公安局の石つぶて   作:もずくスープ

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夜は長し、鳴けよ小娘

 

 

 フルメタルジャケットという言葉がある。

 弾頭が鉛という柔らかい金属で剥き出しの古式なリード弾に対し、弾頭をそれよりも硬い金属(多くは真鍮)で覆った新式の銃弾のことだ。

 所謂"銃弾"といえばこのFMJ(フルメタルジャケット)弾のことを指すことが多い。

 着弾と同時に弾が変形し貫通能力を著しく減衰させるリード弾、あるいは弾頭を柔らかい素材にして着弾時に意図的に変形させることで効果面積を増やすホローポイント弾などに比べて、それらよりも弾頭が硬く変形しづらいFMJ弾は当然ながら貫通力と破壊力が高い。

 しかしその一方で被甲材金属と同等以上に硬いものに阻まれるかもしくは着弾面への進入角度が浅い場合には、変形能力の低いFMJ弾は物理エネルギーを変形による衝撃吸収で損なうことがないため比較的容易に跳弾となり、あらぬ方向へと弾かれ飛んでいき二次被害をもたらしてしまうという危険性がある。

 つまり、堅牢さをもって穿たんと射出されたこの頑丈な銃弾も、目的を果たせなければ行く当てを逸れ全く違う目標を傷付ける凶弾となってしまうというわけだ。

 それはまるで強い感情衝動に促されるまま目先のものにぶち当たりにいってはあっさり弾かれ行く手を逸れ、矢鱈滅多行き当たりばったりに当たり回り跳ね回り続ける私の現状そのもののようだった。

 

 いや、そもそもぶち当たるべき目標を見失っている今の私はそれより遥かに劣等な存在かもしれませんが。

 

「迷っちゃった……」

 

 どこなのここは。暗いです怖いです。

 複雑に入り組んだ路地の途中、狭い道の真ん中で私は途方に暮れて立ち尽くしていました。

 

 私の行手にはホラー映画さながらに暗幕の垂れ下がった路地が交差分岐して広がっていた。

 街灯もなければ建物の明かりもない。人工物群の真っ只中にあるというのに私は深い山林に迷い込んだかのような錯覚を覚えてしまいます。

 あおーん、あおーん。

 遠吠えしても独り。応えてくれる仲間はいません。

 

 そりゃ土地勘も掴めていない町で真夜中に爆走してたらそうなりますよね。

 小一時間ばかり無我夢中で足を動かしてきたがどこで道を間違えたのか目的地である第3分校に近付いている気配は一向に見られなかった。

 懐中電灯代わりに足元を照らす携帯端末の画面を見ても、GPS機能が抜かれているせいか地図アプリ上に私の居場所は示されていない。

 文明の利器に依存しきった現代人の弊害か、いつもなら頼もしく見えるその画面はまるで世界からの拒絶を示しているようで。私の心細さは限界突破していた。

 

「うぅ、ぐす……。足痛い、横腹痛い、心が痛いの三重苦です……。迷ってから結構歩いてるのに未だにコンビニすら見つからないし。もう駄目だぁ、きっとこのまま私はこの闇の路地から一生抜け出せず餓え死にするんだぁ……」

 

 誰か助けて……、尾刃局長ぅ、先生ぃ、サオリさんぅ……。

 夕飯も食べずほとんど極限状態で飛び出してきたせいで意図してない角度からの災難に私の心はあっさり折れそうでした。

 暗すぎる上に入り組んだ地形にいるせいで場所を特定できそうな目印も判別できず、気分はさながら大海の中の迷子の小魚。

 ファインディング・コマですか? これも冒険だというのパパ?

 

 ベソをかきながらトボトボと深夜の路地を歩く。

 本当に情けないったらありゃしない。お前はなぜそういつも肝心なところが抜けているのか。

 GPSが使えないとわかっていたのならせめて目的地への経路くらい頭に入れてから走り出せばいいのに。

 目的地無用の徘徊老人かお前は?

 例の如く自分の無能さ加減を責めつつ、とはいえ足を止めればその時点で試合終了なのでそんなことは認められないと私は必死で目の前の風景と地図上の地形を照らし合わせながら暗い中を練り歩く。

 何度めかの似たような角を曲がりながら、私は心細さと空腹を誤魔化すために今食べたいものを列挙するゲームを開催することにした。

 一人遊びでも気休めにはなりますからね。

 

「あちあちおでん大根、ぷりぷり鮎の塩焼き、衣たっぷり車海老の天ぷら……。そういえばもう長いこと脂っこいもの食べてませんね。おかげでお肌はツルツルですけどメンタルはガサガサです。心も体も贅肉が欲しいです。ラーメン、中華そば、チャーハン、餃子、串カツ、……や、焼き鳥! 焼き鳥食べたい! キンキンに冷えた炭酸飲料と一緒に思いっきり胃に流し込みたい! ねぎまぶたばらかわつくね!」

『どこに行くつもりだ君は』

「ぼんじりッ!!?」

 

 突然背後から聞こえてきた無機質な声に私はビビり散らかした。

 足をもつれさせて躓き顔面を地面に強打しながら、すぐさま銃を構えるかの如く携帯端末のライトを声の方向に向けると、外套に身をすっぽり覆った不審者が私の三歩後ろに立っていた。

 向けられた光にさっと外套を深く被り直してうまいごと顔を隠すその人物は、甲高いノイズ混じりの変声機を使っている例のボンバーウーマンのようでした。

 

『ぼんじり? 焼き鳥なんて食べている暇はない。君の目的はヴァルキューレ第3分校なんだろう? そっちに行くとD.U.中心へと続く道に出てしまうぞ』

「私には明日への道も今日の生き甲斐も見えませんよ! それより礼儀を知らんのですか貴様!? 人の背後に音もなく立つんじゃない驚いて心臓止まるかと思ったわ! 毎回心臓に悪すぎるんですよ、せめて心の準備くらいさせて!!」

『無茶を言うな。メールでカウントダウンでもしろというのか』

 

 なんだそのメリーさん式登場法は。そっちのが怖いわ。

 人の前に姿を現すときは素顔を見せにっこり笑顔で挨拶するのが最低限のマナーでしょうが。

 ストーキングだめ、盗聴もだめ、脅迫や犯罪教唆なんてもっての外です。

 何一つ守れてない今のあなたは完全に人間失格です。

 小学校の先生から社会道徳倫理を学び直して出直しなさい。

 

 恨めしげに打った鼻を押さえながら睨みつける私に、彼女は手を差し出して尻餅をついたままの私を立たせながら口早に話し始めた。

 

『無駄話をしている時間はないから単刀直入に話させてもらう。状況は我々の想定していたシナリオから外れてしまった、第3分校のタスクは一旦放棄する。君はそこに向かう必要はない。行っても私たちの利益になるようなことは一つもないからな』

「は、はあ? ちょっと、待ってください」

『当初の予定では再び君に接触するつもりはなかったんだが、事情が変わって放っておくわけにもいかなくなった。今は詳しく説明する時間はないが私たちの目的に邪魔が入る。君の身が危険に晒されるかもしれない、それは私としても不本意だ。昨晩私が君に語ったことは今は忘れてくれ』

「昨日の今日で、というか今日の昼から夜で何が変わったと言うんですか。意味がわかりませんよ。そもそもあなたと私の目的は同じじゃありません! 私は私の意思でここにいるんですからあなたに従う義理なんてない!」

 

 まあ迷子の末にここにいるのは意思に反してますけれども。

 でも上官でもなければ味方でも何でもない彼女にどうこう言われるのは納得がいきません。

 私に情報提供するのがあなたの勝手ならそれを受けて私がどう動こうとも私の勝手でしょう。

 そういう体で私を焚き付けたのは他ならぬあなたじゃないですか。

 

『そのことについても後で説明する、とにかく事情が変わったんだ。ここからは私が直接君を安全な場所まで護衛させてもらう。さあ、こっちに来るんだ』

「い、いやいや護衛って、冗談じゃないですよ! 私の心を散々弄んでおいて突如ナイト気取りするような勘違いストーカーと一緒に行動なんてそれこそ身の危険じゃあ!」

 

 話が突然過ぎるしそんなこと言われても見知らぬお姉さんが言う「お母さんが交通事故にあって危篤だから病院に送るよ。さあ車に乗って!」並に信用できませんよ。

 もしかしていよいよ拉致誘拐監禁コースですか!?

 未発達なこの体を欲望の捌け口にするつもりなんですか!?

 つ、通報しないと。襲われる!

 

「やっぱりそういう目的だったんですね!? 少女体型が好みの変態め正体を現したなぁ! や、やめてよしてさわらないで。いやぁ、痴漢、こ、こないで……!」

『馬鹿なことを言うな。抵抗してないで急いでくれ、彼女がこっちに来てしまう。時間がないんだ三黒サ、っ! くっ!?』

 

 迫る彼女に私がオドオドとしていると、痺れを切らした彼女が私の腕を掴もうと手を出した。

 その瞬間静寂を裂くような破裂音が周囲一帯に響き渡った。

 

 固まる私の前で目の前の人物は咄嗟に腕を庇うようにして後ろへ飛び退く。

 続け様に響く破裂音に呼応して彼女の足元に硬いものが突き刺さる音がする。

 外套を揺らし彼女が顔を向けた音の出所に私も目を向けると、はっきりとは見えずとも私にとってやけに見覚えのあるシルエットがそこには浮かんでいた。

 

 驚愕する私をよそにその人は再度その手にもった拳銃を発砲する。

 ほとんどは暗がりの中軌道をそれ電柱や塀に突き刺さるが、一つが標的の外套の頭部へと命中した。

 彼女は慌てて両腕で頭部を隠すが、破れて顕になったその影の中から黒い毛に覆われた大きな耳が露出していた。

 個人的特徴を覆い隠すベールを失った彼女は部が悪いと悟ったのかそのまま姿勢を低くしその身を飜すと、素早い動作で来た道を引き返して路地の奥の闇へと消えて行ってしまった。

 急展開に呆然とする私の後方から耳に馴れた声が響く。

 

「くそっ、仕留め損なった。……まあ追っ払えただけマシか」

 

 緊張を解くように息を吐き出しながらブーツを鳴らして私の前に進み出てくるその影の主は、先ほど咄嗟に脳裏に描いた姿形と寸分違わず一致して。

 嫌と言うほど私の脳に染み付いたその声、顔、仕草に色んな感情が呼び起こされる。

 

「ようコマ、色々言いたいことはあるが。とりあえず久しぶりだな、元気してたか?」

「せ……せん、ぱい……?」

 

 珍しい私服姿で現れた彼女は、拳銃の弾倉を交換を終えると私の頭に手を置いて深い安堵のため息を吐いた。

 あの日の地下搬入口で卑劣爆殺戦法を私がキメて以来、約一ヶ月ぶりの先輩との遭遇だった。

 

 絶対に会いたくない人なのに、その顔を見て反射的に私は安心してしまった。

 会えば折檻されるとわかっているのに、少しだけその暴力を味わいたいとすら思っている。

 なんならそれをずっと欲していたような気もしだして私は恐ろしくなった。

 理由もわからず涙が出そうになるが、しかしそれは回線がパンク寸前に陥るほど脳裏で走り回る幾多の疑問や感情に押しつぶされて即座に引っ込んだ。

 処理熱でシチューの如くドロドロに溶けてしまいそうな脳みそでは、ただ顎の関節が外れたかのように間抜けに口を開けて驚くことしかできなかった。

 

「何だそのタマに豆鉄砲食らったたぬきみてえなアホ面は。寝惚けてんなら頭ひっぱたくぞ。ったく不用意に接近されやがって。再教育が必要だなこれは」

「うぁ、うぁ、なに……? なんで……?」

 

 先輩にグリグリと強めに撫で回されながら私は出すべき言葉を必死に探したが、未だショックの覚めやらぬ頭では感じたままに疑問符を吐くので精一杯だった。

 まともに口を利けない私に先輩は一つ軽い拳骨を落とすと周囲を軽く見回し言葉を続ける。

 

「何でもクソもあるか。私らから逃げ回り続けた果てにこんな時間のこんな場所を薄着でウロウロしやがって、挙げ句不審者に為す術もなく襲われかけるとは本っ当に世話の焼ける。お前には今から朝までみっちり説教と事情聴取してやらんと気が済まん。ただここじゃあ落ち着けないし野次馬に来られちゃ面倒だ。とりあえずどっか他の所に移動するぞ」

「いや、いや。待ってください。それよりなんで先輩が、ここにいるんですか」

「……話せば少し長くなる、移動した後でいいだろ。何より混乱してるお前を落ち着かせるのが先だ」

「駄目です。いまここで、説明してください先輩」

 

 やっと直り始めた口と思考にまかせて私は先輩を糾問する。

 だってどう考えたって不自然じゃないか。

 この怪しい少女漫画的(ロマンチック)展開もそうだが下手したらこれから超自然雑誌的(オカルトチック)展開になるかもしれないのだもの。

 先輩は面倒くさそうに頭を掻くと「その毅然さをさっき発揮しとけよ……。これだよこれ。このメッセージだ」と懐に手を伸ばした。

 

 先輩がポケットから取り出し見せたのは彼女の支給端末だ。画面にはSMS(ショートメッセージサービス)でのやり取りが映し出されていた。

 片方は勿論先輩だがもう片方の相手の名前は「下僕後輩」。私の名前がそこに、いや私なのかこれ? ふざけるなよ?

 画面の上の方には某日の『ぽかぽか焼きせんべい品切れでした!!!』『走ってさがせ。』という下劣非道なやり取りが見えたので、確かに間違いなく私と先輩のチャットルームのようだった。

 思い出してムカムカしながら先輩に促されその下を見ると、受信時刻は今日の夕方という近い時間帯で『助けて』という私からの短い文言と共に地図にピンを刺したURLが貼られていた。

 その座標は、ヴァルキューレ第3分校本館ビルのある場所だった。

 

 色々言いたいことができたが、私はまず一番にそれを確認した。

 

「……先輩は、これを見て私を助けにきてくれた、ということですか?」

 

 私の若干気恥ずかしいその問いに、先輩は心底馬鹿にしたような顔をして鼻で笑った。

 おい、鼻で笑うな鼻で。ちょっとくらい期待しても良いでしょうが。私が「下僕後輩」なら貴様は「鬼畜先輩」だぞ畜生め。

 乙女心にナイフを突き立てられた私は先輩を睨む。

 彼女は気にした様子もなく続けて話した。

 

「んなわけあるかよ。誰がこんな怪しいメッセージに呼び出されてやるか。たとえ本物だとしても行かねーよ」

「で、ですよねー。いや分かってましたけど」

「お前の端末はウチが管理している。公安局の人間以外には触れない筈だし触れたとしてもセキュリティーキーはお前しか知らない、つまり本来誰にもこんなメッセージを私に送信することはできない。ハッキングだか何だか知らないが、こんな見え透いた罠普通だったら無視する以外選択肢にないだろ」

「そりゃそうですけれど。じゃあなんでこれ見せたんです? というかここにいる理由にはならなくないですか」

「ちょうど別件で第3分校に行く予定があった。どうせ行くんならついでに私にこんなしょうもない罠仕掛けてくるようなウスラトンカチが、何の企みと指示があってこれを送ってきたのかを確認してやろうと思ってな。それで書類をまとめた後で本部の方から第3分校まで歩いて移動してたら、その道中に聞き慣れた馬鹿の声がしたから駆けつけた。でさっきの不審者を撃退したって顛末だよ」

 

 先輩は端末をポケットに直してそう説明を締め括った。

 なんだか疑問を解消するために新たな疑問を提示されてしまった感じだったが、ひとまず私は先輩がここにいる理由に納得し安堵の息を漏らした。

 

「そう、だったんですね。じゃあここにいるこのさっきから妙に私に優しくて気持ちの悪い不気味にナイスタイミング先輩は宇宙人でも変身術(メタモルフォーゼ)の使い手でもなかったんですね。ふいい、安心しました」

「シバくぞ」

 

 スッパーンと小気味の良い音を私の頭で奏でてから先輩が言う。

 シバいてから言わないで。でも久しぶりの先輩らしい振る舞いにちょっと悦んでしまう自分もいちゃう、ビクンビクン。

 

 だがしかし、ここにいる先輩が純度百パーセントのナマ先輩であるというのなら、それは私にとって普通に新たな危機でもあるわけで。

 先輩が公安局所属の私のよく知るあの先輩なのであれば、当然この次の展開は私が最も恐れているものであって。

 

「もういいだろ、これで満足か? とにかくこれからのことを決めるために私はさっさと移動したいんだが」

「あ、え? うん、移動ですか? する必要ありますか? と、というかほら、危ないところだった市民は無事でしたから? 助けていただいてありがとうございますお巡りさん。私はもう大丈夫ですので、どうぞそのままお帰り下さいご苦労様でした。もう二度と会うことはないでしょう」

「誰がお巡りだこちとら公安局部長だ馬鹿たれ。誤魔化そうったってそうはいかねえぞ。お前には説明することも説明してもらうことも山ほどあるんだ。朝までこってり絞った後で公安局連行コースだ。本部に着いたら局長にも尋問してもらうからな覚悟しとけ」

「嫌じゃ、嫌じゃ! 尋問なんぞ受けとうないです! 私を帰してお家に帰して!」

「うるせえ静かにしろ近所迷惑だろうが! お前の帰る場所は公安局にあるんだよ抵抗すんなバカコマ!」

「乱暴はやめて! 触らないで! あっこのパターンさっき見ました! おかわりはいりません二番茶先輩!」

「やかましい上司不孝娘!」

 

 お、襲われる。今度は警察に襲われる! 通報しないと! ぽぱぴぷぺさせて!

 私の腕をがっちり掴んで引っ張ってくる先輩に必死に抵抗していると、先輩は私が騒ぐのに焦ったのか私の口に手を当てて物理的に黙らせてくる。

 ちょっとこれ本当に婦女暴行じゃないですか。私たちの間柄でもアウトですよアウト!

 それでも諦めずもがもがと口を開いて先輩の手に私のばっちい唾液を染み込ませていると、ふと先輩の動きがぴたりと止まった。

 

「っそこの不届き者、コソコソ盗み聞きしてんじゃねえ出てこい!」

 

 途端に私から手を放して銃を構え直した先輩が不審者の彼女が逃げていった道とは反対方向の暗闇に向かって声を上げる。

 うええぇ、何事? ま、まだ何かあるんですか?

 不審者の凶行と先輩の強行で私はもうお腹いっぱいですよ! これ以上入らない!

 慄く私と警戒する先輩の前に静かに身を現したのは、小一時間前にその姿を最後に見収めたはずのその人でした。

 

「盗み聞きするつもりはなかった。ただ突然居なくなったササネを探していたら、偶然居合わせただけだ。それより彼女を解放しろ、嫌がっているだろう」

「えぇ、もうどうなっちゃってんの……」

 

 サオリさんまで出てきちゃった……。なんかもうめちゃくちゃだあ。

 私は考えるのをやめて空を仰いだ。

 つい先程まで孤独に震えていたのが嘘みたいに賑やかになってしまった周囲に、天体観測でもして心を落ち着けようとしたがあいにく今夜は曇りだった。

 静寂を切り裂いた結果いらない声がいっぱい生まれちゃいましたよオーイェーアハーン。

 

 てかどう収拾つけるんですかこれ。

 サオリさんの登場でまた一気にややこしくなってしまいした。

 先輩になんて説明したら納得して帰ってもらえるのか。あなたは個人意思の自由をもっと尊重して下さい独裁者先輩。

 サオリさんはなんで私を探しちゃうのか。せっかく手紙書いて置いてきたんですから読んで下さいよお願いですから。

 あの変態は結局何がしたかったのか。本当に何がしたかったのか。

 あおーん、あおーん。

 咽び泣いても独り。答えてくれる仲間はいません。

 不思議ですね。一人ではなくなったのに私は孤独です。

 

 私が現実逃避している間、警戒心を剥き出しにサオリさんの顔をジロジロと観察していた先輩は何かに気がついた様子で突然私を背中に隠して彼女に吠えた。

 

「っこいつ、アリウスの指名手配犯か! 下がれコマ! てめえもさっきの奴の仲間か!?」

 

 気づいてしまったか先輩。普段使わない余計な頭を働かせおって!

 ぐるると唸るようにサオリさんに敵意を向け、今にも発砲しそうな先輩に私は慌てて抱きつき彼女を制止した。

 

「わー! わー! わー! 待って待って待ってってば! サオリさんは良い人なんです! お世話になった方に銃口を向けるのはヤメテ!」

 

 私の短めの腕で必死に後ろから先輩の手を掴もうとしますが当然ながら届かない。

 どころか強い力で跳ね返され先輩は器用に私を背中の陰に押し戻してしまう。

 

「んなこと言ったってお前犯罪者に良いも悪いもあるか!」

「良いも悪いもあるんです! サオリさんは衰弱してた私を保護してくれた恩人です! 無関係の私を手厚く看病してくださった上に穀潰し寄生虫状態の私に衣食住を提供してくれた聖人母人ですよ!」

 

 やめて先輩! 彼女を撃たないで!

 サオリさんはもはや私のママだった人なんです!

 愛情の砂漠の中で見つけた母性という私のオアシスを傷付けないで!

 

 腕力で敵わないのならと私は先輩の背後からその体に手を這わせ、何とかして宥めようと一心不乱に彼女を撫で回す。

 本能に生きる先輩はもはや犬猫と同じ。与える刺激の種類によっては気持ちを落ち着かせることもできるはずだ。

 

「は、はぁ!? いやそれでも怪しいのに変わりはねえだろ! 良いから下がれ纏わりつくなあほコマ! ひぁ、……っどさくさに紛れて胸揉んでんじゃねえ殺すぞ!!」

 

 先輩がしびれを切らし片手を使って私の顔を掴みながら抑え込みに来ますが、私も負けじと顔面で押し返す。

 

「むええっ! 話し合えば分かり合える! だって私たち人間だもの!」

「やかましい! いつの世も人間は争い合うものなんだよ!」

「な、なんて酷いことを! この野蛮人! 終末系女子! テロリストよりテロリスト!」

「やはり警察だな、強硬的だ。やるというのなら応じるぞ。大人しく引き下がる気も、捕まる気もない」

 

 わちゃわちゃと揉み合う私と先輩をサオリさんは油断のない目で見据えながら、その手を彼女の銃へと伸ばしていた。

 うえぇい!? やめなされやめなされ、無駄な戦闘はやめなされ!

 ここはウエスタンですか!? 荒野の決闘なのか!?

 何でみんなすぐそうやってドンパチしたがるんだ! まともなのは私だけか!?

 

「サオリさんもお願いですから刺激しないでください! この人アホなんですぐ熱くなっちゃうでしょうが!」

「誰がアホだ! 一番のアホが言うんじゃねえ! ぁんっふぇ、ぃっから一回離れろやゴラァ"! も、揉むなつってんだろ!?」

「ササネ、なら私はどうしたらいいんだ? この警官がお前の脅威になるというのなら私が彼女を排除してもいい」

「んだとてめえ上等だボケェ!」

「だからやめませいっ! よしませいっ! 確かに先輩はめっちゃ脅威ですし邪魔ですけどそんなことしたら益々話がややこしくなっちゃうでしょうが!? 先輩も興奮しないでほら、ステイ! ハウス! ちんちん!」

「私を! なんだと! 思ってんだぁふゅっ!? んあっ、ぃぃっ!?」

 

 私を離そうと激しく揺れる先輩に負けじとしがみつき、私は先輩を止めるべく恥じらいを捨ててありとあらゆる箇所に手を伸ばす。

 先輩は絶えず与えられる繊細な刺激にその身を悶えさせるものの、しかし降参するような気配は一向に見せずむしろ抵抗は激しさを増している。

 不味い、このままでは動きを止めるより先に私が先輩に振り切られてしまう。

 歩き回って既に疲れ切っている私には体力など殆ど残されていない。哀れすぐに力尽きた私は地面に転がされ二人の戦いが始まってしまうでしょう。

 どっちが勝っても負けても、私の立場は非常に面倒くさい。

 恩人にあらぬ罪を着せ独房にぶち込む「外道警官コマ」の誕生か、犯罪者の味方をして元上司を踏み付ける「小粒新星テロリスト三黒ササネ」の誕生なのか。

 私の思惑行動云々よりも結果としての見え方がどっちにしても最悪なのが酷い。

 二人の戦いが始まった時点でそれを止める力のない私の負けで確定です。何か一発でこの場をおさめられる、強力かつ最善の手を打たなくては。

 

 お決まりの「彼女を撃つなら私を先に撃て!」ムーブで二人の間に割り込むとか。

 いや駄目だ。それは傷付けることが躊躇われる程度に価値のある人間にしか効果は期待できません。私がやっても的打みたくなるだけです。

 さらにあらゆる暴虐の限りを私に尽くしてきた先輩は罪悪感を感じるための脳細胞がもうとっくの昔に死んでいます。動かれても邪魔な私を先に沈めておこうと、彼女はサオリさんの盾になった私に銃弾をぶち込むことに恐らく何の躊躇いも持たないでしょう。まったく、泣けてきますね。

 ならば大事なものを奪って「これを壊されたくなければ銃を下ろせ!」パターンならどうでしょう。

 これなら血の冷たい先輩でも損得勘定さえ働いていれば話を聞いてくれるはず。問題は先輩にとって何が大事なのかということですけど……。

 私、は前述の通り論外。上着、まあ無いと風邪引いちゃうから大切だけども。腕時計、ブランド物じゃないからナシ。携帯、高価ですけど大事かと言われると。パンツ、どうやって奪うんですか。

 目の前で破いてみたいですけどね、先輩のパンツ。

 ロデオの如く先輩の背に振り回されながらも必死に腕と頭を働かせ、依然として先輩を撫でくり回しながらあれやこれやと具体的なものを一つずつ思い浮かべていく中で私は、学生なら誰にでも共通して大事なものを一つ発見した。

 学生証だ。私たちの身分を示すものであり所属を示す非常に大切なものだ。

 ヴァルキューレ生にとってはそれは警察手帳でもある。

 生徒としても警察としても大事なそれを奪われれば、流石の先輩といえど一旦はクールになるはず。

 そういえば先輩はいつも学生証をお尻のポケットに入れてましたね。奪いやすさも優とはお誂え向きです。

 奪ったあとのリスクは計り知れませんが一時的な均衡さえ得られればこの場は十分。上手い具合に話の流れを掴むことができたらもうこっちのもの。

 色んな意味でお疲れ気味の今の先輩なら隙も大きいし、間違いなく逆転の追い風は私の方に吹いているぞこれは。

 よしいけコマ! 今だチャンスを掴み取れ!

 息を切らした先輩の背後から私は意を決して私服ジーパンのピスポケットに手を突っ込み、そこにあるものを掴み抜こうとあらん限りの力でその手を握った。

 しかし予想に反してそこに私の期待していた硬い感触はなく、代わりにもにゅんと私の小さな手が意外にも柔らかい先輩のお桃に深く沈み込んだ。

 

「はぅんっ!!」

「え?」

 

 大変瑞々しく可愛らしい声が深夜の路地に響き渡った。

 

 それはまるで可憐な乙女の蕾が花開いた瞬間の優雅な蝶の飛び立ちのような、三月の暖かい夜風にさらわれて揺蕩う宮殿のお香の香りを連想させるような、艶かしくも爽やかで上品な甘い声だった。

 つまりはそう、閑静な夜の住宅街に先輩の嬌声がぴんと轟いたのだ。

 掴んだのはチャンスではなく、甘い乙女の果実だった。

 

 地面に手ついて這い蹲る先輩の耳は暗がりでもはっきり分かるほど真っ赤になっていた。

 調停へ持ち込むために弄した策は意図せず完勝の一撃となったようだった。

 先輩を止めるために絶えずわきわきと駆使していた私の両の手は行き場を失いみっともなく彷徨っていたため、私はとりあえず腕を組んで私の前におしりを向けて蹲る先輩を見下ろしてみた。

 どうでしょう、誤魔化せてますかね。

 さわさわと吹く生暖かい風くんが通りすがりに「エッチやなあ」と語りかけてくれたのでどうやらこれで正解のようです。

 

 困った顔をしたサオリさんが居心地悪そうに立ち尽くしたまま、先輩と私を交互に見ながら呟いた。

 

「何が起きたのかよく分からないんだが、……制圧完了か?」

 

 どうやら、私は今回も先輩に勝ってしまったらしい。

 へへ。これでまたレベルアップ……しちゃいますね。

 

 

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