神宿ル劍   作:竹河参号

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07.黒白

「空気タイヤは偉大だ」

「クウキタイヤってなんだ?」

 

 

 渋面で呟いた崚の言葉に、ジャンが疑問符を浮かべた。

 オルスの刻(午後六時ごろ)。崚たち一行は、とある小高い丘で焚火を囲んでいた。砦までの道中には宿場町などもないそうで、今日は野宿をすることになった。最低限の装備しか持っていないが、ラグの説明を信じるならば、今晩だけ我慢すればいいはずだ。

 太陽は地平線の向こうへ半分ほど沈んでおり、東の空はすでに黒紫の夕闇に呑まれている。雨雲が見えないのが、不幸中の幸いだろうか。

 

 

「今はどの辺なんでしたっけ」

「たぶん、このあたりだな」

 

 

 地図を広げた崚の呟きに対し、カルタスが手を伸ばして地図の一点を指差した。ヴァルク傭兵団の砦は、カーチス領都イングスからみて西部にあり、一行が出発したロロの森からは少し離れている。カルタスが示した位置は、両者をつなぐ直線上の、やや砦寄りだった。

 

 

「明日には着きますかね」

「だろうな」

「じゃあ、戻ったら馬を返しに……」

「一旦休ませてあげた方がいいんじゃねぇ?」

「それもそうか」

 

 

 崚とカルタスの会話にジャンも加わり、てきぱきと話がまとまっていく。馬の餌はまだ残ってたかな、と崚が思いを馳せていたとき、ふとドーツが口を開いた。

 

 

「馬を返すのは俺が行く。ジャン、お前も手伝え」

「オレもっすか? いいっすけど……」

「馬借りてきたのは俺たちだし、俺も行った方が良くないすか」

「お前には向こうさんの面倒があるだろ」

 

 

 崚の言葉に、ドーツが馬車の方を顎でしゃくった。「馬を返すのは代わってやるから、あっちの世話に専念しろ」という意味だろうか。

 

 

「……もしかして、俺が世話役までやるんですか?」

「お前が突撃したから、面倒見るハメになったって聞いてるぞ」

「それは、そうなんすけど……」

 

 

 ドーツの言葉に、崚は閉口した。まったくもって返す言葉がないのだが、自分のせいで余計なトラブルに巻き込まれたことを糾弾されているような気がして、居心地が悪くなった。

 

 

「……それにしても、出てきませんね」

 

 

 目を逸らした先、暗がりで沈黙を守り続ける馬車を見ながら、崚はぽつりと呟いた。その言葉に、傭兵たちも馬車へと視線を向ける。

 ここで野宿しようと決まるや否や、ライヒマンは馬車を停めて車内に入ると、それきり誰も出てくることがなく、その扉はぴっちりと閉じられたままだった。透明度の低い硝子(ガラス)窓が、焚火の灯をぼんやりと反射しているだけで、中の様子が伺い知れない。カーテンまでは閉じられていないことが、辛うじて分かる程度だった。

 

 

「中にいるのはお貴族様なんだろ? こんな場所で野宿なんかしたことないだろうな」

「腹とか減らないのかねぇ」

 

 

 頬杖を突いたまま、ロッツとレインがぼやく。カルタスやドーツ、ジャンも、冷めた目で馬車を眺めるだけだった。向こうは貴族で、こちらは傭兵だ。何もへりくだった態度を期待しているわけではないが、ここまで露骨に拒絶されては、それなりに癇に障る。カルタスが、ふと崚に声をかけた。

 

 

「新入り、ちょっと声かけてやれ」

「え、俺ですか」

「お前が面倒見るんだろ」

「……へぇい」

 

 

 崚はしぶしぶ立ち上がり、馬車へと歩み寄った。こんこん、と拳でその扉をノックする。二回だか三回だかのマナーは、面倒臭いので無視する。

 

 

「中の連中、聞こえるか」

 

 

 ややあって、キィと扉が開き、そこから女の顔が覗き出た。見覚えのあるその顔は、確かエリスという名前だったはずだ。エリスは、硬い表情で崚を見下ろした。

 

 

「……何か?」

「狭い馬車の中だと体が凝るだろ。こっち来て火に当たったらどうだ」

「……どこに座るのです?」

「あ?」

 

 

 顔をしかめたエリスの問いに、崚は思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「地面に直接しかねえに決まってんだろ。羽毛クッションなんか取り扱ってねえよ」

「服が汚れるでしょう。こちらにおわす方をどなたと心得ているのですか」

「心得てるわけねえだろ、名乗りもしない連中のお名前なんか」

「――この、この……!」

「おい、喧嘩売れなんて言ってないだろう」

 

 

 崚のつっけんどんな物言いに、エリスが憤然と言葉を詰まらせる。ヘンと鼻を鳴らす崚の後ろから、カルタスがたしなめた。

 

 

「お二方、こちらへ」

 

 

 事態を動かしたのはライヒマンだった。睨み合う崚とエリスとの間をすり抜け、馬車の荷台から丸められた厚布を取り出すと、焚火の前で素早く広げた。麻の敷物か何からしい。

 

 

「少々硬い御座ではありますが、今はご辛抱を」

「助かります、ライヒマン卿。まったく、傭兵共とは大違いですね」

「その傭兵共に縋りっきりの身で、随分しゃあしゃあと喋るなァ」

「そんなにいちいちイヤミ言わないと喋れねぇコトってある?」

 

 

 恭しく頭を下げるライヒマンにエリスが笑顔を向け、その横から崚の毒舌が炸裂した。ジャンのぼやきは傭兵たち全員の共通認識だったが、言葉に出すものは誰もいなかった。

 あからさまに不満げな表情で馬車から降りるエリスに続いて、一人の少女がゆっくりと馬車の階梯(ステア)を降りた。艶のある黒髪を後ろで結い、絹地の高級な旅装を着込んだ少女だ。焚火に照らされるその横顔、きらきらと光を反射するその黒い瞳には、まだあどけなさが残っている。察するに、崚やジャンと同年代だろうか。

 

 

「エリスったら、そんなに怒らないで」

「エレナ様、ですが……」

 

 

 差し伸べられたエリスの手を取りつつ、少女――エレナは彼女をたしなめた。なおも食い下がるエリスに対し、エレナは困ったなぁと苦笑を浮かべる。これは言い聞かせられぬと押し問答を諦めたエレナは、ゆっくりと敷物に腰を下ろすと、傭兵たちに向かって淑やかに会釈した。

 

 

「みなさん、連れが失礼しました」

 

 

 思いもよらぬ丁寧さに、傭兵たちの強張った空気はようやく解けた。ライヒマンやエリスの態度から、さてどんな高慢ちきが出てくるやらと身構えていたところに、これである。話せば分かりそうな嬢ちゃんじゃねえかと、互いにぎこちない笑顔を見合わせた。

 一方、崚はエレナの態度に毒気を抜かれていた。思わぬ形で調子を外された崚は、その驚きを悟られまいと無理やりに表情を押し殺し、かえって不機嫌な仏頂面が出来上がった。

 

 

「……別に」

 

 

 押し殺した仏頂面のまま、崚は元いた場所にどっかりと腰を下ろした。急にその舌鋒が緩んだ崚を、お調子者のジャンが見逃すはずがない。

 

 

「どうしたんだリョウ。急に大人しくなったじゃん」

「なってねえよ」

「ははーん、さてはあーいう子が好みなんだな?」

「お前は! さっきから! うるせえんだよ!」

「いでででで!」

 

 

 からかうジャンのにやけ顔にイラっとした崚は、ついにその顔を掴んで締め上げた。ぎりぎりと頭蓋が軋む痛みに、ジャンが悲鳴を上げる。傭兵団最年少たちの騒がしいやり取りを、エレナは微笑ましく見つめていた。

 

 

「お二人は仲がよろしいんですね」

「エレナ様。ああいうのは野蛮というのですよ」

「あんたも一発キめられたいのか?」

 

 

 ころころと笑うエレナの言葉に対し、汚いものを見るような眼をしたエリスが訂正を入れる。じろりとエリスを睨む崚の手の下で、未だ痛めつけられるジャンがもがいていた。

 

 

「そろそろ大人しくしろ、ガキ共」

「へぇい」

「だいたいリョウのせいなんすけどー」

 

 

 カルタスにたしなめられてようやく、崚は間延びした返事とともにジャンを解放した。いててと痕をさすりながらジャンがぼやくが、崚は涼しい顔で無視した。

 

 

「あ、あの」

「なに」

 

 

 と、そんな崚に、エレナがおずおずと声をかけてきた。思いのほか不躾な態度になってしまった、と小さな後悔を覚えた崚に向けられたのは、

 

 

「その……真っ白なお髪なんですね!」

「――あ゛?」

 

 

 あ、やばい。傭兵たち全員がそう思った。

 何も気付いていないのは、エリスとライヒマンだけ。一瞬であらゆる感情が剥がれ落ちた崚の顔に、初対面のエレナでさえ、ただならぬものを感じてぎょっとした。

 ――崚が、傭兵団に転がり込んできた直後。一度だけ、とある団員が崚の髪色をからかったことがある。

 それは彼ら傭兵たちの、無神経ゆえの無遠慮でもあったし、()()()()そうな彼を受け入れるための、彼らなりの気遣いでもあった。少なくとも悪気があったわけではないし、そんな無遠慮を嫌うセトでさえ未だに居ついているわけだから、彼らもそこまで重大視していなかったのだ。

 

 

「だからどうした。あんたに何の関わりがある」

 

 

 ――ちょうど今のような顔をしたまま、崚が無言でその団員の首を絞め落とすまでは。

 

 

「ち、違うんです! 綺麗な髪だなーと思って――」

「あっそ。お貴族様ってのは趣味が悪いんだな」

「あの、その――」

 

 

 慌てて弁解の言葉を紡ぐエレナを、崚の低い声が強引に遮る。努めて無感情であろうとするその声とは裏腹に、その暗灰色の瞳には、濁った輝きが渦巻いている。その様子を見て、ようやくエリスとライヒマンが異変に気付いた。いよいよまずいと悟った傭兵たちが、慌てて崚を止めにかかった。

 

 

「お、おい、リョウ」

「やめとけよ、相手はお貴族様だぞ」

「そりゃいいっすね。尊いお生まれなら、他人の容姿を嘲笑う権利があるんすか」

「ち、違うんです! わたしは本当に――」

 

 

 先達にたしなめられてなお、崚は舌鋒を緩めない。焦るエレナとは対照的に涼しい顔を保っている崚は、しかし固く拳を握り、ぎりぎりと軋む音を立てていた。

 崚と()()()の団員は、未だ和解していない。後日ラグに軽くたしなめられ、自分の非を理解したその団員は、しかし年長者としてのプライドが邪魔をして、未だ崚に謝罪することができずにいた。そして崚も、話題に出すことすら許さぬといった態度を貫く一方、下働きとしての仕事は滞りなくこなしている。ために、何となく居心地は悪いが誰も解決に踏み出さないという、膠着状態が続いている。

 ――つまり、誰も知らないのだ。崚がここまで激怒する理由を。その奥底に淀んだ、昏い情念の正体を。

 揺らめく焚火を取り囲んだ一同に、さぁっと緊張が走る。その崚が、ふいに口をつぐんだ。首だけを動かし、冷たい視線を背後に遣る。

 

 

「……なんのつもりだ?」

「態度をわきまえろ、下郎。エレナ様への無礼はそれ以上許さん」

「ライヒマン卿!」

 

 

 その先では、険しい顔で剣を抜いたライヒマンが、崚の首元にその刃を当てていた。

 悲鳴を上げるエリスをよそに、ライヒマンが口を開いた。一切の容赦を感じられない強い口調を、しかし崚はせせら笑った。

 

 

「そっちから喧嘩吹っ掛けてきたくせに逆ギレか? 当たり屋みたいな根性してんな、あんたら」

「リョウ、やめろって!」

 

 

 目を剥くライヒマンの威圧にも、首元で鈍く輝く刀身にも怯まず、崚は依然として侮蔑の目を向け続ける。ほとんど懇願にちかいジャンの言葉すら無視する崚の嘲罵に、剣を握るライヒマンの手が思わず力み、

 ――その刃が動くよりも早く、何者かがその刃を掴んだ。

 

 

「え、エレナ様!」

 

 

 蒼白な顔でエリスが悲鳴を上げた。ライヒマンと崚の間に割って入り、彼の剣を掴んでぐいと押し退けていたのは、誰あろうエレナだった。

 まったく予想だにしない行動に、一同は思わず唖然とした。剣を握るライヒマンも、それを睨む崚すら、驚愕で言葉を失っていた。

 

 

「――ごめんなさい、リョウさん。無礼を許してください」

 

 

 そしてエレナが最初に紡いだ言葉は、崚への謝罪だった。申し訳なさそうに目を伏せ、深々と頭を下げるその姿に、一同はいよいよ混乱した。

 

 

「エレナ様!? こんな傭兵相手に、頭を下げるなんて――」

「いいの。礼を欠いたのはこちらなんだから」

 

 

 顔色を変えて咎めるエリスを、エレナの言葉が遮った。有無を言わさぬ力強い言葉に、エリスは二の句が継げなくなる。

 一瞬後にはっと気づいたライヒマンが、剣を掴むエレナの手を丁寧に解き、さっと剣を納めた。横目でそれを見届けたエレナは、顔を上げて崚に向き直った。呆然とする崚を見つめるその瞳には、一切の迷いがなかった。

 

 

「本当に悪気はなかったんです。でも、あなたの気持ちを考えず、物珍しさで言っていいことじゃありませんでした。ごめんなさい、リョウさん」

 

 

 そう言って、エレナは再び頭を下げた。崚は強張った顔のまま、二の句が継げずに凍り付いていた。

 

 

「ほ、ほらみろ! 悪気はなかったってさ!」

「向こうから謝ったんだから、許してやれよ。な、な!」

 

 

 ピクリとも反応しない崚の様子に、絶好のチャンスと見た傭兵たちが、次々に口を挟む。震え声でおどける傭兵たちの様子に、崚はついに激情の行先を見失った。

 

 

「……チッ」

 

 

 崚はついに顔を背け、忌々しげに舌打ちをすると、無言ですっくと立ちあがった。

 

 

「お、おい、どこ行くんだ」

「ちょっと風に当たってきます」

 

 

 恐る恐る声をかけたレインに、崚は振り返ることなく答えると、了承も聞かずにずかずかと歩き出した。それを止める者も、追いかける者もいなかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 とはいえ、そこまで遠くに行けるわけでもない。あたりはとっくに夕闇に呑まれている。有事に備えてすぐに戻れる距離でないと迷惑をかけるし、帰り道が分からなくなると困るのは崚自身だ。焚火の明かりが届くぎりぎりの距離で、崚の逃避行は終わった。夕闇の暗紫と焚火の橙色が重なる空間に、崚は無言で屹立していた。

 揺らめく焚火の方から、ひそひそと声を殺した話し声が聞こえる。時折、声の主たちがこちらに視線を向ける気配を感じながら、崚はそれらすべてに背を向けた。

 息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。ゆっくりと深呼吸を重ね、全身に酸素を巡らせる。眉根を強く寄せ、きつく目を瞑ったまま、丹田で煮え滾る激情を無心で抑えつける。

 

 

(――分かってる。こんなもんは、ただの癇癪だ。八つ当たりだ)

 

 

 ()()()()()()()()()()

 何度も何度も、自分に言い聞かせる。誰より付き合いが長いイキモノだ、手綱の取り方ぐらい知悉している。ゆっくりと、肺の空気を丸ごと入れ替えるような深呼吸を繰り返し、二十ほど重ねたころには、すっかり頭が冷えていた。

 そろそろ戻ろうか――いや、もう少し時間を置いた方がいいだろうか。自分はともかく、あの人たちにとっては気まずいかもしれない。変に気を遣われても鬱陶しいだけだし、どうしようかな。そんな風に逡巡しながら首を巡らせた崚は、

 その肩に居座る()()と目が合った。

 暗がりでよく見えないが、薄桃色の大きな毛玉のようなモノだった。直径はだいたい十センチくらいだろうか。その上辺から生えている一対の黒い翼は、蝙蝠のそれと同じ形状だ。毛玉の中心にある一対のゴマ粒のような目が、崚をじっと見つめていた。

 一人と一匹(?)の間に、しばし沈黙が流れた。

 

 

「きゅー」

「――ウワァァァァッ!? なになになになにコレ!?」

「おい、どうした!?」

 

 

 一拍遅れて、崚の脳髄に驚愕が駆け巡り、およそ彼の人生で初経験の悲鳴を上げさせた。

 その絶叫に気付いた傭兵たちが、どたどたと駆け付ける。彼らが見たのは、腰を抜かして仰天する崚と、その目の前でふよふよと浮遊する謎の毛玉だった。

 

 

「何か出ました! なにコレなに!? 亡霊!? 死霊!? 俺ここで死ぬの!?」

「――え、それ、何……なにそれ?」

「俺が訊きてえわ!」

 

 

 ぎゃんぎゃんと喚き散らす崚に対し、しかし誰も答えられなかった。困惑のまま問い返すジャンに対し、崚は勢いのまま喚声を浴びせる。狼狽しているのか激昂しているのか、自分でもよく分からなくなっていた。

 なんだなんだと視線を向けたエレナ一行のうち、当のエレナがはっと驚きの声を上げた。

 

 

「ムルムル! 何してるの!?」

「きゅー」

「びっくりさせないの! おいで!」

「きゅー!」

 

 

 エレナの声に反応した毛玉が、すぃーと空中を泳ぐように滑翔し、差し出されたエレナの手に収まる。叱りつけるエレナに対し、毛玉は甲高い鳴き声で答えた。その尻(?)の辺りから、先端の尖った尻尾がゆらゆらと揺れていたが、この時の崚は気付いていなかった。

 で、その崚はといえば。

 

 

「……え、なに? どういうこと?」

 

 

 何が何だか分からず呆然としていた。

 それは周りの傭兵たちも似たようなもので、「なんだ? 結局解決したのか?」という困惑の空気の中、ライヒマンが口を開いた。

 

 

「ムルムルだ。エレナ様が飼われている……魔物? うん、魔物だ」

「――あんたのかよ!」

 

 

 要するに、エレナのペットらしい。何でもないことのように語るライヒマンの説明に、崚は思わずどんと地面を殴りつけた。手が痛くなっただけだった。

 

 

「こんなよく分からん生物を放し飼いするな! 躾くらいきちんとしとけ!」

「ご、ごめんなさい……」

「人見知りをするから時々噛むが、賢いし悪意はないぞ」

「知らんわ!!」

 

 

 動揺の行先を失った崚がぎゃんぎゃんと喚き、エレナがそれに委縮する。ライヒマンの補足も、崚の怒りと羞恥を収めるには至らなかった。

 ともあれ、何か害があるわけではないらしい。事情を理解した傭兵たちは、なーんだと気を緩めた。

 

 

「何だぁ、びっくりさせやがって。騒ぎすぎじゃねぇか?」

「人騒がせな奴だなぁ」

「俺のせいですか!?」

 

 

 無論、腰を抜かすほどに動揺させられた崚は置き去りだったが。

 納得いかない崚が大騒ぎする中、毛玉もといムルムルは、エレナの手の中で尻尾を丸め、リラックスしきっていた。がやがやと騒がしく更けていく夕闇の中、「そういえばどんな種族なのかしら、この仔」とエリスがひそかに思っていたことは、蛇足だろう。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ノルタの刻(正午ごろ)、中天に至った太陽が燦々と照らすころ。馬車隊の先頭で運転席に連座していた崚、ライヒマン、そしてジャンの目に、ついにヴァルク傭兵団の砦が見えた。

 

 

「……ここか?」

「そうだぜー」

 

 

 ライヒマンの問いかけに答えながら、ジャンと崚は速やかに運転席から飛び降りた。廃棄されて久しいとはいえ、かつては領主軍が正規に運用していた砦なので、門の開閉が必要である。鉄柵の簡素な門を二人で押し退けると、ライヒマンの運転する四輪馬車(キャリッジ)はゆっくりと砦の敷地に入った。

 

 

「やっと着いたなー」

「あー、疲れたぜー」

 

 

 四輪馬車(キャリッジ)に続いて砦に入り、幌馬車(キャラバン)を停めた傭兵たちが口々にぼやく。その言葉に、崚は完全に同意した。

 エレナとエリスがいた客車がどうだったは知らないが、馬車の乗り心地というものは、崚の想像以上に過酷だった。運転席が狭いわ揺れまくるわ尻が痛いわ、散々な目に遭った。もう二度と馬車には乗らねえ、と崚はひそかに心に誓った。

 

 

「俺たちはこの人たちを中に案内します。馬を厩舎に入れて、水と餌をあげてもらえますか」

「おう。馬房って空きあったっけ?」

「あったはずですよ。こないだ掃除したし」

「あいよー」

 

 

 崚の指示に、傭兵たちが淀みなく答える。馬の世話に関しては彼らの方が慣れたもので、働き始めて一ヶ月の崚よりも、はるかに詳しく手際が良い。彼らが幌馬車(キャラバン)に取りついて作業を始めたのを確認すると、崚は四輪馬車(キャリッジ)の方を振り向いた。ちょうどエリスに続いてエレナが馬車を降りていたところだったが、彼女はしきりに砦の様子を見回していた。その黒い瞳がきらきらと輝いている様は、廃墟同然の古臭い砦への不安というより、未知の場所に訪れた好奇心を抱えているように見える。

 

 

「――わぁお……」

「なに?」

「えっ、いや、何でも!」

 

 

 怪訝に思った崚の問いかけに、エレナははっと気づき、何かを誤魔化すようにぶんぶんと手を振った。その肩で、ムルムルがふよふよと翼を揺らしていた。

 

 




鎮めの巌
 地に由来する法術のひとつ
 魔力を祓い土地を清め、さらに魔力の滞留を抑制する
 要の石塔がある限り、その権能は失われない

 法術とは、精霊の権能を借り受ける儀式であり
 厳正な手順に基づいて行使される異能である
 そのほとんどは、七天教に祀られている
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