失われし英雄譚【一次募集終了】   作:雪兎の手

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第九話【比類なき強者】

 夕暮れの曇天が、倉庫街を沈んだ灰色に染めていた。

 風には湿り気があり、遠くで雨の匂いがしている。もうすぐ降り出すだろう。

 

 「……ここか、アルさんが言っていた反応の場所は」

 宗介さんが肩のポーチを確認しながら呟く。

 「そうですね。以前、私たちが異形と戦った倉庫です。警戒を緩めずにいきましょう」

 

 彼の横顔には緊張が滲んでいた。けれど、それは私も同じ。

 あの時の戦闘は決して軽いものではなかった。異形を封じたあとも、焼け焦げた匂いが夢に残っている。

 

 私は扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。

 中は相変わらずの薄暗さと油の匂い。壁にはあのときの斬痕が今も刻まれている。

 「懐かしいっちゃ懐かしいな。前回は、氷愛さんがいてくれて良かった」

 宗介さんの軽口に、私は思わず小さく笑ってしまう。

 「あの時は皆さんのおかげで助かりました。……さて、調査を始めましょうか」

 

 私は壁に手を滑らせながら、金属の感触を確かめる。

 ふと、色褪せた黒い指ぬき手袋を付けた指先にひっかかりを感じた。

 「……この斬痕、まだ新しいですね」

 指を離すと、鉄片の断面が光を返した。錆も、埃もない。

 ほんの数時間前——もしかすると、ついさっきついたものだろうか。

 

 「やはりアルさんの言っていた通り、誰かが来ていた可能性があると」

 宗介さんの言葉に私は首肯する。

 「ええ。しかも、これはただの小競り合いじゃない。……激しい戦闘の痕跡です」

 

 空気が張り詰めていた。風もないのに、埃が舞う。

 私は奥へと足を進めた。通路の先、暗闇の中で何かが光った気がした。

 その瞬間、宗介さんが息を呑む。

 

 床の上に——人間が、崩れ落ちていく。

 灰となっていき、風もないのに粉が舞い、そして空に溶けていく。

 ……“死の灰”。

 異能者が魔力を保てないまま致命傷を受けたときにだけ起こる現象。

 

 「人が……消えていった。異能者が死んだのか」

 「そうですね。……アルカ所長からの連絡から、それほど時間は経っていません」

 つまり、勝負はごくわずかな時間で決着がついた。奇襲……あるいは、両者に圧倒的な実力差があったということ。

 

 その時だった。

 低く、硬い音が近づいてくる。

 

 ――コツ、コツ。

 

 蹄。けれど、普通の馬のものではない。

 腐臭と鉄の匂いが鼻を刺す。

 闇から現れたのは、馬に似た“何か”だった。肉が溶けるように歪み、影のように揺らめく。

 その背に——黒い甲冑を纏い、長大な薙刀を携えた騎士。兜の口元だけが崩れ、そこから獰猛な笑みが覗いていた。

 あれが、おそらくは先の異能者を死に至らしめた“犯人”。

 

 宗介さんが警戒しながら横目で私を見る。

 「氷愛さん、状況からして、さっきの異能者を――」

 「ええ。そう考えるのが自然です。それに……外見も尋常ではありませんね。異能者か、あるいは以前戦った異形と同じような存在かもしれません」

 

 その瞬間、黒騎士がゆっくりと首を傾けた。

 私たちを、見た。

 空気がぴたりと止まる。

 兜越しに視線を交わしただけで、全身が軋むような重圧。たった少し相対しただけでわかってしまう。目の前の存在はこれまでに経験したことがないほどの――比類なき強者なのだと。

 体が小さく震えだす。本能が全力で危険を知らせていた。指先が僅かに痺れ、呼吸のタイミングを一瞬だけ見失う。

 

 「……アルさん、まずは俺が話を聞くよ。まだ敵であると決まったわけじゃない」

 

 宗介さんの言葉に、強張っていた体を少し落ち着かせる。穏やかで冷静な彼の性格には何度も救われている。

 異能という超常と関わるこの仕事において、そのメンタルはとても頼りになるものだった。

 

 彼は警戒を解かぬまま、目の前の騎士に声をかける。

 

 「お前は……何者だ? さっきの異能者を殺したのもお前の仕業か」

 

 声に応えるように腐れた獣の蹄が音を立てた。

 黒騎士が薙刀を構え、低い声で言葉を吐く。

 

 「あァ、もしかしてお前らが、月白が言ってたやつらかァ? ……てことは、どっちかが“熱を出す”っていう能力者だ」

 

 宗介さんの問いを無視するその声には、人間の理性とは別の何かが滲んでいた。

 私は無意識に、一歩、前に出る。

 

 「俺は弱い奴に興味はねェ。散々待たされたんだ。とっととやろうぜェ」

 

 騎士は露出した口元を愉悦に歪め、薙刀を軽く肩に担ぎなおした。

 

 「十中八九そうだと思っていたけど、やはり話が通じる相手じゃなさそうだ。氷愛さん」

 「はい、以前と同じく私が前に出ます。宗介さんは側面から雷撃と援護を。必要に応じて指示を出します」

 宗介さんは短く頷いた。

 「了解です。氷愛さん、無茶はしないでください」

 

 本当に宗介さんは理解が早くて助かる。即座に対応を切り替えた彼に合わせて、私はいつものプランを提案する。

 恐怖が無いと言えば噓になる。それでも目の前の異形を放っておくことなど、絶対にできるはずがなかった。

 

 「よしよしよしッ、やるぞォ! さっきの野郎はあっさりくたばっちまったが、あんたらは楽しませてくれんだろォ!?」

 

 腐れ擬馬が低く唸り、影めいた四肢を踏み鳴らした。私はその挙動を余すところなく観察しようと、瞳の焦点をさらに締めた。

 

 ふと、視界の端に――黄色く濁った球形が、闇の隙間で瞬く。

 こちらを"見ている"という感覚だけが、異様に生々しかった。

 

◆◆◆

 

 「氷愛さん! 動け!」

 「ッ!」

 

 意識の切断。気づいたときには、既に獣が跳躍し、黒騎士の薙刀が眼前に突き出されていた。回避の猶予は、ない。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 衝撃音が炸裂し、粉塵と鈍い金属音が倉庫の闇を割った。火花がひとしきり散り、短い煙柱が上がる。宗介は顔をしかめながら叫んだ。

 「氷愛さん! 返事を!」

 

 煙の向こうで、氷愛の体がよろめいた。肩口を抉るほどの斬撃が入っていたが、彼女は膝を折らずに咄嗟の動作を行う。激痛と焦熱が走る――刺さった刃を捌くため、自らの腕の皮膚と筋繊維を焼き切るように熱を纏わせ、刃を跳ね上げる。刃が外れた瞬間、焦げた匂いと肉の焼ける音が微かに混じった。

 

 血と熱に顔をゆがめながらも、氷愛は飛びのいて間合いを取る。

 痛みで額から脂汗が落ちる。脳の奥で警鐘が鳴るが、不思議と追撃は来なかった。黒騎士は薙刀を引き、無造作に片手へ持ち替えている。

 

 その手のひらには、先ほど視界でちらついた黄色い眼球が握られていた。甲冑の隙間から覗く指が、それをぎゅっと潰す。眼は潰される瞬間に小さく弾け、薄い光が散った。黒騎士はため息混じりに、面倒そうに言った。

 

 「悪りィな。百眼の野郎が余計な水を差しやがった」

 

 その言葉は、不意にこの場の空気を弱める。氷愛の瞳が冷たく見開かれると同時に、黒騎士は馬上から彼女を見下ろし、続ける。

 

 「さァ、これでもう対等だ。……にしてアンタもなかなかやるなァ。追撃をしなかったとはいえ、戦士でもない人間にしては良い判断だ」

 

 宗介は前へ飛び出し、氷愛の横合いに入る。

 傷の痛みを堪えながらも、氷愛はわずかに首を振って制した。

 言葉は短いが、声にはまだ冷静さが残っている。

 「大丈夫、です。まだ魔力に余裕はあります」

 

 言葉と同時に、彼女の体温が一瞬だけ上がる。内側から発される熱が肌の表面を淡く照らし、焦げた血の匂いがかすかに漂った。呼吸は乱れていない。痛みを押し殺しながら、彼女は自らの力を整えていく。

 

 宗介の体表にもまた、青いプラズマが走り周囲を軽く照らす。バチバチと音を立てて魔力が立ち上る。

 

 倉庫の粉塵がゆっくりと舞い落ちる。

 腐れ擬馬は鼻を鳴らし、黒騎士は兜の隙間から覗く口元に獰猛な笑みを浮かべた。

 鉄と腐臭の入り混じった息を吐きながら、薙刀の切っ先を軽く掲げる。

 

 「いいねェ……力量の差を理解しながらその目、悪くねェ」

 

 低い声が響くと同時に、獣の蹄が床を抉った。空気が爆ぜ、灰色の残光が舞う。

 氷愛の足もとには熱が集まり、宗介の指先には小さな電流が走った。

 

 互いの間に、火と雷と闇が同時に交錯する――。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 金属のぶつかり合う音が、路地裏に反響した。

 紘平の銀刃が鶯の鎌を受け止めるたび、火花が散る。だがその軌道は読めない。

 まるで人間の理を外れた獣のように、直線も定石も無視した刃が襲いかかってくる。

 

 「くそっ……攻撃の軌道が読めねえ! まるで獣みたいな動きをしやがる!」

 紘平が舌打ちしながら一歩退く。その隙に肇が駆け寄り、息を荒げて肩を貸した。

 「大丈夫ですか、紘平さん!」

 「平気だ……けど、あれはマジでやべぇ。勘で動いてるくせに全部が的確だ」

 

 肇は歯を噛み締める。焦りが喉を焼く。

 (このままじゃ、魔力を削られて終わる……。でも、どうすれば――)

 

 思考の迷いの中で、ふと頭の奥に過去の光景がよぎった。

 楼歌の異能によって生み出された“灰狼”との訓練。群れを成して襲いかかる獣たち。

 彼らの動きは理屈ではなく、本能そのもの。

 どんなに技で挑んでも、初動を読めなければ噛み砕かれる。あの時の自分は、何もできず倒れ伏した。

 

 (……そうだ。あの時、楼歌さんが言ってた)

 “考えるんじゃなくて感じるの! 獣の牙を止めるのは、理屈じゃなく勘の鋭さだよ”

 “相手が本能で狩るなら、肇も本能で動かなきゃ!”

 

 肇は深く息を吸い、鶯の軌跡をただ“視る”のではなく、“感じ取る”ように集中する。

 空気の揺らぎ、足の摩擦音、刃の風圧――それらが微細な「予兆」として形になって見えた。

 

 「……見える」

 低く呟き、肇の視線が鋭くなる。

 

 鶯が地を蹴る。左の鎌が閃く――が、肇の体は一瞬早く傾いていた。

 風が頬を裂く音。致命の一撃が紙一重で空を切る。

 肇の反撃が、鶯の腕をかすめた。

 

 「……へえ?」

 鶯の唇がわずかに吊り上がる。

 「さっきまでと動きが変わったね。お兄さん」

 

 その声にはまだ余裕がある。だが肇の胸には、確かな手応えがあった。

 焦燥が熱へと変わり、冷静さが戦意を形作る。

 

 「紘平さん、次は合わせてください!」

 「おう、やっと来たかよ――いいぜ、やってやろうじゃねえか!」

 

 二人は勢いよく踏み込み、連携で鶯の動きを切り崩そうとした。肇が左へ斬り込み、絋平が右から大きく迂回して圧をかける。斬撃と銀の波が交差し、鶯の視界を乱す。

 

 「お返しだ! 俺もお前と同じく魔力の限り生成できるからな!!」

 絋平が低く吠え、掌から放たれた銀刃が空を切る。敵の攻撃からインスピレーションを得た彼の新たな工夫――連続で生成した銀の刃を投げつける技が鶯の攻めの隙を突いた。刃は鶯の腕をかすめ、鎌と一瞬だけ激しくぶつかり合う。

 

 だが、その瞬間、鶯の表情が変わる。薄く笑みを浮かべ、楽しくなってきたとでも言いたげな表情で跳躍し、壁の取っ掛かりを片手で握る。ぶら下がったまま彼女は肇たちに手を向けた。

 

 「『彼の者 黒き塵と共に現れ 空を血の赤に染め上げる』」

 

 そのまま、手早く短い詠唱を吐く。その声に呼応するように周囲に黒い塵が漂った。

 

 「絋平さん、あれが来ます!」

 「そんな急に来るのかよ!?」

 

 「我が声、我が祈りに応えよ──【八咫烏の鉤爪】」

 

 次の瞬間、空気が一瞬透明になり――透明な刃が帯状に飛翔してきた。光を含まない、それでいて切れ味だけを帯びた斬撃が、二人の間合いを断ち裂く。

 

 「くっ……!?」

 肇が咄嗟に体を捻じ、刃の一片が胴を擦る。鋭い痛みが走り、血がにじむが、彼の体はまだぐらつかない。一方、絋平が咄嗟に作り出した銀の防壁もその透明の斬撃に引き裂かれ、彼の肩口に真っ直ぐな切り傷が走った。鮮血が飛び、絋平は一瞬足を止める。

 

 鶯は動作のギアを上げる。楽しむ余裕のある速さから、獲物を仕留めるための速さへ。

 壁を蹴って一気に間合いを潰して二人を押し込む。ただでさえ厄介な鎌の連撃に加えて透明な刃も警戒しなければならない。

 路地裏は再び鶯のペースに飲み込まれていった。

 

 動きはぎりぎり読めても、その速度に体が追い付かずこちら側の傷だけが増えていく。

 異能による打開も不可能。絋平もまた決定打を持たない。

 

 「勝てない……」

 肇の胸に冷たい絶望が落ちる。喉の奥で血がひりつき、自分も絋平も魔力が削られていくのを感じる。訓練や覚悟だけでは埋められない力量差が、今ここにある。

 

 絋平は荒い息を吐きながら肇を一瞥し、声を張った。

 「肇! 退いて、助けを呼んでこい!」

 

 肇は足を踏みしめ、顔を上げる。顎を震わせながらも言葉が出る。

 「いえ残ります! 俺は、ここで……」

 

 「冗談言ってんじゃねえよ。このままじゃ二人ともやられるだけだ」

 「なら俺が残って……」

 「異能すら使えないやつが一人であいつを抑えられるわけないだろ。まだ俺のほうが可能性がある」

 絋平は真剣そのものの口調で返す。だがその目は真っ直ぐに肇を見据えていた。

 

 肇は躊躇う。後退すれば仲間を見捨てることになるという罪悪感が胸を締めつける。だが、絋平の声が続く。

 

 「お前、逃げ腰になってた昔の俺みてえだよ。中学んとき、事件で友達を――目の前でやられちまった。異能に目覚めた時も、性格暗くなって何にもできねえ自分がいた。そんでな、友人の性格と趣味を真似して陽キャ演じて、無理やり笑ってやってたんだ」

 

 絋平の声は、戦いの轟音の中でも静かに、しかし確かに届く。

 

 「もしあいつが今ここにいたら、友達を見捨てるか? 絶対、んなことしねえだろ? だからよ、俺がここに残る。お前は行け、助けを呼んでこい」

 

 絋平の表情がふっと和らぎ、冗談めかして笑う。

 「それに、俺一人で勝って帰ればアルカさんがデートしてくれるかも! つーことで、早く行けよ肇。お前がいると足手まといだよ」

 

 言葉とは裏腹に優しさに満ちた一言に、肇の身体が僅かに動いた。涙と悔しさをこらえ、彼は喉を詰まらせながら答える。

 「必ず……助けを呼んで戻ります!」

 

 肇は背を向け、路地を駆け出した。足は震えているが、走るごとに決意が固まる。振り返りはしない。約束を胸に、仲間の元へと向かう。

 

 「それで、別れのあいさつは済んだ?」

 鶯は冷ややかに笑って、薄く首を傾げる。声は紙切れを擦るように低く、そこに甘さはない。

 

 絋平は片腕で血を押さえながら、にやりと笑った。傷が滲む顔をしかめつつも、どこか得意げだ。

 「ああ、これで邪魔者はいなくなった。あとはお前をぶちのめしたら完璧だ」

 「あはは。いいねえ。どんな弱者だろうと死ぬ覚悟を決めた者は強い。もっとアタシを楽しませてよ?」

 

 鶯の瞳が細く光り、路地の空気が再び研ぎ澄まされる。銀と影が静かに震え、二人の決意と鶯の冷笑が、薄暗い路地に残った。背後で肇の足音は小さく遠ざかっていく――




【異能紹介】
異能:具象系『銀術師』
使用者:白銀 紘平(しろがね こうへい)
技:『銀刃投擲(シルバースロー)』生成した武器を連続で投擲する攻撃。具象系の精製能力を存分に活かした技。

【*****】
秘瞳術『虚痺の魔眼』
使用者:百眼
内容:視線を合わせた対象の意識を僅かの間遮断する。
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