勇者と魔王の一騎打ちが、今、始まる――
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構想中の物語の、プロローグにあたる短編です。
もろもろの謎は、本編ができたら明かされると思います。気になる人は本編完成を祈っててください。
魔王の城の、その謁見の間。玉座に君臨するのは、黒髪の偉丈夫――彼こそが、魔王。みなぎる魔力が黒い炎のように彼の身体を覆い、星空を湛えたような漆黒の瞳は相対するものの心まで見通すかのような光を放っている。
相対する勇者は、その迫力の前に一瞬たじろいだ。しかし、気圧されてなるものかと歯を食いしばって魔王をにらみつける。魔王が少し笑ったような気がした。こちらを見下しているのだろうか。
「大丈夫」
賢者がぼそりとつぶやく。寡黙なこの男にしては珍しい励ましに、勇者の心は軽くなった。そうだ、自分には仲間がいる。勇者は傍らの賢者に目をやり、自らの携える聖剣にそっと触れた。ここまでの苦楽を共にしてきた彼らがいるから、自分は折れるわけにはいかない。いや、折れることはない。
「魔王……お前の非道もここまでだ。覚悟しろ」
「そうか。楽しみだ」
勇者の言葉に答えて、魔王は立ち上がった。背は思ったほど高くはないが、圧倒的な存在感がその体躯を何倍にも大きく見せている。勇者は剣を構えた。
賢者が聖剣に力を与え、聖剣は強い輝きを放つ。輝きは勇者の意志に応じて何倍も強くなる。魔王が眩しそうに目を細めるのを好機と見て、勇者は思い切って飛び込んだ。袈裟懸けの一撃は、しかしすんでのところで避けられる。輝く切っ先は魔王のまとう黒い炎を切り裂き、消し去った。
「まだまだぁっ!」
追いすがるように踏み込んで返す刀で斬りかかれば、魔王は虚空から取り出した黒い剣でそれを受け流した。魔王はそのまま、バランスを崩す勇者の背後に回り込む。背後から迫る重たい一撃を、勇者は無理やり体をひねって受け止めた。剣と剣がぶつかり合い、甲高い金属音を響かせる。勇者は衝撃をこらえきれずに地面に転がるが、受け身を取って素早く立ち上がった。
「さすがは勇者だな」
魔王は追撃を仕掛けなかった。それどころか、笑みさえ浮かべて勇者を見つめていた。それを余裕の表れだと勇者は解釈した。
「バカにしやがって」
勇者は賢者に合図を出す。賢者は小さくうなずくと、勇者に向けて魔力を放った。それは、能力増強と解放の魔法。勇者の内なる力を解き放ち、本当の意味での全力を引き出す魔法だ。勇者は身体の内に力がみなぎるのを感じた。感覚が研ぎ澄まされ、あらゆる事象を認識できた。そして、その負荷に耐えきれず、身体と脳が悲鳴を上げるのを聞いた。
「良いのか? その術を使えば、たとえ俺に勝っても、お前はもはや五体満足では生きられんぞ」
「それでお前を倒せるなら、何だっていい! お前こそ、自分が負けた後の心配か? おかしなやつだな」
「……ああ、そうだな」
短い言葉の応酬のあと、両者は再び刃を交えた。勇者は初手と同じように魔王の懐に飛び込んでいったが、そのスピードは明らかに速い。魔王が驚愕に目を見開くのが見えた。そして袈裟懸け。先には躱されてしまったそれは、今度は難なく魔王の胸板を切り裂く。ほとばしる血しぶきに、しかし魔王はひるまず、逆にその血を刃として勇者を襲った。勇者は躱さない。
攻める。攻める。受ける。斬り、突いて、回転して、振り下ろす。二人の戦いは輪舞で、舞う血しぶきは花びらだった。それは、実力の拮抗したもの同士だけが生み出せる、二人だけの世界。
勇者は戸惑っていた。魔王は倒さねばならない悪だ。悪逆非道の王、そのはずだ。だというのに、目の前で剣を振る彼の、何と美しいことか。楽しげな笑顔の、何と無邪気なことか。
全力で剣を打ち合うのは楽しかった。血を失い朦朧とする頭で、もっとこの時間が続けばいいのにと思った。頭のどこかに残った理性が、相手は倒すべき敵だと叫んでいたが、そこに意識を向ける余裕は、もはやなかった。
「楽しいな」
魔王がつぶやき、勇者に笑顔を向けた。魔王も同じ気持ちなのだと知ってうれしくなった勇者は、にへらと笑顔を返した。
「だが、そろそろ終わりだ」
不意に魔王の魔力が膨れ上がる。本能的に危険を察知した勇者は、大きく距離を取った。
魔王は再び魔力の炎を身に纏っていた。そしてそれは、勇者の見ている前でどんどん大きくなっていく。両手をだらんと弛緩させた姿は隙だらけだと言うのに、油断してはならないと直感が警鐘を鳴らす。
「いや、」
勇者はぎ、と歯を食いしばると、剣を構え直して魔王を見つめた。油断してはならない。だからこそ、向こうの準備が整う前に、こちらから打って出なくてはならない。
「終わりは、お前だ!」
気合とともに踏み込み、光の如き速さで魔王の懐に潜り込む。魔王は動かず、ただ目線だけで勇者を追った。
勇者は逆袈裟に斬り上げた。魔王はやはり動かなかった。輝く聖剣が魔力の炎を吹き飛ばし、魔王の身体を斜めに斬った。魔王の赤い血が、勇者に降りかかる。その暖かさを感じながら、勇者は剣を逆手に持ち替えた。これで終わりだという安堵と、これで終わりだという悲しみと。2つの感情に引き裂かれそうになりながら、勇者は魔王めがけて剣を振り下ろした。剣はあっさりと、魔王の胸に吸い込まれていった。
魔王はゆっくりと、前のめりに倒れていった。倒れる一瞬前、魔王と目が合った勇者は確かに見た。魔王が微笑んでいるのを。とてもとても、穏やかな微笑みを。そして彼が勇者の顔のそばを通り過ぎるとき、確かに聞いた。「ありがとう」という、優しい声を。
とさ、と存外に軽い音を立てて、魔王は地面に落ちた。勇者は呆然とそれを見下ろした。見たもの、聞いたものの意味を捉えきれずに、ただじっと見下ろしていた。
「これで、終わり」
離れたところで二人の戦いを見守っていた賢者の小さな声が、不思議なほどよく響く。その音にようやく気を取り直した勇者は、笑顔で相棒を迎え入れようとして――ぎょっとした。
「お前……泣いて?」
寡黙で、無表情で、無感動な相棒が、涙を流しているではないか。表情を変えることを忘れてしまったのかといつもからかっていた、その仮面のような顔に、二筋の水の跡。
賢者は勇者には答えなかった。無言のまま倒れた魔王の側に行くと、その胸に突き立ったままの聖剣を恭しい手付きで引き抜く。そしてそれを勇者に手渡した。
「あ、ありがとう」
勇者は戸惑いのままそれを受け取った。増強の魔法の効果はとっくに切れ、全身が悲鳴を上げている。持ち慣れた剣すら重たくて、握るだけで手の骨が粉々になりそうだった。手のひらは自分のか魔王のかも分からない血で濡れていて、滑り落ちそうになる剣を必死で支えた。この分だとたぶん歩くこともままならないから、賢者には迷惑をかけそうだ。
悪いな、と相棒に声をかけようとした、その時だった。
「ごめん」
声は、賢者のものだった。え、なに、と思う間もなく、勇者は聖剣を自分の胸に突き立てていた。状況を理解しようともがく頭とは裏腹に、己の腕は己の意志とは無関係に、刃を深く、深く、押し込んでいく。
「ごっ、がはっ」
ひときわ大きな血の塊を吐き出して、勇者は膝をついた。助けを求めるように賢者を見上げれば、感情の読めない顔と目が合った。相棒の指先に魔力の光が灯っているのを発見して、勇者は理解する。これをしているのは、賢者だと。賢者が勇者の身体を操って、勇者を殺そうとしているのだと。
「違う」
勇者の考えを読んだのか、賢者が答えた。
「お前を操っているのは、剣。ワタシは……」
賢者の指先から光が飛んだ。光は5つに分かれて、勇者と魔王を取り囲むように展開する。魔法陣だ。
「これは、ワタシのわがまま」
勇者は自分の命の火が消えつつあるのを理解した。全身に力が入らず、魔王と折り重なるように倒れ込む。視界は失われ、黒だけが目の前に広がった。魔王の色だ、と何とはなしに思った。ひどく寒いのは、血を失いすぎたせいだろう。
賢者は裏切ったのだろうか。剣が操っているとはどういうことだろうか。分からないことだらけだった。命を賭してここまで来たのだから、死ぬことは覚悟していた。だけど、ただ死ぬわけにはいかないのだ。
「せん……そ……は……」
魔王を倒して戦争を終わらせる。そのために自分はここまで来たのだから。それが果たせないまま死ぬことだけは、避けたかった。
そっと、頭を撫でられる感触があった。
「大丈夫」
賢者の声には、優しさと悲しみと、それから決意がにじんでいる。
「魔王は死んだ。戦争はじきに終わる」
「そ……か」
賢者が裏切っているのなら、その言葉だって信じられないはずなのだが。だけど、勇者には、彼のことは信じられるという確信があった。旅が始まってから知り合った短い付き合いだけれども、一番の相棒だったのだから。無表情で無感動に見えても、本当は優しさと情に溢れた、信頼に足る男なのだ、こいつは。
「なら……いい……」
相棒が言うなら、大丈夫に違いない。勇者は微笑むと、意識を手放した。
――魔王の城の、その謁見の間。重なるように倒れる勇者と魔王を前に、賢者と呼ばれた男は立っていた。
男は、かつて魔王の側近だった。魔王の片腕として誰よりも信を置かれていた。それ故に、魔王の密命を受けて、人間として勇者に近づいたのだった。
魔王の密命――それは、魔王を殺せる人間を、魔王城へと連れてくること。戦争を疎んじていた魔王が、それを終わらせるために計画した、究極の自己犠牲。
勇者を育て導く旅は思いの外長引いて、男はすっかり勇者に情が移ってしまった。時には自分が密命を帯びていることも忘れて、彼との旅を楽しんだ。けれど終わりは来るもので、勇者はとうとう、この魔王城に辿り着いてしまったのだ。
「魂に、絆を」
事切れた二人の身体から、淡い光の玉が現れた。それは二人の魂だった。魂は天を目指し飛んでいこうとしたが、男が予め張っておいた魔法陣に阻まれてそれは成らず、ふよふよとその場を漂った。
「運命に、鎖を」
男の言葉に応じるように、血溜まりの表面がざわめいた。魔王の血と勇者の血が混ざり合ってできた鮮やかな赤は、すうと伸び上がり、魂に絡みつく。そしてそのまま、吸い込まれて消えてしまった。
男が手を伸ばすと、2つの魂は手元まで漂ってきた。彼はそれを捕まえて、自分の胸元に掻き抱く。ぐ、と食いしばった歯の間から漏れ出すのは、嗚咽だった。仮面のようなと評された顔は、今は涙でぐちゃぐちゃに歪んでいる。いつの間にか聖剣が彼の足元にあって、彼を慰めるように寄り添っていた。
ひとしきり泣いたあと、彼は魂と聖剣を手にして、城を後にした。