公安局の石つぶて 作:もずくスープ
キヴォトスにお住まいの皆さん、おはようございます。
今朝は非常に清々しい快晴、天気予報によれば日中通して晴れの様です。絶好の洗濯日和ですね。
衣服の洗濯も大切ですが、皆さんはちゃんと洗濯機の手入れも欠かさず行なっていますか?
服の黄ばみを取ることも重要ですがたまには洗濯機そのものの手入れも怠らない様にしましょう。
でなければ「洗っても洗っても臭い服」という某俳人もかくやな無間地獄編に突入する羽目になりますので。
そしてそれはそのまま心のお洗濯にも通じることです。
ウチの先輩を代表とするターザンよろしく大声を上げてれば自然と悩みも忘れるような野蛮人ならいざ知らず、私のような非暴力博愛主義を掲げる理知的かつ繊細な人間にとってはこれは非常に危険な問題です。
ストレスというのは動物的本能に由来するものですから理性を獲得した人間ほどこの発散方法に困るというわけです。
人は困った結果それを溜め込み続け、そして遂には意図しない形で暴発させてしまいます。
それも理性的な人間が最も忌み嫌う暴力的な衝動として。
現に私は仕事にかまけてその掃除を怠り、気付かぬうちに心の洗濯槽にヘドロを溜めに溜め込んだ結果、ゲームの必殺技の如く尾刃局長に対し「くらえ、ヘドロポンプ! 効果は抜群だ!」と調子に乗って全てをぶち撒けてしまったわけですからね。
挙句には私由来のヘドロまみれになって蹲る尾刃局長に対して、「お前は俺を、裏切ったッ!」みたいな捨て台詞を黄ばみ汚れと一緒にしっとりねっとりと尾刃局長の心になすりつけて颯爽と去るという、まさに鬼畜外道の所業をかましてきてしまった次第というわけです。
その強制リフレッシュの反作用として私はその日の布団の中で猛烈な自己嫌悪と羞恥心に見舞われました、当然の帰結ですね。
そんなこともあり、あの日以降尾刃局長は一度も例の報告会を開くことはありませんでした。
オフィスで顔を合わせることは当然ありますが、尾刃局長は私を見ても何も言わずまた私も何を言うべきか言わざるべきかも分からないので、お互い軽い会釈だけして通り過ぎるという余所余所しい態度に一貫しています。
正直なところ、たとえ不本意な任務であったとしてもそれをきっかけに尾刃局長とお近づきになれたのは事実であり、そのことに関して私は無邪気に喜んでしまっていました。
であるが故に、今となってはもはやその関係性を徹底的に失ってしまったのだということを実感して、やはり寂しい思いを少なからず感じてしまっていることも本当のところです。
しかし今更どの面を下げてもそんなことを言えるべくもないので、私は元の通りに雑用に専念しいつもの如く先輩方のお茶淹れに奔走するのでした。
ちなみに最近はシャーレにも顔を出していません。
任務による強制力もなくなったため私は自ずとシャーレからは足が遠のいていました。
もとより内偵という自らの正義感に悖る行為であるということだけでなく、未だ適切な距離感の掴めないシャーレとヴァルキューレ警察の関係性を悪化させる危険性のある行為とあっては、続ける理由もありません。
先生の周囲に張り付いている他生徒のプレッシャーを無駄に浴びたくもないですしね。
不審な動きを悟られた時にはいつでも関わりを断てるようにと、備えとして先生とは未だ連絡先を交換してはいなかったため、いくら私がブッチしようとも先生からの連絡が私に来ることはありません。
どこぞの生徒会会計のごとく、かんぺき〜な計画です。
まあ向こうも散々私を仕事をサボる口実に使ってくれましたので、これくらいはおあいこということで許してもらいたいものですね。
私が先輩方へのお茶汲みを完了したところで、にわかにオフィスの扉が開く音がしました。
早朝から外出していた尾刃局長が戻ったようでした。
尾刃局長はいつもの鉄仮面を下げてツカツカと局長デスクまで歩いて行き、どかりと腰を下ろして脇に抱えていた書類の束を徐に整理し始めました。
その様子をその場にいた公安局の局員全員が恐々と見守っていました。
尾刃局長はあれからというもの今まで以上に仕事に没頭し、ほとんど毎日どこか外へと出掛けていき誰よりも居残って仕事をしていました。
そのせいか一週間ほどはずっと目の下に大きな隈をべっとりと付けています。
私はその姿を見て罪悪感を感じられずにはいられませんでした。
彼女をそこまで追い込んでしまったのは、今思えば本当に申し訳のないことをしたと思います。
先輩でもなく、同僚たちでもなく、他ならぬ尾刃局長にあそこまで激しく追求してしまったのは完全に私個人の私的感情によるものですから、本来であれば尾刃局長一人がそこまで責任を感じられる必要はなかったのです。
そして、あの日尾刃局長の前で真実を暴き立ててしまった私ですが、それを知ったからと言って何か行動に移すわけでは有りませんでした。
理由としては以前挙げたように、公安局内ですら立場の低い私がいくら声を上げたところで無駄だということは分かりきっているからです。
相手は考えうるだけでもヴァルキューレ警察上層部、防衛室、そして防衛室と協力関係にある最低でも軍事力と呼べるだけの兵力を有した巨大企業。
いくらなんでも相手が大きすぎます、到底一個人で立ち向かえる相手ではありません。
こちらには対応できるだけの武器もありませんし、出せて我々警察が毎年せっせと精を出して作り上げた不正領収書の山というところ。
それも自分たちの首を絞めるだけの証拠ですから何の意味もありません。
勝負の場に持ち込むには最低でも中抜きの事実を明確に示す物的証拠が必要です。それも彼らにまだ隠されていないもの、あるいはしたくてもできないものが。
まあそんな都合の悪いものを私みたいなへっぽこに見つけられるような場所に放置するほど、彼らは馬鹿ではないでしょうが。
結局、私の「根拠はあるが確証のないただの推測」と尾刃局長の「罪の意識による犯行自供」というカードでは弱すぎます。
ゲームだったらレアリティ1のクソ雑魚モブ兵士、辛うじて私よりは強い程度のヨワヨワザコザコです。
武力、権力、証拠、証言、何もかも足りない。元から勝ち目なんてないんです。
それでもと、無謀にも挑戦し哀れに砕け散るということを態々やってのけることに、私は何の価値も意味も見出すことは終ぞできませんでした。
しかし、だからと言ってこのまま公安局の雑用係の椅子におめおめと座り続けるということも、私には考えられませんでした。
ヴァルキューレを取り巻く腐敗の濃霧、その正体を知っていながら無感情に警察職務に殉ずるということにはどうしても耐えられそうになかった。
守るべき市民に背を向けた警察に何の存在価値があるのかと、馬鹿な背後霊が私の後ろから喧しく主張し続けるのです。
どうやら私のゴーストとやらは、大人しく黙っていれば良いものを本人からしたら全くもって余計なことしか囁かないようです。
ですが囁かれてしまった以上それを無視することは、馬鹿なゴーストと同様に馬鹿な私には出来ませんでした。
そして私はその行き場のない義侠的精神に、曲がりなりにも向くべき方向を示してやるための行動を、今日起こすことに決めたわけです。
「尾刃局長、宜しいでしょうか」
「何だ。仕事が立て込んでいる、手短に話せ」
濃い隈を顔に貼り付けた尾刃局長が私の顔を見ずに返事をします。
その冷然とした態度に私の膝は思わず震えますが、ここは言わば私の警官人生における大一番。
今こそ堪えずしてどうする、一世一代の大勝負、ここでやらなきゃ女がすたる。
私はこの後に及んで行動を起こすことを躊躇う情けない自分に、後ろから思い切りケツ蹴りを喰らわせるが如き思いでそれを尾刃局長のデスクに勢いよく叩きつけてやりました。
「誠に勝手ながら、辞表を提出させて頂きたく存じます」
寝不足で充血している尾刃局長の目が見開かれ、乱雑に重ねられている書類の上に私が叩きつけた辞表を彼女は穴が開くほど凝視している。
重々しい沈黙の後、尾刃局長はその鋭い眼光により私を睨み付けて徐に口を開いた。
「……本気か?」
「はい」
「私に失望したため、ここを出て行きたいと。ならば辞表である必要はない、どうしてもそのつもりなら書類はこちらで別に用意してやる。手続きも特例として迅速に行おう。今なら見なかったことにしてやるから、それは直ぐに下げろ」
どうやら尾刃局長は私が公安局に愛想が尽きたために辞表を提出したと勘違いしているようでした。
私はその誤解を解くために、再度丁寧に申し立てます。
「いえ、私はヴァルキューレ警察そのものを辞めようと思っております。つまりヴァルキューレ警察学校を退学したいと、申しております」
「馬鹿を言うなっ、辞めるというのはお前が思うほど簡単なことでは……、異動や転校という選択肢もあるだろうが。一時の感情で取り返しのつかない行為に走るな」
「お言葉ですが、これは私がこの一週間余り熟考に熟考を重ねた上でこれ以外に道はないと、只管に考え抜いた末での判断です」
私の言葉を聞いた尾刃局長は今度こそ冷静さを欠いた様子で、拳を荒々しく机に打ち付けて立ち上がった。
「だからそれが短絡的で衝動的な判断だと言っているんだッ! 学籍を失えばお前は路頭に迷うことになる、自動販売機でお茶を買うことすら困難になるんだぞ! 今まで我々が散々相手にしてきたガラの悪い連中を覚えているだろう、アイツらの中には学籍を失ったことで仕方なくその身をやつした者だって少なくない。お前はあれらと同類に落ちるつもりか!? それでもお前はこの辞表を提出するというのか!?」
「構いません、覚悟の上です」
私が毅然とした態度で意思を表明すると彼女は愕然とした後、今度は立ったまま項垂れてしまった。
本来錦糸のように滑らかだった尾刃局長のブロンドの髪が、手入れされてないせいかボサボサに荒れた状態で彼女の顔を隠してしまう。
私はそれをじっと眺めながら、しかし一歩も引くつもりはなくただ決然たる思いを堅持するために全神経を集中させて尾刃局長の前に立っていた。
掠れた声で尾刃局長が私に尋ねた。
「…………なぜだ。……何故、そこまでして辞めることにこだわる」
「私はもはやヴァルキューレ警察に身を置くことは不可能だと自ら判断したためです」
「……そんなに、…………そんなに私の顔を見るのも、嫌というわけか」
「いえ、尾刃局長には感謝をしております。本年度始から今日という日まで公安局に私の席を置いて頂いた上に、直々に特別な任務を任せて頂いたことは、私の公安局員生活において最上の喜びと共に感謝してもしきれないほどに身に余る幸運でした。その事実を差し置いて、これ以上尾刃局長へ勝手な恨みを募らせるつもりは毛頭ございません」
「では何故だっ。この辞表が私への当て付けでないとしたら、お前は何の動機があってこんな馬鹿げた真似をしていると言うのだ! 答えろ三黒ッ!!」
私に掴み掛かる勢いで尾刃局長が私に迫る。
実際、尾刃局長の手は私のネクタイを掴み引き寄せた。
胸元を引き上げられ、顔を覗き込むような形で尾刃局長に詰め寄られた私は踵が少し浮いてしまう。
後少しで額がぶつかりそうになる程に両者の顔が近づいたことで、それまではっきりとは見えなかった彼女の顔がその表情の委細までもがわかるまでに顕になった。
充血し縮瞳しきった尾刃局長の目は、私を責め立てるというよりはまるで私に縋り付いているように私の目には映った。
目の前の彼女の姿が先日の『子犬』の姿と被る。
私を掴む彼女の腕はまたしても震えていた。
強く食いしばられた犬歯はあの時と同じ、耐え難い恐怖心を押し殺すためか。
尾刃局長が今日という日まで必死で保ってきた局長としての体面が、他の局員もいる今この場で剥がれ落ちようとしていた。
しかし私はあえてそれに意を介さず、私のネクタイを掴む彼女の手を更に上から強く掴み、私を見下ろす彼女を精一杯に睨み上げて口を開いた。
「ヴァルキューレ警察公安局という組織において私は確かに、無能に無能を重ね、サービスにもう一つ無能を貰えてしまうほどの無能です。それは疑いようのない事実だ。元よりいつ公安局を追い出される身とも知れない、先輩方や尾刃局長の温情によって生かして貰っているだけの弱い立場の人間です。どうしようもなくみっともない、不甲斐ない身空でこんな大口を叩くのは本当は許されないことで、全くもって恩知らずにして恥知らずの身の程知らずなことかもしれない。それでもっ……、私はっ!」
私は尾刃局長の手を完全に押さえ込み、再び堂々たる直立姿勢を持ち直して両足を踏ん張った。
たとえ『無能』だろうと『小間使い』だろうと、路傍の『石つぶて』の如き存在であろうとも、その巨大な存在に好き勝手に弄ばせる尊厳などありはしないのだと。
大きな路を構成する数多のちっぽけな石ころの小さな一つに過ぎないとしても、それが警察官としての誇りを損なわせる理由には決してなり得ないのだと。
その『石つぶて』の一投を、私は今まさに投げんと腕を引き絞った。
大きく息を吸い、オフィス全体、いやこのヴァルキューレ警察が所有する建物全体に響き渡らせる勢いで、私は腹に目一杯の力を込めて叫んだ。
「こんな腑抜けの犯罪組織に与するためにヴァルキューレ警察を志願したのではありませんっ!!」
自分でも信じられないほど大きな声が出た。
音は衝撃として空間を叩き、オフィス内の全てを振動させた。
私の目の前にいた尾刃局長はたまらず怯んで後退りしたようだった。
私の声が響き終えると同時に公安局のオフィスは痛いほどの静寂で満たされた。
私はそのまま、自らの本心をありのままに叫んだ。
「公正な態度で不正を取り締まるべく日々活動する警察が! 自ら不正を行い、挙げ句の果てには! 上からの指示だの! 仕方ないことだの! 昔からやってきたことだの! 公然と正義を標榜する警察官が聞いて呆れる!! 無辜の市民を前にしても、貴女達はそんな情けない言い訳をほざくつもりでおられるのか!?」
私のその言葉に返ってくる音はない。
オフィス内にいる誰もが私に言い返すことなく黙りこくっていた。
私のような詰まらない存在に言いたいように言われて、それでもなお黙っているのか。
その事実にすら私は憤懣やるかたない思いを覚えた。
私はその怒りがどれ程のものかを、彼女たち自身に理解させるために私は次の言葉を続けた。
「私は、私なりの信念と希望を持って、警察官を志しました。どれだけ無能扱いされようとも、その気持ちを忘れたことはあの日から一日たりともありません」
そこまで言って私は足に力を入れて踏ん張り、再び腹から大きな声を出した。
「『私は』!!」
しかし今度のそれは荒々しく叩きつけるためではなく、自身の存在とその信念に確たる姿勢と覚悟を伴わせ、自らの公正さに厳然たる態度を示すためのものであった。
「『キヴォトス連邦憲法、法令、条例その他の諸法規を忠実に擁護し、命令を遵守し、警察職務に優先して、それに従うべきことを要求する、団体又は組織に加入せず、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従って、公正に警察職務の遂行にあたることを、厳粛に誓います』!!」
ヴァルキューレ警察学校を志願し入学した全員が同時に、警察官としての使命を背負う日。
私たち警察官がそれを境として、それまでただの少し正義感の強いだけの少女だった身から、本当の意味で連邦という公共体の執行人としての正義を負う者へと変貌した日。
私はその日の壇上で、同期たち皆の前で誓った宣誓文を今度は公安局員たちの前で誦じてみせた。
それは彼女たちを詰るためではなく、その日の自身らを彼女たちに思い出して欲しかったからだった。
そして何より私が示した覚悟が何のための覚悟であるかを知ってもらうためのものでもあった。
「……あの日、入学式の壇上で新入生を代表して皆の前でそう誓った以上、私はその誓文を破るわけにはいかない。ヴァルキューレ内での複数の不正があるという実態を知ってしまった以上は、それに目を瞑りおめおめと警察官を名乗り続けることも、不正の下に卑しくも権利を主張し転学を履行することも、私には出来ない。たとえ他の選択肢がなかったとしても、立場上仕方のないことであったとしても、自らを含めて誰も責めないことだとしても、やはり私には出来ません。それは偏に、その行為によって失われる警察としての尊厳と言うものが、決して私だけの問題ではないからです」
私はじっと黙って私の前に立ち尽くす尾刃局長を改めて見た。
彼女は机に手をついて、私の言葉に耳を傾けていたようだった。
少し離れてしまったせいでやはり顔はその髪に隠れてしまいはっきりとは見えず、私の言葉を聞いた彼女が今何を思っているのか、それは分からなかった。
だが彼女が何を思おうともはや関係はないのかもしれない。
私は辞表を提出すると決めた時から、徹頭徹尾彼女にこの言葉を聞いて欲しかっただけなのだ。
こんなちっぽけな自分でも示せる正義があるのなら、彼女にそれがないわけがない。
それを示したいがために、私はこの決意を面と向かって尾刃局長に表明したのだった。
私が最も憧れた存在である彼女だからこそ、暴力と非暴力という垣根を超えてその威光を私に見せてくれた彼女であるからこそ、私はその最後の言葉を彼女に捧げた。
「あの日の私と私の前に立っていた数百人の同期たちの正義を守るために、私はヴァルキューレを去ろうと思います」