を思わせるその人外じみた面や角を被り物で隠そうと、余程その目が節穴でもない限り関所の門番どころか一介の村人ですら魔物の類であると気付くだろう。
「関所だろうが何だろうが門番を殺せばよかろう。通ってしまえば後はどうとでもなる」
「はーっ、魔族はこれだから。勘弁してくれよおじいちゃん、人と出会わないルートを選んでるから実感無いかもしれないけどあんたが思ってる以上に人類は力を取り戻してるんだぜ」
杖で地面に大陸の略図を書きながらレルヒェは南部と中央付近を指差す。
「南部と中央諸国にはもう殆ど名のある魔族は残ってない。そもそも七崩賢が何人生き残ってるか知ってるか?」
「ベーゼ……いや、マハトは死んでおらんだろう。後は1人生きているかどうかじゃのう、グラオザーム辺りか」
少しだけ懐かしむ様に目線を宙に泳がせるクヴァールを見て「魔族もそんな顔するんだな」と皮肉交じりに返しながら、杖で地図に丸を付けていく。
「黄金郷のマハトか。正解、北部の城塞都市に封印されてるけどな。後は断頭台のアウラが北側諸国で最近動きを見せてるらしい。それ以外は全員死んだ」
「……2人か。まあ、しかしそんな物かもしれんのう」
無名の大魔族こそが、この平和な世では最も人間にとって脅威である。
だがそれを教えてやる義理もないとクヴァールは黙ってレルヒェに話を返した。
「とにかくルールは決めておこう。殺すなとは言わないが、せめて自衛だけにしてくれ。避けられる戦闘は避けた方が良い」
「魔法の研鑽には実践が最も効率の良い方法だと儂は思っているが」
魔法は突き詰めれば理論だが、だからこそ実践で得られる情報は何物にも代え難い。人を対象にするならば尚更だ。
「それでも、だ。一級魔法使いに目を付けられたらかなり面倒臭い。というか遅かれ早かれ死ぬと思う」
「ふむ。そもそもその一級という区分は誰が定めている?」
何故か苦虫を噛み潰したような顔をしながらレルヒェはある名を告げた。
「……ゼーリエ。大陸魔法協会のトップで神話の時代の魔法使いなんて言われてる。名前くらいは知ってるだろ」
その名を聞いて合点がいったようにクヴァールは頷く。
「なるほどのう。確かにあのエルフが出張ってくれば終わりか、儂の魔法が対策されている前ならまだ一考の余地はあったが」
「自信家だな。とにかく一級魔法使いの多くは彼女の弟子だ、もし交戦して仕留め切れなければあんたが生きている事を知るだろうな」
いつになく消極的な態度を取るレルヒェに、先程の意趣返しと言わんばかりににやけた笑いを張り付けながらクヴァールは訊ねる。
「殺す自信はないのか。随分と弱気じゃのう」
「うるせえ。あんたなら俺の弱点、もう分かってるだろ」
半笑いのまま、迷う事なく腐敗の賢老は目の前の少年に指を突き付けた。
「魔力の絶対量が乏し過ぎる。少なくとも継戦能力だけで見れば80年前の魔法使いの方がお前より優秀じゃろうて」
正解、と言いながらもむっとした表情を隠さないまま拗ねたように話し始める。
「戦災孤児ってやつなんだ、俺。魔族の残党に故郷を滅ぼされた生き残り、まあこんな世の中じゃ何処にでも転がってる話だよ」
魔王が討たれたとはいえ、全ての魔物が根絶された訳ではない。勇者ヒンメルの死を契機に一部の魔族は北部を中心としてその勢力を広げつつある。
「野垂れ死にする所を傭兵……っていうか最早ごろつきだな。まあそんな奴らに拾われて戦士の真似事をやらされてた。自分に魔法の才能があるって気付いたのは3年前」
魔法を覚える才能があろうとも、それを扱う為の基礎鍛錬に当てる時間が彼には絶望的に欠けていた。そしてそれ以上に魔法戦において彼には足りない物がある。
「俺の
クヴァールはその言葉の意味を理解している。
レルヒェが放った魔法は威力こそ十分だったが、我流で調整したそれは消費魔力の最適化という点で見ればお粗末極まりなかった。威力を担保しながら維持できる速射性とその燃費という
そしてその悪癖は彼の『多彩な魔法を一定の水準で扱える』という特性に裏打ちされていた。それは言い換えれば『一つの魔法を極めた者には及ばない』とも捉えられる。
彼に魔法の師がいればそういった欠点を改善できるように指導してくれていたかもしれない。
ただ、そんな人物はいなかった。彼が持っている物は枯れた井戸のように乏しい魔力と、壊れた蛇口から噴き出す水のように劣悪な魔力効率だった。
「……話を戻そう、関所は正攻法じゃ通れない。東に進んで海まで出て、船を使っていこう。裏の伝手はあるからあんたの姿を見てビビっても、脅せば多分どうにかなる」
高性能の防御術式を皆使えて当然、という今の魔法戦ではレルヒェの多彩な魔法を扱えるという特性は殊更に刺さる訳ではない。
寧ろ防御魔法を展開しながらの戦闘は持久力で大きく劣る彼にとって不利だと言えるだろう。
「小僧、一つ聞くがのう」
「何?」
話が一段落付いた、という所で痺れを切らしたようにクヴァールが口火を切る。
「普通こういった移動手段だの現在の情勢だのそういう重要な話は、目的地が決まった最初にしておくものではないのか? なのにお前はずっと『
心底うんざりしたような表情を浮かべながら文句を言うクヴァールに対してあっけらかんとした顔で彼は言い放つ。
「そりゃ仕方ないだろ、気になったんだし。そういや
「……」
兎にも角にも、ただ夜は更けていく。干し肉を齧りながら焚き火をじっと眺めている少年に、クヴァールはふと気付いて声を掛けた。
「小僧。お前は眠らないのか」
「魔族の前でなんか怖くて眠れるかよ、心配してくれてどうも」
魔法で補助しているのか眠そうな様子は見られないが、確かに疲労は溜まっているようだった。クヴァールの封印を解いてから三日三晩歩き続け、休息こそ取れど警戒してか眠りには就いていない。
なら一つ夜話にでも付き合ってもらおうかのう、と呟くと返事も聞かぬ内に滔々と語り始めた。
「この防御魔法が今の魔法戦での根幹であるとするならば」
六角形の防御術式を一欠片展開してみせると、くるくると回した後にそれを握り潰した。
「魔法には強い耐性があり即時性にも優れている。だがその分物理的な攻撃に対してはこのように必要最低限の防御性能しか持ち合わせていない」
その通りだった。魔力の消費と性能を天秤にかけた結果、
「それで?」
表情一つ変えないまま、涼し気な顔でレルヒェは続きを促す。目の前の魔族が想定よりもずっと早く今の魔法について理解を深めている事実は危険だが、それ以上に腐敗の賢老が語る話の方に強く興味を惹かれていた。
「今の攻撃魔法の主流は魔力で物質を操り、質量で圧倒する。これが基本理念だと見た、違うかのう?」
「化物め。合ってるよ」
今の防御魔法は
それを打ち破る為に現在では土や水、花弁や己の肉体を魔法で強化して戦う魔法使いが殆どだった。
「その環境の中ではお前の魔法はかなり優秀だと思うがのう。人間にしては、じゃが」
僅か一度その対象になっただけだが、腐敗の賢老はその魔法のかなり本質に近い所まで看破していた。
「指定した2つの物の位置を入れ替える、そんな所だろうて。それで儂とお前の位置を入れ替え、自分自身の魔法で攻撃させた。では何故お前はそれを使って1度目の
「切り札は最も効果的な場面で切ってこそ切り札だろ」
飄々とした態度でやり過ごそうとするレルヒェを全く無視し、クヴァールは一見優れた魔法に思えるその脆弱性に触れた。
「使えるにも関わらず魔力消費が大きい上に手を止められてしまう防御魔法で防いだという事はそれ以上に負担が掛かる、もしくは使用するのにそれなりの条件が必要か」
「おい、人の話を無視すんなよ」
図星だった。
故に魔力に乏しいレルヒェにとってはハイリスクな代物であり、確実に勝負を決する事ができるタイミングでしか使えない。
「小僧。お前の手の内が所詮その程度なら。北どころか中央諸国を抜ける前に食ってしまうかもしれんが」
干し肉を摘むとものの一口で飲み込みながらそう笑う。だがクヴァールをじっと見つめる彼の瞳には欠片の怯えもなかった。
「甘く見んなよ、おじいちゃん。1本しか牙のない歯抜けの獣なんかすぐに野垂れ死んでるよ」
クヴァールは十分理解していた。この少年が真に誇るべきはその胆力と貪欲さ。
決して資質を見れば恵まれているとは言い難い中で、レルヒェが前衛無しで生き抜いてきたのは彼の創意工夫に他ならない。
数多の魔法を研究し、戦闘が長引く前に相手に最も適した魔法で刺す。
自分のような攻撃に優れた魔法使いに対しては、あの"
それを踏まえ、腐敗の賢老は魔族として宿痾のように根付く驕りや慢心を捨て、尚一つの結論に至った。
たとえこの少年が他に何か自分に対しての隠し玉を持っていようとも。
今この時点で十分に殺せる、と。しかしそうするには、まだ。
「お前自身はどうでもいいが」
魔族にとって全ての人間は餌に過ぎない。
だが二十年にも満たない時間の中で自らに与えられた物をがむしゃらにこねくり回し何者かになろうとする姿は、生涯を通じて魔法を極める自らにほんの少し重なるようにもクヴァールは感じた。
「お前の生き方は好ましい。ほんの少しじゃがのう」
「……? 何の話だよ」
レルヒェの交渉は薄氷を踏むようなものだった。彼自身も心中のどこかで「魔族は悪辣ではあるが言葉が通じる」という甘い認識を捨て切れていない。
魔族に対して「自分はお前を殺せたがそうしなかった。その借りがあるから言う事を聞け」などという理屈は本来通用しない。魔族同士でさえその繋がりは酷く希薄であるというのに。
人間が、家畜の理屈を聞いた試しがあるだろうか?
クヴァールが魔族の中でも魔王に対して忠義心を持つような異端であったが故に成り立った、奇跡にも似た関係。いつ崩壊してもおかしくないそれを、もう少しだけ続けても良いと彼は思った。
「暇潰しくらいには丁度良いという話じゃて。心配せずとも小僧、お前を殺す時には真正面から魔法で叩き潰してやる。魔族には矜持があるからのう」
意味分かんねえよ、とぼやきながらレルヒェは目を閉じた。数分経たない内に流れてくる穏やかな寝息を聞きながらクヴァールは己の胸中に巣食った微かな感情に笑みを溢した。
「……楽しんでいる、か」
夜空を彩る数多の星屑に目を向け、ずっと昔に一度だけ見た海に思いを馳せる。
人間と魔族の友情は成立しない。だが同じ物を見る事はできる。同じ"先"を目指す事もできる。
人の道を外れた魔法使いと、魔族の中の異端である魔法使いがそんな先に至るまで。