公安局の石つぶて   作:もずくスープ

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Sは眠らない

 

 

 幅が十数メートルはあろうかと思われる大きな正面口を乗り越えて、私たちはいくつものコンテナが規則正しく並ぶだだっ広い施設へと潜入した。

 D.U.有数の大河川沿いにある施設ということもあってかその広さはかなりのもので、こちらのスケール感を狂わせてくるような異様な圧すら感じられた。

 

「おおきな所ですね」

「併設されている河川港の埠頭(ふとう)用地にも使われているようだからな。例えば保管物をコンテナごと船に積み込んで輸送船で運ぶなんてサービスもやってる。埠頭場に行けば輸送用貨物コンテナと一緒に並べられたそれらが見られる」

 

 歩きながら先輩が指差した方を見ると、コンテナで隠れた向こう側からはぼんやりと明かりが漏れており下側を少しだけ照らされた埠頭用の大きなクレーンが二機ほど覗いていた。

 その概観を掴もうとその場でぴょんひょん跳ねてみるが、私の身長では見える景色は変わらかった。

サオリさんに肩車でもしてもらうかしらと考えていると、先輩が「はしゃぐな」と私の首根っこを掴みながら説明を付け加える。

 

「運搬サービス付きの倉庫として運用されているのは本来逆の話で、以前は昔ながらの古い河川港としてだけ運用されていた。だが地上輸送の発達と港の旧式化で利用率が激減して、余ったリソースをどうにか有効活用できないかと始めた商売が貸倉庫業だ。辛うじてまだ港として機能しているのは鉄道駅との距離が近く、一応は舟運の要所で利便性もそこまで失われちゃいないからだな」

「へえ〜、経営上の都合で生まれた船場のコンテナ倉庫場なんですね。D.U.でもまだ河川輸送が現役だったらここはもっと重要な場所だったかもしれませんね」

「そういうことだな」

 

 それならこの広さも納得です。

 むしろ積出港として考えると最新のそれと比べて小さいくらいですか。

 

 それにしてもよく調べている。経済史が垣間見える先輩の説明を聞いて不覚にも私は少しワクワクしてしまっていた。

 既に色々あった後で疲れ気味の状態だったが、知的好奇心には勝てず私は歩きながら歴史の名残を見つけようと無駄に周囲を見回したりしてしまった。

 あ、あそこの外灯なんか古そう。なんかかっこいい。

 おしゃれな外灯を近くで見ようと歩き出すと今度はサオリさんに服を掴まれてそれを阻止された。

 私は二歳児か? もう少し自由意志を尊重して?

 

「歴史紹介はいいが、どうやってこの中から目当てのコンテナを探す? まさかしらみつぶしというわけではないだろうな。かなりの数だぞ」

「安心しろ、コンテナの位置と番号は全部ココに入ってる。近いところから効率的に回っていけばそんなに時間も掛からない」

 

 「ココ」の部分で側頭部を指で叩くというドラマで良くやるやつを先輩はこれみよがしに見せつけてくる。

 前々から思ってましたけどこの人、こういう芝居がかった仕草とか台詞とか好きですよね。

 意外にミーハーなのかしら。正直おじさん臭くてちょっとダサい。

 カッコつけおダサ先輩の後ろをサオリさんと並んで着いていきながら、そういえば書類仕事をサボっている時によく硬貨を指の裏で動かす練習してたなあなどと私はいらぬことを思い出していた。

 

 さっさと前を進んでいく先輩を視界の端に収めながら、私は横で周囲を警戒しているサオリさんに話しかける。

 私と先輩の勇み力んだ空気でなあなあにされていたが、彼女にはここで個人的に確認しないわけにはいかないことがあった。

 

「あの、サオリさん。ここまで来させておいて今更なんですが、本当に良いんですか? 私や先輩と違ってサオリさんにとってこれ以上この件に関わる意味はないと思います。巻き込んでしまった私が言うことではないかもしれませんが、今ならまだ引き返すこともできますよ」

 

 当たり前のようにサオリさんが同行していることについてなんとなく言い出せずスルーしてしまっていたが、そのまま雰囲気で誤魔化してしまうのはお互いにとってよろしくない。

 ただでさえ大きな借りのあるサオリさんに対して、彼女の親切心に甘えてこれ以上付き合わせるのは私としては不本意だった。

 

 本当であれば彼女は今すぐにでも私たちから離れるべきだと思っている。

 こんなに良くしてくれた人が私のせいで更に立場を危うくすることになるなんてことは私も望んでいない。

 しかし私のその懸念をよそに、サオリさんは警戒を維持したまま平然と私に否を返した。

 

「問題ない。向こうがササネをマークしている以上お前を拾った時点で無関係というのは通じないだろう。実際既に仮住居は押さえられてしまった上に、監視もされているようだしな。元から失うものは少なかったがこれ以上失うこともない」

 

 要約すると「既に手遅れ」ですね。

 へへ、サオリさんからしたら今更どの口が言ってんだって話でした。

 なんならさっき自分でそれサオリさんに言ってましたよ。

 誠にごめんなさいでした。

 気の使い方を間違えたど阿呆は大人しく謝って黙りましょう。

 

「ごめんなさい」

「謝らなくていい。お前が追われていると知りながら保護したのも、ここまで着いてきたのも、全て私自身の判断によるものだ。ササネが気にすることはない。義務感だけでここにいるわけでもないからな」

 

 流石テロリスト界のビックネームだぜ、おっぱいだけじゃなく懐もでかい。

 サオリさんの潔い生き様にまた一つ推しポイントを見出しつつ、私は罪悪感から逃げるために脳内で雑に彼女を讃えた。

 

 てくてくとサオリさんの横を歩きながら今一度彼女の境遇を思う。

 そのぶれない姿勢や態度に心強さを覚えつつ、しかしサオリさんのその言葉の中に拭えない違和感もやはりそこにはあった。

 そう易々と他人が踏み込むには親切とか義理とかの範疇をいささか逸脱しているような気がするのだ。

 それは彼女がことをそこまで深刻に見ていないからなのか、それとも今彼女が語った「義務感以外の理由」に何かあるからなのか。

 ここにきて、昨夜に植え付けられた疑念が鎌首をもたげてくる。

 それはつまりサオリさんにもそれなりの"目的"というものが存在している可能性だった。

 おそらくそれはあるとすれば私に関係することで、私の目的と真っ向からぶつかることもあるのかもしれない。

 

 いや、今こんなことを考えるのはよしましょう。

 既に敵の懐かもしれない中で味方まで疑い出すのは良くない。

 こういうふうに気を取られることこそが向こうの思う壺かもしれませんし、少なくともここでは目の前の物事に集中しないと。

 私は疲れと睡眠不足のせいか直線的で散漫になってきた思考を覚ますため、両側の頬を叩いて今一度気を引き締め直した。

 

 数分も歩けば見える景色も少し変わり、中の様子は静謐然として薄気味悪くもあった。

 施設内は入り口から遠ざかるほど外灯の間隔は開いていき、奥に行けばほとんど完全な暗闇といって良い場所すらあるほど明かりが少なかった。

 広い間隔で整然と並べられたコンテナの間を押し黙り黙々と歩く私たち。

 急ぎながらも大きな音を立てないようにと慎重に歩いていくが、私たちの警戒をよそに警備の姿はひとつも確認できなかった。

 

 怪しさのある静寂の中、先輩が一つ目のコンテナの前に辿り着いたとみて足を止める。

 先輩の視線が向かうその場所に、しかしコンテナの姿はなかった。

 先輩の顔は苦々しく歪んだ。

 

「チッ、既に移動させられたみたいだな」

「そんな、一体どこに」

「さあな。とりあえず次行くぞ」

 

 落胆もそこそこに、すぐに切り替えた先輩の後を追い他のコンテナを確認しに行く。

 しかし次も、その次も、さらに次にも。

 先輩が足を止めたいずれの場所においても、その場所にあるはずのコンテナの姿はそこにはなかった。

 

 さほどの時間も掛からず私たちは最後のひとつがあるはずの場所に到着したが、やはりそこにも目当てのものは存在しなかった。

 焦りを顕に私は先輩へ尋ねた。

 

「これって、こっちの動きを警戒して全部隠されてしまったってことですか?」

「向こうの動きが予想以上に早かったってところか。まあでもこれで何かやましいものを積んでることは確定だ。ただの車両を大急ぎで動かす理由はないからな。問題はその大事な荷物がどこにいっちまったかだが」

「既に船で運び出されてる可能性はないのか?」

「多分それはない。ここの港は旧規格の船舶しか入れない都合上、出入りできる船の数が少なく貨物が出る頻度も低い。最後に船が出たのが三日前と考えれば次に出るのは早くても明日。最後にここのコンテナが車庫として登録されたのは一昨日だから、一斉に船で移動させるには間が悪いはずだ」

「じゃあ移動は地上経由に限られますよね。まさかド派手にもヘリを使うわけはありませんし……」

「一度に別の場所へ移したとなれば数十台のトラックの大移動だ、かなり目立つ。かといって少しずつ移動させたなら時間も掛かるしちょくちょく見にきてた私が気付けるからな」

「一度分散して隠すには余計に時間も手間も掛かりますよね……。そこまで手の込んだ隠蔽工作を……?」

 

 もしそうだとしたら手の打ちようがなくなる。

 何の手掛かりもなく散らばされたコンテナたちを見つけるなんて到底無理な話だ。

 せっかく何かしらの手掛かりが目と鼻の先に迫っていたというのに。

 じれったい気持ちを内に押し留めながら考えていると、隣のサオリさんが思いついたように口を開いた。

 

「それとも単純に、船での輸送準備として近場に一箇所に集めているだけかもしれないな」

「ああ、まあ確かに。色々変に動かすよりは余程ありえそうだ」

「つまり、埠頭場ですね。行きましょう」

 

 サオリさんの提言に従いその場所を目指す。

 適度に間隔の開けられた倉庫場とは違って、ぎゅうぎゅうに詰めて並べられたコンテナ群の中に私たちは入っていく。

 倉庫用コンテナと貨物用コンテナは用途別に黒と青で色分けされていたため、一箇所に固まった目的のそれらの姿は特に苦労もなく見つけることができた。

 

「意外と呆気なく、ありましたね」

「だな」

 

 拍子抜けな私の感想に先輩が短く返す。

 

「だが問題は中身の方だ」

 

 ずらりと並ぶ黒いコンテナを見渡しながら、先輩は上着の内側に手を入れた。

 そこから取り出したのは細い棒状の金属。

 一般にピッキングツールと呼ばれる類のそれは犯罪防止のため正当な理由なくしての所持が禁止されている。

 どこでそんなものをと私が視線を送ると先輩は「押収品から借りてきた」とこともなげに答えた。

 もはや何も言うまい。

 実際先輩の法令不遵守の精神にはかなり助けられてますし。

 

 先輩が手慣れた様子で手際よくコンテナに掛かった錠前を解錠していく。

 小さなそれを外して重たい扉をゆっくりと開けると、そこには角張った見た目の装甲車が鎮座していた。

 

「よし、ちゃんとあるな」

「これが、例の警察車両か」

「はい。ヴァルキューレの装甲車、通称特車(特型警備車両)ですね」

 

 先輩のいう通りのものが本当にそこにあった。

 そんな不思議な感慨とともに、ついに目の前に差し迫った不正の証拠となるかもしれない存在を前にして私は喉の奥がヒリヒリするような緊張を覚えた。

 

 私はひとまず証拠とばかりに持っていた端末でパシャパシャとコンテナ内部に突っ込む形で窮屈そうに収まっている車両を写真に収める。

 あらかた撮り終えるとすぐに車両の検分を始めた。

 

「鍵は、掛かってないようだな」

「不用心ですね。運転席の上に車のキーが置かれてます」

「警備局らしい怠慢だな。しっかりしろよ全く」

「とにかく私たちにとっては好都合に違いありませんし、早速開けてみましょう」

 

 狭いコンテナ内を移動して、車両後部の両開きドアに手を掛ける。

 開け放たれた鉄の直方体内部に現れたのは積み上げられた段ボールの山だった。

 私は試しに段ボールを一つ下ろして開けてみる。中にはぎっしりと書類が詰まっていた。

 まさかと顔を見合わせた私たちはさらに他のも下ろして次々とそれを開けていく。

 

 結果として分かったのは装甲車両の中に所狭しと積み込まれた段ボール箱の中身はどれも書類の束だということ。

 それも普通の書類ではない。

 黒耳さんが私に語って聞かせた警察の不正を示すような内容の書類が、そこにはごまんと存在していた。

 

 私は驚きとやるせなさに手を震わせながら、つぶさにそれに目を通していく。

 

「これは昨年竣工した西区の再開発ビルの建設積算書。こっちは港湾区に作られる予定の産廃処理場の登記図面の写し。他の地区でも似たような内容のものが数え切れないほど。ここにある書類だけでD.U.を網羅できそうです。あとこれは、えぇ……、サンクトゥムタワーの内装工事の受注伝票まであります……。…………これ、全部ヴァルキューレが関わった不正関連の書類ですか?」

 

 この車両の中にあるのだけでも凄い量だ。

 ヴァルキューレはきっとこれを第3分校から運び出していたのだろう。

 ひそかに保管されていた極秘書類たちを一斉に持ち出し、第3分校を文字通り空っぽにした。

 なぜそうしたのかは、おそらく私や先輩のような人間にそれを見られたくなかったからだろう。

 皮肉にもその結果こうして一度に私たちの目に触れてしまったのだが。

 しかしもし先輩がこの場所に気付いていなければ、むざむざともぬけの殻を掴まされていたのもまた事実だった。

 

 私は車内に積まれた段ボールの数を数えながら思う。

 もし他のコンテナにも同じようなものがあるのだとしたら。一体ヴァルキューレはどれだけ長い間不正に手を染め、そしてどれほどの数の不正を抱えているのだろうか。

 途方もない期間、ヴァルキューレはそれを行っていたのかもしれない。そして今目の前にあるものすら氷山の一角であるのかもしれない。

 考えるだけで恐ろしいことだった。

 

「見ろよコマ。こっちは密輸密売に関する資料があるが……この取引リストの品目、違法武器のオンパレードだ。クラスター弾、ナパーム、化学兵器、各種ミサイルも選り取り見取り。下手したらこのリスト一枚で小規模自治区の年間予算をまるまる賄えるくらいの取引額はいってそうだ」

「頭おかしくなりそうです」

 

 私も先輩も微妙に専門とは畑が違うため具体的な数字は算出できないにしろ、多数のテロ組織を摘発してきた経験からその概算くらいは肌感でわかる。

 武器そのものの価格とその仲介料、裏で扱う手数料の相場をアバウトに固定すると先輩の目算も大きくは外れていないだろう。

 

 思わず込み上げてくる怒りのままにポケットから取り出した端末でそれらの書類を手当たり次第に激写していると、ふと傍でサオリさんが動きを止めていることに私は気が付いた。

 彼女の手の中には一枚の紙が握られていた。

 

「サオリさん? そっちにも何かありましたか?」

「……ああ」

 

 返事は寄こせど動かないサオリさんに私は横からそれを覗き見た。

 その手に握られていたのは先ほど先輩から見せられたのと同じ武器の取引リストだった。

 

 先のものと違うのはその取引先。そこには「トリニティ自治区南方救貧連盟」と書かれていた。

 サオリさんはその文字を目を狭めてまじまじと見つめている。

 

 触れてはいけない気がしたが、好奇心に負けて私はそれを尋ねてしまった。

 

「……それって、もしかして」

「ああ、アリウスが物資調達の手段として用いていた偽装組織の一つだ。アリウスは立場上裏組織との繋がりも少なくない。それは主にトリニティ内部に根を張る集団だったが、近年はそれに加えてトリニティ外部からも手を引き入れていた。あの『エデン条約』の調印式会場を爆撃した極超音速兵器もその手の繋がりで外から入手したものだった。……順当にアリウス周辺を固める不自然に膨らんだ資金物資流路の存在に一度も違和感を覚えなかったわけではないが、どうやらヴァルキューレ警察はそのネットワークの形成に一枚噛んでいたらしい」

 

 私はサオリさんに何と返すべきか分からなかった。

 

 寝耳に水なんてことはない。

 むしろ当然予想して然るべきことでもあった。

 何せアリウスはどこよりも武器を必要としている過激な組織であったし、勢力としてもそんじょそこらのマフィアなんかよりよっぽど規模が大きく客としては太い。

 表に流せない兵器の多くを売りつける相手としてアリウスは最高の顧客だっただろう。

 

 ここには被害者などいない。

 ただお互いが昔所属していた組織が、実は裏で繋がっていたというだけの話だ。

 もちろん私にとっては残念な事実だが、その鬱憤をサオリさんにぶつけるのは違う。

 しかし私からサオリさんに恩着せがましく「気にするな」なんて言うのも違った。

 だって私はそんなことを言える立場じゃないし、第一気にしてないなんて嘘だから。

 

 私は迷って、沈黙を返した。

 それはどちらかといえば許容ではなく拒絶の沈黙だった。

 私はそれ以上サオリさんの口から何も聞きたくなかった。

 私の記憶の中には優しいだけの印象のサオリさんを、アリウスという過激派テロ組織と改めて結びつけたくなかったからか。

 未だ記憶に新しいあの大規模テロの犯行に、自らの組織が少なからず加担していたという当事者意識を認めたくなかったからか。

 どちらにしても我儘で自分に都合の良い感情だった。

 

 私の思いに反してサオリさんは言葉を続けた。

 

「ササネは私を恨んでいい。いや恨むべきだ」

「……」

「警察には警察の思惑があったろう。しかしアリウスが警察を利用してその勢力を伸ばしていたことは確かな事実だ。どんな形であれ自らの組織をテロ活動に利用されたササネは利用した側である私に怒っていい」

「組織は組織、人は人でしょう。大体私もサオリさんも既に抜けた人間なんですから、今更そこにこだわって何になるんです」

「だが私はその武器を使い多くの人間を傷つけた。アリウススクワッドのリーダーとして、率先して憎しみを暴力として人々にぶつけた。先生を撃った銃弾だってもしかしたら」

「もうこの話はおしまいです。今ここでする議論じゃありません」

 

 なおも食い下がろうとする彼女に私は一方的に会話を打ち切った。

 

 それ以上は本当に聞きたくなかった。

 聞けばサオリさんに嫌悪の感情を抱いてしまいそうだった。

 恩を受けた相手であるにもかかわらず簡単に嫌いになれてしまいそうな自分が嫌だった。

 

 簡単に整理できる問題じゃない。

 複雑な過程と関係の中にある問題だ。

 彼女だけが悪いということじゃない。私だけが悪いということじゃない。誰が悪いということじゃない。

 

 私は理屈で感情の壁を埋め立て、サオリさんの言葉を受け入れることを拒んだ。

 サオリさんの気持ちを汲むことを拒否して自己中心的な諦観だけで心の内を満たした。

 卑怯だ。

 その本当の心は、散々綺麗事を宣いながらいざ露呈しそうな私の汚い性根を誰にも見られない奥底へと隠したいだけだった。

 

 視線を上げて彼女を見ると、サオリさんはまたあのいつもの感情の読めない視線を私に向けていた。

 居心地悪く私が体ごと彼女からそっぽを向くと、サオリさんはそれ以上何も言わなかった。

 しばらくすると紙や段ボールが擦れる作業の音がしたので彼女は私を見るのをやめたようだった。

 

 ……こういうところも汚い。

 私が露骨に嫌がれば彼女はそれ以上踏み込まないと私は知っている。

 彼女は我を押し付けるより内に受け入れる人だから、強くぶつければ止まるのだと。

 

 親に対して拗ねる子供と同じように私はサオリさんに図々しく甘えている。

 

 本当の身内でもないくせに。

 

 

     本当の身内は捨てたくせに。

 

 

「へぇぁっ!」

 

 びっくりした。びっくりした。

 突如として脳裏に浮かんだ言葉を掻き消すように私はバサバサと乱暴に段ボールの中をかき混ぜた。

 

 意味のない行動。馬鹿みたいな行動。

 思考が煮詰まって呼吸困難で死んでしまいそうだ。

 完全にやりすぎた。だれがそこまで深掘れといった。

 お前はここに埋まってくつもりですか。このアホめ。

 

 混乱する頭と不整脈で暴れ出した心臓を押さえながら、私は即席DJになりきりひたすら箱の中身をスクラッチすることで何とか落ち着きを取り戻そうとした。

 意味がわからないが過熱状態発火寸前の私の脳みそはそれが最適だと判断した。

 

 大脳の命ずるままに髪を振り乱しながら小刻みに書類の上に指を擦らせる。

 後頭葉内部のディスコでは尾刃局長が楽しそうに踊っていた。

 気分いいぜ! 昔を思い出さあ!(存在しない記憶)

 途中背後から「熱で頭がおかしくなったか!?」と珍しくガチ焦りしたサオリさんの声が聞こえてきたが、私はクールに片手を挙げることでそれを制した。

 サオリさんの何か言いたげな雰囲気を背中越しに感じ取りながらも、私はそれに構う余裕もないので無視して一人バイブスを上げ続けた。

 

 そうしてつかの間の排熱処理を終えると、私は何事もなかったかのようにまた作業に戻った。

 ふう、すっとしたぜ。

 まさかこんなタイミングのこんな形であるとも思わぬ地雷が発動してしまうとは。自分でも全く予想できませんでしたよ。

 こんなときは持ち前の能天気スイッチの存在がありがたく感じますね。

 頭の中の会議場では脳細胞たちが「ノリに逃げるな!」「ちゃんと向き合え!」「このクズ!」と非難轟々に叫んでいる。

 うーん騒いでくれるのは良いですけどお前らちょっとうるさいです。

 落ち込むにも反省するにもTPOというものがある。

 今はこんな場所で一人勝手に撃沈してる場合じゃないですからね。

 

 私は辛気臭い感情を深呼吸で一旦全て追い出して、まだ後ろでソワソワしているらしいサオリさんを無視しながら気を晴らすためにも再び目の前の書類に手をつけた。

 

 順序も組み合わせもめちゃくちゃになってしまった箱の中に苦い顔をしつつ、しわくちゃになったそれを伸ばしては持ち上げて捲っていく。

 大半は既に見たものと同じようなもので目新しいものはなかった。

 しかしその中の一部からは私にとって因縁深いものも出てきた。

 

「……ここにもあるんですね、偽造領収書」

 

 もはや懐かしいその内容に少しばかりのノスタルジックすら感じてしまった。

 思えばこれが理由で色々と悩み、吹っ切れ、爆発してここまで来たのだった。

 そう考えると今の私を作ったのもこいつと言っても過言ではない。

 

 私は愛憎籠もった手でそれをなぞる。

 但の欄には備品補充や外注費、修繕費、損害補助費などなど。

 名目はあの日公安局で見たものと大体同じだった。

 

「あーあー、こんなにいっぱい。馬鹿にならない金額ですよこれは、まったく。申請は警備局のものでしょうか。名義だけ見ても分かりませんけど…………あれ?」

 

 当然知らない名前がそこにはあるのだろうと思って目を向けたのだが、私の予想に反してそこには見覚えのある名前が並んでいた。

 尾刃カンナ。更紗シカコ。その他公安局の面々の名前。

 捲れど捲れど、そこにあるのは見慣れた人たちの名前だった。

 詳細に観察してみてもそれは写しではなく、直筆で作成された原本の書類だった。

 

 公安局で作成された領収書が何故こんなところに?

 これがここにあるということは、誰かが第3分校に運んでいたということか?

 なぜ? なんのために?

 

「あの、先輩これ」

 

 私は居ても立っても居られず、疑問への答えを求めて車内に上がり込んで資料を物色していた先輩に声を掛けようとした。

 しかしそこに求めたものを見つける前に、私の第六感めいた感覚が突如として警戒心を一気に最大レベルまで引き上げる。

 不意にどこからか足音が聞こえた。

 いや、"どこからか"ではない。

 明確にそれはコンテナの外側、少しだけ開いている入口の方から聞こえた。

 

 瞬間的にうなじのあたりから冷や汗が吹き出るのと同時にそちらに向くと、見えたのは光。

 そしてそのすぐ後に、熱が頬を焼いて耳の横を風が裂いた。

 

 一瞬、世界から音が消えた後、轟音を立てて炎がコンテナ内を掻き乱し爆風によって全てが吹き飛んだ。

 内蔵、気管、血管までもがまるでひっくり返されたような。

 体の内と外が反転して心臓が直に空気に触れたような。

 芯を溶かして砕く不可視の打撃が私の全身を焼いた。

 

 衝撃に軽々と暴れるコンテナの中で、宙に浮いた私を後ろから誰かが抱えて床に押さえつける。

 私を固定する腕は力強く、激しく(たわ)んで鳴動する鉄の床の上でもそれは少しも私を離そうとしなかった。

 狭い空間内に鳴り響くガラスの割れる音や鉄のひしゃげる音に鼓膜が悲鳴をあげる中、私は右瞼の上に強い熱を感じた。

 

 辛うじて動く左瞼を開けて見ると、そこには嵐があった。

 車両はコンテナ側面や天井に何度もぶつかり、開け放たれていたドアから段ボールが飛び出して書類たちが舞っている。

 それを逃さんとばかりに車両内部から伸びる炎の蛇が空のお腹を満たすために次々と口を開けて食らっていく。

 砕けた装甲車のフロントガラスが細かく散ってキラキラと火の粉と反射して輝く。

 あまりにも暴力的で、あまりにも幻想的な光景だった。

 

 およそ五秒程の時間、熱と衝撃の嵐が私たちを襲った。

 音がおさまった頃には、コンテナ内は車両との衝突でできた傷や散乱した紙、車両から吐き出される黒煙などで酷い有様だった。

 呆然とその様を見やる私を覆い被さっていたサオリさんがまたぐっと押さえ込む。

 

 一体何が起きたのか。

 私は明かりの差し込む方に何も考えず目を向けた。

 爆発で扉が吹き飛び強引に開け放たれた入口の前には、黒い外套に身を包んだ人物が弾頭の欠いた携行ミサイルを手に佇んでいた。

 誰だろうと思う前にサオリさんが勢い良く飛び出してその人物に飛びかかる。

 しかしその影が重なる直前に横から飛んできた銃弾に弾かれサオリさんは横に転がる。

 

 黒い人影によって素早く再装填された追撃のミサイルがサオリさんに向けられる。

 サオリさんは地面を蹴ってそれを避けながら銃口を斜めに走らせるようにして下手人に銃弾を浴びせかける。が、再びそれを妨害するようにもう片方の黒い影がサオリさんへと突進する。

 サオリさんは迫りくるそれを腕で受け止め、蹴り飛ばすことでまた距離を取る。

 

 速い。とても速い応酬だ。

 突然始まった戦闘に私は左眼球を忙しなく動かしそれを目で追いながらも、思考は全く働いていなかった。

 熱と痛みで茹で上がった脳みそでは目の前で動くものに焦点を合わせるので精一杯だった。

 

 床に這いつくばったまま私は何が起きているのか把握することもできずぼうっとただ彼女らの動きを眺めていた。

 三つの影が忙しなく交差する中で、私の左目はある一点に止まる。

 先輩が立っている。サオリさんの後ろ、二人組の襲撃者と相対する位置に。

 

 無事だったのか。

 

 先輩の姿をそこに認めて私は無邪気に喜んだ。

 彼女がいるならサオリさんは大丈夫。

 曖昧な思考でそんなことを考えた。

 視界にちらつく炎の熱で歪む景色の中、私は必死に目を凝らしてそこに佇む先輩を見ていた。

 先輩はおもむろに腕を上げ、その銃口を視線の先に向ける。

 

 その先には    

 

 一発の重たい、お腹に響く大きな破裂音がなる。

 気がつくとサオリさんが脇腹を押さえて膝をついていた。

 先輩は微動だにしない。

 襲撃者の二人組も、サオリさんが膝をついたのを見て動きを止めた。

 

 なぜ。どうして。

 疑問に答えようともギアの外れた車のように思考は空転するだけだった。

 私は霞んでいく意識の中でぐわんぐわんと揺れる頭を押さえてうずくまった。

 もう痛みで限界だった。

 どこが地面かも分かっていない。

 四肢に力を入れようにも感覚がなく、首を動かすのもままならない。

 落ちる左瞼の重みだけが唯一確かに感じられるものだった。

 

 再びその目を開けたとき、いつの間にか見慣れた靴が頭の横にあった。

 ああ、先輩の靴だ。

 私はまた何か粗相をして先輩に足蹴にされているのだろうか。

 力なく見上げた視線の先にあったのは真っ直ぐこちらを向く銃口で、その奥に見えるのは澄ました彼女の顔だった。

 

「…………せ……ん、……ぱい……?」

 

 声は細くしわがれていたが、少しだけ眉が動いていたからきっと彼女には届いていただろう。

 彼女は私の呼び掛けには答えず、無言のまま引き金に掛けた指に力を入れる。

 彼女は私を撃とうとしている。

 その行動の動機にはあらゆる可能性が示唆されていたが、私の意識はそんな細々としたことも意に介さずただ目の前の彼女の表情のみに向けられていた。

 

 彼女の目の中には何の熱も、色も、形もなかった。

 それが当然かの如く、酷く冷徹で無機質な眼差しだった。

 暗闇に共鳴し、ただ光だけを鮮烈に写す渇いたレンズ。

 それは、やはり私には虎の目に見えた。

 

 絶望、拒絶、後悔、呵責。

 どの感情の波が前頭葉に届くよりも早く、暗い穴の淵から放たれた弾丸が私の頭蓋を揺さぶった。

 先程よりも近くで響いた破裂音が骨を伝って鼓膜に届くのと同時に、私の意識は深い闇の底へと堕ちていった。

 

 

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