神宿ル劍   作:竹河参号

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10.焔の襲来

 エレナらが転がり込んで、さらに二週間が経った。

 

 

「うーーん……」

 

 

 チムの刻(午前十時ごろ)、崚は砦の井戸のそばで、すらりとサーベルを抜いた。昨日の出撃で三体の狼を斬ったはずの刃は、しかし曇り一つなくつややかな光を反射している。水洗いで血と脂を落としただけの刃は、刃毀れも歪みも一切なく、持ち主の崚をして大いに顔をしかめさせた。

 

 

「うーーーん……」

 

 

 唸りつつも、ぶん、ぶんと緩やかな動作で縦横に振ってみる。日本剣術は両手持ちを基本としているが、刀そのものは片手で振れないこともない。取り回しも悪くないし、鞘で疑似二刀流でもしてみるか、それとも左手を空けてクロスボウでも握るか。いやしかし、いざという時に両手持ちができないのは勝手が悪い。……

 

 

「うーーーーん……」

「井戸のそばで抜き身の剣を振り回すのはやめて下さいまし」

「うるせえ」

 

 

 後ろからじっとりとした目で咎めるエリスに、崚は振り返りもせず吐き捨てた。ほとんど反射的な言葉だった。

 サーベルを下ろして振り向くと、果たしてそこにはエレナとエリスがいた。

 

 

「どしたの? 不調?」

「不調っていうか……」

 

 

 水桶を抱えたエレナの質問に、崚は顔をしかめたまま、もごもごと言葉を濁した。

 不調どころか、その真逆である。

 死に蠢く(エンピエル)との戦闘で、その実力が正式に認められた崚は、基本はエレナらの世話をしながら雑用をこなしつつ、時々『実務』に駆り出されることになった。時に獣、時に魔物を相手取って斬り伏せる必要があり、当然に武器は激しく損耗する。ましてや崚の得物は薄く脆いサーベル、雑に振るえばすぐに使い物にならなくなるだろう。実際、昨日は猛獣駆除に駆り出され、三体の狼を斬ったので、戻り次第鍛冶屋で整備してもらおうと思っていた。少なくとも、研ぎは必要だという想定だったのだ。

 ――それが、現実はこの通り。ひとまず応急処置にと戻り次第水洗いで血と脂を落とすと、それだけで元の姿を取り戻した。折れや曲がりどころか、刃毀れひとつ見つからなかったのである。

 曰く、日本刀で人を斬ることが出来るのは、連続で四人ほどが限界で、それ以上は斬れ味が致命的に落ちてしまうという。それはそれで過小評価のデマだという話もあるが、いずれにせよ何十人も斬れるほどの継戦能力はない、というのが定説である。そもそも、先日の死に蠢く(エンピエル)との戦闘で云十人分は斬っており、その時点ですでに使い物にならなくなっていなければ(おか)しい。崚は刀剣の手入れの仕方など知らないが、いくら何でも「水洗いで元通り」がどれだけ異常かは分かる。

 ――初めて触れたときの、謎の反応。

 ――死に蠢く(エンピエル)に対して発揮された、異様な攻撃能力。

 ――そしてこの、常識はずれの耐久性。

 どれか一つだけなら、崚もそれほど気にしなかっただろう。しかし重なり続ける異常性が、どうしようもなく崚の不安を駆り立てた。このまま暢気に振るい続けて、本当に大丈夫だろうか。知らない間に底なし沼に足を踏み入れたかのような、進むことも戻ることもできない不安が、刀を握る腕を鈍らせ続けていた。

 

 

「珍しい剣だね。ちょっと見せて?」

「あ? おう」

 

 

 そんな崚の内心を知ってか知らずか、なぜかエレナがサーベルを興味を示してきたので、崚は言われるがままに手渡した。エレナはひょいとサーベルを受け取ると、妙に慣れた手つきで観察し始めた。

 

 

「――細い。それに、結構薄いね。これより薄いのって細剣(レイピア)くらいじゃない?

 ……なるほど。刀身を曲げることで斬撃向けにしてるのか……この薄さも、斬れ味を上げるため……でも、刺突も捨ててるわけじゃない……扱いの難しそうな剣だね。

 それにしても、この柄の長さは……? 護拳(ガード)の位置もちょっと変だし――もしかして両手持ち用?」

 

 

 角度を変え、視点を変え、ふんふんと慣れた様子で分析するエレナを見て、崚はポカンとした。

 

 

「……え、なに? どうしたのこれ」

「これとか言わない。エレナ様は、剣術がお得意なのですよ」

「……お貴族様の標準装備なの? そういうの」

「剣や弓がお得意な方は珍しくありませんが、ほとんどが殿方です。御婦人では希少ですね」

「いいのかそれで」

「失礼はおやめなさい、悪いことではありませんとも。……良くもありませんが」

「ダメじゃん」

 

 

 顔をしかめるエリスに、崚が呆れ顔を向ける。崚としては別にどうでもいい話だが、外面を気にする貴族社会では、さぞ婚姻で難儀することだろう。というか、文明レベル的にはそろそろ適齢期なのではないだろうか? 本人の様子を見ている限り、騎士として身を立てるといった意向もないようだが、いいのだろうか。

 その横で、エレナははっと我に返った。二人の会話が聞こえていた様子はなかった。

 

 

「あ、ごめんね。つい……」

「あ、おう。……そういえば、あのおっさんはどうした」

「ライヒマンのこと? 今日には戻ってくるって話だったんだけど……」

 

 

 サーベルを受け取りながら問うた崚に、エレナはうーんと首を捻った。携帯電話が充実している現代日本と異なり、この世界では連絡手段が限られているので、リアルタイムの状況把握は難しいのだろう。

 ライヒマンは今、砦を離れている。目的は勿論、『供回りの準備のため、外部支援者への協力依頼』だ。当てはあるらしく、ひとまず彼が単身で交渉に赴くらしい。本人の言では往復で二、三日かかるだけで、今日には戻って結果を報告できるとのことだった。

 ――と、いうことになっている。まあ、嘘ではあるまい。行先と動機が恣意的に伏せられているだけで、国語表現そのものには何の齟齬もないのだから。『ものは言いよう』とはよく言ったものである。

 

 

「仮にも騎士が、主ほっぽってどこで油売ってんだ。呑み屋とか行ってたらシバいていいか」

「失礼なことを言わないで下さいまし」

 

 

 ふんと鼻を鳴らした崚の言葉を、エリスが言い咎めた。この遠慮のないやり取りにもお互い慣れたもので、本気の喧嘩にまでは発展しない。ただ、毎度同じような応酬を重ねる程度には、お互いに譲歩の意志がなかった。

 

 

「わたくしたちは二階の掃除をしてまいります。厩舎の掃除は任せましたわよ」

「へいへい」

 

 

 駄弁を交わしつつ、井戸水を汲み上げ終えたエリスは、水桶を抱えて崚に言った。ひらひらと手を振る崚を尻目に、エリスとエレナは踵を返して屋内に戻っていく。残された崚は、しばらく刀を眺めたのち、諦めて鞘に仕舞った。

 

 

(ま、考えてもしょうがねーしな)

 

 

 はっきり言って問題の先延ばしでしかないのだが、とにもかくにも足掛かりがない。この手の不思議現象は学者や魔法使いの領分であり、衒学より腕っぷしが肝要な傭兵たちに尋ねたところで、何が分かるはずもない。そして、この田舎の小さな傭兵団には魔法使いとのコネなど当然になく、つまり相談の当てすらないのだ。知らぬものが知らぬことにうんうんと頭を悩ませたところで、徒労以外の何物でもない。

 黒漆の鞘に収まったサーベルを、崚はベルトと脚絆(ズボン)の間にぐいと差し込んだ。さる有名な時代劇の監督は、『刀を腰に差すことで重心がずれていた武士の歩き方』を忠実に再現するため、役者に真剣を渡し実際に佩かせていたという。それに倣うわけではないが、帯剣状態での立ち居振舞いには慣れておいた方がいいだろう。差し方にも作法だなんだがあるというが、どうせまっとうな日本刀でもなし、いろいろ試して動きやすい差し方を探ろう。

 井戸水を汲み上げると、崚は水桶を抱えて厩舎に向かった。――なるほど、思いのほか安定が悪い。重量そのものはさして支障を感じないが、疲労が蓄積するほどに負荷が響いてくるだろう。

 厩舎に繋がれた馬たちが、崚に気付いてぶるるんといなないた。元々傭兵団で飼っていた馬が二頭、エレナらとともに引き取った幌馬車(キャラバン)を曳いていた馬が計四頭。そのうちの一頭は、ライヒマンが使っているためこの場にはいない。馬の気分や体調を考えると、定期的に放牧して運動をさせてやらなければいけないのだろうが……

 

 

「――見つけたぞ、匪賊共!」

「……あ?」

 

 

 考え込む崚の背後から、聞き覚えのない怒号が飛来し、崚は咄嗟に振り向いた。

 視線の先に立っていたのは、騎馬を従えた一人の若い騎士だった。麻のマントの下に金属鎧を着け、その手に長い竿状のものを携えている。よほど急いで駆けてきたのか、美しい金髪を振り乱し、その額には汗が流れている。しかしその碧い瞳には、疲労ではなく激しい怒りが宿っていた。

 

 

「――どうした、兄ちゃん。仕事の依頼か? 騎士様ってのは、存外フットワークが軽いんだな」

「ほざけ、下郎! お前たちの犯した罪、その身で償うがいい!」

 

 

 異様な雰囲気を察した崚は、しかしへらへらと挑発した。性分だった。聞く気があるのかないのか、騎士はその言葉に怒鳴り返すと、ばっと竿の先の袋を取り払い、その下にある鋭い穂先を露わにした。宝玉のようなものが埋め込まれた、橙色の刃がぎらりと輝く。長槍である。

 憎悪のこもった瞳とともに、その穂先をびたりと向けられては、さすがの崚もぎょっとせざるを得ない。

 

 

「おい、ちょっと待て。何か誤解――」

「問答無用ォ!!」

「――ああ、そうですかい!」

 

 

 思わず真顔で言葉を紡ごうとした崚だったが、有無を言わさぬ騎士の気勢に押し退けられ、ちっと舌打ちして抜刀した。佩刀していたのは不幸中の幸いだったが、まさかこんな事態になろうとは!

 

 

「おおおおッ!」

 

 

 咆哮とともに先手を取ったのは、騎士の方だった。大地を揺らすほどに強く踏み込み、構えた長槍をまっすぐに突き出す。崚は下から刀を振り上げ、その一閃を掬い上げるように弾いた。

 

 

(――重い!)

 

 

 びりびりと痺れるような衝撃が、刀越しに崚の両手へと走る。辛うじて初撃を凌いだものの、その反動は甚大だった。直撃していれば、そのまま絶命したに違いない。

 

 

「ふんッ!」

 

 

 得物を高く跳ね上げられた騎士は、しかし一切動揺せず、その槍を真下に振り下ろす。半身になって躱した崚のすぐそばで、ずしんと轟音を立てて槍が大地にめり込んだ。

 好機。崚は刀を水平に構え、埋まった槍の柄を這うように滑らせた。狙いは、動かぬ槍を構えたままの騎士の手。獲った――その瞬間、崚は間違いなく勝利を確信していた。

 

 

「“放て”!」

 

 

 騎士の短い叫喚。と同時に、爆発。

 

 

「――!?」

 

 

 真横から、轟音と衝撃が崚を襲う。ぶれた体幹が刀を握っていた右手ごと斬撃の軌道を乱し、逸れた刃は虚しく空を切った。

 

 

(何が起きた)

 

 

 考えている暇はなかった。爆発の反動を利用した騎士の回転薙ぎが、崚を襲う。崚は刀身で防御しようとして――ぶわり、と全身から汗が噴き出すのを感じた。咄嗟に刀で跳ね上げつつ後退する。刃が交差する瞬間、何か水のようなものが刀身に触れた。

 騎士もまた後退した。これで、彼我の距離は四メートルほど。崚からは、三歩もあれば彼奴へ刃が届くが――長槍を持つ騎士の方は、それより一歩少ない。

 騎士の瞳に油断はなかった。その碧い眼光は鋭く、容赦なく崚を見据えている。構えられた長槍の穂先はびたりと崚を捉え、今にも襲い掛からんといった様相であった。赤熱するその姿は、まるで怒りに燃えるかのように――いや、実際に燃えている! 篝火のような火焔が穂先に宿り、炯々と輝いている!

 

 

(魔法のたぐいか! 面倒な!)

 

 

 崚の疑問が一つ氷解した。先ほどの爆発は、槍の穂先を燃焼させ、それをもって起こしたものであるらしい。

 崚は魔法というものを知らない。それがいかなる術理をもって成り立つものなのか、それをここで見せることが何を意味しているのか。皆目知ったことではないし、何の助けにもならないだろう。問題は、あの騎士の槍がその見目以上の脅威を露わにしているということである。その朱き穂に触れるのは勿論のこと、掠るだけでも即死亡(アウト)。この熾烈な騎士の槍技を前に、常に余裕のある回避を演じなければならないということらしい。

 さて、問題はどう攻めるか。相手が炎というならば、水でもぶっかければ消えるだろうか。我ながらあまりいい案ではなかった。相手の火力は未知数であるし、何より水の用意がない。えっちらおっちら井戸水を汲み上げている余裕など無いし、相手もそれを悠長に待っていてくれるはずがない。

 

 

「食らえッ!」

 

 

 案の定、騎士は再び吶喊した。紅蓮に輝く穂先を突き出し、崚を突き殺さんと――あるいは、焼き殺さんと――迫る。崚は、渾身の振り下ろしをもってそれを撃ち落とした。

 するりと、何かが切れる感触がした。

 

 

(――ん?)

 

 

 違和感に一瞬呆けた崚の眼前で、ひゅぱりと炎が()()された。剣圧に揺らいでのことではない。文字通り、火焔が真っ二つに裂けたのである。

 

 

「むっ!?」

 

 

 さしもの騎士も、この超常現象は想像していなかったのか、思わず驚愕の声を上げる。が、仕手であるところの崚にも何が何だか分からない。何が起きたのかと困惑する崚の視界に、己の刀が映った。

 切先から刀身はおろか柄頭まで、一片の隙もなく真っ黒に染まった己の刀が。

 

 

「これは――」

「くっ――まだまだ!」

 

 

 一瞬早く正気を取り戻した騎士が、ぶんと長槍を振り回す。たとえ斬れても、炎は炎。ちろりと舐めるだけでも致命的である。崚は大きく飛びのき、再び後退せざるを得なかった。

 そして、長槍の炎も一瞬消失したかと思うと、再び豪と燃え上がった。どうやら、使い手の意志一つで自在に発火できる代物であるらしい。井戸水では対抗できなさそうだ。

 ――とはいえ。状況は、一方的な不利ではない。

 崚は黒く染まった己の刀を見やった。何が起きているのかさっぱり分からないが、どうやら今のこの黒刀ならば、あの炎をある程度凌ぐことができるらしい。

 

 

(ならば、『攻め』あるのみ)

 

 

 崚は強く踏み込んだ。敢えて相手の間合いに踏み込む。あの騎士の槍を凌ぎ、さらに前へ迫れば、それはいよいよ崚の間合い。騎士もそれを知ってか、長槍を振り回して崚の吶喊を阻む。朱槍と黒刀がかち合い、甲高い金属音が響いた。

 ぎぃん、ぎぃん――と、数合。朱槍の炎は黒刀に切り裂かれ、その奥の穂先もまた黒刀に弾かれていた。一撃でも躱し損ねれば死が迫る中、いまだ無傷で騎士と向かい合えていることは、ほとんど奇跡と言ってもよい。

 騎士の一撃は重い。騎士が槍を振るうたび、崚がそれを打ち払うたび、丹田にまで響くような重い一撃が崚の全身を痺れさせる。が、返礼がわりに繰り出す崚の斬撃は、むしろ速さを増していた。

 

 

(刀が軽い――いや、それ以上に)

 

 

 明らかに、自らの腕力の限界を超えて動かせている。騎士が長槍を一度振るうたびに、崚は二度、三度、四度――彼を圧倒する勢いで刀を振るえている。そしてそのたびに、長槍の炎は切り裂かれ、千切れ、かき消されていく。騎士の炎をもって崚が圧されるはずだった戦いは、崚の黒い瞬きによって、逆に騎士が圧される展開となっていた。

 

 

(いける)

 

 

 何が、などと考える必要もない。崚には直感があった。

 このままいけば、不利になるのは騎士の方だろう。どこかのタイミングで距離をとり、仕切り直しを図るはずだ。距離さえあれば、武器の射程で有利なのは騎士の方なのだから。

 だが、()()()()()崚の好機である。

 

 

「――っく!」

 

 

 崚が繰り出す怒涛の連撃に、騎士はたまらず苦悶の声を上げた。騎士はぶおんと一際大きく長槍を振り回すと、後ろへ大きく飛びのいた。彼我の距離は、およそ四メートル。

 ――いまだ!

 崚はその場で突きを繰り出した。刃渡り一メートルがせいぜいの黒刀では、騎士に掠りもしない――本来であれば。

 

 

「があっ!?」

 

 

 瞬間。騎士の右肩が切り裂かれ、血が噴き出した。

 黒刀のもう一つの力――空間を飛び越える刃である。

 

 

(――浅い)

 

 

 がしかし、急場で見出した力では不完全で、騎士に致命傷を与えるには至らなかった。半身に構えて傷口を庇いながらも、左腕のみで確りと長槍を構え、怒りと憎悪のこもった形相でこちらを睨んでいる。

 

 

「おのれ、匪賊め……! どこぞから魔導具を盗み出したか!」

「さあね。あんたに教える必要もあるまい?」

 

 

 忌々しげに吐き捨てる騎士に対し、崚は飄々と軽口を返した。故も知れぬ謎のサーベル、その正体が何であるかはさっぱり分からないが、それをご丁寧に教えてやる必要はない。

 一歩。どちらからともなく、踏み出した。

 ――次の一合。そこで、勝負が決まる。

 本来、槍とは両手で振るうものである。片腕に不安のある今の騎士では、長く戦い続けることはできない。故にであろうか、どちらが何を言うでもなく、その想いは自然と湧き出てきた。

 そして両者は、互いの得物を構え――

 

 

 

 

「ちょっと待った――――!!」

 

 

 

 

 横合いから、文字通り水をぶっかけられた。

 

 

「べふぅ!?」

 

 

 その情けない悲鳴は、どちらが発したものか。ぐしぐしと目元を擦る騎士の様子を見るに、彼の方は水が目に入ってしまったらしい。何とか重篤な被害を免れた崚は、即座に横槍の発生元を睨んだ。そこにいたのは――

 

 

「――ってお前か! 何すんだ、こんにゃろ!」

「こっちの台詞だよ!!」

 

 

 水滴のしたたる水桶を抱え、むっと顔をしかめたエレナだった。崚の怒鳴り声にもまったく怯まず、毅然と言い返すあたり、なかなかどうして胆力のある小娘である。それに感心するような寛容さを持ち合わせていないのが、崚という男なのだが。

 

 

「え、エレナ様!?」

「――は?」

 

 

 そんなエレナを見て動揺する騎士の声に、崚は思わず間抜け声を上げた。対して、エレナは相変わらずしかめっ面を騎士の方に向けた。その目つきは、初対面の人間に向けるものでも、まして敵対者に向けるものでもない。

 そのエレナの後ろから、やや遅れてエリスが駆け付けた。

 

 

「く……クライド卿!? どうしてここに!?」

「エリス様まで! お二人とも、ご無事だったのですね!」

 

 

 騎士の顔を見て驚愕の声を上げるエリスと、どこか安堵した声を返す騎士、もといクライドを交互に見て、しかし崚には何も把握できなかった。

 ――つまり、どういうことだ?

 

 

「……え、何? どうなってんの?」

「事態が動き出すということだ」

「ホエァ!?!?」

 

 

 何が何だか分からない。ひとり呟いた言葉に、まったく予想外の応答があり、崚は思わず飛び上がった。

 振り向いた先、崚の隣に立っていたのは、黒いコートに褐色肌の偉丈夫――いつか会ったゴーシュだった。いつからそこに!? と声にならぬ驚愕で唖然とする崚に対し、彼はいつものように無表情で問うた。

 

 

「カルドク団長と参謀殿は?」

「い――いま、す……今日は、確か、出かける予定も、ないって」

「案内を頼む」

 

 

 動揺でしどろもどろに答える崚に、ゴーシュが有無を言わさぬ言葉をぶつける。未知の第三者――というかもう四者か五者あたりの登場に、クライドが思わず身構えた。

 

 

「な、何奴!? いつからそこに!?」

「えっと、あなたは確か……?」

「君たちも来たまえ。どうやら、事態は我々が思うより深刻らしい」

 

 

 さぁっと走った緊張感を無視して、ゴーシュは踵を返して砦の屋内へと歩き出した。いや案内はいいのかよ、と突っ込む余裕がこの時の崚にあったか、どうか。とりあえず敵対者ではないらしいと理解したエレナたちも、言われるがままにその後を付いていく。

 ぽかんと呆けた崚だけが、その場に取り残された。

 

 

「――いや待って!? なにこの急展開!? 俺全然着いてけてないんだけど!?」

「説明は後でする。ここで詳細を話しても二度手間だ」

「そういうこっちゃねえんですよ!!」

 

 

 思わず地団太を踏む崚が、その手に握る黒刀の異変に――洗い流されたかのように色を失い、元の姿を取り戻していることに気付いたのは、もう少し後のことだった。

 

 




破邪の焔
 ベルキュラス王国魔導局にて開発された魔槍
 使い手に魔術の力を与え、火炎を自在に操る魔導具
 鍛造には窟人(クヴァル)の鍛冶師が携わっている

 魔術の力は強大だが、先天的な才能と複雑な知識を必要とし
 その使い手は極めて限られている
 ゆえに多くの国家が、その軍事転用を研究している
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