公安局の石つぶて   作:もずくスープ

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テロリストと小間使い - 逃げ切れない夢と想い

 

 

「あ、おかえりなさい。いま上着を預かりますね。ご飯があと少しで炊けますが、先にお風呂の方がいいですか? でしたら押入れからすぐにお風呂セットをお持ちしますが」

 

 玄関のドアが開く音と同時に、家主の帰りを待つ小型犬の如く私は帰宅したサオリさんの元に一目散に飛んで行った。

 自宅に他人がいるというのがまだ慣れないのか目の前に現れた私に吃驚し、疲れた表情から打って変わって目を白黒させるサオリさんから上着を剥ぎ取った私は彼女の背中を押して六畳間の居間の座布団に座らせる。

 もうそろそろ慣れても良い頃合いだと思うが、ぎこちない様子で席に着いた彼女はちゃぶ台の前でまだ戸惑った顔をしていた。

 

「これは何かが違うような気がするんだが。前にも言ったがここまでする必要はない」

「何回でも答えますが、居候させてもらってる身ですからこれくらいは当然のこととしてさせて下さい。ただでさえ看病してもらった上に衣食住の面倒を見てもらっているんです。買い物洗濯掃除炊事だけじゃあ足りないくらいですよ。さあ、ご飯とお風呂、どっちにしますか」

「……なら飯にしてくれ」

「すぐ用意しますね。家長さんはここで寛いでいてください」

「やはり何かが違う気がするぞ」

 

 怪訝な顔をしてブツブツと喋っている彼女を無視して、私は鼻歌を歌いながらたった今炊きあがりの合図を鳴らした炊飯ジャーの中身をかき混ぜ、茶碗にご飯をよそった。

 

 サオリさんにお世話になると告げた日からもう数日が経つ。

 私はあの後、まず初めに川に流されるまでの経緯を言える範囲で説明し訳あってヴァルキューレから逃げていることを彼女に伝えた。

 サオリさんはそれに何か言うことはなく、一言そうかと返しただけでした。流石テロリスト界のビッグスター、肝が座っている。

 それからここに置かせてもらう代わりに何か仕事をさせてくれと頼むと、彼女は私に留守番を任せました。いや子供か? やっぱりサオリさんは私のママなんですか?

 流石にそこまで弱っちゃいないと私は声高に主張し、何とか彼女から家事という名の仕事をもぎり取りました。

 

 初めのうちは吐き気や頭痛が俄かに起こることもあって近所のコインランドリーでの洗濯と部屋の掃除くらいしかまともにこなせなかったが、2日も経てばそれらの症状もほとんどなくなり他の家事もできるようになりました。

 そこでまず手をつけたのが食事だった。

 それまで彼女は、私にはしっかり病人飯を食わせておいて自分はカップ麺やバー食品ばかり食べるので、「家主より凝ったものを食べるのは幸せか?」という高度な嫌味かと私は捉え、堪らず食事当番を買って出ることにしたのです。

 しかし私が作れば彼女も同じものを普通に食べていたのでただ食に無頓着な人なのだと私はその時知りました。不器用というか何というか、気にしいで邪推しがちな私にはかなりの強敵です。

 

 炊事を担当してから私はあれもこれもと家のことをやるようになり、気付けば錠前宅の家事を支配していました。居候としては当然の義務ではありますけど。

 しかし彼女は帰宅してあれこれと働く私を見る度に毎回「そこまでしなくていい」と言ってきます。

 そんなわけにはいかないと反論してその場は納得しても、次の日にはまた言ってくる。

 よほどしつこい時は私を無理やり布団に押し込めようとしてきたこともあった。テロリストに組み敷かれる小間使いと字面にすれば中々の犯罪臭。彼女としてはただ私を寝かせたいだけらしいですが。

 しかし私もそこで引くわけにはいかないので、反撃として私が土下座準備体制に入り「舐めますよ!」と叫べば彼女は絶対にそれ以上何も言わなくなり私から逃げ始める。

 お礼の分割払いの初回として初日に這う這うの体で土下座と足舐めをさせてもらったのだが、どうにもそれが彼女のお気に召さなかったらしく、その時の彼女があまりに嫌がったので以来私の脅し文句となっていたのだ。

 その結果、じりじりと私を警戒して退くサオリさんを横目に私が低い姿勢を取りながら勝ち誇った笑みを浮かべるのが恒例儀式のようになっていました。

 貧弱な私に与えられたテロリストに対抗するための強力な武器である。この武器を得てから私は今のところ負けなしです。

 もはや恥辱に塗れた敗北の日々など遠い昔の話。レベルあっぷで勝利の味を占めた新生コマです、ぶい。

 こういう経験値はもっと貯めていきたいですね。

 

 ちなみに余談ですが「錠前さん」から「サオリさん」と呼称を変えたのは、初日に「丁寧に苗字で呼ばれるのは居心地が悪いから」と彼女から言われたためです。

 私も人を苗字で呼ぶのは警察時代に意識してつけた癖みたいなものだったので、辞めた今となってはこだわる理由もないと普通に了承しました。

 ただ癖というのは厄介で、自分でつけた癖でも止めるとなれば違和感が凄まじい。

 彼女のことをサオリさんと呼ぶたびに私の内臓が産毛立つかのようにゾワゾワと痒くなるのだ。そしてそれは彼女が私の名前を呼ぶ時にも同様だった。

 下の名前で呼び合うほど親しい仲になる人間などいなかったため、こう、なんというか、私が「サオリさん」と呼び彼女が「ササネ」と返すと、なんとも面妖で奇怪なムードがそこに風のように突如として出現する気がするのです。

 なんなんでしょうねこの春の穏やかな気候にも負けず劣らずぬるくてさわさわとしているこの感覚は。これがラブですか? 馬鹿言えです、正体はきっと(対人経験の)ラグですね。

 

 そしてもう一つ、特筆すべきことが。

 残念ながら当然と言うべきか、あの日川に流された私は持ち物を全て失い所持金もなく身元を証明できるものも一切なくなっていた。

 そのせいで、仮にサオリさんへの恩返しが早くに済んだとしてもすぐに街に戻るわけにはいかなくなった。

 今の私が街に戻れば裏通りに並べられた見窄らしい段ボール箱の住人の一人になるのは目に見えている。

 働くこともできず資金も物資もない着の身着のままで放浪するのは無謀が過ぎる。

 銃も学生証もなく、加えて体力もない私にそうそう簡単に働き口など見つからない。

 今のままでもできれば何かしらの形でお金を稼いで少しでもサオリさんに返したかったが、そういう事情もあってそれも難しそうだった。

 

 そして精神的な影響として、旅の道中辛い時も苦しい時も常にそばにあったコマ2号を失った悲しみはとても大きかった。

 刃こぼれがキュートなあの子のことを私は殊の外愛してしまいました。サバイバルナイフにこんなに想いを寄せたのは私の人生で初めてです。

 こんな形での別れは悲しすぎる、あの子なしでの放浪旅なんてもはや考えられない。

 果たしてあの日廃墟で聞こえた足音の主が持って行ったのか、謎の経緯で川に突っ込んだ時に流されて消えてしまったのか。

 できれば前者であって欲しいと思う。

 人に奪われただけならまだ再会の可能性は少ないながらもある。

 川の底で錆びて腐っていくだけのコマ2号など想像しただけで胸が張り裂けそうだった。そんなところまで私に似る必要はないのです。

 いつか必ずまた会いたいですね。

 

 彼女のことを想起し無事を願いながら私が皿を洗っていると、夕食を食べ終わって手持ち無沙汰なサオリさんが私に話を振ってきた。

 

「ササネ、体調の方はどうだ?」

「はい、おかげさまでもう何ともありません。突発的な頭痛や腹痛もなくなりましたし、ご覧の通りご飯もよく喉を通ります。胃がひっくり返ることもありません。サオリさんのお世話になるのもあと少しですかね」

「そうか。だが、まだ万全ではないな。足元がふらついている、長く寝ていた影響で三半規管が少し狂っているんだろう。手足にも虚脱感が残っているな、皿の洗い方が慎重過ぎる。それと胃も小さくなったままだ、今日の食事の量も少なかった」

 

 え、何でそこまで観察されてんの? コワ、この人怖いです。

 ナチュラルに人の健康状態を分析しないでいただきたい。プライバシーの侵害ですよ。

 しかもそれを本人に言うというデリカシーの無さ。

 気に掛けてくれるのはありがたいですがもう少し気の遣い方も考えてもらえると嬉しいです。

 全ての皿を洗い終え流し台の縁を布巾で軽く拭くと、私はジト目を送りながらサオリさんの向かいでちゃぶ台に着いた。

 

「ふらつきはともかく、力が入らないのと食事の量は元からです。少食で非力のちんちくりんが私の本来の姿ですから」

「それにしても少食すぎないか。半人前も食べていない」

「体が小さいですから、そんなもんです」

「食べないから大きくなれないんじゃないか?」

 

 この人意外にズバズバ言ってきますね。それはチビには禁句ですよ。

 食べたら横に大きくなるのがチビの宿命である。

 摂った食事の分だけ胸とお尻と筋肉に栄養がいくサオリさんとは体内システムがそもそも違います。

 実に豊満かつ健康的な彼女の身体を恨めしげに見ながら、サオリさんから今日のレシートとメモ帳を預かり帳簿を付けていると、彼女がまた口を開いた。

 

「前に言っていたことだが」

「どれのことですかね。『お礼』の話ですか?」

「ああ、実は一つ思いついていた。ササネの『やりたい事』を教えてくれ」

「やりたいこと?」

「その答えでひとつ貸しの返済にしてくれ」

「そんなことでいいんですか?」

 

 恩返しのひとつとしては些か変な気もするが。もっとこう、金とか物とかじゃなくて良いのだろうか。

 そういうのは進路相談とか親子の雑談とか、ちょっとした気まずい間を埋める時に選ぶ会話のトピックだと思うのですが。

 やっぱりサオリさんは私のママですか? いやこの場合はむしろ父親に近いですけど。

 

「それは、映画が見たいとか本を読みたいとか、そういうことですか?」

「そういう趣味のようなものでも構わないが、できれば人生を懸けて臨むような『やりたい事』がいい」

 

 真剣な表情で私の目を直視してくるサオリさんに、ちょっと気恥ずかしくなりながらも真面目な話だと悟り帳簿を付ける手を一旦止めて私は考えた。

 どうなんでしょう。やりたいこと、やりたいこと……。

 

「取り敢えず目先のものはやり尽くして、今は何も残っていないですかね。昔のならあるにはあるんですが、もう叶わないことですし」

「やり尽くしたのに、叶わない。……良くわからないな。『やりたい事』とはそういうのもあるのか?」

 

 困惑してしまったサオリさんに、私は彼女の聞きたいことが何なのかを探りながら再び帳簿に手をつけてゆっくりと言葉を続けた。

 

「サオリさんの言う『やりたい事』というのは、感覚的には『夢』みたいなものに近いんですかね。自分の達成したい目標とか、それを仕事にしたいとか」

「なるほど、夢か。私には夢を見るなど到底不相応な物言いだが、本質的には違わないのかもしれない。お前にはその夢はあるのか?」

「そうですね、夢というのかは分からないですけど。もう辞めた学校で、えっと、ヴァルキューレでやりたかったことなら一杯ありました」

「聞かせてくれないか」

 

 出費を種類別に各項目に分けて丁寧に記し、私の分の支出とこれまでの借りの総額をまとめて記入し終えたところで、私はメモ帳を片付けて姿勢を正した。

 

「ええ、ちょっと恥ずかしいですけど。これも借りの返済ですもんね。じゃあ僭越ながら、私三黒ササネの夢を語らせていただこうと思います」

 

 そんななことを話すのは一年の頃に先輩から受けた尋問指導以来であったため少し緊張してしまいます。

 真っ直ぐに私を見るサオリさんに向き直ってゴホンと一つ態とらしく咳払いをし、長口上のために舌で唇を湿らしてから私は話し始めた。

 

「まず私がヴァルキューレを志願したときは、必ずやそのトップに立つんだと息巻いてましたね」

「大きく出たな」

「ええ。やはり上に行かないと大業は成し得ませんから。実際そのために頑張って首席も取りましたし、皆の模範になれるように暗記できるものは全て暗記しました。でもそれはあくまで過程の成果で、本当にやりたいことはその先にありました」

 

 入学する前からすでに警察オタクと化していた私にはヴァルキューレに入って変えてやりたいことが山ほどあった。

 地道な聞き取り調査や活動観察、あと参考になるかは分かりませんが様々な刑事ドラマなどの作品によって得られた私独自の情報からでもヴァルキューレ警察の問題点はすぐに見つけられたのだ。

 

「まずはやっぱり、他校自治区の治安維持組織との立場の衝突に関する問題ですかね。これはヴァルキューレ警察の命題です。そもそも連邦首都であるD.U.と他校の境界では絶えず犯罪者やならずものといった人達が移動を繰り返していますから、やはり縄張り云々なんて言ってる場合じゃなく他校との連携の強化は必須です。D.U.外周のスラム街や裏街の形成にはこの問題が深く関わっています。それに他自治区の方々は自らの責任の範疇で割とお構いなしにD.U.に踏み込みますが、連邦の公的機関の一部たるヴァルキューレはそれに文句も言えず外部からの犯罪者には一歩引かざるを得ないのが現状です。面倒事を起こしたくないという上の保守的な考え方のせいもありますけど」

「確かにヴァルキューレの引け腰は有名な話だ」

「はい。またエデン条、ああいえ、まあ仮に学校間での争いごとが起きた際に、ヴァルキューレはあまりに無力です。これは内政干渉の面で賛否が分かれる問題ですが、本来であれば、そこに争いがあり傷つく人がいるならば、私たちヴァルキューレはそれを防ぐための盾となるべきだと私は思うんです。特に立場の違いが生む争いは一筋縄では行きませんから、中立的な立場の治安維持組織が最低でも一般人の保護程度は行えるのが理想です。連邦生徒会がそもそも各自治区の統率に意欲を示しませんからどうにも難しいですけどね。でも紛争が起きれば最も被害を受けるのは間違いなくそこに普通に暮らしている人々です。せめて彼らを守るための臨時的な処置くらいは連邦生徒会に属する機関が担うべきなんじゃないかというのが私の意見でした」

「……戦争を起こそうとした私には耳の痛い話だな」

「す、すみません。あー、あとあと、業務に関する問題で言えばヴァルキューレは警官が自ら作成しないといけない書類が多すぎるんです。もちろん本人が責任を持って作成すべき書類の管理は大切な仕事です。でも不必要なものも多いし、それで現場を麻痺させては元も子もありません。事務部はありますが規模も小さく活かしきれているとは言い難い。特に公安局は激務ですから、少なくとも緊急を要する捜査関連の申請書類に関してはもっと手続きを簡易化するか、それを補助する事務係が必要だと思うんです。まあ私が雑用係だったときは大体私の担当でしたけど。ただ誰でも出来る雑務処理なだけに、その負担の軽減はやろうと思えば少しの人員整備ですぐにできます」

 

 話しているうちに興が乗ってしまい、私はついついもっと聞いてほしいと身を乗り出しそうになっていた。

 これ以上は際限なく話し続けてしまいそうなため、まだまだ語りたい欲を抑えようと再び咳払いをして一旦話に区切りをつける。

 

「今挙げたのは本当に一部の例で、ヴァルキューレの業務にはもっと改善できる点や無駄が多く残っています。その諸問題を解決するための具体策なんかも、机上の空論で解決するほど簡単な問題ではありませんが、私なりに一生懸命考えて纏めてみたりはしてました。理想とともに灰と化しましたけどね」

 

 その成果物が私の秘蔵の黒歴史ノート『ヴァルキューレ改造計画』である。

 辞表を出すと決めた日に火を焚いたドラム缶の中に放り込んでしまいましたが、あれは処分して正解だったと思います。

 あれを誰かに見られてたらと思うとぞっとしますね。そんなもの書いてる暇があるなら体鍛えろとかどっかの脳筋上司に言われて道場に強制連行されること必至です。

 まあ私の若さ故の過ちはともかく、終ぞ私はそんな大層なことを言える立場に上ることはできませんでした。

 

「私にはそんな大きすぎる夢を実現させるだけの能力はありませんでしたし、なんなら警察官としての土台にすら立てていませんでした。……それでまあ、そんな自分がちょっと嫌になっちゃって辞表叩きつけて逃げてきたんですけど。でも、『夢』というと、これが嘘偽らざる私の『夢』ですかね。それで願わくば、ヴァルキューレがもっと規則や慣習に苦しむことなく柔軟に市民のために活躍できたら、少しでも脅威に怯える人々を救えたら、ってそんなことを馬鹿正直に考えてました」

 

 そんな幼稚な志で堅固な現実を何か変えられる訳もあるはずがないというのに。

 

 こうして改めて言葉にしてみると私のような無能には本当に大それたことだ。

 組織の人間である自覚も薄く公安局に勤務していたときもどこかフワフワとした感覚が抜けきらない、構成員として全くもって不適格な人間に組織の改革など夢のまた夢だった。

 結局のところ私はヴァルキューレに入る以前と以後で何も意識が変わっていなかったのだろう。

 つまり、内側に入っても外からの目線で組織を測っていたのだ。

 自らの正義を組織の正義に投影して、勝手な考えで組織の在り方を定義していた。

 それに基づいて「改善」などとエゴと欲求を押し付けようとしてた。

 これでは無責任に物を言うテレビのコメンテーターと全く同じだ、他のヴァルキューレの生徒と私とでは見ている景色がそもそも違っていたのだ。

 そのズレを放置していたツケが、結局今の私の現状なのだろう。

 

「いやあホントに子供でしたね。これじゃ小学生です。背が伸びないのも多分脳が成長してないからですか、あはは」

 

 若干沈んでいく気分とは裏腹に私はおどけたふりをしてそう自虐風に締め括った。

 楽しい感情から反転して卑屈になってしまった心の内を隠すために、私はちゃぶ台の脇に置いていたメモ帳をさっとサオリさんに渡して銭湯セットを取り出そうと押入れの方へ寄った。

 話は終わりとばかりに切り替えて、襖を開けて下の段に置かれた風呂桶に手を伸ばす私に、しかしサオリさんは話を続けるように後ろから声を掛けた。

 

「だが子供なりにその想いは本物だったんだろう」

「……そうですね」

「今でも本物なんじゃないか?」

 

 彼女の言葉に私は裏に隠していた後ろめたさをひっくり返されたような気がして一瞬呼吸を忘れた。

 図星を突かれたのだ。

 同時になぜ彼女が突然そんなことを言うのか、その意図が掴めず私は混乱した。

 サオリさんには背を向けているためその表情は分からず感情も読めない。

 とにかく動揺を知られたくなかった私はすぐに息を整え普通の様子を装って明るい調子で彼女の言葉を否定した。

 

「もうとっくの昔に過去の夢だと割り切ってますよ」

「逃げてきたと言っていたが、向こうもまだお前を探しているんだろう。なら引き返せる可能性はある。私は取り返しのつかないことをやって所属していた組織からも追われる身となったが、自分で出てきたササネはそうじゃない。それだけの想いがあるならやはりヴァルキューレに帰ったほうが」

 

 それ以上踏み込まれたくなかった私は咄嗟に彼女に振り返って強い拒絶の意思を示した。

 

「サオリさん。取り返しがつくかつかないかの問題じゃないんです。これはケジメと私の意地の問題なんです」

 

 あの時の、ヴァルキューレを出ていくと決めた時の覚悟だけは私は無いものにはしたくなかった。

 それを知らない彼女に軽はずみにも元の水に戻れなんて言われたくなかった。

 馬鹿でガキな私なりに悩んだ末に出した結論を、今更大人のような行儀の良い言葉で包め込まれたくはなかった。

 それもやはり子供じみた反抗心には違いなかったが。

 

 そんな幼稚な反骨精神を込めた私の視線を受けても、なおしっかりと見返していた彼女の目はいつもの何を考えているのかいまいち掴めないもので、そこにどんな感情があるのかを窺い知ることはできなかった。

 しかし少なくとも軽い気持ちで言っている訳ではないことは返される視線の強さから何となく感じ取れた。

 サオリさんがなぜそんなふうに私を説得するのかは理解できないが、彼女にも私の言葉に何かしら思うところがあったのかも知れない。

 しばらく私とサオリさんは見つめ合っていたが、双方が同時にバツが悪くなって目を反らしたことでその睨み合いは終わった。

 

「……ごめんなさい。急に熱くなっちゃって」

「……いや、私も口が過ぎた」

 

 私は無言のまま2人分のお風呂セットを抱えて玄関の方へと小走りで駆けて行った。

 途中にサオリさんの顔を見れなかったのは嫌悪からではなく心苦しさからだった。

 やはり、本心が出ると同時に勢いづくのが私の欠点ですね。

 私が万年公安局のへっぽこ雑用係だったのは、案外能力云々の話ではなくそういう幼い性根が理由だったのかもしれないと、本当に今更ながらその考えに思い至った。

 

 尾刃局長に詰め寄ったあの日からというもの、私はどんどん自分の見苦しい本性が露呈していっているような気がして心底恥ずかしくなる。

 少し遅れてサオリさんが玄関に来るまで私は扉の前でじっと反省していた。

 学びませんね私は、無能は無能のままですか。むしろ学ぶ無能は無能にあらず、これすなわち無能が無能たる所以。

 三つ子の魂百まで、泥鰌の地団駄、直情径行、軽挙妄動、頑迷不霊…………。

 私はウジウジと自分の駄目な所を一つずつ数えながらも、背後の足音が止まったのを確認して玄関の扉を開けた。

 すると後ろに着いたサオリさんが突然私の頭をポンと撫で、びっくりして跳ね上がった私の横をさっとすり抜けて外に出てしまった。

 未だ扉を持ったまま固まっている私に振り返って「行かないのか?」と問いかけるサオリさんの姿は、普段のそれと全くぶれていなかった。

 え、なんでそんな急にイケメンムーブかますんです?

 泣きそうになるからやめてもらって良いですか?

 ちょっとだけ軽くなった心持ちに彼女の手の内で遊ばれてしまっているようで悔しくなったが、「とりあえず今は遊ばれてやる……」とやわな女のような捨て台詞を小声で吐いて私はその背中に続いて玄関から出た。

 

 私を諭す言葉といいやたら体調を気にする態度といい、やっぱり彼女にはなんだか子供に見られているようで、私はますます自分が恥ずかしくなってきた。

 年齢はそんなに違わないはずなのに彼女からは何故か下を世話する年長感がビシビシと伝わってくるのだ。それに意地を張って対抗し続ける私は本当に子供な気がしてくる。

 背がおっきいからって、偉いわけじゃないんだぞ。

 精一杯の報復として私はいつもより力強く銭湯で彼女の背中を擦ってやった。

 

 

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