陽が沈みかけた街は、灰色の雲に包まれていた。
遠くで雷鳴がくぐもり、湿った風が窓を揺らす。
来巣探偵事務所の照明が机上を照らし、外の世界とは別の静けさを保っていた。
「……雨が降りそうですね」
煉谷氷愛が窓際で呟く。
葉月宗介はソファに腰を下ろしたまま、報告書を閉じて息を吐いた。
「肇と紘平、外に出てからもう一時間経ちますね。傘、持って行ったかな」
「忘れているでしょうね。あの二人、出かける前から楽しそうでしたし」
「はは、まあ確かに」
アルカ・ロンジェナートは紅茶のカップを持ち上げ、穏やかに言葉を挟んだ。
「仲がいいのは悪くないことだよ。互いに信頼できる関係は、戦場で何よりの強みになる」
宗介が頷く。
「前の廃倉庫の件が大きかったんでしょうね。あれで一気にチームとしてまとまりました」
氷愛は静かに答える。
「あの場所――“異能者を擁する組織”の拠点だったとされているけれど、まだ調査が続いています。中には私たちの知らない技術もありました」
「異能犯罪組織……あれ以来は表立った動きはないけど、後ろには誰かがいる気がしますね」
アルカは窓の外を見つめながら、低く言葉を継ぐ。
「それに、あの戦闘のあと現れた“異形”も無関係ではないだろう。異能と異形――発生の原理は違うが、両方が同時に動くのは偶然とは思えない」
外の風が一段強く吹き、窓を叩いた。
その音とともに、アルカの瞳がわずかに揺れる。
「……感知網が反応した」
宗介がすぐに立ち上がる。
「異能反応ですか?」
「そう。場所は――西区の旧貨物倉庫。前回の戦闘現場だ」
アルカは目を閉じ、意識を深く沈める。
彼女の異能――“感知網”は、あらかじめ街の各所に張り巡らせた細い魔力の糸を通じて働く。
誰かがその糸に触れれば、彼女の感覚に“波”として届くのだ。
「波長は一致している。人間由来の異能……組織の残党の可能性が高い」
氷愛は即座に立ち上がった。
「私と宗介で向かいましょう。記録装置も持って行きます」
「助かる。過剰な交戦は避けてくれ。分析を優先だ」
宗介が頷き、軽く微笑する。
「了解です。氷愛さん、準備できてます」
「ええ、行きましょう」
二人は装備を整え、雨の気配を孕んだ街へと出て行った。
扉が閉まり、静けさが戻る――しかし、それは束の間だった。
アルカの胸に、別の波動が走る。
それは異能とは異質な、より古く、深い“魔力の揺らぎ”。
まるで彼女自身の魔術の源泉が共鳴するかのように。
「……これは」
アルカはすぐに地図を広げ、反応の座標を割り出す。
反応点は、市街地の路地裏。
そして、そこにいるのは――。
「肇君と紘平君……か」
アルカは通信端末を取り上げた。
「こちらアルカ。楼歌、蜴信、聞こえるか?」
『こちら楼歌。どうしたの?』
「肇たちの位置で魔力反応を検知。異能ではない、術式による干渉だ。すぐに援護へ向かってくれ」
『了解! 蜴信も一緒だからすぐ行く!』
通信が切れ、静寂が落ちる。
アルカは窓辺に立ち、曇天を仰いだ。
低い雲の向こうで、光が鈍く滲む。
「――異能者と異形。二つの脅威が同時に動くとはね。これは異能犯罪対策課にも連絡を入れたほうが良さそうだ」
その声は静かだったが、どこか祈りを含んでいた。
「どうか……皆が無事で帰れるように」
◇◇◇
夜の帳が街を包みはじめていた。
通りの明かりが石畳に滲み、雨の気配を孕んだ風が吹き抜ける。
「……にしても、結構歩いたな」
白銀紘平が伸びをしながら言う。
「買い物って言ってたのに、結局散歩になりましたね」
肇が苦笑した。
「ま、たまにはいいじゃん。任務続きで肩こってただろ?」
「確かに。それに、こういう時間も悪くないです」
「へぇ、素直じゃん」
「今の、忘れてください」
「おいおい!」
二人の笑い声が夜に溶ける。
雨の匂いを含んだ風が路地裏を抜け、街の明かりが遠く滲む。
「……そろそろ戻りましょうか」
肇がそう言いかけた、その時――
「――あれ? お兄さん、生きてたんだ」
その声が空気を裂いた。
軽く、冗談めかした響きの中に、鋭い刃の冷たさが混ざっていた。
路地の奥、街灯の下に立つ女。
色の抜け始めた金髪が風に揺れ、薄笑いを浮かべた唇から毒のような空気が滲む。
その顔を、肇は決して忘れられなかった。
――あの女。
自分を殺し、“異能者”としての宿命を刻んだ存在。
「……お前……!」
喉が震え、全身がこわばる。
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
隣で紘平が眉をひそめる。
「知り合いか?」
肇は喉を詰まらせながらも、なんとか答える。
「……ええ。間違いありません。あの女です。俺を――殺したやつ」
紘平の表情が一瞬で引き締まる。
肇は続けた。
「卓越した刃の技を使います。それに……影を渡るような動きを。
詠唱のあとに、斬撃を飛ばす技も。魔術のような……そんな力です」
「……なるほど。厄介だな」
紘平が静かに息を吐き、右手を掲げた。
銀の粒子が空気の中でゆらめき、形を変える。
次の瞬間、それは凝固して、冷たい光を放つ刃となった。
「貸してやる。お前の手に馴染むようにしてある」
「……ありがとうございます」
肇は短剣を握り、震えを押し殺した。
恐怖はまだ消えない。けれど、今度は――逃げない。
女は一歩、二歩と前へ出る。
靴音が濡れた路面に響き、淡い笑みが浮かぶ。
「ふふ……そんな顔、懐かしいね」
肇の胸が痛んだ。あの時の血と叫びが、脳裏に甦る。
「……名乗っておこうか。
「鶯……!」
名を聞いた瞬間、肇の中で何かが軋んだ。
彼女はそれを楽しむように目を細める。
黒い霧のようなものが、彼女の掌から溢れ出す。
「今回は2人だし、ちゃんと戦おうかな――来い。
空気が一瞬、凍る。
女の両手に、どす黒い刃先の短い鎌が現れた。
光を吸い込むように輝き、刃先がわずかに唸る。
紘平が低く呟いた。
「……来るぞ、肇」
「はい……負けませんよ」
――瞬間、鶯が地を蹴った。
両手の鎌が音を置き去りにして迫る。
「速っ――!?」
肇が反射的に身を引く。
その瞬間、刃が頬を掠め、細い線を描いた。
血が滲むより早く、次の一撃が来る。
紘平が銀の刃で受け止め、火花が散る。
女の動きは水流のように滑らか。鎌を絡ませ、押し返す力に一切の無駄がない。
「……ッ、この速さ……!」
肇が横から斬り込むが、鶯は軽く腰を捻って刃を滑らせ、鎌の柄を軸に回転。
その勢いのまま二人の間を抜けざまに斬りつけた。
「ぐっ……!」
肇の肩に赤い線が走り、紘平の腕にも浅い傷が刻まれる。
軽やかに地を蹴った鶯が距離を取り、笑った。
「ふぅん……やるじゃん」
その表情には余裕があった。
肇の傷が淡く光を放ち、すぐに塞がる。
鶯はそれを見て、面白そうに唇を歪める。
「……へぇ、本当にすぐ治るんだ」
再び間合いが詰まる。
二人がかりでの反撃。だが、鶯はそれを舞うように受け流した。
刃の隙を縫い、鎌で弾き、身を翻す。
「――遅いよ」
その一言とともに、彼女の鎌が閃いた。
肇の動きが止まる。
鶯が鎌を投げつけたのだ。受け流そうとした肇の体勢が崩れる。
「肇!」
紘平がカバーに入ろうとした瞬間――鶯の体がぶれた。
わざと背を向けて肇を狙う“ふり”をした女の拳が、突然紘平の腹部を撃ち抜いた。
「ッ……!」
鈍い衝撃が響き、紘平の視界が白く染まる。
(……違う、最初から狙いは俺だ!)
気づいた時にはもう遅かった。
鶯が回転しながら蹴りを叩き込み、紘平の身体を壁に叩きつけた。
「ぐっ……!」
銀の刃が手を離れ、地面を滑る。
「紘平さん!」
肇が叫び、立ち上がる。だがその瞬間――。
「油断、だめだよ」
いつの間にか鶯の手には、新たな鎌が握られていた。
再生成された刃が、肇の脇腹を切り裂く。
「う、あっ……!」
血が飛び散り、息が詰まる。
鶯はそのまま軽く跳ねるようにして、肇の胸を蹴り飛ばした。
「やっぱり二人でも、たいしたことないな」
彼女は笑い、鎌を肩に担ぐ。
その瞳には戦意ではなく、ただ“楽しみ”が宿っていた。
膝をついた肇が、震える手で短剣を握り直す。
視界の端で紘平が立ち上がるのを感じながら、歯を食いしばる。
「……それでも、俺は――勝つ!」
血を滲ませながら、肇は再び地を蹴った。
その瞳には、恐怖ではなく確かな決意が宿っていた。
◇◇◇
同じ頃、楼歌と蜴信は、指定された路地へと足を速めていた。
曇り空は低く垂れこめ、夕闇と湿気が街を飲み込む。
今にも雨が降り出しそうな気配があった。
「この先っすね。肇たち、もう接触してるかもしれない」
「ええ。アルカが“妙な反応”って言ってた場所よ。ただの異能者じゃない」
その言葉の直後、ふいに音が消えた。
人の声も、車の音も、風すらも止まる。
まるで世界の表層だけが残され、中身が抜け落ちたような静寂。
「……音が、全部消えた?」
蜴信が立ち止まり、周囲を警戒する。
楼歌の眉がぴくりと動いた。
「これはまさか――空間系の異能……? まずい、取り込まれた」
空気が濁り、世界が薄く歪む。
その歪みの中心に、ひとつの影が現れた。
「――ただでさえ」
掠れた低い声が響く。
影が形を取り、路地の奥にひとりの老人が姿を現した。
荒い黒髪が無造作に伸び、深い皺の刻まれた顔。
その二つの眼は、確かな苛立ちを孕んで光っていた。
「ただでさえ眼を散らしているというのに、なぜ儂がこいつらの相手までせねばならんのだ」
老人は吐き捨てるように言うと、ゆっくりと顔を上げた。
「実に面倒だが……狩ってやろう、人間ども」
「何者っすか? あんた」
蜴信が低く問う。
老人の口角が上がる。
「儂の名は
百眼が両手を合わせる。
「――
空間がひずみ、薄闇にいくつもの“目玉”が浮かび上がった。
瞳孔が開き、血のような赤光を放つ。
次の瞬間、ぬめるような音とともに、そこから肉が湧き出て形を取る。
骨と筋が伸び、鳥や狼のような獣が姿を現した。
ただし、その顔の中央には眼がひとつ――不気味に瞬いている。
「
百眼の言葉に合わせ、獣たちは唸りを上げた。
「面倒な相手ね……」
楼歌が息を整える。
「蜴信、準備を」
「もちろんっす」
「――『
蜴信の肌がざらりと変質し、黒緑の鱗が腕から背中へと広がる。
筋肉が盛り上がり、吐息に混じる熱気で空気が震えた。
「ふん、矮小な人間如きが、その程度の力で立ち向かうか」
百眼の声は冷たく、しかし楽しげでもあった。
「試してみなきゃわからないっすよ!」
蜴信が地を蹴る。
楼歌もほぼ同時に動き、周囲の影から灰色の狼たちが姿を現した。
低く唸りながら、彼女の前に並び立つ。
「やれ」
百眼が短く命じた。
単眼の獣たちが一斉に咆哮し、灰狼の群れへ飛びかかる。
空間を閉ざす異界の静寂の中で、ただ戦いの音だけが確かに鳴り響いていく。
◇◇◇
――時を少しだけ遡り。
アルカの指先が、微かに震えた。
三度目の感知網が反応――しかし、その反応は異能ではなかった。
まるで彼女自身の魔術の系統に近い、“妙な魔力の揺らぎ”が広がっていた。
(……またしても異能ではないこの反応……)
場所を確認する。
座標は――楼歌たちの現在地、そしてもう一つはかつて肇たちが戦った廃倉庫。
「同時……?」
眉を寄せ、通信装置に手を伸ばす。
氷愛と宗介へ、楼歌と蜴信へ、すぐに連絡を――そう思った矢先。
“全ての反応が、途絶えた。”
感知の糸がぷつりと切れたように、何の痕跡も残さず消える。
次の瞬間、アルカの全身を駆け抜けたのは、結界が壊れる明確な“断裂の感覚”だった。
「……なるほど。感知網だけじゃない。通信層まで遮断された」
彼女の表情がわずかに引き締まる。
周囲の魔力の流れが不自然に乱れていた。
――これは、上書き。結界を塗り替える“誰かの手”によるもの。
つまり、相手は自分と同じ――
その瞬間、室内の空気が変わった。
気温が急速に下がり、窓に薄氷が張る。
吐息が白く濁り、紅茶の表面に波紋が広がる。
「……来たか」
空間が揺らいだ。
空気がきしみ、光が歪み、そこに“存在”が滲み出る。
やがて、白。
雪のように白い肌。
豊かな曲線を描く身体を、上質な布で織られた修道服のような衣が包んでいる。
その白髪は丁寧に編み込まれ、一筋の尻尾のように背へと流れていた。
前髪の隙間から覗く紅の瞳は、氷のように冷たく、それでいてどこか慈しみに満ちている。
「こんばんは。麗しき魔術師、アルカ様。突然の訪問、どうかお許しくださいませ。わたくしは――
その女――雹蘭は、上品な仕草で一礼し、柔らかく微笑んだ。
まるで聖職者のような振る舞い。だがその背後には、淡い魔力の波が確かに揺れていた。
「やあ。ずいぶんと大胆な登場じゃないか。客人の部屋に入る時は、せめてノックをするべきじゃないかな? それに――なぜ私の名を知っている?」
アルカは椅子から静かに立ち上がり、数十センチほどの愛杖を手に取る。
柔らかな声の裏には、確かな緊張が滲んでいた。
最大限の警戒。
それを悟ったように、雹蘭は再び一礼した。
「これは失礼いたしました。ですが、これもまた――我が主人が定めた“運命”ゆえ。どうかお許しくださいませ」
「……運命?」
「ええ。あなたの名を存じているのも、すべて“神託”によるものです」
その声音は穏やかで、偽りを感じさせない。
だが、アルカの胸に走るのは不穏なざわめきだった。
(感知網には虚偽の反応は出ない……つまり、事実はどうあれ彼女は“本気で”そう信じている)
不安と興味が同時に脈打つ。
――これは、真実へと繋がる糸かもしれない。
アルカは静かに杖を構え、わずかに口角を上げた。
「……それで? まさか、ただ話をしに来たというわけではないだろう」
アルカの声には冷ややかな理性が滲んでいた。
指先には微弱な魔力が流れ、杖の装飾が淡く光を帯びる。
部屋の空気はさらに冷え込み、沈黙が床を這う。
雹蘭はそんな緊張を受け止めながら、ゆるやかに微笑んだ。
「まさに。その通りでございます」
声音にはわずかな悲観とも、諦観ともつかぬ感情が混じっていた。
「わたくしは、あなた様と“戦うため”にここへ参りました。ですから――」
彼女の両手がわずかに開かれる。
光の粒が集まり、冷気と共に形を成していく。
長大な両手杖――白氷の装飾が走り、空気を震わせた。
「――
杖をひと振りした瞬間、室内を奔る雷鳴。
紫電が氷の結晶を包み込み、空中に無数の氷柱が生まれる。
それらは雷を纏いながら、鋭く唸りを上げてアルカへと飛翔した。
閃光――そして、爆音。
視界が白く塗りつぶされ、凍気と衝撃が同時に弾ける。
雷撃の轟音が建物全体を震わせ、窓ガラスが一斉に砕け散った。
吹き荒れる氷片が壁や机を貫き、紅茶の香りが焦げた臭いに飲まれて消えていく。
雷鳴と凍気が交錯し、二人の魔術師の戦いが幕を開けた。
【現在の状況】
肇、絋平 VS 鶯
楼歌、蜴信 VS 百眼
アルカ VS 雹蘭
氷愛、宗介 = 不明
【異能紹介】
異能:『蜥蜴男』
使用者:蜥川蜴信
何気にちゃんと技として発動したのは初かも。蜥蜴の力をその身に宿して噛み付き、爪の引っ掻き、尻尾の殴打等を用いて戦う。
技:『形態変化・ナイルモニター』
飼っているナイルモニターの力を引き出し、筋力増強と若干の防御力増加効果。
【*****】
ギフト:『漆黒鎌刃』
使用者:鶯
内容:自身の手元にドス黒い鎌を召喚する能力。
秘瞳術『山津見降ろし』
使用者:百眼
内容:単眼獣型現影体を複数体生み出して使役する術。
魔術:静寂の揺り籠(サイレントヴェール)
使用者:雹蘭
内容:結界魔術。電波や魔力を通さず外界と隔絶した空間を作り出す。鶯や百眼のほうでも展開済み。
魔法:雷氷撃(ニライ・フロクジャリ)
使用者:雹蘭
内容:水系統氷・雷属性第三射撃魔法。
氷の槍を射出する二属性複合の魔法。雷属性の付与により、凍結効果に加えて感電と高速化を付与。威力も向上している。
全然異能出てこないじゃねーか!と思う方もいるかもしれませんが、次の章からは異能メインになります。