三大忌地“ガルプスの渦”は、世界の中心にある。
“魔王”トガと“聖剣使い”ヘクター・ベルグラントが最後の決戦を交わした地は、人智を隔絶する魔力と霊気の衝突により理が歪み、人跡を拒む最後の魔境として知られている。その時の魔力が未だ残留し、尽きぬ呪いを撒き続けている、というのが通説だが――
そのさらに深奥に、
地の底の大空洞、その中央に鎮座する巨大な水晶塊に閉じ込められた、黒髪の男。夥しい魔力が天地を汚染する中、その大空洞だけは清澄に満ちていた。
幻想的なその光景を前に、一人の少年が屹立した。かつて“雷電の復讐”に誓い、辺境の傭兵団に身をやつし、そして今、魔王の魂の依代となった少年は、霊気が織りなす結界を前に、無言で立ち尽くしていた。肉体と魂が切り離され、己同士が対面するというのは、世界広しといえど決して尋常ならざる体験だろう。少年の裡に宿る魂は、一瞬だけ奇妙な感慨を覚えた。
少年の体躯から、赤黒い瘴気が噴き出した。汚濁に満ちた瘴気は、たちまち目の前の水晶塊に向かって殺到し――しかし、その遥か手前で押し止められた。水晶塊を包む霊気が、形なき魔王の魔力を拒んだ。本来あるべき肉体と魂の融合、魔王の完全復活を拒むかのような、最後の抵抗だった。
――みしり、と世界が軋んだ。
極大の重力と赫熱が、大空洞を呑み込んだ。霊気の封印が圧迫され、みしみしと世界が悲鳴を上げる。大空洞を、水晶塊の封印を丸ごと崩落せしめんとばかりに膨れ上がる魔力が、ごろごろと轟音を響かせる。水晶塊の表面に、ぴしりと亀裂が走った。
所詮は遠い過去の残滓、実体を伴わない霊気の残り香では、天地を噛み砕かんばかりの魔力を前に、いつまでも
びしり、と水晶塊の亀裂が広がった。次々に亀裂が増え、広がり、交差し――やがて水晶塊を覆い尽くすと、ばきんと一際強い破砕音が響いた。水晶塊ががらがらと零れ、細かな蒼粒と化し、軽やかな音とともに崩落していく。その深奥に閉じ込められていた青年は、ゆっくりと目を開き――淀んだ血赤色の瞳で大空洞を睥睨した。
ついに“魔王”トガが、その真体を取り戻した。
それを見届けたかのように、重力と赫熱が止んだ。八百年ぶりに己が体躯を取り戻したトガは、それを確かめるように腕を動かした。腕を持ち上げ、手を握り、開き、魔力を循環させる。一通り支障がないことを確認すると、
トガの意識は、大空洞の入り口――そこに立つ魔人アスレイに向いた。八百年ぶりの再会、総身に“神なる理”との激戦の傷痕を刻んだ“羅刹”は、しかし往時と同じ、いやそれ以上の憎悪を滾らせて屹立している。狂おしいほどの激情の発露が、魔王の胸中に微かな郷愁を抱かせた。
「――
流れるような所作で、アスレイが恭しく跪いた。往時とまったく同じ忠心は、まるで八百年という隔絶が嘘のようだ。懐かしき友との再会に、トガは鷹揚に頷いた。
「顔を上げよ。――虜囚の辱めに耐え抜き、よくぞ我が許へ戻った。大儀である」
魔王らしく傲岸な言葉は、しかし不思議な温かさを伴っていた。八百年前、同じ戦場を駆けた唯一の戦友。無二の同志。その絆は、こうして永い時を越えても色褪せず、余人の邪魔を許さない。だがその根幹は、人類廃絶という呪いである。そんなものに付き合わされる世界の方こそ、堪ったものではない。“神”と“魔”、互いの全霊を懸けた大反攻を、この二騎は再び繰り返そうとしていた。
猶更
「――して、貴様らは?」
「あら、いけない方。何もかも知っているくせに、素知らぬふりして喋らせるのね」
「貴様らの口から語らせることに意味があるのだ」
二騎の再会を遠目に見守っていた魔人たちへ、トガが視線を遣った。まさに恐れ知らずの口を利くカンデラリアと、薄笑いを浮かべるマルシアルだった。
「お初にお目にかかります、魔王様。マルシアル・テクス・アルトゥル・ガルガムス、しがない生物学者にございます。アスレイ様のご協力のもと、魔王様が尖兵たるイシマエルを使い、少々の研究をさせていただきました」
「それで?」
まず応えたのは、マルシアルの方だった。仰々しく首を垂れ、歯の浮くような白々しい台詞を並べる。トガは興味なさげに続きを促した。
「御身の臣下としてお仕えさせていただきたく、伏してお願い申し上げます。
御身を前にして恐縮でございますが、イシマエル共の量産と改造には一日の長があります。魔王様の悲願、人類廃絶のお力添えになれるかと」
「佳かろう。貴様の臣従を許す」
流れるようなマルシアルの口上を、トガは二言で切り捨てた。
続いて、カンデラリアが進み出た。
「私はカンデラリア。そこのアスレイさんとマルシアルさんの口車に乗せられて、貴方の復活に協力した
「――くく。諧謔の嗜みはあるようだな」
「それで? その『通りすがりの魔人』とやらは、吾が再臨をどう受け止める?」
「そうねぇ……お仕事は済んだのだし、これっきりでお別れでもいいのだけれど――」
トガの問いに、カンデラリアはうーんと頬に手を当ててみせた。実のところ、選択肢は有るようで無い。すなわち、世界に蔓延る邪悪な“魔”の一角として征伐されるか、“魔王”の覇道を阻むものとして討滅されるかの二択だ。
「ただ……『人類廃絶』が果たされた時、どんな景色が見えるか、興味がないと言えば嘘になるわね」
――それでも、
「そのためにというのなら――『どうしても私の力が欲しい』というのなら、なってあげてもいいわ。貴方だけに尻尾を振る
「佳かろう。求めるならば、吾が与えてやる」
カンデラリアの嫣然とした言葉に、トガはふんと鼻を鳴らすだけだった。「まぁ、連れない方」とカンデラリアが口を尖らせたのも、遊興のうちと言っていいか、どうか。
ともあれ、こうして二騎の魔人は魔王の軍勢へと加わった。数にして、たったの四騎――だが、それぞれが異なる形で人間社会を滅ぼす力を持ち、神器の使徒とさえ対等以上に戦ってみせることができる。世界の命運は、決定的な破滅へと舵を切り始めた。
「
そう問うたアスレイの視線は、魔人二騎のさらに後方、
そしてもうひとつが、ゆっくりと闇の中から姿を現した。雁字搦めに縛り上げられた糸人形のように、不格好で不自然な歩みを強制されているのは――大鎌を携えたアレスタだった。衣服はぼろぼろに破け、燃えるような赤毛も煤に汚れている。落ち窪んだ眼窩は、ひたすらに虚空を映すばかりだった。ぎちぎちと軋む音を上げる魔力が、その全身を余すことなく締め上げていた。
アスレイの質問に対し、トガは一瞥だけ遣ると、すぐに興味を失くし視線を逸らした。
「
「ならば、管理は私めが。少し弄りますが、構いませんかな?」
「好きにせよ」
すかさず口を挟んだマルシアルに対しても、ぞんざいに答えるばかり。仇敵の一角、憎き神器の使徒を手籠めにした達成感など、
「残りの使徒共はどうする。まさか、
「覚醒済みの三人は、霊山エルネスカに集結しているようね」
待ち侘びたとばかりに諸手を擦るマルシアルをよそに、残る人外たちは話を進める。“神なる理”からはみ出した魔人としての“感”が、
「構わぬ。所詮は竜、神理にとっても捨て駒に過ぎまい。――まずは、小手調べといこうか」
――
◇ ◇ ◇
「さぁ、お勉強の時間です! 張り切ってまいりましょう!」
「は、はい!」
「……巫女サマ、それ何キャラ?」
ヌーの刻(午前八時ごろ)、燦々と降り注ぐ陽光の下。つい昨夜訪れたばかりの大舞台にて、カヤが元気よく声を張った。対面するのは、新たな使徒こと緊張が抜けきらないエレナと、いまひとつテンションについていけない崚。十代の二人より遥かに年上、一行と比しても最年長であるはずの“長巫女”カヤだが、にこにこと上機嫌に笑うその顔は、とても齢を重ねた
「一分一秒を争うって話じゃなかったっスっけ……?」
「並みの相手ならいざ知らず、相手はかの“魔王”です。神器の権能を知悉し、正しく使いこなすことは必須条件。大敵を前にしてこそ、しっかり足元を固めるのですよ」
舞台の脇でたむろするラグたちの言葉を、カヤが即座に拾い上げた。今更にきりりと表情を正してみせたところで、隠す気もあるか疑わしい上機嫌では、保てる威厳などありはしない。
世界に点在する六つの神器――すなわち、
問題は、『使徒としての戦力』だ。いくら“神なる兵器”に選ばれた特別な担い手とて、目覚めてすぐにその権能を使いこなすことなどできない。それはずっと“
「クライドさんは魔導兵器を扱われるとのことでしたね? 法術の知識が直接関係するわけではありませんが、魔槍の制御にあたって参考となることもあるでしょう。是非役立ててください」
「はい。よろしくお願いいたします、大神官長様」
エレナの隣に並ぶクライドが、びしりと姿勢を正して応えた。こういう辺りは、やはり騎士として馴れている。無論、崚も無仁流の稽古を積んできた身であり、決して馴れていないわけではないが、なにぶん内容が法術だの権能だの、いまひとつ胡散臭い代物である――というのは、言うまでもなく不信心極まりない思想だが、それを咎める者が現れなかったのは幸いと言っていいか、どうか。
「ぶー。魔術ならあたしの方が適任でしょ」
「っ
「あなたの威力では、ここの結界を傷付けかねないので、控えてください」
「はぁーい」
一方、カルドクら傭兵たちと同じように舞台脇でたむろしながら、シルヴィアがぶーと頬を膨らませていた。礼儀のなっていない傭兵たちに混じって胡坐をかき、無遠慮に野次を飛ばす姿は、とても高貴な大公家の令嬢とは思えない。隣で足を崩して座り、よれた毛玉姿のムルムルを頭に乗せているエリスの方が、よほど品がある。霊山の神殿を預かる
「つーか、あんたらは何してんだよ!?」
「見物」
「野次馬」
「暇つぶし」
「見世物じゃねーよ引っ込め!」
崚の喚声に、傭兵たち(と、シルヴィア)は平然と言い返した。「いーだろ、減るもんじゃあるめぇし」と開き直る様は、崚とは異なる意味でとんだ不信心者共である。衆人環視の中で修行など冗談ではない、勘弁してくれ――というが、そんな崚の不満を誰よりも慮ってくれないのが、まさに教師役を務めるカヤだった。ある意味誰よりも熱意を込められた双眸が、もう始める前からげんなりしている崚を捉えた。
何はともあれ、我儘を言っても始まらないのが戦争だ。ここは大人しく、まず座学からといこう。
「そもそも、神器とは『物質化した聖性そのもの』です。地のうごめき方を、水の流れ方を、火の揺らぎ方を、風の巡り方を、そして生の始まり方と死の終わり方を規定する“大いなる理”――それを守るため、荒ぶる力を振るう不滅の
神器の権能は大きく『加護』と『神威』に分けることができます。使徒自身を保護し、脅威から身を守る『加護』と、外界に作用し、“魔”を排除する『神威』――それぞれ、防御と攻撃に関連するものと思っていただいてよろしいです。また、わたくしの
「それは、どうやったら使えるようになるのでしょう?」
「“先史の追憶”という加護を用いれば、神器と対話することが可能です。
先人の使徒たちは、神器の権能から多くの加護と神威を見出してきました。神器と同調することで、その御業を継承することが可能になるのです」
カヤとエレナの問答に、「ずいぶん都合のいい話だな」と崚が茶々を入れなかったのは、間違いなく賢明と言っていいだろう。つまるところ、先人たちが培った技術がそのまま伝授され、一から習得/開発する必要がないということである。あらゆる武芸者、いやすべての分野の技能者にとって垂涎ものの恩寵だろう。あるいはそれもまた、“神”を冠するモノゆえの特別性というべきか。
「具体的には」
「使徒であれば、神器の方から語りかけてくるのを拾うことができます。
深呼吸をして、心を落ち着かせ、内なる
カヤに促されるまま、エレナと崚は目を閉じた。その手に握る剣の波動を感じ取り、深く深く思考に沈んだ――
しばらく、沈黙が続いた。使徒二人の集中を乱さないように、見る者全員が固唾を呑んで見守っていた。……早々に飽きたカルドクが盛大な屁をこきそうになり、ラグやカルタスに殴られていたのは蛇足だろう。
やがて、エレナの周囲にいくつかの水滴が浮かび上がった。ふよふよと彼女の周囲を滞留し、少しずつ数を増やし、そして秩序だって流動を開始する様を見るに、何かしらコツを掴めたのだろう。瞑目したままの横顔も、手応えを感じているようだった。
一方、崚の方はといえば――
「――何も聞こえないんすけど……」
「えっ?」
顔じゅうに困惑を浮かべて発した言葉に、カヤも思わず当惑した。
「そ、そんなはずはないでしょう? 現に、星剣の権能を行使できていたと聞いていますよ」
「いやアレ、何か『いける』って思った時に、勝手にぶわーっと出るっつーか。むしろ振り回されてるっつーか」
「危なっかしい奴だな……」
おろおろと狼狽えるカヤ、平然と危険な告白をする崚を交互に見ながら、クライドが呆れた声を上げた。彼自身、今はなきベルキュラス魔導局で魔槍を授かった際、「一歩間違えば己だけでなく、味方すら巻き込む危険な兵器です」と口酸っぱく警告されてきた。結果として害なく済んでいるから良いものの、それと同レベルの危険を冒してきたということになる。
しかし、問題は権能の習得だ。有史以来、
「『先史』がそもそも無くなってるんじゃない?」
「というと?」
その答えは、二人のやり取りを眺めていたシルヴィアがもたらした。
「
「そ、そんな……!」
シルヴィアの指摘に、大仰に動揺したのがカヤだった。顔面蒼白、ががーんという擬音さえ聞こえてきそうな衝撃ぶりだ。そんなカヤをよそに、崚は思い切り顔をしかめた。
「じゃあどう使えばいいんだ、コレ」
「今まで通り、気合で何とかしたら? 正式に覚醒したんだから、使い勝手は向上してるはずでしょ」
「んなテキトーな話があるか!」
シルヴィアの他人事のような――いや実際、他人事でしかないのだが――物言いに、他人事では済ませられない崚は容赦なく罵声を浴びせた。せっかく技能習得の手間を短縮できるはずだったのに、これでは話が違う。『神の権能』などという胡乱な代物を、一から覚え学ばなければいけないというのか!
そんな不遜な不満を垂れる崚をよそに、心底から悲嘆で満たされたカヤが、がっくりと膝から崩れ落ちた。
「……せっかく、お弟子さんが増えたと思ったのに……!」
「そこ?」
この人の感性分からん、と崚が内心で呟いたことを明かしていいか、どうか。
◇ ◇ ◇
「ほい」
掛け声とともに、ふわりと魔力泡が二つ。濃藍色のそれに対峙する崚は、じっと
その眼前にきらきらと白光が収束し、たちまち剣の形を成した。中空に現れた二つの剣気は、そのまま音もなく奔り、二つの魔力泡を貫く。魔力泡はぱちんと軽やかな音とともに弾け、跡形もなく消失した。
「ほら、四つ」
それを見届けたシルヴィアが錫杖を振るい、今度は四つの魔力泡を展開する。それに呼応した崚が、同じように四つの剣気を現出させる。ぎゅんと迸る剣気が、過つことなくすべての魔力泡を貫いた。
「今度は動かすわよー」
「てめえの脳天ぶち抜くぞ」
シルヴィアの掛け声に罵声で返しつつ、ゆっくりと上下に揺れる二つの魔力泡を目で追い、剣気を現出させて狙いを定める。びゅんと飛んだ剣気は、果たして両方の魔力泡を撃ち抜いた。
「何やかんや慣れてきたわね。心強いこと」
「そりゃどーも」
錫杖を下ろしたシルヴィアの褒め言葉に、崚はへんと鼻を鳴らした。
結局、権能の扱い方を一から学ぶしかなくなった崚は、シルヴィアの協力のもと権能習得に励むことになった。カヤにはエレナの教導に集中してもらい、崚のことは諦めてもらうことにした。
基本方針は、『権能のみを扱う』方法論の確立だ。剣技に絡めて権能を行使するやり方は、今まで扱ってきた感覚の延長線でいい。となれば、権能単体で扱う方法を習得すれば、それだけ手数が増えるということになる。光気の現出、固定収束と操作、射出による攻撃……とくに
「折角だし、名前とか付けたらどう?」
「名前ぇ?」
シルヴィアの提言に対し、崚は分かりやすく顔をしかめた。
「なんか必殺技みたいじゃん。恥ずかしいからやだ」
「なんの話よ? 名前を付ける、つまり『定義する』『識別する』ってのは、魔術的には重要なのよ。権能を扱うにあたっても、同じことじゃない?」
「そうですね。幾多の使徒が様々な権能に名を付け、御業として記録してきました。法術も同じことです。それを重ねることで、技術は発展していくのですよ」
「さいですかー」
二人のやり取りに、カヤが素早く割り込んだ。一理ある言葉に逆らうことができず、「いいからエレナの方に集中してくんないかな」と言い返さなかったのは、賢明と言っていいか、どうか。
ともあれ、名前か――と思考に沈んだ崚をよそに、カヤはエレナへと向き直った。
「あちらも一区切りついたようですし、休憩としましょうか」
「はい!」
カヤの言葉に、その向こう側で鍛錬を積んでいたエレナも応えた。この様子だと、ある程度の成果はあったらしい。一緒に講義を受けていたクライドも、何かしらの知見は得られたようだ。広い舞台の隅で、一同の邪魔にならない程度に鍛錬をしていた傭兵たちも、揃ってだらりと気を抜く中、
「――何か、来る」
「は?」
セトが素早く立ち上がり、東の空を睨んだ。
『――カヤ! 敵襲だよ!』
「レーベ様!?」
『急いで支度をおし! ――これは――まさか……!』
何だ何だと傭兵たちがざわめく中、レーベフリッグからの念話がカヤにも届いた。緊迫したその
しかし、何が来るのだろう。七天教の総本山たる霊山エルネスカ、法術の結界で守られたこの場所を襲撃するものなど、容易く想像がつかない。きょろきょろと見回す一同は、じっと東の一点を睨むセトと同じ方向を見やり、そして雲海の彼方から迫りくる影を見つけた。
遠く、黒い影が飛翔してくる。加速度的にその大きさを増すのは、それだけ高速で迫ってきているということで――同時に明るみになる、それの巨大さに目を疑うことになった。傭兵たちのほとんどは、何かの見間違いだと思った。雲の上に聳える神殿で、めったに見ない絶景のせいで、遠近感が狂っているに違いない――そう信じ込もうとした。そんな妄想を容易く超える巨体が、儚い現実逃避を打ち砕いた。見覚えのある威容から、彼らは目を背けることができなかった。
ちかちかと鋭く反射する鱗、ぼろぼろの皮翼、風圧に揺れる四肢と尾、捩じくれた二対の大角。幻想の中にしかいないはずの、しかしどこぞの毛玉のせいですっかり見慣れてしまった、大いなる獣。
「――あれは……!?」
「ゴアアァァァアアァァッッッ!!!」
「ぎゃーっ!?」
驚愕する一同を待つことなく、巨竜はあっという間に神殿へと到達した。その口腔から紫電の光が瞬いたかと思うと、神殿は紫焔のスパークに呑み込まれた。竜を象徴する権能、破壊の
その姿を見て、シルヴィアは愕然とした。
「――嘘……冗談、でしょ……!?」
彼女は知っている。彼女だけは知っている。失われた
――でも、そんなはずがない。かつて見た姿は、もっと雄大だった。もっと華美だった。もっと威容だった。こんな薄汚れた姿で、こんな狂った痴態で、こんなみすぼらしい醜態であるはずがない!
「……大天竜、ナルスタギア――!?」
美しい真珠色の鱗を、いまや醜い黒斑で汚した怪竜は、ただただ狂った咆哮を上げていた。
先史の追憶
全ての神器に共通する加護のひとつ
古の使徒たちの戦いの記憶を呼び起こす
新たな使徒は、まず神器と深く同調し
その記憶から、先達が編んだ戦いの技を知る
そして使徒は、彼らの歴史を継承するのだ
ただ一つ、もっとも新しき神器を除いて