………気付いていた。
それが、打算であったことも。
それでも、嬉しかったから。
「わたしの名前ね、アイリスっていうんだ!」
「ねえ、あなたの名前は?」
「あれ? 聞こえてますかー?」
「…………」
「〝水流〟」
「!?」
「あははっ、こっち向いた!」
「すごいでしょ、わたし、魔法使えるんだ!」
「…!?……!?」
「びっくりした? びっくりしたよね!
あははっ、そんな顔できるじゃん!」
──────
────────
「ねーえー、名前はなんて言うの?」
「…………」
「こっち向いてよー」
「…………」
「えいっ」
「!!? っ!? っ!?」
「あはははっ!
ただのカエルだよ、びっくりしたでしょ!」
「…っ………なんなんだよ」
「お名前、教えてくれない? それともないの?」
「…………ルイン」
「へぇー、珍しい名前!
この国の人じゃないのかな?」
───────
─────────
「ねーえー、私の名前知ってるでしょー」
「知らない」
「前に言ったよ?」
「…………覚えてない」
「じゃあヒントね、最初は『ア』!」
「蟻」
「ちーがーうー! 文字が足りない!」
「アリス」
「じゃあ今度から私のことアリスって呼んでね!」
「……アイリス」
「アリスでけってーい!
あと私はルイって呼ぶから!」
「は?」
「今度からは名前で呼ぶの禁止だからね!」
「は?」
──────
────────
「……!」
「うわ、すっごい食べる。詰まるよ?」
「………!!」
「そんなに美味しいかなあ?」
「……っ、んく。……初めて、こんなもの食べた」
「ただのサンドイッチだよ?
メイドさんもいつもと変わらない人だし。
野菜多くてきらーい」
「……………いつも」
「うん。今度から持ってくるね!」
─────
────────
「アイリス、忌み者と会うなと何度……!!」
「もーうるさいなぁ、分かってるってば。
そんなんじゃないから。
お姉ちゃんたちからも言われてるし」
「………お前に接してやれてなかったのは悪かった。
姉たちも今日はお前と遊んでくれるそうだ。
私も出来るだけ時間は作るようにする」
「ほんと!? やった!
じゃあ今日はまた魔法おしえて!」
「あなた、本当に魔法が好きね、アイリス」
「お姉ちゃん!
ねえ、お姉ちゃんの魔法もおしえて!」
「えぇ、今度はあの忌み者、
その魔法でぶちのめしてやりなさい」
「うん!」
…………嬉しかった。
その優しさの裏にあるものが、何だったとしても。
─────
聞くに堪えない、聞くに値しない会話の数々。
良からぬ関係に気を引かせ、家族と触れ合える時間を作るための、それだけの関係。
それで良かった。
それでも差し出された手は、嬉しかったから。
隠れ、盗み聞いたその時は分からなかったし。
けれど今になって分かった。
それ以上は、望むべきものではない。
静かに、緩やかに、穏やかに。
そうして消えていくだけの関係で良かったのに。
────────
「「「■■■■■■───────!!!」」」
「三つ首の幻獣……!?
なぜ、こんなところに……!」
「お父様……」
「怖い……」
………突如として村の近くの山を散歩中に現れた魔獣。
何者かの差し金か、それともただの偶然か。
それは未だに分かりはしない。たが、この時は。
恩が、あったから。
「「「■■■■■!!?」」」
「…………!!!」
「な……!?」
適当に手にしたのは、木こりか誰か落としたのだろう手頃な丸太。それを両手に握り締め走り出し、そして獣の首を目掛けて跳躍、力のままに、叩きつける。
血渋きが上がる。
ぐしゃりと潰れた犬の頭。
脳裏に映るのは、あの下卑た笑みを浮かべた貴族と、その飼い犬で。だからこそ、今度こそ、なんて。
馬鹿みたいに覚悟なんて決めて、そして。
「■■■■!!」
「が」
真横に振り抜かれた前足が、肩を砕く。
爪が喉元まで食い込み、血が溢れて、そして、身体がくの字に折れて、空を飛ぶ。意識が灼熱に包まれる。
「ルイ!!」
「っ、待てアイリス!!」
「放して!! ああ、あ、いや、いや……っ」
ごろごろと地面を転がって。
枝葉と土石に身体を引き裂かれて。
聞こえない。
立つ。
全身が痛む。血が出て、いたいつらいつめたいさむいいやだこわいきつい殺す。
殺さないと。
犬は、殺さないと。
「………」
「■■■……■■■■■■■■■!!!!」
黙れ。
吹き飛ばされても手放さなかった丸太を握り直して、耳障りな犬の雄叫びを聞き流す。頭は一つ潰したが、まだ二つ残っている。首が三つもあるなんてずるい。羨ましい。なんで俺にはない。許せない。殺す。
こいつは死なないといけない。
「■■■!!」
「さっきと、おなじ」
前足の横振りを、壊れた左手を地面について避ける。右手に強く、丸太の棍棒を握る。
地面を強く蹴って顎下に潜り込むが届かない。なら、跳んで顎を砕く。踏み込み勢いを殺して、もう片足で強く地面を踏みつけ、膝を折る。
跳ぶ。
「■■!!?」
顎を打ち上げる。
まだ。
「つぶ、れろ……!!」
打ち上げ、振り上げた棍棒で。
打ち上げられ、振り上がった犬の頭を。
叩き潰す。
肉がへしゃげて、つぶれる。
そして次の瞬間、脇腹がえぐれた。
「ぃ、え」
残った最後の首が脇腹の肉を噛み千切る。
……首を向けた方向が、その逆だったのが幸いした。
「………ッ、あ!!」
「■■■■!!!」
ごりっ、という音。
砕けたのは、その首のあぎとに投げ込んだ棍棒。
「っ、ぐ、あ」
ずるりと血に滑り、地面に落ちる。
衝撃に内臓がひっくり返って、息が詰まる。そして。
「………!!」
凄まじい力で胴体を押さえつけられる。
その前足での踏みつけは、ゆっくりと、だが確実に、骨を砕いて、内臓を押し潰して、そして、殺される。
「っ、か……ッ、は……、ッ……!」
肺に空気が回らない。心臓から血が回らない。
骨が砕ける。内臓が潰れる。肉がひしゃげる。
目と耳から熱が溢れ出す。
無理やり空気を取り込もうとした喉が裂け、血の色で視界と身体が染まっていく。
意識、が。
「こっち、向け──────!!!!」
ばしゅ、という音と共に、声が響き渡る。
降ってくる冷たい何かが、血の熱を冷ました。
それは、水だ。
だがその水は、その血に触れたと同時に消失。
更なる血の熱が身体を燃やす。
まほう。魔法だ。
なにが起きているのか分からない。身体が動かない。意識が遠退く。
重さが、消える。
潰れかけた肉が、少しずつ戻る。
「…っは…っ…はぁっ……こっちだ、怪物っ!!」
遠ざかる草を踏む足音。
それを追いかける、巨大な足音。
………まずい。彼女は死なせてはいけない。
何故?なんのため?行けば死ぬぞ?
………彼女は俺に命をくれた。
たとえ嘘だとしても、温かな手を差し出された。
立て。立ち上がれ。死んでもいい。あの犬を殺せ。
何があろうと、彼女だけは助けなければ。
腕をつく。
膝を立てる。
力を入れる。
立ち上がる。
走る。