ヴァルク傭兵団を含む数個の部隊は、その日のうちに別働隊として荷支度をさせられ、ヒルテル山を迂回して北西へと進軍した。
オレリア湿原でカーチス軍を退けた反乱軍の主力が、アーリ山へ向けて東進している。これを迎撃し、アーリ砦にいる残存勢力への援護を阻止するのが目的だ。双方の進軍速度を算出した結果、両者はラムノ渓谷でぶつかる想定となった。
とはいえ、アーリ砦はほぼ陥落寸前だ。孤立籠城する想定のなかった同砦には、長期戦に対する備えがほとんどなされておらず、兵士たちの士気も目に見えて落ち込んでいる。それは実際に交戦した緒将の報告だけでなく、その諸将と合流し直に視察したエレナでさえ、一目で分かるほどだった。
つまり、直近の脅威はアーリ砦ではなく、カーチス軍を破った主力軍――すなわち
「――やっぱり、わたしも出た方が……」
「なりませぬ」
「でも!」
第一副将モラドをはじめとする諸将との軍議にて、エレナの申し出はたった一言で止められた。
エレナの手には、“水精の剣”がある。“水の乙女”に連なる至宝、その水の権能をもってすれば、
しかし、モラドは頑として承知しなかった。それに異を唱え、エレナに加勢する幕僚も出なかった。
「確かに、エレナ様ならば――“水精の剣”ならば対抗できるでしょう。
だからこそ、ここで御身を危険に晒すわけにはいかないのです。御身はこの軍の要でもあるのですから」
モラドの諫言は、間違いなく正論だった。諸将もそう思った。
それこそ、
となれば、最善手は一つだ。王都カルトナで待ち構えているアレスタ、反乱軍主力と行動をともにしている
「彼らが抑えらえなかった場合――その時こそ、御身が最後の切り札になるのです」
モラドの諫言は正論だった。――しかし、エレナ個人の感情を慮ることはできなかった。
クライドとリョウ。『
◇ ◇ ◇
別働隊がラムノ渓谷へと到着したのは、二日後のことだった。日付にして、六月十五日。アーリ山では、この日をもってドルフ軍とマリーカル軍が降伏し、王女軍が同砦を制圧完了することになるのだが、この時の彼らには知る由もない。
彼らの眼下には、渓谷の川岸に陣を敷き、周囲を警戒している反乱軍があった。ラグの手に預けられた魔力計器は、果たして眼下の陣に対して、ぶるぶると針を震わせてその反応を主張し、確かに
流れとしては、少々複雑である。
まず王女軍から攻撃を仕掛け、
(……いややっぱ無理があんだろ)
標的である反乱軍に見つからないように、獣道をひっそりと行軍する中、崚は脳裏で作戦内容を再確認し、そしてげんなりとした。『契約者を正確に見つけ出し撃破することができる』『契約者死亡によって
とはいえ、相手はカーチス軍七千を敗走せしめた強大な相手だ。ここで抑えることができなければ――せめて時間稼ぎができなければ、王女軍は一気に危機に陥る。無理も無茶も承知の上で、やり遂げなければならないのだ。
(――もしものときは、……)
最悪の想像から目を背けようとする自意識を、崚は自ら叱咤しなければならなかった。背反する感情に、崚の心境はぐちゃぐちゃだった。
この作戦が失敗した場合、次善策があるのかどうか分からない。しかし、対抗戦力が多いに越したことはないだろう。崚かクライドか、最低でもどちらかが生還し主力軍に合流する必要がある。そうなったとき――優先度が高いのはクライドだ。
ヴァルク傭兵団の団員は、未だ誰一人として
崚は息を吸って、吐いた。それだけで、自らの裡で暴れ出す動物的本能を抑えつけた。死にたくない――それはそうだ。
「――おい、坊主」
「え、あ、はいっ」
と、傭兵団の一人グライスが、崚の肩を強くゆすった。思考に沈んでいたあまり注意力が散漫し、道を逸れかけていたようだ。必死に平静を取り繕おうとする崚の様子に、グライスは顔をしかめた。
「……しゃんとしろよ。お前と兄ちゃんが要なんだろ」
「それは、グライスがサボっていいって理屈にはなんないっすよ」
「うるせぇ! んなこたぁ分かってるよ!」
崚の減らず口に、グライスは思わず大声で怒鳴り返した。そんな二人を、傭兵団の一人レインがじっとりと無言で見咎めた。
「ったく……切り込み隊長サマが別行動のせいで、俺らも大変だ。勘弁してくれよ」
「そっちこそ、契約者の方はきっちり
「
ぶつくさと愚痴を垂れつつ、「そろそろ兄ちゃんと合流しろ」と言い残すと、グライスは背を向けて歩き出した。
……もしかして、あの人なりに気を遣ってくれたのだろうか? そういえば崚は、グライスと諍いを起こしていたことを思い出した。無神経にも崚の髪色をからかってきたので、条件反射でその首を絞め落としてしまったのだ。あまりに唐突だったので、団員たちもつい制止が遅れた。
その件について、以後進展はしていない。無論、崚も自身の非は理解しているのだが、それはそれとしてグライスの方から謝るのが筋だと思っているし、グライスはグライスで年上としてのプライドから、謝罪しに来る様子がない。かと言って、お互い嫌がらせを仕掛けるほど暇ではないので、何となく気まずいのが何となく解決の機会を失っている、という状況がずっと継続している。
――和解するなら、今が最後の機会だろうか。崚にしてもグライスにしても、無事に生還できる保証はない。心残りを清算しておくなら、今この瞬間を逃すことはできない。
(……いいや、別に)
崚は無言でかぶりを振った。未練と呼ぶには、お互いにみみっちい話だ。生に執着する口実にさえ届かない。下らないことに気を取られる暇があったら、やるべきことに集中する方がよほど有意義だ。
◇ ◇ ◇
「報告! 南方の森から武装勢力の襲撃を受けています!」
ヴェームの刻(午後二時ごろ)。ラムノ渓谷の川岸に陣を敷いていた反乱軍の天幕のひとつに、兵士が息せき切って飛び込んできた。
「王女軍か!?」
「――
その報告に、部隊長を務める騎士オルファス、ボルツ=トルガレンの幹部ボールスは目を剥いた。山と川に囲まれた渓谷は、攻めるも難しいが守るも難しい地形だ。だからこそ、哨戒は念入りにしていたはずなのに――それを、掻い潜られたというのか。
ボールスの怒号に対し、天幕の隅にずるりと影が現れた。薄笑いを貼り付けた中性的な顔、美しさよりも薄気味悪さを際立たせる青白い肌、新雪のように白い髪、暗く麗しい礼服に包まれたすらりと細長い手足――
「いいや? 気付いていたとも。鉄屑を着たネズミ共が、涙ぐましく足音を殺して歩いていたのはね」
「だったら何故報告しない!?」
「命じられなかったからねぇ。敵か味方か分からぬ通りすがりのネズミ共のことなど、いちいち教えてやっても煩わしいだろうと思って」
「貴様ァ――!」
白々しい
「そんなことはいい! 早く
「ちっ……」
ぎりぎりと拳を握るボールスを制止したのは、憔悴する部隊長オルファスだった。化物に弄ばれる屈辱に苛立つボールスは、これ見よがしに舌打ちしながらも、
「――
「了解した。それでは、害獣駆除と行こうか」
いかな人心を弄ぶことが得意な悪魔といえど、明確に命令を下されれば従うしかない。
「……何をしている? ネズミ共を始末してこい。あの化物に、みすみす戦功を譲り渡す気か?」
ボールスのぞんざいな言いように、オルファスは物言いたげな表情を見せたが、しかし何を言うでもなく、ちっとこれ見よがしに舌打ちを残すと、無言で天幕を出ていった。
反乱軍の大将レイナード・アレスタが、ボルツ=トルガレンの首領を兼任している関係上、その幹部は諸将に並ぶ立場を得た。いわんや部隊長など、顎で遣う側である。連中がどんな経歴を辿ってきたか知らないが、所詮は主君を裏切った反逆者共、大手を振って歩ける立場ではあるまい――その小さな充足感は、
◇ ◇ ◇
「――おおおおおッッ!!」
「ぐはっ!」
「ぎゃあっ!?」
一方、王女軍の部隊。反乱軍の哨戒を掻い潜った彼らは、一気呵成に攻め込んだ。それは油断しきっていた兵士たちを襲い、次々に薙ぎ倒していった。混乱は見る見るうちに拡大し、血腥い臭いを押し広げていく。とはいえ、こんな連中は文字通り前哨だ。カーチス軍を敗走せしめた
「――喧しいなぁ、禿猿共は」
「がぁ……っ!?」
びゅぉぉおおと極寒の白風が部隊を襲い、先頭の十数人を呑み込んだ。それは鎧越しに身を貫くような冷たさを与えると、見る見るうちにその手足を凍り付かせ、あっという間に白い彫像に変じさせた。悲鳴を上げる暇すら碌になかった。ベルキュラスで六月といえば、夏真っ盛りである。それが、こんなあっという間に――後続の兵士たちが、恐怖に思わず足を竦ませた。
凍り付いて霜に覆われた兵士、その一人の肩に、ふわりと何かが舞い降りた。薄笑いを貼り付けた中性的な顔、美しさよりも薄気味悪さを際立たせる青白い肌、新雪のように白い髪、暗く麗しい礼服に包まれたすらりと細長い手足――
人によく似た姿なれど、決して人ならぬ怪物は、まるで雪の妖精のような軽やかさを見せる。それを前に、王女軍の兵士たちは恐怖で身を竦ませつつも、怯むことなく得物を構えた。
「出たぞ!
「陣形維持! 『抑制部隊』を掩護しろ!」
口々に叫ぶ兵士たち――その背後から、橙色の輝きが迸った。
それは兵士たちの頭を飛び越えると、凍り付いた兵士の肩に腰掛ける
「――ぬぅんッ!」
一方、火焔もそれだけでは終わらなかった。ぎゅるりとその輝きを束ねると、その中核――一本の長槍へと収斂する。その薙ぎ払いが、再び
ぼうぼうと炎上する天幕と兵士たち、その地獄のような光景をひとしきり眺めると、
「やぁ、それが
「は――小枝かどうか、試してみるといい!」
せせら笑う
睨み合うクライドと
――ぎち、と歯車が咬合する感覚を覚えた。
ぶんと空を斬った刃、その軌跡から眩い白光が迸り、
だんと降り立った影は、その手に握る刀をぶんと振るいながら、改めて
「――行けそうだ」
「よし」
崚とクライドは、互いに顔を合わせることなく、短く言葉を交わした。サヴィア大砂漠以来、ずっと沈黙していた刃は、果たしてその真価を発揮した。
「――きみは――いや、
「あ?」
一方、
それまでずっと保っていた薄笑いを完全に消し、驚愕に目を見開いていた。その視線は崚――いやその手の刀――いや崚とを行き来している。どんな異変を見出したというのだろうか。
「……知り合いなのか?」
「そんなわけねーだろ。バケモンとお付き合いなんぞ、過去にも未来にも御免こうむるわ」
一方の
「――……まさか……貴様、
ご丁寧に、崚とクライドを交互に指差しながら、半ば呆然とした様子で呟く。何か性質の悪い冗談を――狼と山羊が轡を並べて戦っている姿を見せられているかのような、信じ難いものを見る目つきだった。
意図が読めない。さすがに困惑を覚え始めた二人を見て、
「ぶわはははははは!!!!」
大爆笑だった。
まさに抱腹絶倒、腹も捩れんばかりといった様子でげらげらと、耽美な顔に似合わぬ大哄笑を轟かせる。いよいよ二人の困惑が深まった。
「……何あれ、どういうリアクション?」
「分からん。こちらを惑わす狂言の類か……?」
それぞれに得物を構えつつ、しかし戸惑いを隠せない二人は、ただただ困惑するばかりだった。奸計の類ならば問答無用に斬って捨てられるが、さすがにこれは予想外というか、
「そうなるとは! そういう組み合わせがあり得るとは! あぁ、運命とは何と残酷で美しき
「――これ、問答無用で頸すっ
大仰に手を振り上げ、いよいよ芝居がかった振舞いを見せる
「さて――愉快なものを見せてくれた礼をしよう」
そして、そのチャンスは二度と訪れない。先ほどの狂乱が嘘のように、ふらりと脱力した
びゅぉぉおおと、ひときわ強い冷気が吹雪いた。浮かび上がる
(――まずい!)
そして、クライドは己の失態を悟った。咄嗟に魔槍を使った自分でさえ、この有様であれば――隣にいる少年は、無事では済まない!
――色のない波動が、刀の奥で胎動した。
色のない何かが刀から伸び、腕を伝って崚の心髄に入り込んだ。温度のないそれが骨の内側を満たす感覚は、しかし不思議と不快感がなかった。骨という骨に煮え滾る鉄芯が差し込まれたような感覚を覚え、全身を襲う寒気が急速に遠のいていくのを感じた。
崚はまず手首を捻った。ばきり、と両腕を覆う霜が砕け、ぱらぱらと足元に零れ落ちていった。腕を振るい、足を振るい、全身の霜を落としていく。
「おい、そっちは行けるか!?」
「な――何とか! しかし、これは……!」
びょうびょうと吹き荒ぶ冷気の最中、二人の戦士は互いに怒鳴りながら言葉を交わした。王女軍も反乱軍も、これは堪らぬと真っ先に逃げ出し、結果三者の邪魔をし得る者がこの場からいなくなったのは、僥倖と言っていいか、どうか。
陣の横を這う川はすでに氷結しつつある。
「せいぜい、必死こいて抵抗してみたまえ! ――その方が、惨たらしく死ねるからさァ!」
その中心に取り残された二人の耳に、吹雪に混ざって
◇ ◇ ◇
真夏とは思えぬ寒気がびょうびょうと吹き荒れる中、逃げ出していたのは兵士だけではなかった。
ボルツ=トルガレンの幹部ボールスもまた、
問題は、この惨状を作り出すほどの本気を出していながら、それが一向に衰える様子がないという現状だ。“破邪の焔”なる魔導兵器――
己の内側で、何かがじくじくと蝕まれるのを感じた。
『何をしている、
契約者同士の念話――音を介しないボールスの念が、
『いやはや、これがなかなかどうして難敵だ。
『何を、訳の分からんことを――!』
ボールスの念話にも構わず、冷気が一段と強く吹き荒れ、魔力が吸い上げられていく。どうやら
『水と油――いやそれよりも決定的な断絶だ。その筈なのだよ。それを、上手いこと
ころころと鈴を転がすような念話を届けてくる
『……あぁ、失敬!
念話越しの
しかし、その激情を発憤する機会はなかった。
「――反応あったァ! あそこの部隊っス!」
「なに――!?」
がやがやとした喧騒が近付いてくる。応戦する兵士たちの悲鳴が聞こえてくる。鉄が擦れ合う音、何かが倒れる音、ぶつかって転げ落ちる音。戦いの音が聞こえてくる。まさか――王女軍!? ここを嗅ぎつけたというのか!?
『――
『ほぅ……なるほどなるほど、そういう企てか』
即座に念話を飛ばしたボールスに対し、しかし
『残念だが――
『な――!?』
問い質している暇はなかった。何かが天幕越しに柱にぶつかり、どさりと天幕が揺れた。もはや留まっている方が危ない。咄嗟に天幕を飛び出したボールスを出迎えたのは、
「おらァァァアアア!!」
粗野な装備を纏った大柄な傭兵が、真夏に似合わぬ白い息を吐きながら咆哮を轟かせていた。大の大人の背丈ほどもある大剣を振り回し、そしてその度に反乱軍の兵士たちが宙を舞った。腕を両断され、胴を両断され、頸を両断された兵士たちが、血しぶきを上げながら吹き飛んでいく。その光景に怯んだ兵士たちが、その周囲の傭兵たちの手で次々に仕留められていく。
「お……おい、あれ、“ヴァルクの猛虎”じゃねぇか!?」
「や、やべーぞ! 逃げろ逃げろ!」
その光景に身を竦ませた兵士たちが、我先に逃げ出した。ひとたび生じた恐慌は、にわかには収まらない。次々に駆け出す兵士たちは、もはや戦力として何の価値もなかった。ボールスは駆ける兵士の一人の肩を捕まえ、強引に立ち止まらせた。
「お、おい、私を守れ! 奴らを近づけさせるな!」
「はぁ!? 冗談じゃねぇよ、自分で何とかしろ!」
「私がこの軍の要なのだぞ!? 私が生き延びないと――」
兵士は力尽くでボールスの手を振り払い、そして背を向けて逃げ出した。ボールスの命令を聞くものなどいなかった。誰一人として、彼に気付いてさえいない様子で背を向けて駆け出し、そしてその幾人かの背を矢雨が襲い、ぐぎゃっと汚い悲鳴を上げながら倒れていった。狼狽するボールスの周囲で、死体がどんどん増えていった。
『いやはや、私も心苦しいのだよ? 我が愛しき契約者を見捨てるなんて、悲しみで胸が張り裂けそうだ。
だが、こちらも些か以上に厄介でね。今の魔力では、少々心許ない』
『余計なことはいい! 今すぐ私を助けろ!』
そこに畳みかけるように、
どいつもこいつも使えない連中ばかりだ! この私さえ勝利すれば――この私さえ生還すれば、全て丸く収まるというのに!
『無茶を言わないでくれ給えよ。今背を向けたら、私の方が危ない。
だが、しかし――そうだな、
『ば――!?』
文字通り悪魔の囁きに、ボールスは瞠目した。悪魔との契約――その対価といえば、一つしかない。契約者自身の魂である。つまりは「
そして、その窮極の選択を決心する暇は与えられなかった。
ガチャガチャと鉄の擦れる音が、はっとボールスの意識を現実に引き戻した。見れば、周囲は傭兵たちに取り囲まれていた。白い息を吐きながらも、それぞれに剣や斧、弓や槍を構える姿は、とても油断している様子はない。反乱軍の兵士たちは――より正確には、生きている兵士は――誰一人としていなかった。悪魔の無法に惑わされた結果、ボールスは見事に逃げ遅れてしまった。
「な……こ、これは……!」
「――こいつっス! こいつが契約者みたいっス!」
狼狽して立ち竦むボールスを指差して、傭兵の一人が手元の何かを見ながら言った。それがヴァルク傭兵団の参謀ラグという青年であること、王女軍が魔力計器を保有しており、その管理を任された者であることなど、ボールスには知る由もなかった。取り囲む傭兵たちの視線が矢のように突き刺さる中、大剣を担いだ傭兵――カルドクが進み出た。
「さァて、鬼ごっこは終いだ。若ェのが切羽詰まってっからな、手短に済まさせてもらうぜ」
その全身に浴びている、夥しい返り血が凍りかかっているのを見て、ボールスは震え上がった。よくよく思い返せば、“ヴァルクの猛虎”なる古強者が敵にいるという情報がなかったか。かつて同志たちが王女を狙って攻撃したとき、グレームルをも引き連れて獲りに行った同志たち、その尽くを斬殺せしめた油断ならぬ傭兵共――それが今、己の目の前にいる!
『――残念、時間切れのようだ。ま、自分で何とかし給え』
愕然とするボールスの脳裏に、
目の前にはゆっくりと距離を詰める古強者、周囲の傭兵たちもじりじりと包囲円を狭めてきている。悪魔の契約者、魔術使いの類としてその動きを警戒しているのだろうが、動揺するボールスには何の意味もなかった。どうする。どうする。どうする。どうするどうするどうするどうするどうする――
「ま、待て、降伏する! この通りだ、み、見逃してくれ!」
その口をついて出た言葉は、傭兵たちの意表を突くことに成功したらしく、一瞬だけ唖然とさせた。しかし本当に一瞬だけで、カルドクはボールス自身よりも速く言葉の意味を理解すると、呆れた顔をしながら、肩に着いた紅色の霜を払い落した。
「オメー一人が降伏して何になるんだ。先にやることがあんだろ?」
「え、ちょ、団長!?」
ため息交じりの雑言に、ラグがぎょっと目の色を変える。それはまるで、「交渉次第で逃がしてやる」と示唆しているようなものではないか。それでいいのか。いや退けることさえできればこの場は凌げるが。いやでも今後また脅威にならないとも……ボールスを取り囲む傭兵たちの間にも、ざわざわと困惑が広がった。
――その一瞬で充分だった。
『
無理矢理念を飛ばし、彼方で戦う
「ごっ」
その念は、最後まで紡ぐことが出来なかった。袈裟懸けに振り下ろされた大剣が、心臓を叩き潰し、筋肉を引き千切り、骨髄を両断する。文字通り真っ二つにされたボールスは、その一瞬だけ己の状況を理解し、そして驚愕のまま絶命した。悲鳴を上げる隙もなかった。
「――アホか。そのテの小細工に引っかかるほど、甘い業界じゃねェんだよ」
霜走る大剣を鮮血で汚しながら、カルドクはふんと鼻を鳴らした。姑息な時間稼ぎと見抜いていた彼には、最初から通用しなかった。
これで、作戦の第二段階は達成だ。――あとは、
光臨結界
光に由来する法術のひとつ
光の柱を召喚し、方陣をなして防御する
また方陣に踏み込んだ“魔”を、その光で焼き払う
攻防一体の上位術であり、行使には熟練を要する
だが世に仇なす魔は数多く、その脅威は絶えない
世のため人のため、修練を絶やしてはならぬ