公安局の石つぶて 作:もずくスープ
「ササネ、顔色が悪いぞ」
「はい、今日もいい天気ですね。あなたのササネは元気もりもりぱわー全開です」
「雨だが。こっちを向けササネ、目の焦点が合っていない。熱があるんじゃないか」
「本日のお弁当と傘ですどうぞ。連日熱心に働くのも良いですけど休息も怠らないでくださいね」
「ササネ、今日は寝ていろ。何だったら私も仕事は休む。本格的に体調が悪そうだ」
「野菜とお肉マシマシで入れておきましたのでしっかり食べてくださいね。今のご時世では健康第一、健やかな体があって全てですよ」
「話を聞けササネ、それはお前に必要な言葉だ。やはり今日は仕事を休む、流石に今のお前を放ってはおけない。ほら、布団に行くぞ」
「どうしましょうサオリさん。私、凄く靴が舐めたくなってきました。溢れるリビドーを抑えきれそうにありません。舐めていいですか?」
「クソっ、お前……卑怯だぞ」
低姿勢をとった私から飛ぶようにして後退したサオリさんは今日は必ず寝ていろと言い残して走って撤退、もとい元気に出勤していきました。
ああ、今日もまたつまらぬ勝利を飾ってしまった。
本来卑小で凡俗な小間使いに過ぎない私に勝ち癖がついてしまったらどうしましょう。
この生まれ変わった新生コマなら、ともすればげに恐ろしきあの先輩を前にしても勝ちを譲らないかもしれない。
私へのパワハラで精神的安定を保っていたあのボスゴリラから優位性を奪えば彼女はこれから何を糧に生きていけばいいというだろう。
ああ成長とは何と罪深いものでありましょうか。
サオリさんの背中を眺めながら私は勝利の余韻と馬鹿げた罪悪的感傷にしばし浸りました。
ところ変わってD.U.西区にほど近い工業地区にて。
私はサオリさんの言いつけを堂々無視して雨の中重い足取りを前へと進めた。
ここは閑散とした住宅街に隣接する主に軽工業の工場や事務所が整然と立ち並ぶ地区である。
しかしトラックのために広々と設けられた道路には車の一台も走っておらず、駐車スペースにも有るべきものは一つとしてない。
休日だからということもあるが、目につく建造物群からはどの会社の看板も外され、ロゴの一つも見えない。
ここらの事務所や工場はほとんど営業停止、廃業に追い込まれていた。
昨今のD.U.を取り巻く市場事情では、この不景気らしい場所ではどの中小企業も好き勝手に幅を効かせる巨大資本の荒波に立ち向かえるほどの地力など残っていなかったのだろうか。
うらぶれた町工場の中を傘を広げてぽつねんと歩きながら、昨夜渡されたメモの中に書かれてある場所を目指す。
夜逃げした後かの如く荒れ放題のビルの中に私は慎重に立ち入っていく。
コンクリートの床に散乱した書類を踏みながら事務室らしかった室内の一角で、指定されたその場所に辿り着くとすぐにそれが目に入った。
埃の積もった事務机の上にビニールパックに詰められて置かれたそれは、私がヴァルキューレ本部ビルの私の机に置き去りにしたはずの警察支給の携帯だった。
要塞と言われるほど警護の堅い本館からそれを持ち出すのが可能なのは警察内部の人間か、よほど手練れの工作員か。
可能性として十分考慮していたことだったが、かの不審者はそれに該当する程度の人間だったらしい。
そして本人が姿を見せない中これがここにあるということに、私は相手方の思惑も大筋を理解した。
私は躊躇しながらも、恐る恐るそれを手に取り電源を点け画面のロックを解除する。
液晶に表示される標準アプリの配置や、勝手に先輩に変えられて以来そのままの公安局の打ち上げにて一発芸中の私を激写した壁紙などに変化はない。
一見したところでは最後に私が触った時から何の操作の痕跡も見られなかった。
しかしスマホの中身を細かく精査していくと、本来何もデータを入れていないはずのSDカードのデータの中に一つ見慣れないファイルを発見した。
おそらくこれが、彼女の言う「見てもらわなければいけないもの」なのだろう。
尻込みする気持ちを選択肢などないと無理やり屈服させ、意を決して私はファイルの中身を開いた。
数秒のロード画面の後に十数枚の画像ファイルが表示された。
一枚一枚は何てことはない、日常の風景を切り取っただけのような詰まらない写真だった。
数名の人間がトラックの周辺で作業している姿。スーツを着込んだ人間が私服の生徒と話している場面。トラックに掛けられた覆いのようなものからチラリと覗いて見える箱。
他の写真にも似たような、ともすれば何の意図も汲み取れない日常の風景に見紛う変哲もない雑多な被写体が切り取られていた。
しかしそれが平凡なものではないことは、その端々に写る画面上では微小な発色点の集合に過ぎないが、現実においては重大かつ確然たる証拠により裏付けされていた。
そして何より、共通して背景に映る建物や複数枚の中に登場する生徒の顔について、朧げながらも確かに私の記憶に引っかかったことが何より事の深刻さを示していた。
「これはつまり……そういうこと、ですか」
こんなこと、考えたくもないし知りたくもない。
私は今すぐ目を閉じ耳を塞ぎ全てから逃避して地面に蹲ってしまいたかった。
もう放っておいてくれ。
私は関係ないじゃないか。
それが何だと言うんだ。
だからどうしろと。
しかし一度情報を飲み込んだ私の頭は例の如く勝手に思考を早めて回転を止めることなくその推理を補強していく。
汚い現実だろうと見たくない真実だろうと、お構いなしに私は私の欲望を抑制できずに目前の断片を思考の中で丁寧に継ぎ接ぎしていく。
つくづく救えませんね。このポンコツ無能脳みそめが。
歯止めの効かない思考回路に無理やりブレーキを掛けようとヤケクソ気味にスマホを床に叩きつけようとした瞬間、振り上げた手の中のスマホがけたたましく電子音を鳴らすと同時に震え出した。
感情の動きをまるで予見したかの如きベストタイミングで鳴り響くコール音に、私はかなりムカついたので即座にその着信を拒否してやった。
すると一秒と経たず再びコール音が鳴り響く。仕事をトチった時の上司並みの鬼電スピードだ。
私はこの無神経な莫迦者に私の抱く怒りが如何様か思い知らせるためにもう一度着信を切ってやった。
ついでにわざわざ通話設定画面まで飛んで着拒設定をしてやりましたが、私の意思など無視するかの如く何の操作もなしに携帯は勝手に通話を開始した。
嫌がらせの技術が無駄に高度でムカつきますね。
諦めてスマホの電話口に顔を近づけ、梅干しと張り合えるほどしわくちゃな顰めっ面で私は電話に応じた。
「もしもし?」
『プレゼントは気に入ってもらえたか?』
「爆弾を押しつけておいて厚かましいですね。悪趣味が過ぎます」
『随分と嫌われてしまったようだな。爆弾は爆弾でも、君にとっては役に立つ武器になるだろう?』
昨日と同じ甲高いノイズ混じりの声が、悪びれもせずにそんな馬鹿なことを言う。
こんな危険物を押しつけて、武器にしろだと? その武器で私に誰と戦えと言うんだ?
まさかとは思うが、彼女は本気で私を"彼女たち"にぶつけさせようというのか。
本当に馬鹿げている。
そんなことをして誰に何の得があって、そしてどんな結果が成し得られると彼女は妄想しているのだろう。
『君のその態度で満足してしまいそうだが、一応確認させてもらおう。君が私のプレゼントを受け取って、どんな真実に辿り着いたのかを』
この人普通に敵ですね。
こいつは徒に私を翻弄してとんだ喜劇的騒乱を巻き起こし、それを肴に愉悦に浸らんとばかし背後でせせら笑おうとしているただの変態です。
真に私が立ち向かうべき相手は捻じ曲がった大義でも腐り切った社会でもなく、こういうクソみたいにはた迷惑な快楽趣味を持った連中なのかもしれない。
私が自らの正義観念をアップデートしていると、電話越しに向かう変態は編集越しの声からもやけにイキイキと弾んだ調子を滲ませながら口を開いた。
『さあ、君の口から教えてくれ。私は君の名推理を聞きたくて遠足前の幼稚園児よろしく安眠できないほど楽しみにしていたんだ』
心臓発作を起こして死ぬほど苦しみながらのたうち回った後ダンプカーに轢かれて全身ボロボロになればいいのに。
昨日の冷徹な雰囲気とは打って変わり、興奮しながらおちゃらけた口調で私を挑発するその声の主に心底苛立った。
例の厨二病ノートが欲しくてたまらない。残りの全人生を懸けてでも私はこの変態を今ここで打ち滅ぼしたいです。きっと世界は少しだけ平和に近づくはず。
とはいえ期待する彼女を満足させないことにはこの苛立たしい会話も終わらない。
仕方なく私は自らの考えをスマホを通して彼女へと吐き捨てた。
しかし不本意で語り始めたはずの私の口上は、私の救えない
「方法は知りませんが、ヴァルキューレに置いてきたはずの私の携帯を盗み出してあなたが仕込んだファイルの中身。あれは警察と企業の不正取引の現場を収めたものですね。民間企業の従業員と思われる人間と私服の生徒らが複数入り混じっていますが、生徒に関してはヴァルキューレの生徒で間違いない。画像内に散見された純白のホルスターはヴァルキューレ支給のものです。あれは基本的に市場に流れることはありません。仮に流れていたとしても威力も低いため好き好んで身につける人間もいないでしょう。そして、信じたくありませんが彼女たちの中の数名は私も顔を知るヴァルキューレの生徒です。……バイヤーらしきスーツ姿の人間と話していた生徒は、私の同期で研修時には同じ班を組んでいた生徒です。彼女は、成績こそ良くありませんでしたが明るく人当たりも良くて、当時気を張っていた私にも壁を作らず話しかけてくれた人物でした。見間違えはしません。ですから、あれはヴァルキューレと企業の取引と見てほぼ間違いない。信じ難いことですが、彼女たちはヴァルキューレであることを隠しながらその立場を利用してそれを行っているようですね」
残念だ、なんて陳腐な感想も出ないくらいに私はその推測が確からしい現実に打ちのめされていた。
出来ることならタチの悪い冗談であってほしかった。
よく出来た合成写真の可能性も捨てきれないでもないが、それは低いだろうと私の
それにヴァルキューレのその行為が真と仮定するとズレた辻褄が整合する部分もあるのだ。
私はあの日尾刃局長の面前で防衛室によるヴァルキューレからの中抜きを看破したが、しかし現実問題それではおかしいところが何点か生じてしまう。
彼女に与えられた真実の断片は私にとってその齟齬の穴を埋める役割も果たしてしまったのだ。
複合企業でもない限り、組織が他の組織の金を横取りするなんて無茶苦茶が普通まかり通るわけがない。
たとえ組織構造自体に序列関係があったとしてもそれぞれ独立した公的機関として存立している限り、財務室管轄調査機関の監視の目は個別に対し厳しく向けられている。
彼女たちの目が黒い内は、脱税が困難であるのと同様に組織の扱う金を自在に浮かせるのは普通不可能に近い。
そんなことはどんな愚か者でも理解していることだ。
そんな世間における常識を防衛室が容易に掻い潜れる理由、その手法が私にはその行動から何となく推測できた。
例によってその確たる証拠を掴むことは今は難しいが。
「トラックの積荷と思われる、僅かに見える箱にはカイザーグループ傘下の中規模軍需品メーカーのロゴマークが入っていました。明らかに中規模メーカーによって一般に扱われる銃器の格納ケースから逸脱している。サイズ的に見て巡航ミサイル、もしくはそれに類する兵器の部類ですね。隠蔽工作かはたまた傘下の独断か、基本的にそういったコストの高い商品は大手の仲介で捌かれますが、写真ではメーカーが直接取り仕切っているように見えますね。そしてそれらの大規模破壊兵器はD.U.内での取引の際には連邦生徒会からの承認を示す認可証の貼付が原則として義務付けられていますが、規定の場所にそれがない。ということは無許可の兵器輸送、申請しても許可の降りない条例違反の破壊能力を有する兵器を取り扱っている可能性が高い。どちらにしても看過すべきではない重大な違法行為です」
本当に、重大な違法行為だと思う。
治安維持が本懐の警察が自ら職を汚している。
キヴォトスに数多存在する武装集団によるテロや武装蜂起への幇助活動とも取れる上に、下手をすれば他自治区との関係も修復不可能なレベルに悪化する可能性のある危険行為だ。
連邦生徒会によって厳正に管理されその職務に公正さを背負うべき法執行機関が率先して連邦首都及び他自治区へと違法兵器をばら撒いているともなれば、連邦の安全保障上において危機的状況と判断せざるを得ない。
これを発端として発生しうる連邦区の自治崩壊シナリオが、私の頭の中で縷々として浮かんでは過ってを繰り返していた。
「更に、他の写真の中で人物や企業が変われど全ての状況において背後に見える建物。あれはヴァルキューレ第3分校、予算の都合上警察の新人研修合宿に使用されていた校舎です。私の代でも確かにそこで研修を行いましたが、その敷地内でヴァルキューレは違法な取引をも行っている。察するに、企業は公的機関たる警察の敷地を使うことで連邦生徒会の調査から逃れヴァルキューレは仲介者としてその手数料を受け取る、といったところでしょう。輸送に関して言えば、企業にとってはD.U.を広くカバーするヴァルキューレの警備網を利用することで安く遠くまで商品を運ぶことができ、マフィアに委託するより工数も日程も大幅に短縮できる。そして、警察車両で運ぶとなれば一般市民からの信用もあるし輸送に際して警察内での根回しも容易でしょう。警察としてはマフィアが担っていた生業を圧倒的有用性によって簡単に奪い取ることができ、そしてそれによって得られる莫大な利益も手中に入る。腐り切ったウィンウィンの関係の完成です」
金儲けのシステムとしては上等だが、到底公共の僕たる警察の考えるべきことではない。
いっそ腐りすぎてて清々しいまである。
感心してしまうほど合理的で利口なビジネスだ。
私は言い終えてから胸の辺りに渦巻く不快な感情によるえずきを抑えるのに必死だった。
どうしてそんな風に賢くなれるのだろう。この考えに容易に至った自分への嫌悪感もまた少なからずあった。
擁護したとて、それまで裏取引を牛耳っていた闇街の利権を奪うことに主たる目的があったとしても、奪った歯車は早々容易には止まれない。
義を以てしても一度枠にはまってしまった歯車は大きな力の連鎖の中でただ役割を果たすだけ。中身が変わっただけで結局同じ形で回り続ける。
きっかけが何であれそこに正義の心とか社会的道徳とかそんなものはクソほどの役にも立たないだろう。
誰がどう思ってるかなんて関係なくて、ただそこには「警察が違法に武器を流通させ治安を悪化させている」という事実しかないのだ。
少なくともそれまで私が淡くも抱いていた「ヴァルキューレはあくまで被害者である」という認識は跡形もなく無惨にも粉々に打ち砕かれてしまったようだった。
世の中がクソッタレなことなんてとうの昔に理解していたつもりでしたが、クソッタレな現実というやつはどうしてこうも向こうから嫌味ったらしく顔を覗かせるのでしょうね。
泥を飲み込み無知で無能で愚鈍な小間使いであったままの方が幸せだったのでしょうか。
捨てたそばから後悔や未練が追いついてくるのは何という法則に当て嵌めれば良いのでしょう。
ド畜生め。
一番ド畜生なのはこんな現実を変えられると哀れにも夢見て、挫折の末に自らの矮小さを悟り現実に背を向け、そうして捨てようとした過去からも追いつかれそうになり、ただ唯一残されたハリボテの尊厳を今なお無様にも必死で守ろうとしている今の情けない私ですかね。
ストレスを感じて私は衝動的に喉を掻きむしった。
『お見事、正解だ。やはり君は素晴らしいな。惚れ直したぞ』
「やかましいです」
誇らしげに放たれたこの世紀の
こんなに喜べない賛辞は生まれてこの方初めてですよ。
そして私が人に対してこんなに率直に苛立ちをぶつけるのも初めてです。
悪い意味でこんなにも私の心を乱してみせた人間はこの人で三人目ですね。
ああ、頼むから私を平穏な逃亡者ライフに戻してください。
安住の地も贅沢な趣向品もいりません、とにかくこのクソみたいな現実の
都合よく無償でこの厄介な変態を処理してくれる凄腕のヒットマンとかいないですかね。
ひもじい思いをしながらヴァルキューレから逃げていた日々が天国に思える。
自由への翼が欲しいです。メイドインミレニアム以外で誰か受注お願い致します。
『そんな名探偵な君に、これからもう一つの現実も見てもらうことにしよう』
私の複雑な心境など一片たりとも慮ることなく、徒に私の心を掻き乱すこの無神経な輩は揚々とした口調で続けてそう言い放った。
きさまは鬼か?