世界という舞台の上で、人形は踊る。
劇場は人形たちに彩られ、いつか結末へ。
たとえそれが、全て運命という脚本だとしても。
たとえ自分が、泥の人形でしかないとしても。
この世界の全てが嘘であったとしても。
その笑顔が、偽物だったとしても。
こうして、自分の意思で抗えるのならば、いつか。
この
「…………」
鐘の音、そして歯車の軋む音が、頭の中で鳴り響いている。全身を震わせるような寒気と痛みの残り香が、気持ち悪い。鋼を擦り合わせるような金属音は鈍い痛みを伴って、そして鐘の音と共に、少しずつ遠ざかっていく。
過去が、遠くなっていく。
「………は、ぁっ………」
否、過去とは遠く、元より届かないものだ。
どこまでもどこまでも、遠く彼方にあるものだ。
手を伸ばしても変えられず、いつか見えなくなっていく。
「…………ゆ、め……か……」
身体を起こせば、汗が頬を伝っていく。
軋んだ歯車の痛みの残滓が、眩暈と共に襲ってくる。湿った髪が目にかかる。それを指で掻き分けて、立ち上がる。
ふらつく足取りで、建物を出る。
パチパチと燃え盛る木々。そして崩れ落ちた居住区の家々にそれぞれ兵士たちが寝泊まりを位置付けられている。たった半日で終わった殲滅戦は、だがその作戦速度での疲れによる兵士たちの疲労も大きかったそうだ。
「──────」
少し、散歩でもしよう。
大通りだったであろう並ぶ家々の真ん中へ、歩き出す。
その時だった。
「ルイ」
アリスの声。
立ち止まって、けれど、振り向かない。
「置いて行かないで」
声が、近づいてくる。足音はない。
風が吹いている。鐘の音が鳴り響いている。
「一人に、しないで」
背中に、ひたりと、何かが触れる。
酷く寒くて、冷たくて、どろりとした感触。
それは、手だ。
細く、それから俺のものより小さな指が、背中をなぞる。
それは少しずつ、背中を這い上がる。
さ び し い よ
這い上がってきた細い手が、肩にかかる。
もう一つの手と共に、二つの指が首元に絡みつく。
ぎゅうと締め付けられる。
か細い指からは考えられないほどの力で、それが首の肉へと強く食い込んでいく。その力は強さを増していき、呼吸すら苦しくなるほどに。
い か な い で
「……っ…か……っ、は……っ………!」
人肌のように生暖かく、そして死体のように冷たい指。
それはその熱を伝えるように、肉を押し潰して、その芯へと向かって近づいてくる。
い っ し ょ に
「……っ…は………っ、かっ………ぁ…!!」
締めつけられる。
魂が、
命が、
思考が、
肉体が、
心が、
締めつけられる。
つ れ て っ て
「……………………!!!」
違う。
お前たちは、彼女じゃない。
そして、まだ、連れてはいけない。
まだ、死ねない。
まだ、振り向く訳にはいかない。
その時は、今じゃない。
「───────っは、っ、は、っ………!」
締め付ける細腕が消えていく。
楽になった呼吸を繰り返して肺を動かし、空気を取り込む。薄れかけていた意識と思考、視界が鮮明になっていく。
「っ……はぁ、っ、はぁっ………」
振り向く。誰もいない。
あるのは室内の暗がりと、森から舞ってくる火花ばかりだ。誰も、いるはずもない。全て、ただの幻覚だ。
「気を、しっかり、持て……」
自分に、そう言い聞かせる。
まだ狂う訳にはいかない。やるべきことは山積みだ。
耐え続けなければ。
前だけを、向き続けなければ。
後ろを振り返る暇も、下を向く時間も、上を向く隙もない。ただ顔を上げて、足を動かして、前に進み続けなければ。
狂いきる前に。
正気を、保ち続けなければ。
「…………」
とうに狂っているのだとしても、足を止めてはいけない。
「随分とお疲れのようね?」
手で頭を押さえた瞬間、女の声が聞こえてくる。聞き覚えのある、魂を揺さぶられるような甘い声。それでいて、本能が危険だと警鐘を鳴らし始めるもの。
視線を上げ、睨み付ける。
赤い、赤いはずの女がそこにいた。
「…………趣味が悪いな」
「ふふ。何もしていないのに、酷い言われ様ね」
【赫耀】は、崩れ落ちた瓦礫に腰をかけていた。
その姿は普段とは違う。服装ではなく、見た目からだ。
あの妖艶な赤いドレスの女ではない。
今は黒衣を纏い、またその顔もフードで見えない。だが声、そして放たれる異様な雰囲気は、あの女のもので違いない。
そして何もしていない、というのは事実だろう。
今の俺に起こったことは、だが。
「嘘をつけ」
「あら、なぜ?」
「惚けるなよ。
アリス……あいつらを手引きしたのは、お前だろう」
「ふふ」
俺の言葉に、【赫耀】は笑う。
フードから覗く口元が、三日月のように歪む。
そもそもがおかしい。
あの場でアリスとその一行が現れたのは、何かしらの手段が必要だったはずだ。その動きこそ不鮮明だったとはいえど、この樹海を抜けるにはエルフ、また獣人の案内でもなければ不可能と言ってもいい。だというのに、あの場に現れたのはあの一行のみ、案内人の姿は見えなかった。
いるはずのない【赫耀】。
何が目的かは分からないが、この女なら有り得る。
それこそ、素性も目的も分からないが故に、だ。
問題は、この女が何をしたのか。
「それで、どうするのかしら?
貴方は私を、どうしたいのかしら?」
「…………」
「あぁ、そう、そうね。ふふ。
安心していいわ、私はあの娘には
ただ、
女は笑い、こちらの思考を見透かして勝手に答える。
嘘は言っていない。道を案内した、というのなら、恐らく、それは逃げ道も同じだろう。こうやって、姿を隠して。
「何が目的だ」
「何が、という程でもないわ。
ただ私は、脇役として動いているだけ」
「………何が言いたい」
「言葉通りの意味よ? 舞台を面白くするために、
脚本には手を出したくなるものよね?」
「ふざけたことを。
それだけのために彼女をここに……」
「それだけ、とはお言葉ね。
久しぶりの再会を叶えられて、
伝えたいことも伝えられたんでしょう?」
「……、………」
「ふふふっ、なら、私の
女は言葉を詰まらせた俺の様子に、女は笑い続ける。
こいつは、何が見えて、何を知っている?
「踊り疲れることだってあるけれど、
貴方は舞台からは降りることは出来ない。
仕方ないわ、ずっとそうだものね」
「言葉の意味が分からない。何を言っている?」
「言葉通りの意味よ。
幾千幾億の昼夜を越えて、まだ抗うんでしょう?
何も変わらないと分かっていても」
「………話が通じないな」
俺よりも余程狂っている。
理解出来そうで、理解出来ない。思考が理解を拒んでいる。歯車が軋み始める。頭が割れそうに痛み始める。
「ふふ。分かっているハズよね?
あら………まさか、記憶が抜け落ちたのかしら?」
「…っ……何を………?」
「成程、そういうことね。ふふふ。
あの子も可哀想ね、折角こんな状況なのに。
貴方も貴方で耐えきれなかった、けれど仕方ないわ」
「お前、何を………!?…っぐ……っぁ……!!」
女は知った風に、愉しそうに嗤う。
問い詰めようにも、強く軋む歯車が邪魔をする。煩いほどに鐘が鳴り響く。痛み、痛み、痛み、痛み。
全身を押し潰されるような錯覚は、この女の言葉を意識するほどに強くなっていく。
………一度、思考を止めねば。
「っ、ふ……っ、はっ………」
「……ここまでね。
お互い、最後の最期まで踊りましょうか。
どうせ放っておいても舞台は進んでいくわ」
「……っ…待て!」
だが顔を上げた瞬間には、女の姿は消え失せていた。
逃げられたか。
「………くそっ」
あの女は、どこまで知っている?
言葉には嘘がないとはいえ、あの様子では肝心なときに何をしでかすか分からない。掻き回されるのは困る。どうにか、手を打っておきたいが………あまりにも正体が分からない。
詮索は、危険だろう。
「………」
気を落ち着けなければ。
そう、予定通り、散歩でもしよう。
夜の廃墟に、足を進める。