神宿ル劍   作:竹河参号

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腐腫蜘蛛(オヴリグルマ)
 イシマエルの一種、人の四肢を接がれた肉塊
 腐敗した湿地を好み、周囲を急速に腐敗させる異能をもつ
 人を好んで食らい、その四肢を自らに接いで成長するという

 知能は皆無だが悪食で、俊敏な動作で獲物を襲う
 また腐敗の異能は凶悪で、魔王大戦では甚大な被害をもたらした
 今でも、その惨劇の残滓が各地に残っている



11.秘境の森

 ――時間を、少し遡る。

 

 

 使徒一行は、途中休憩や関所突破を挟みつつ、レラーゼ街道を駆け抜けた。

 時刻はオルスの刻(午後六時ごろ)を過ぎた辺り。カルヴェアとの国境――すなわち目的地である“ニュクスの森”まで、あと数里程度。もう一日か二日もあれば着くだろうという見込みの元、一行は夜支度を始めた。

 カヤが結界を張り、傭兵たちが焚火や飯の支度を始める。そんな中、手持ち無沙汰になったエレナは、傍らのムルムルに声をかけた。

 

 

「――ムルムル、お願い」

「きゅ!」

 

 

 抽象的で、短い命令。しかし小さな臣獣は確かに聞き届けると、勢いよく飛翔し結界を飛び出した。行先は、北。言うまでもなく、崚たちの援護だ。

 

 

「あっちょ、何やってんのお馬鹿!」

 

 

 あっという間に見えなくなる小さな背中を見届けるエレナだが、それを鋭く見咎める者がいた。シルヴィアである。

 

 

「こっちはただでさえ手札が少ないのよ! 竜までいなくなったらどうすんの!?」

「だからこそ、切れる時にきちんと切っておくべきでしょ!?」

「それでこっちが苦しくなったら元も子もないじゃないの!」

「やりすぎて魔力すっからかんのシルヴィに言われたくないもん!」

「ぁんですって!?」

 

 

 声を荒げるシルヴィアに対し、エレナも負けじとばかりに言い返す。従姉妹の間で、激しい言い合いが始まった。滅多に聞けない怒鳴り声の応酬に、周囲の傭兵たちも何だ何だと集まってくる。

 

 

「……喧々諤々、ってやつっスかねぇ……」

「もうちっと、仲良しこよしな感じだと思ってたんだけどなぁ……」

「女の喧嘩って()えー……」

「そこ、聞こえてるわよ!」

 

 

 今にも掴み合いの喧嘩に発展しそうな女二人の言い合いに、歴戦の傭兵たちはただ戦々恐々とするばかりだった。勝気で豪放磊落なシルヴィアはともかく、エレナがここまで激する様など、ほとんど見たことがない。良くも悪くも単純な傭兵たちにとって、その威圧感はとても割り込めない気迫があった。

 

 

「まぁまぁ、お二人とも。喧嘩はいけませんよ」

「そうは言ったってねぇ……!」

 

 

 そこへしなやかに割り込んだのは、大神官長カヤだった。反射的に噛み付くシルヴィアに対しても、まぁまぁと穏やかに宥める。

 

 

「お三方とも、類稀な戦士です。わたくしたちにできることは、皆様の健闘を祈るだけ。今は落ち着いて、ムルムル様とともに帰ってこられるのを待ちましょう」

 

 

 お手本のような行儀の良いその台詞が、今この状況に相応しいか、どうか。少なくとも、目の前の少女二人を納得させることはできなかった。シルヴィアは露骨に不機嫌そうに鼻を鳴らし、エレナも不満げな表情を隠さない。

 

 

「……リョウのことは、いいんですか?」

「……大神官長として、歓迎すべきことではありませんが――リョウさんの言った通り、他に手がないのも事実。彼とエウレガラムに、悪影響がないことを祈るしかありません」

「ふーん、“長巫女”サマは余裕がおありでいいわね」

「シルヴィ」

 

 

 エレナの詰問に、さしものカヤもその端正な顔を歪め、心苦しそうな答えを返した。聞きたいのはそういうことではない、とばかりに鼻を鳴らすシルヴィアを、エレナが窘めた。

 割り込むなら今だろう。カルドクの巨躯が、三人の押し問答を制するように立ちはだかった。

 

 

「まァなんだ、休める時にゃきっちり休んどこうぜ。本命は魔王サマなんだろ? ここでじたばたしてたって始まんねェ。

 まずは行くとこ行く、そんでやることやる。細けェ話は、それからだ」

 

 

 ――碌に学もないくせに、こういうところの賢明さが腹立たしい。そんな八つ当たりをぐっと飲み込んだシルヴィア以外には、どんな反論も返ってこなかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 翌朝、ランの刻(午前六時ごろ)。何者の侵入も許さない黄金の結界の中で、ようやくたっぷりと休息した一行は、改めて“ニュクスの森”に向けて進行を始めた。秘境だけあって、まともな街道は通っていない。見る見るうちに獣道と化していく道中、一行は馬車の車輪に絡み付く草木を取り除くべく、何度か足止めを食らう羽目になった。

 休憩ついでに繰り返すこと二刻、チムの刻(午後十時ごろ)。晩夏の太陽がじっとりとした汗をもたらす中、カヤがはっと何かに気付いたかのように立ち上がった。

 

 

“――霊験よ!”

 

 

 霊王の剛槍(ゴールトムク)を大地に突き立て、鋭く叫ぶ。あっという間に形成された黄金の結界に、一同はぎょっと目の色を変えた。

 

 

「え、何!? 何スか急に!?」

「結界から出ないで!」

 

 

 突然の事態に狼狽えるラグに構わず、カヤが鋭い声で制止する。獣道を何とか切り拓いただけの周囲には、何の脅威も見えないが――と懐疑を抱いたのは、一瞬だけだった。ばきばきと木々を圧し折り、()()()が姿を現した。

 

 

「――これは……!」

 

 

 それは蜘蛛のような姿をしたナニカだった。肥大化した蜘蛛の魔物程度なら、依頼としてヴァルク傭兵団でも狩ったことがある。――その(あし)が、無理矢理に接がれたヒトの手足でなければ。

 それは肉塊だった。鮮やかに血走る皮膚が、剥き出しの筋線維が、傷だらけの手足が、無理矢理に接ぎ足された不格好な塊。悪夢から這い出したような醜悪な姿が、じりじりとにじり寄ってくる。

 ぎひぎひと薄汚い笑い声が、()()()から漏れた。その足元――と、呼んでいいのかどうかすら分からない――がずくずくと腐りつつある様に、傭兵たちは戦慄に襲われた。

 

 

腐腫蜘蛛(オヴリグルマ)……! 報告例がめっきり減ったから、ようやく絶滅したと思ってたのに……!」

暗蟲(カリマー)もいます! 迂闊に近づかないで!」

 

 

 苦い表情を浮かべながら錫杖を構えるシルヴィアと、結界の周囲を油断なく見回すカヤ。見れば()()()()()()()()()()()()かのような黒々とした手足が、結界の表面を這うようにべたべたと纏わりついている。

 暗蟲(カリマー)。その姿の通り、影を実体化させ操るイシマエルの一種。実体なき一方的な攻撃に、対抗策はほとんどない。総数こそ少なけれど、“魔王大戦”以後もその数はほとんど減っておらず、人類の脅威として各地で被害を振りまいている。結界に阻まれていなければ、あっという間に体躯を絡め取られ、そのまま縊り殺されていたことだろう。

 

 

「ど、どうします!?」

「結界がある限り、彼らに手出しはできません。ですが……」

腐腫蜘蛛(オヴリグルマ)は“腐敗”の異能を持ってるわ。じきに結界も侵食し始める。待ち惚けてるだけじゃジリ貧よ」

「で、でも、これじゃ進むことも……」

 

 

 肉塊と影が結界を取り囲み、視界を埋め尽くす悪夢のような光景。一昨日の死に蠢く(エンピエル)以上の絶望的な絵面に、傭兵たちは思わず腰が引けた。ぎひぎひという耳障りな笑い声も、忌避感をいっそう駆り立てる。

 その恐怖心に立ち向かうことができるのは――この場でただ()()

 

 

“峻厳たれ!”

 

 

 カヤが霊王の剛槍(ゴールトムク)の石突で地を叩くと、くわぁん、と澄んだ音が響いた。その澄んだ波動は大地を這うように伝播すると、黄金の結界の外側で、鋭い岩棘となって顕現した。足元からの奇襲に貫かれた腐腫蜘蛛(オヴリグルマ)たちが、ぎぃぃいいいと耳障りな悲鳴を上げて悶える。

 

 

「手出しはさせません――このわたくしがいる限り!」

「野郎共、弩構え!」

 

 

 カヤの威勢に、いち早く理性を取り戻したカルドクが、団員たちへと号令をかけた。はっと気を取り直した団員たちが、次々に得物を取り出し構える。接近は悪手な敵を相手に、採れる手段は少ない。忌避感と焦燥を押し殺しながら、何とか打開すべくクロスボウを向ける傭兵たちを掻き分けて、一人の影が飛び出した。

 

 

「――せぇいッ!」

 

 

 “水精の剣”に玲瓏の宝珠(ラーグリア)の清流を纏い、まっすぐに吶喊するエレナだった。振り下ろされた激流が黄金の結界をすり抜け、腐腫蜘蛛(オヴリグルマ)を斬り裂きながら押し流す。ぎぃぃやぁぁぁぁぁと一際大きな悲鳴が、醜い肉塊たちの間に響き渡った。

 

 

「じょ、嬢ちゃん……!」

「前方の道は、わたしが切り拓きます!

 ――進まなきゃ……こんなところで、立ち止まってちゃ、いけない……!」

 

 

 荒れ狂う激流を細腕で統制し、激情とともに振るいながら、エレナは自らに言い聞かせるように呟いた。その気迫に惹きつけられるかのように活気を取り戻した団員たちも、次々にクロスボウを構えては短矢(ボルト)を放ち、目の前の敵を退けていく。

 

 

“烈志よ押し流せ――ヴィムの波濤!”

 

 

 短い詠唱とともにシルヴィアが錫杖を振るい、魔力の波濤を呼び起こした。強大な斥力に押し返される腐腫蜘蛛(オヴリグルマ)たちが、ぎゃぁぁぁと汚い悲鳴を上げる。すかさず重ねられたエレナの激流が、その悲鳴を斬り裂いた。

 しかし、ここで足踏みしているわけにはいかない。先頭で幌馬車(キャラバン)の運転を務めているロバートは、即座に鞭を叩き馬を進めようとしたが――

 

 

「だ、ダメっす! 馬がビビっちゃって進めません!」

 

 

 狼狽えるロバートの報告に、カルドクは反射的に舌打ちをした。馬は元来、臆病な生き物だ。視界いっぱいに迫りくる化物に対し、前進しろと言われても無茶だろう。ぶるると嘶いて震える馬たちは、もはや運搬動物として機能しない。

 

 

「お嬢、アレを使え」

「――そうね。法術結界に行くから、あんまり使いたくなかったんだけど……仕方ない!」

 

 

 小バリスタを構えたモルガダが、シルヴィアをつついた。法術と魔術は相性が良くないし、結界の向こう側に棲む森人(ケステム)たちの心象も良くないが――背に腹は代えられない。シルヴィアは懐から魔力輝石を取り出すと、ころりと足元に転がした。それは周囲の土塊を掻き集めると、見る見るうちに重厚なヒトガタを形成する。

 

 

「うわーっまた出たー!?」

傀儡(ルスゴム)よ、狼狽えない! 馬車曳く用の調整はしてないけど、これで何とかなるでしょ!」

「み、皆で馬の軛を付け替えて下さい! ――これで進めるんスよね!?」

「進むしかないわよ!」

 

 

 狼狽える傭兵たちを叱り飛ばすと、シルヴィアは再び錫杖を振るい、目の前の化物共へと攻撃を放った。ここで足踏みしていては、それこそ魔王の思う壺でしかない。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 時折立ち塞がる肉塊と影を押し退けつつ、進むことまる二日。急激にイシマエルたちの波が引き、呪われた魔物たちは慌てて退いていった。不審に思った一行の眼前にあるのは、霧深い巨大な森林。

 

 

「ここが……“ニュクスの森”?」

「間違いなく。この霊気は、普通の土地ではあり得ません」

 

 

 エレナの問いに、カヤははっきりと返答した。これで、ようやく辿り着くことができるというわけだ。最後の神器――風伯の鉄弓(カルネクス)へと。

 

 

「さすがに仕舞うか。法術結界に、傀儡(ルスゴム)を踏み入らせるわけにはいかないわね」

 

 

 そう言ってシルヴィアが小さく呪言を呟くと、幌馬車(キャラバン)を曳いていた傀儡(ルスゴム)たちはあっという間に元の土塊に戻り、魔力輝石を残して沈黙した。

 

 

「そういうもんなんすか?」

「魔術と法術って、何かと相性が悪いのよ。精霊に嫌われちゃうの」

「へー」

「という訳だから、さっさと馬を繋ぎ替えて」

 

 

 魔力輝石を拾い上げつつ軽い解説を挟むと、シルヴィアは傭兵たちに命令を下す。団長であるカルドクすら違和感を抱かず従っているあたり、すっかり見慣れた光景になってしまった。

 

 

「で――どうやって進みます?」

 

 

 団員の一人ラーズが、森の方へ顎をしゃくった。濃い靄がかかった深い森は、一寸先すら見透かせないかのような危うさを見せつける。

 

 

「“ニュクスの森”は特殊な結界が張られており、幻術で侵入者を彷徨わせるといいます。道を知っているのは――その森で生まれた森人(ケステム)だけ」

「――つまり……」

 

 

 カヤの説明に、一行の視線がひとところに集中した。つまり――今まさに不快げな表情を浮かべているセトへと。期待に満ち満ちた一行の表情に、セトは分かりやすく舌打ちした。勝手な期待を寄せられるのは、彼にとって最も不快とするところだった。

 

 

「――私は、森の外で生まれた。ここの道は知らない」

「そんなぁ!」

「そうだったんすか?」

「私が生まれたのは、父がこの森を飛び出した後だ。私自身、ここには初めて足を踏み入れる」

 

 

 つんと素っ気なく言い放ったセトの言葉に、傭兵たちががっくりと肩を落とす。ここまで苦労してやって来たというのに、まさか目の前で道が分からないなど、いくら何でもあんまりではないか。

 

 

「じゃあ、どうします?」

 

 

 とはいえ、道が分かりませんハイ残念でした、とはいかない。困惑するラグの問いに、カヤは霊王の剛槍(ゴールトムク)を携えて立ち上がった。

 

 

「――わたくしが先導します。霊王の剛槍(ゴールトムク)の加護があれば、幻術に嵌められることもないでしょう。

 わたくしを先頭についてきてください。くれぐれも、はぐれることのないように」

 

 

 そう言うと、カヤは馬を繋ぎ直した幌馬車(キャラバン)の運転席によじ登り、きらきらと輝く霊王の剛槍(ゴールトムク)を高く掲げた。ふわりと漂う甘い香りに、同乗しているロバートがドギマギしたのは蛇足だろう。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 

「……つ、疲れた……」

 

 

 まる一刻経ったころ。ようやく霧を抜け、開けた土地に出ると、副団長カルタスはどっと疲弊した声を上げた。他の団員たちも同じような気分だった。

 霧の中を進む緊張感、はぐれれば幻術に囚われる恐怖心。そういったものが、その道筋以上に疲労を強いた。

 

 

「途中、何かすっごいくねくねしてませんでした?」

「あれが正しい道筋なのです。まっすぐ歩こうとすると、気付かぬうちに道を逸れ、幻術にかかってしまうのですよ」

 

 

 団員の一人ドーツの質問に、カヤはまったく疲労した様子もなく答えた。一同の記憶に間違いがなければ、この手弱女(たおやめ)はずっと長槍を高く掲げ、灯代わりに支えていたはずだが……大神官長として鍛錬を積んだのも、伊達ではないということか。

 結界の効果は背後の森で途切れているようだ。一行がいるのは森と里とちょうど中間のような場所で、少し離れたところに木組みの家らしきものがまばらに見える。ここが、森人(ケステム)の里――

 と、未知に感心している暇はなかった。ひゅんと風を切り、一本の矢が飛来した。

 

 

「うわっ!?」

「――お前たち、何者だ!」

 

 

 思わず飛び退いた団員の一人ブラッドの悲鳴に、一行がさぁっと目の色を変えた。と同時に、樹の陰から一人の森人(ケステム)が現れた。長い耳、流れるような髪、獣の皮をなめした軽装。精悍な青年に見えるその人物は、既に二の矢を構え、一行にぴたりと照準を合わせている。

 

 

「カルヴェアの手の者か!? どうやって結界を潜り抜けてきた!」

 

 

 警戒心を露わに鋭く叫ぶ森人(ケステム)の青年に対し、しかし傭兵たちは応対する術を持たなかった。森人(ケステム)に通用する身分の証などないし、かと言って応戦するのも悪手だろう。敵意を剥き出しにする相手に対し、武装を握るに握れないという、およそ未知の事態に襲われた。ただ一人、セトだけは長弓を構え、矢筒に手を掛けていた。

 

 

「わたくしです。エルネスカ大神官長、カヤ=ヘンリスでございます」

 

 

 一触即発の空気に割り込むように、カヤがすっと前に出た。傭兵たちとは明らかに出で立ちの違う僧衣に、青年の警戒心も僅かに緩む。

 

 

「エルネスカの……証拠はあるのか?」

「ここに。大地の神器、霊王の剛槍(ゴールトムク)では不満ですか?」

 

 

 一握の警戒心を離さない青年の言葉に、カヤは戸惑うことなく霊王の剛槍(ゴールトムク)を見せた。黄金の穂先が纏う霊気は、まさしく至高の祭器のそれだ。ここまで決定的な証拠を見せつけられては、森人(ケステム)としてこれ以上疑うわけにはいかない。

 

 

「――……いいだろう。付いてこい。マクサール様が、お前たちを待っている」

 

 

 青年は構えた弓矢を下ろすと、つっけんどんな物言いとともに里の奥へと歩き出した。とりあえず受け入れてもらえたらしい、と解釈した傭兵たちは、おずおずと馬車を動かし始めた。

 森人(ケステム)の里は、その大半が木組みでできたログハウスのような代物で構成されていた。中には、今まさに生長している樹と同化するように建築されている家屋もある。それらの隙間を漂うように、ふわふわと微光が幾筋も流れていた。

 

 

「な、何すかね、あれ」

「あの微光? あぁ、あれが精霊よ」

「マジで!?」

「初めて見たー……」

「古文書に曰く、精霊は“大きな魂”の多い地域には根付かないらしいからね。諸人(ヒュム)の都市部ではまず見られない絶景よ」

「そうですね。精霊と共存する森人(ケステム)の里でなければ、滅多に見られないと思います。諸人(ヒュム)の中でも、“感”の鋭い方なら見ることができますが」

 

 

 顔を上げてみれば、先日から天地を襲っている赤黒の瘴気も、心なしか薄まっている気がする。諸人(ヒュム)の市井ではまず見られない絶景に、傭兵たちはほへーと感嘆の声を漏らした。

 そんな会話を交わしながら歩みを進める一行を、里の森人(ケステム)たちは遠巻きに見ていた。腰の曲がった老人、精悍な青年、優美な女性、頑是ない子供――老若男女さまざまにいるが、諸人(ヒュム)と異なる寿命を有する森人(ケステム)では、その年齢を推し量るのは難しい。そしてその誰もが、外から来た諸人(ヒュム)たちへの警戒心を隠さなかった。大人たちの陰に隠れる子供もいれば、不快感を隠しもしない大人もいる。幻想的な景色の中で、しかし諸人(ヒュム)の傭兵たちは得も言われぬ疎外感に包まれた。

 やがて、一行は大きな社に案内された。他と変わらない木組み、しかし丁寧に切り削がれ、一段と色艶のある樹脂膜(ニス)を使ったその建屋は、他の建物と明らかに異なる様相を見せている。一行は馬車を停めると、案内に従って社に入った。

 ――そこにいたのは大亀だった。深緑の重厚な甲羅はところどころ苔むし、ヒトより遥かに太い四肢には(ひれ)のようなものが生えている。深い皺を刻まれた首と頭は、大の大人を丸呑みできそうな巨大さを誇るが、その奥の鋭い牙は隠されている。まっすぐに生えた二対の角が、尋常ならざる生物であることを雄弁に示していた。

 

 

『ようこそ、そして初めまして。世界の命運を握る使徒たちよ。儂が、大甲龍マクサールじゃ』

 

 

 大甲龍マクサール――深青のきらきらした瞳が、一行を捉えた。

 

 




仙界の幻香
 ニュクスの森に施された秘術
 侵入者の知覚を幻惑し、森の中を彷徨わせる
 複数の精霊の権能が織りなす、上位法術

 ひとたび術中に嵌まれば、永遠に彷徨い続けるという
 進むことも、戻ることもなく
 やがて心を亡くし、森とひとつになるのだと

 多くの冒険者が、ニュクスの森の神秘を求め
 しかし誰も帰ってこなかった
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