失われし英雄譚【一次募集終了】   作:雪兎の手

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まさか、こんな連続更新が...!?


第七話【幻影】

 昼の日差しがブラインドの隙間を縫い、机の書類に淡い線を落としていた。

 来巣探偵事務所の中は静かで、外の喧噪が遠い。

 蜴信がカップ麺をすすり、アルカ・ロンジェナートは書類をめくっている。

 

 「またカップ麺かい?」

 「楽っすよ。三分で済むし、味も悪くないっす」

 「生き急いでるね。……そのうち胃が反乱を起こすよ」

 軽口を交わすアルカの声はどこか楽しげだった。そんな穏やかな空気を、控えめなノックが破る。

 

 蜴信が慌てて椅子を引き、ドアを開けると、そこには一組の夫婦が立っていた。

 互いに手を握り合い、張りつめた面持ち。

 「……娘のことで、お願いがありまして」

 

 アルカは姿勢を正し、席を勧めた。蜴信が湯を沸かし、二人に湯呑を置く。

 「どうぞ、落ち着いて話してくれたまえ」

 「はい……あの子は、半年前に事故で亡くなりました。遺体も確認し、葬儀も済ませたんです」

 夫の声は震えていた。妻はハンカチを握りしめ、視線を落としている。

 「でも最近、“あの子を見た”という人がいるんです。夜の森で、犬と一緒に歩いていたって」

 

 アルカの眉がわずかに動く。

 「警察は?」

 「信じてもらえませんでした。誤認だと。私たちも……確かめに行ったんですが」

 妻の声が小さくなる。

 「野犬の群れがいて、怖くて……。森の奥までは、行けませんでした」

 

 蜴信がわずかに目を細め、アルカと視線を交わす。

 「その森って、どの辺っすか?」

 夫が地図を差し出す。指先が震えていた。

 アルカは受け取り、見覚えのある印に気づく。

 (……あの地点か)

 数日前、調査中にかすかな反応を検知した場所。人為的な異能ではなく、もっと曖昧で、静かな“痕跡”だった。

 

 「なるほど。話はわかった」

 アルカは地図を折り、机に置く。

 「あなた方が見たものが何であれ、確かめる価値はある。今夜、こちらで調査を行おう」

 「……本当に、ありがとうございます」

 夫婦は深く頭を下げた。

 

 「野犬がいるなら装備も要るっすね」

 「肇君にも声をかけておこう。夜に出発だ」

 アルカは立ち上がり、窓越しに昼の空を見やった。

 その瞳に、わずかに理知と興味が光る。

 「……偶然とは思えない。何かが、あの森に残っている」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 夜の森は、昼間とはまるで別の顔をしていた。

 月は厚い雲に覆われ、木々の間を抜ける風が葉を擦る音だけが響く。

 街灯もなく、携行灯の光だけが頼りだった。

 

 「……静かっすね。虫の声すらしない」

 蜴信の声は低く、空気を探るようだった。

 「野犬が住みついているなら、他の生き物は寄りつかないさ」

 アルカは淡々と答える。だが次に、蜴信が怪訝そうに眉を寄せた。

 「にしても、日本で野犬がいるなんて珍しいっすよ。ニュースでも聞かないのに」

 「確かに、近年はほとんど見ないな。……もしかしたら楼歌と同じく眷属系の異能かもしれないね」

 

 アルカは歩を進め、湿った地面に視線を落とす。

 犬の足跡が点々と続いていた。

 肇が屈み、懐中電灯を向ける。

 「……犬の跡だけですね」

 「群れがいるにしては、少なすぎるな」

 アルカが呟く。

 「不自然だ。群れは森の中を移動しているのかもしれないが、だとしたらなぜこの足跡だけがここに残されている?」

 

 三人は足跡を辿り、森の奥へと進む。やがて木々の影が開け、苔むした石段と倒れかけた鳥居が現れた。

 古びた祠。その前に――ひとりの少女が立っていた。

 

 白いワンピース、風に揺れる長い髪。

 灯りの届かない場所にいながら、彼女だけがぼんやりと浮かび上がるように見える。

 夫婦が見せた写真と、まったく同じ顔。

 だが――足もとは揺らぎ、土に沈む影がない。

 

 「……いたっすね」

 「肇君、止まって。まだ近づかないように」

 アルカの声が鋭くなる。

 その瞬間、森の奥から低い唸り声が響いた。

 

 「っ、来ます!」

 肇が身を構えた。闇の中から、いくつもの光る瞳がこちらを睨む。

 暗闇を裂くように野犬の群れが飛び出してきた。

 牙が月明かりを弾き、泥を蹴り上げて突進する。

 

 アルカの瞳が冷たく光った。

 右手を掲げ、静かに詠唱を紡ぐ。

 

 「穢れを祓い、侵すものを拒め。天の秩序に従い、我が印のもとに結界を描け。永久なる輪よ、破滅を退け――天環の盾(シールド・オブ・サルヴァー)

 

 掌の前に金色の紋が走り、複雑な幾何模様が展開される。

 空中に描かれた円陣が回転し、彼女を守るように光を放った。

 突進してきた一匹の犬が正面からぶつかる。

 激しい衝撃音とともに、火花のような魔力が飛び散り、犬はよろめいて後退した。

 

 「アルカさん!」

 「心配いらない。防御は自分の分で十分だ。――君たちのほうは任せたよ」

 「了解っす!」

 

 蜴信がすぐに動き、低い姿勢から蹴りを放つ。その肉体の表面には異能によって鱗が生えており野犬の牙を通さない。

 肇は近くの木の枝を拾い、即席の棒で顎を受け流す。

 だが、次々と現れる影に息が乱れる。

 

 「多いっすね……! 数のわりに攻撃が軽いけど!」

 「……そうだ。致命を狙っていない」

 アルカの視線が祠の方へ向く。

 「殺意が薄い。むしろ“追い払う”動きだ」

 「追い払う? 誰をっすか!?」

 「――私たちだ。あの少女を“守る”ために」

 

 言葉の直後、アルカは目を細めた。

 少女の足もとには、やはり沈み跡がない。風に揺れているのに、影が地面に触れていなかった。さらに言えば、野犬が蹴り上げていたはずの地面にもその痕跡が無い。

 

 「幻影か……」

 アルカは静かに息を整える。

 「ならば――暴こう」

 

 「沈黙を裂け、虚構を砕け。真を語らぬ闇よ、光に曝されよ。世界よ、その形を取り戻せ―― 真理の灯(ルクス・ヴェリタス)!」

 

 足もとに魔法陣が広がり、光の線が森全体を走った。

 空気が一瞬、凍りつく。

 ぱたり、と風が止まり、吠え声が消える。

 

 次に目を開けたとき、野犬の群れは霧のように消えていた。

 残されたのは、祠の前に立つ少女の幻影と――一匹の犬だけだった。

 

 

 

 「……え?」

 肇が息を呑み、辺りを見回す。

 蜴信も同じく混乱の色を浮かべた。

 「今の……全部消えたっすよね? あの数、どこ行ったんすか?」

 

 残されたのは、祠の前に立つ少女の幻影と、一匹の犬だけだった。

 月明かりに照らされたその姿は、現実よりも儚く、ひどく静かに見えた。

 

 アルカは一歩前へ出る。

 「幻だ。――“あの子”以外は、最初から実在していなかった」

 「どういうことですか?」

 肇が眉をひそめる。

 アルカは足もとに残る足跡を指でなぞった。犬のものだけが、確かに地面を刻んでいた。

 

 「野犬の群れも、少女も、この犬が作り出した虚像だ。彼は――異能者なんだ」

 

 蜴信が驚いたように犬を見る。

 「犬が……異能者、っすか?」

 「……この子は、あの事故のとき“奇跡的に生き残った”と記録にある。覚えているかい?」

 「依頼者からその話、聞いたっすね」

 「奇跡ではなかったのさ」

 アルカは小さく首を振り、淡い光の瞳で犬を見つめた。

 

 「主の死を目前にして、強い願いが形を得たんだ。“守りたい”“もう一度会いたい”――その想いが彼を異能者として目覚めさせた。そして、彼はあの日の光景を何度も作り出していた。主と過ごす、永遠の一夜を」

 

 肇が言葉を失う。

 犬はその視線の先で、まだ少女の幻を見上げていた。

 光の中に浮かぶその笑みは、静かに揺らめきながら消えかけている。

 

 「……つまり、この犬は自分の世界を守ろうとしてたってことっすか」

 蜴信の低い声が夜風に混ざる。

 「そうだ。私たちを敵と見なしたのも、“少女のいる日常”を壊されたくなかったからだろうね」

 アルカは静かに頷く。

 「あの幻は、彼にとって現実だった。彼はずっと――“そこ”で生きていたんだ」

 

 犬がこちらを見た。

 もう唸り声はない。

 蜴信は膝をつき、手を差し出す。

 「……もう、大丈夫だ。お前、よく頑張ったな」

 

 犬はゆっくりとその手に顔を寄せ、瞼を閉じた。

 その瞬間、光がひときわ強く瞬き、祠の前に少女の幻が再び現れる。

 彼女は穏やかな微笑を浮かべ、犬の頭に手を伸ばす――だが、その姿はすぐに淡くほどけて消えた。

 

 森に、夜の音が戻る。

 木々がざわめき、どこかで鳥が羽ばたく。

 アルカは小さく息をつき、空を見上げた。

 

 「生き残るとは、必ずしも幸福ではない。だが――それでも、この子は“守りたい”と願った。その意思は、確かに本物だった」

 

 月が雲の切れ間から覗き、犬と人を照らした。

 肇はまだ犬を見つめていた。

 「この子、どうするんですか?」

 「保護だ。異能対策課に引き渡す」

 

 その声には、冷静さだけでなく、わずかな情が宿っていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 夜の気配が街を包んでいた。

 来巣探偵事務所の窓からは、商店街の灯がかすかに瞬いている。

 アルカ・ロンジェナートは机に向かい、報告書の最後のページに署名を入れていた。

 温かな照明のもと、湯気を立てる紅茶が静かに香る。

 

 「アルカさん、まだいたんですね」

 ドアの向こうから肇の声。

 「おや、肇君。帰ったかと思っていたよ」

 「なんか気になっちゃって……。その、あの犬の件、どうなったんですか?」

 

 アルカはペンを置き、穏やかな笑みを浮かべた。

 「彼は異能対策課に引き取られたよ。今は落ち着いている。幻を生み出すこともなくなった。ようやく、現実の中で眠れるようになったんだ」

 

 肇はほっとしたように息をつき、続けて尋ねた。

 「……飼い主の方たちは?」

 「先日、対策課の立ち会いのもとで話をしたよ。最初は信じられない様子だったけれど――最後には泣いていた。“あの子が愛されていたということが感じられて嬉しい”とね」

 

 アルカの声には、静かな温度があった。

 肇はゆっくりと頷き、言葉を探すように口を開いた。

 「……悲しいけど、少し救われますね」

 「そうだね。力の形はどうあれ、想いそのものは純粋だった。その想いに、人と動物の優劣はない」

 

 短い沈黙が落ちた。

 アルカはカップを手に取り、ゆるやかに紅茶をすする。

 「異能というのは、異質な力で存在するべきではないと思う。けれど――その内に秘めた心は、誰であれ見過ごされるべきじゃない」

 

 その言葉に、肇は小さく息をついた。

 「……あの犬も、少女を想い続けていたんですね」

 「そうだ。異能の根にあるのは、もしかしたらそういう“想い”かもしれないね」

 

 肇は椅子の背にもたれ、少しだけ笑みを浮かべた。

 「次の依頼も、また誰かの想いかもしれませんね」

 「……ただ、今回は幸運だった。彼の願いが誰も傷つけずに済んだからね。けれど、同じ想いでも別の形を取れば――それは容易く、誰かを壊す刃になる」

 

 アルカは紅茶を飲み干し、ゆっくりと立ち上がる。

 「そういう者たちを、私は何度か見てきた。そして、きっとこれからも出会うだろう」

 

 窓の外、街灯の光が濡れた舗道に反射する。

 その光景を見つめながら、アルカは小さく息を吐いた。

 「異能が残る限り、私たちの仕事も終わらない。とはいえ……ひとまずは、悪くない結末だった」

 

 外の灯りが一つ、また一つと消えていく。

 事務所の中には、紅茶の香りと、静かな夜が満ちていた。




【異能・魔術紹介】
異能:精神系『追憶』
使用者:『ラブ』
少女によって飼われていたゴールデンレトリバー。現在は異能犯罪対策課の保護下にある。
異能内容:周囲に生物の幻影を見せる。幻影は実態があるように感じられるが実際には存在しないため、注意深く見れば現実との乖離が分かる。
技:なし。
【ステータス参考】
破壊力:なし
スピード:C
射程:C
持続力:A
精密動作性:C

魔術:天環の盾(シールド・オブ・サルヴァー)
使用者:アルカ・ロンジェナート
アルカの使える魔術の一つ。シンプルで使い勝手の良い防御魔術で、ロンジェナートの魔術はこれの発展系が多い。

魔術:真理の灯(ルクス・ヴェリタス)
使用者:アルカ・ロンジェナート
アルカの使える魔術の一つ。隠された真実を明らかにする効果を持ち、今回のラブの異能には効果抜群だった。効果範囲は限定的かつ、使用者が幻影だとしっかり認識していないと効果が無い。
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