神宿ル劍   作:竹河参号

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炎の地獄(コルヴァリリア)・六廻道
 七つの地獄のひとつ、『炎の地獄(コルヴァリリア)』の名を冠する最上位魔術
 六つの大火球を設置し、連続して火弾を放つ
 その場に留まり攻撃を維持するが、魔力を消耗し続ける

 炎の地獄(コルヴァリリア)には、暴食の罪を犯した者が落ちるという
 亡者はでっぷりと肥えた脂肪を抱え、溶岩の道を歩かされる
 生前の罪に応じて大きく重くなり、長く苦しむことになる



06.新生

 クライド、エレナ、シルヴィア、ムルムル対、裏切者の使徒アレスタ。最初の一手は、シルヴィアが打った。

 

 

“我が激情よ地獄を巡り、万象焼き尽くす灼炎たれ! 此れなるは焔の劫罰、彼の罪を焼滅せよ――炎の地獄(コルヴァリリア)・六廻道!”

 

 

 言霊とともに、複雑な魔法陣を取り囲んで六つの大火球が現出する。ひとつひとつが人間一人を焼き払って余りある超高熱の蒼炎が、アレスタに向けて次々に小火球を撃ち出した。

 雨霰とばかりに殺到する無数の火球群に対し、アレスタは雷獣の鉤爪(イルンガルツ)をぐるりと一薙ぎ。紫電の壁が中空に現出し、そこに火球が衝突して爆発を起こした。

 にわかに広がった爆煙を突き破るように、二つの影が飛び出した。紫電の壁の横をすり抜け、アレスタへと突撃する。

 

 

「――ふッ!」

「ぜぇいッ!」

 

 

 エレナとクライドである。それぞれに激流と火焔を纏い、アレスタを斬り伏せんと吶喊する。二方向からの突撃に対し、アレスタは咄嗟に飛び退いて回避した。紫電の壁が消失し、無数の火球がアレスタへと殺到した。

 魔力に縛られているとは思えない、軽やかな足取りで攻撃を回避していくアレスタ。しかしその隙に、シルヴィアは別方向に移動し、別の角度から再び錫杖を構えた。

 

 

“我が烈志よ溢れ出で、星を超えて瞬かん! 束なりて闇を払い、輝きよ(ソラ)を穿て――ヴィムの箒星!”

 

 

 シルヴィアの錫杖から七色の光が溢れ出し、無数の流星となってアレスタに殺到した。追尾する無数の火球群、噴き出した流星群、そしてエレナとクライドの突撃――四方向から追い詰める攻撃に対し、アレスタは大鎌をぐっと構えると、膨大な紫電とともに薙ぎ払った。

 ぶわりと溢れ出す紫電のスパークが、三人と一騎の視界を呑み込んだ。尋常な鎧甲冑を容易く焼き熔かす高圧電流が放散し、ばりばりと空間に轟く。

 ――その轟音と灼光を突き破って、クライドがアレスタに吶喊した。紫電と火焔が衝突し、ごおと耳を劈く衝撃波が撒き散らされる。濃密な霊気と魔力が衝突し、ぎちぎちと軋むような音を立ててせめぎ合う。水と油よりもなお濃く対立する二つの力の流動が、互いにこの“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”を蹂躙し制圧せんとばかりに炸裂した。

 

 

「クライド!」

「はっ!」

 

 

 後方のエレナからの呼び声に、クライドは即応した。即座に火焔の勢いを弱め、拮抗が崩壊した力の衝突に合わせて、その場を大きく飛び退く。咄嗟のことで気勢を崩されたアレスタの視界に飛び込んできたのは、いっそう力強い灼光だった。

 

 

「ガァァァアアアッ!!」

 

 

 限界まで溜め込んだムルムルの霊気が、碧い光の渦となって放出された。碧炎を極限まで圧縮して照射するレーザー光だ。万象焼き尽くし貫徹する死の輝きに対し、アレスタは再び大鎌に紫電を纏わせ、正面から受け止めた。

 碧光と紫電が中空で激突し、びりびりと大気を軋ませる。互いに限界突破した一撃の衝突は、樹壁じゅうに放散しがりがりと蹂躙していったが、しかし長く続かなかった。限界まで振り絞ったムルムルの碧光が先に途切れ、大攻勢を凌ぎ切ったアレスタが残された。

 そこに、二つの影が殺到した。

 激流を纏うエレナと、火焔を噴き上げるクライドだ。決定的な隙を晒したアレスタを今度こそ斬滅せんと、二方向からの攻撃が迫る。アレスタは咄嗟に大鎌を構えると、刃をクライドに、石突をエレナに向けて防御した。

 がぃぃん、と甲高い音が木霊した。神器同士の拒絶反応によって“水精の剣”を大きく弾かれたエレナと、橙色の火焔で強引に食らいつくクライド。そのまま斬り結び始めた三者の間で、紫電の炸裂と火焔の爆裂が交錯し、大気が劈くように破裂を繰り返した。

 無数の剣戟と力の流動が交錯する中で、しかし巧みに大鎌を回転させながら二人の攻勢を凌ぎ続けるアレスタの技量たるや、人類最高峰といっても過言ではあるまい。魔王の魔力に汚染され、曖昧模糊とした意識でありながらも、かつて軍神と讃えられた戦技は陰りを見せない。超近距離の攻防に、シルヴィアとムルムルも割り込めなかった。

 

 

「……“魔”の、分際で――使徒、と並び、立つな、ど……不遜、な……」

「あなたが言えた台詞じゃないっ!」

「……は、はは……違い、ない……」

 

 

 震え声で一端の糾弾を紡ぐアレスタに、エレナが毅然と返した。魔王を討つためにあらゆる策を弄し、悪魔との契約や邪教徒の冒涜をも利用した、悪逆の輩が言っていい台詞ではない。その自覚はまだ残っているのか、アレスタは自嘲めいた言葉を続けた。

 一際強い紫電が放たれ、その反動でアレスタが距離を取った。何か手を打つつもりか、そうはさせじとクライドが前に踏み込んだ。しかし疾駆する雷電を司る雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の権能は、その槍穂を超える速度で発現した。ばり、と雷がアレスタの身体に落ちた。

 両脚から伝う紫電を全身に纏ったアレスタは、その瞬間にクライドの視界から掻き消えた。

 

 

(なに――!?)

 

 

 影すら残さず消失した。まさにそう思った。雷獣の鉤爪(イルンガルツ)に、そんな権能が――? そんな一瞬の油断は、脇腹を深く抉る傷として仇となった。

 

 

「――っが……!」

「クライド!!」

 

 

 思わず苦悶の声を上げたクライドに、エレナが悲鳴を上げて駆け寄る。玲瓏の宝珠(ラーグリア)の祝福を待っている場合ではない。クライドは抉られた傷を己の火焔で強引に焼き潰しながら、首を巡らせてアレスタの姿を探した。ぎちぎちとそこら中を迸る雷電が、主の影を一向に捉えさせない。

 一歩引いたところでそれを見ていたシルヴィアが、いち早くその絡繰りを看破した。気配遮断。消失。空間転移。――いずれも違う。()()()()()()()

 

 

“――ッ此れなるは重石、太封の陣!!”

 

 

 シルヴィアが咄嗟に錫杖を構えて叫び、びりり、と大気が軋んだ。動きを阻害する重石の結界魔術、これで少しでも足を鈍らせる。“天祐”の加護を有する使徒に対して、どこまで有効か知れたものではないが――魔王による魔力汚染が、その加護を相殺していることを祈るしかない。

 果たしてその効果はあったのか、アレスタが再び姿を現した。ばちばちと唸る雷電をその左手に蓄積し、再びクライドへと迫った。

 

 

「むんッ!」

 

 

 クライドの槍穂が、膨大な紫電を真正面から受け止めた。ごろごろと大気を砕くような破裂音が響き、霊気と魔力が激突する。ごうごうと燃焼する灼熱の嵐の中で、二人はぎりぎりと鍔迫り合いを続けた。その最中、ふとアレスタが口を開いた。

 

 

「――気付いて、いるの……かね」

「黙れ! 貴様と問答することなどない!」

()()()()()()()()()

 

 

 使徒アレスタの言葉を、クライドは意図的に無視した。その意味するところを真っ先に察しながら、そこから目を背け、がむしゃらに長槍を振るった。

 

 

「おおおおおおッッ!!」

 

 

 ごうごうと燃える炎が渦を巻き、アレスタを囲うように襲った。ただでさえ閉鎖空間である“樹”内部の酸素を焼き尽くさんばかりに燃える炎の渦が、クライドの気合に呼応して苛烈に攻め立てる。その中で繰り出される橙色の槍穂を凌ぎながら、アレスタはなおも囁いた。

 

 

「お前は……すでに、“魔”に変生、してい、る――世界の、敵、だ。使徒たる、王女と、並び立、つことは……もはや、叶わ、ない。

 それ、でも……戦う、のか、ね。自らを、滅ぼす、ために――戦、える、の……かね」

 

 

 それは、クライドの戦意を挫くためのものだろうか。それとも覚悟を問うためのものだろうか。あるいは、もっと別の何かなのか。

 ――知っている。解っている。今日ここで魔王トガを滅ぼしたところで、“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の脅威を排除したところで、その次は己が世界を脅かす邪悪と見做されるのだと。世界を救った先の未来で、世界に逆らう怨敵にさせられるのだと。

 

 

「――委細覚悟の上! それこそが、我が忠道なれば!!」

 

 

 それでも、曲げる気はない。折れる気はない。たとえ世界中から排斥され、拒絶されることになろうと。たとえ新たな脅威として、世界中から忌み嫌われようと。己は、最期まで主君(エレナ)のために戦う。誰よりも敬慕するエレナを至尊と仰ぎ、彼女のために戦い抜く。その覚悟ならば、とうにできている――!

 鈍ることなく振るわれる怒涛の槍穂に、使徒(アレスタ)が動揺したか、どうか。ごうごうと滾る魔力の炎に怯むことなく、彼もまた大鎌を振るい、“魔”(クライド)の命を断つべく刃を振りかざす。紫電と橙色の激突は、いっそう激しさを増して衝突した。

 

 

「……あの馬鹿……!」

 

 

 その様子を遠間から眺めながら、シルヴィアは歯噛みした。彼女には、クライドの覚悟が見えていた。エレナの怨敵、不俱戴天の仇敵として、アレスタを討たなければならない――その果てに、己が次なる仇敵と化すことになろうとも。リョウといいこいつといい、どうして男は妙なところで頑固なのか!

 

 

「ぜぇぇぇああぁぁぁぁっ!!」

「ゴァァァッ!!」

 

 

 クライドの意気に呼応するように、ムルムルが咆哮を上げた。主たるエレナの、玲瓏の宝珠(ラーグリア)の加護を全身に浴びて霊気を増幅し、再び碧炎のレーザー光を放つべく全身を構えた。使徒の中でも抜きんでた攻撃性を有するアレスタを相手に、半端な攻撃は通用しない。戦友を巻き添えにしてでも、ここで潰す!

 

 

“我が激情よ劫火をなし、天高く降り注げ――灼炎豪雨!”

 

 

 同時に、シルヴィアが言霊を紡ぎ、大火球を打ち上げた。焼け焦げた黒い樹壁を煌々と照らす大火球が、千々に放散して無数の小火球となり、アレスタ目掛けて殺到した。

 クライドの背越しに迫り来る必滅の輝きに対し、アレスタはまず大鎌を小さく振るった。そこから放たれたか細い雷電は、しかし炎の渦を疾駆し、その主たるクライドへと届いた。

 

 

「――ッ!」

 

 

 咄嗟に全身を駆け巡る鋭い痛みに、クライドが思わず苦悶の声を上げる。炎の渦が、一瞬だけその勢いを弱めた。

 

 

「……ならば――その理想と、ともに、朽ち、たまえ」

 

 

 その瞬間を狙い、アレスタは大鎌を高く掲げた。ムルムルの息吹(ブレス)とシルヴィアの魔術が迫る中、雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の刃が煌々と輝いた。

 ばりばりばり、と極大の雷が生じた。

 大気中の水分を吸い上げ、振動し、極小規模の黒雲が“樹”内部に生じる。そのまま空間上部を覆い尽くした黒雲は、びりびりと破裂音を響かせながら紫電を纏い、一瞬で臨界まで達した。シルヴィアはぎょっと目の色を変え、即座に大火球に注いでいた魔力を断ち切った。

 

 

“禍退けよ――芳来の陣!”

 

 

 切り替えたのは、簡素で強固な防御結界。なるべく狭く、なるべく厚く。その脳裏に走った伝承が正しければ、彼女の魔力を総動員してなお足りない――!

 数億ボルトに達した極大の雷が、ばりばりと大気を裂きながら墜落した。かつて大都市ガドラムスを、一夜にして焼き滅ぼした激情の雷電が、樹壁を焼き、大地を走り、余すことなくわんわんと木霊する。次々に墜落する雷電の豪雨により、シルヴィアの魔術も、ムルムルの息吹(ブレス)も、その全てが消し飛ばされ、形を失っていく。咄嗟にムルムルがエレナとシルヴィアを庇い、その皮翼の下に隠さなければ、彼女たちもどうなっていたことか。

 

 

「――ぐぅぅぅっ……!」

 

 

 それは当然、アレスタの眼前にいたクライドの頭上にも落ちた。魔力によって流動する炎の渦を貫通し、クライドの全身に焼け付くような痛苦を与えた。全身を透徹する激しい痛苦に苛まれながら、その五体が欠けることなく形を保っているのは、神魔の闘争にあっても極めて稀有なことだった。

 だがその悶絶は、決定的な隙を生んだ。

 ぐるりと振るわれた雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の刃が、今もなお墜落し続ける雷電の雨を束ね、アレスタが突撃した。その先は、ようやく損傷から立ち直ったばかりのクライド。超高熱の雷電を纏った刃が、咄嗟に構えられた長槍の芯をばっくりと両断し、その胸を抉るように突き立てられた。

 

 

「があぁぁぁっ!!」

「クライドっ!!」

 

 

 エレナが、その光景を見て絶叫した。遮るものなく押し込まれていく刃は、そのまま鎧を引き裂き、筋線維を食い破り、骨髄を砕いた。

 輝く雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の大刃が、クライドの胴体を真っ二つに両断した。その斬痕を黒く焼き焦がし、飛散する鮮血を蒸発させ、悲鳴すら吹き飛ばす。ぼとりと、脳からの信号を失った体躯が(くずお)れた。

 あとには、小さな沈黙だけが残った。愕然と立ち尽くすエレナと、歯噛みしながら錫杖を構え直すシルヴィアと、二人を庇うムルムル。

 

 

「……さて……これで、邪魔者は、片付い、た。あと、は殿下――貴女、のみ」

 

 

 アレスタはたった今始末した()()を蹴り除け、エレナに向けてすらりと大鎌を構え直した。その刃から流血がじゅうと蒸発し、傷ひとつない刃が向けられる。

 シルヴィアは、忸怩たる思いで錫杖を構え直した。摂理の守護者たる神器に叛逆する“魔”――裏を返せば唯一、神器に対峙することのできる前衛が失われてしまった。残る頼みの綱は、臣獣であるムルムルしかいない。上澄みとはいえ人間並みの火力しかない己もさることながら、同じ神器として攻撃できないエレナは論外だ。

 そして、そのエレナは――

 

 

「――ああァァァッ!!」

 

 

 エレナは絶叫を上げ、アレスタへと突っ込んだ。激流を纏う鉄の刃が、遮二無二突き出される。すかさず割り込まれた大鎌の刃に弾かれ、エレナは大きくのけ反らされた。元々体格に劣る彼女は、しかし狂ったようにアレスタへと食らいつく。もはや術も理もない、激情だけで振るわれる連撃を、大鎌の刃が叩き落とし続けた。

 クライド。クライド。クライド。わたしの大切な、誰よりも恋しい騎士。

 

 

「エレナ! 下がりなさい!」

「よくも――よくも、クライドを……っ!」

 

 

 シルヴィアの制止にも構わず、エレナはがむしゃらに突撃を繰り返した。その頬を伝う涙すら、置き去りにするかのように。

 誰よりも大切な人。誰よりも愛おしい人。そんな人が、目の前で殺された。目の前で奪われた。この男は、自分から何度奪えば気が済むのだ――!!

 

 

「――怒り、なさい」

 

 

 子供の癇癪のようにがむしゃらに剣を振るうエレナに対し、アレスタは冷淡に呟いた。

 侮蔑はなかった。憐憫もなかった。当然に、慈悲もなかった。

 

 

「恨み、なさい。憎み、なさい。呪い、なさい。

 そ、の先に、見える、もの、が――“理”の、正体、ゆ、えに……」

 

 

 魔力に縛られながら、震え声でアレスタは呟いた。エレナの激情の果て、その憎悪の果てに、何かを求めるかのように。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 思い上がりがないと言えば、それは嘘だろう。

 

 

 世界の理をはみ出していながら、神に選ばれた使徒(エレナ)と並び立つ――何という傲慢だ。

 そもそも、一個人としての慕情を優先するのが、騎士の忠道に反している。何と恥ずかしい話だろう。

 

 

 半端者は半端者らしく、道半ばで滅びるのが正しいのだろうか?

 世界の行く末を決める戦いに、なりそこないの“魔”が乱入するべきではなかったのだろうか?

 それこそが罪深い思い上がりだというのなら、確かに認めるほかない。

 

 

 ――ああ、だけど。

 お傍にいるだけで、心が安らぐのだ。共に生きる未来に、恋焦がれたのだ。

 決して裏切らないと。()()()()()()守り抜くと。確かに、そう誓ったのだ。

 

 

 ならば、そう在るしかない。そう成るしかない。

 たとえ世界の理に排斥されようと。たとえ神に拒絶されようと。

 それでも、彼女を守れる存在に。彼女を脅かす全てを、祓う存在に。

 

 

 見るがいい、冷厳なる神の理よ。

 見るがいい、世界を呪いし“魔”よ。

 

 

 彼女と共に歩む未来を、この手で掴んでみせよう。

 彼女の歩む道を、この身で照らしてみせよう。

 

 

 彼女が望む未来のために、この身を燃やして灯となろう。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ぶわりと広がる魔力の波動に、真っ先に気付いたのはアレスタだった。

 

 

「――……!?」

 

 

 魔王の魔力とも、“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の魔力とも違う――いや、()()()()()()()()()燃え上がる炎のような波動。同じように剣戟を止めたエレナとともに、アレスタはばっと背後を振り返った。まさに先ほど、両断して斬り捨てたはずのクライドへと。

 そこには、黄金の炎があった。

 胴を真っ二つに両断され、すでに遺骸となったはずのクライドの肉体から、ゆらゆらと揺らめき立ち昇っている。魔力汚染による瘴気を焼き潰しながら、そこから吐かれるはずの黒い排煙がない。尋常な炎でないことは明らかだった。

 クライドの遺骸を呑み込み、汚染された大気を呑み込み、見る見るうちに大火と化していくその黄金に対し――アレスタが真っ先に反応した。ぐるりと身を翻し、その手に雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の神威をばりばりと轟かせながら、必滅の一撃を以て両断する――

 それよりも疾く、黄金の炎が反応した。ぎゅるりと自らを束ねたかと思うと、吶喊するアレスタに対し、真正面から衝突した。

 ごろごろごろ、と大気が爆裂した。

 雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の全身全霊の神威に対し、黄金の炎は真正面から食い下がった――いやそれどころか、僅かに押し返している。尋常ならばまずあり得ない光景だった。思わず瞠目するアレスタに対し、炎はその質量を増して形を歪め、霊気の隙間からアレスタに殺到した。

 

 

「ぐおぉぉ……っ!?」

 

 

 全身を呑み込む黄金の灼熱に、アレスタは思わず苦悶の声を上げた。“天祐”が利かない。魔力を弾き、害を退ける加護が利かない。その身を蝕む()()()()()()()()()()()()()()()()というのにだ。

 魔王の魔力、“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の魔力、それらから解放され本来の効果を発揮する加護――その全てを呑み込んで、黄金の炎は炸裂した。

 

 

「がああァァ……ッ!」

 

 

 全身を余すことなく透徹する灼熱に、アレスタが絶叫した。その悲鳴すら薪に、黄金の炎は強く大きく燃え上がった。全身の皮を裂き、筋線維を破り、骨髄を砕き――雷獣の鉤爪(イルンガルツ)との、使徒としての霊的繫累すら焼き切った。

 いまや使徒の資格を失ったアレスタをひとしきり蹂躙すると、黄金の炎はぶわりと跳躍し、エレナの眼前に着地した。アレスタと同じように、その身をうごめかせて彼女を焼くことは――ない。ちろちろと波打つように揺らめきながらも、決してエレナに手を伸ばすことなく、ただその場で揺蕩っている。

 黄金の炎が、少しずつその姿を縮小させていった。やがて姿を現したのは――燃える長槍を携え、黄金の炎を纏うクライドだった。その胴に刻まれた深い裂傷も、いまや古傷のように塞がっている。主君エレナの前に跪いたまま、彼は静かに口を開いた。

 

 

「――……御前を、離れず……勅命に従い……無二の忠誠を、誓約申し上げる……」

 

 

 それは紛れもなく、世界への叛逆だった。“大いなる神の理”から道を外れた“魔”でありながら、理の守護者たる使徒に恭順し、終生の忠誠を誓う。世界に叛逆する“魔”として、まずあり得ない光景だった。

 

 

「――くくく……ははは……!

 ()()だ……! それこそが、世界の歪みだ……!!」

 

 

 火だるまになったアレスタが、その姿を見て、狂ったように哄笑した。

 

 

「――世界は……理は……命を、救わない……! その命を懸命に燃やし、その生涯を輝かせたところで――()()()()()()()()()()()()()……!

 『あるべき律』を、一方的に押し付け……それを超越することを、許容しない……牢獄のような摂理――それが、“神なる理”の正体だ……!」

 

 

 それこそが、摂理の本質。『そうあれかし』という言葉の真価。『あるべき生き方』を強要し、『守るべき律』を強制し、生命の在り方を制限する。「それでも」と限界を超えて生き抜こうとすれば、それを『理から逸脱する“魔”』として断罪し、冒涜者として排斥する。生命とは、それ自体が“魔”となる本質を秘めている――世界の理とは、生命の在り方を束縛する牢獄なのだ。

 

 

「承知の上」

 

 

 クライドは、それを力強く切って捨てた。

 

 

「オレは世界の軛を外れ、理から外れた命のまま、エレナ様に終生お仕えし――そして、この世界を見守り続ける。

 それこそが、我が忠道ゆえに」

 

 

 世界に認められるかどうか、理に許されるかどうか――()()()()()()()()()()。彼は彼自身の意志で、愛する主君を守り抜くと誓ったのだ。

 

 

「――許します」

 

 

 エレナはそれを、静かに受け取った。目の前の愛しい騎士の決定的な変質を、そして不変の忠誠を、彼女は確かに認めた。

 大いなる理から乖離した“炎”は、やがて世界を焼くだろう。その荒魂(あらみたま)は、“水”の傍でこそ沈静し、安住の地を得る。玲瓏の宝珠(ラーグリア)の傍に在る限り、彼は世界の守護者で在り続けることができる。

 摂理に従い老いていくエレナに対し、新生したクライドは朽ちることなく寄り添い続けるだろう。そして彼女が亡びた後も、ベルキュラスに寄り添い続けるだろう。彼女が望むまで、永遠に。

 

 

「あなたが、わがベルキュラスと共に在らん事を」

 

 

 鍔元の玲瓏の宝珠(ラーグリア)を煌々と輝かせながら、“水精の剣”を携え、その刀身でクライドの両肩を叩く。黄金と清流が絡み合い、受勲の証明(アコレード)は達成された。

 その光景に、アレスタは一瞬だけ瞠目すると、ふとその口元を緩めた。それきり、彼の肉体はぐずぐずと焼け焦げ、後には血塗れの黒い大鎌だけが遺された。

 

 

 

 

 こうして、世界に新たな魔人が誕生した。

 世界の軛を外れながら、理から弾かれながら、それでも世界に寄り添って生き続ける――異端の魔人クライド・アークヴィリアだ。

 

 




戦いの記憶:雷爪の使徒、アレスタ
 類稀なる強者との、死闘の記憶
 その経験は、新たな地平を切り拓くだろう
 あるいは、擂り潰して力の糧にしてもよい

 とある貧民窟にいた、己の名も知らぬ浮浪児は
 失われたはずの大鎌に見初められ
 “雷電の復讐”を騙る者共に祀り上げられた

 その瞳が、怨敵の幻視を映し続けていることも知らずに
 獲物は、ベルキュラスで眠っている
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