公安局の石つぶて 作:もずくスープ
そうして地上へと上がった私はまずその眩しさに目をくらませながら、次第に明瞭になっていく視界に絶望的な思いを抱きました。
やはり尾刃局長は出入り口封鎖から余った人員を使ってパトカーによる道路封鎖を行っていたのです。
先輩は公安局総動員とか言っていましたがなんか普通にシールド持ちの警備局の連中もわんさかいます。もしかして手の空いてるヴァルキューレ生徒全員引っ張ってきたんですかね。
いや、やりすぎだろ。無能警官一人捕まえるのにここまでやりますか?
尾刃局長、どうしてそういうことやっちゃうんですか?
私のこの熱い脱走への想いはどこにやればいいというの? 宛先不在で返却ですか?
厳戒態勢と言わんばかりに物々しい様子で道路上に目を光らせている監視役たちの姿からは、公安局長直々の命とあってか絶対に私を逃さないという強い意思を感じる。
こんな時ばかり本気にならないでほしい。あなたたち立派な職務放棄ですよ、警察としての職務を全うなさい。
辞表提出即時脱走という公人の風上にも置けない私は自分を棚上げにして私を捕えることに全力をあげる彼女らを身勝手に心の中で非難しました。
私は搬入口の陰に隠れて彼女らに見つからないようにしながら必死で思考を巡らせ、頭の中にあるヴァルキューレ本部ビルの周辺地図にざっと目を通します。
ここら一体はオフィスビルの立ち並ぶ区画ですから道路はどこも広く路地は少ない。
本部ビルを囲むように周辺に立ち並ぶビルの中にはビル間の隙間でかろうじて通れそうな箇所はいくつかありますが、これだけ気合の入った封鎖でそんなあからさまな場所を張っていないわけがない。
下水道はどうでしょうか。
悪くない案に思えますがそれは下水道に難なく侵入できた場合です。
マンホールの蓋というのはそれ専用の棒がなければそもそも簡単には開けられません。
そしてその棒があったとしても重たいマンホールの蓋を私の猫にも劣る貧弱な筋力で開けるには一体何分掛かると言うのか、そんな悠長なことをしている間に見つかっておしまいです。
本部ビルはこのビル群の中でも孤立して建っているため建物内部に戻って窓伝いに逃走という手段も使えない、そもそも現時点でビルの内部に戻ることは自殺行為に等しい。
地上、空中、地下。あらゆる逃走手段、逃走経路を考えてみたがやはり現実的に不可能なものばかり。
そうして残った選択肢は、あらかじめ準備していたその手段のみ。
やはりこの方法に賭けるしかないか。
最後の手段としてとっておいたそれは、本当に最後の時まではできれば使いたくない奥の手だった。
私はここがその最後だと自分に言い聞かせ、ヴァルキューレ本部ビルに面している道路の内で一番広い道路へと姿を隠すことなく進んで行った。
私が道路上に姿を現すと、見張っていたおそらく警備局の生徒が私を指差して何やら他の生徒に叫んでいます。
その後慌ただしい様子で無線連絡し、今すぐ私を捕える気は無いのか注意深くこちらの動きを観察しながらも封鎖を解く様子はありませんでした。
私はそれを視界の端に収めつつ、道の真ん中あたりまで出てどの位置が良いかと周辺をウロウロと歩いていました。
その見分が大方終わったと同時に、本部ビルの正面玄関口の方から一人の生徒が慌ただしい様子で飛び出してきました。
他のヴァルキューレの生徒の壁を掻き分け、厳しい剣幕で息を切らしながら私の前に躍り出たその人は尾刃局長でした。
尾刃局長はそこに私の姿があることを確認するとはあと大きく息を吐いて私に言葉をかけました。
その様子は私が予想していたほど険悪なものではなく、それどころか安堵したような表情でした。
てっきり見つかるなり問答無用でシバかれるくらいのものを覚悟していた私にはそれがかなり意外でした。
「もう追いかけっこは終わりだ。三黒、大人しくオフィスに戻れ。今従うなら今回のことは不問にする」
落ち着いた声で私にそう諭した尾刃局長は、コツコツと規則正しいリズムの音を刻みながら、また私の方へと向かってきました。
しかし今接近される訳にはいかない私は、「来ないでください!」と大きな声をあげてその動きを制止した。
尾刃局長は私の声にまるで銃を突きつけられたかのような反応で硬直し、足を止めました。
尾刃局長と私の間は二十数メートルほどの距離です。
「すみません尾刃局長。その命令には従えません。もう私はヴァルキューレの人間ではありませんので」
「……辞表が正式に受理されるまではお前もヴァルキューレの人間だ」
いいや、違う。そういう問題ではないのだ。
私は心の内で尾刃局長の言葉を即座に否定した。
書面上に私の籍がまだヴァルキューレにあろうとも、私はもうヴァルキューレではない。
辞表の提出、他の公安局員がいる前で公然と行ったヴァルキューレ警察への批判。
それをした時点で私はヴァルキューレでいられる資格を失った。
ケジメとはつまりそう言うことだ。
それが組織を失うということだと私は考えていた。
だから私はもうヴァルキューレではないと答えたのだ。
私がそんなことを考えながら黙っているのを見て、尾刃局長はまた続けて口を開いた。
「もしお前がまだヴァルキューレにいることで、私たちが何かお前に危害を加えたり不利になるようなことをすると考えているなら、それは杞憂だ。私たちは何もしない。だから辞表が受理されるまではヴァルキューレに留まれ。出ていくのはその後でも良いだろう」
「そんな訳ないです。じゃあどうして今捕まえようとしているんですか。何もしないのなら出ていくのが今だろうが後だろうが同じことのはずです」
「それはお前が黙って逃亡しようとするからだ」
「ただの早退けに尾刃局長はここまでするんですか? こんな厳戒態勢まで敷いて私を捕えようとしている時点で、今私を逃がすのはヴァルキューレには不都合だと考えているとしか思えません」
「そんなことはない。私はお前を守るつもりでいる。心配しすぎだ」
「そんなことを言って、また私に嘘を吐くんですか。そうやって無責任な言葉で誤魔化すんですか」
私を説得しようと試みる尾刃局長に私は間髪入れずに反論し続けた。
それは到底筋や理屈を求めてのものではなく、半ば意地のような極めて感情的な反論だった。
オフィスでは隠し通せていた自らの感情が逃走による興奮で徐々に表に出てきてしまっているのを、私は実感しながらも止めることができなかった。
先ほどオフィスで彼女を恨んでいないと言いながらも、私はやはりそれが心に引っ掛かり続けていたのだ。
一向に投降する様子を見せない私に尾刃局長は苦々しい表情で私へ問いかけた。
「お前が私へそんな頑な態度を取るのは、先ほどオフィスで語ったお前自身の正義のためか? それとも…………、私があの日お前へ吐き出した、あの言葉のせいか?」
それは本当の意味で核心的なものだった。
口ではまた反論しようと喉を開くが、漏れるのは息だけで私のよく動く舌は僅かに震えるだけだった。
私はその言葉に何も返せず、ただ俯いて黙ってしまった。
実際、私が彼女から逃げるのも、ヴァルキューレから逃げるのも、本当の理由はそれだったからだ。
簡単な職務すら全うできず、誰にでも出来る雑用しかこなせない、そんな自分を温情で置いてくれる組織への忠誠心すらも保てない。
私がヴァルキューレ警察で最も憧れていた尾刃局長にすらあの日、公安局での存在意義を否定された。
その時に私は完膚なきまでに自分が公安局にいる意味を見失った。
私が公安局の椅子に座り続けてきたことの意義も消え失せてしまった。
私は私自身というものの価値がないことにその時本当の意味で理解させられたのだ。
そのことに絶望し、だからと言って何も変えることができない。変わることができない。
私はヴァルキューレに入学してから卒業するまでずっと、公安局の穀潰しなのだ。
そんな情けない私でも私なりの正義をどうにかして示したい。
本当のところは、その子供じみた我儘のために、私は尾刃局長に辞表を叩きつけようと思ったのだ。公安局員たちの前で啖呵を切ってやろうと決めたのだ。
同期への誓いがどうだと、警官としての尊厳がどうだといったものはあくまで後に付いてきたもので、それに尤もらしい理由を私が見つけたかっただけに過ぎない。
あの時の怒りと正義に嘘偽りはないが、それでもその本当の動機はそんな幼稚なものだった。
組織を変えたいのならそれを行うのは組織の人間でないといけない。それはつまり民族自決という意味で。
私はその道理から逃げて、組織を辞めることで組織の在り方を批判し、自分の正義を押し付けたのだ。
つまり私が行ったことというのは罪人に石を投げた民衆がやったことと同じだ。
組織の人間としての責任を放棄するという罪を背負った時点で私に石を投げる資格はなかった。
それでも私は、私がそこに居た意味を残したいがために、たった一つの小さな波紋であっても、大きな壁には無意味な一投でも、それをぶつけたかった。
そんな癇癪を自分勝手に爆発させて、石を投げ、私はヴァルキューレから逃げたのだ。
私はここで改めて自分の罪を自ら突きつけられ、頭の中が掻き混ぜられるような感覚がした。
同時にこれまで必死に保ってきた「私」を全て失ったような気がした。
オフィスでみんなに啖呵を切った「私」は私じゃない。私が「警察官三黒」としてみんなに記憶してほしかったハリボテの「私」だ。
今ここに立っている私、価値を否定されたことでいじけて立ち尽くしている私こそが本物の私なのだ。
俯いたままの私に尾刃局長はなおも言葉を続けた。
毅然として、自らの存在に揺らぎがない、私が最も憧れていた尾刃局長の姿と声で、その言葉を投げた。
「…………今更遅いかもしれないが、それでも、あの日お前が最後に私に投げた言葉の返事を今させてくれ。お前は紛れもなく公安局の一員で、そして私が守るべき部下であり後輩だ。今日からではない、お前が公安局に配属されたその時からだ。まだ私には帰るべき正義など見つからないが、少なくともそれを思い出せた。お前が思い出させたんだ。お前の言葉があれば、私にもいつか帰るべき正義が見つかるかもしれない。だから私は、ここでお前を失う訳にはいかないんだ。私たちは何もしないし、他の連中にもさせない。今度は間違いなく私の責任でそう断言する。取り敢えず今は、戻ってこい、三黒」
その言葉は、良くも悪くも私の心をこの上なく揺さぶってしまった。
尾刃局長が言い聞かせるように私に言ったその言葉は、思わず泣きそうになってしまうほど私には嬉しい言葉だった。それは私が本当に必要としていた言葉だった。
誰にも必要とされずただ腐していただけの私に何よりも効く薬だった。
ここにいる私はもう「私」ではない。
また元のように拗ねて不貞腐れているだけの私だ。
それなのに今、尾刃局長は「私」が必要だという。「私」に戻ってこいと言う。なんて残酷なことを言うのだろう。
なぜ今になってそんなことを言ってくれるのか。
もっと早くにその言葉を聞きたかった。
今の丸裸の醜い自分にはそんな言葉を掛けられる資格はなかった。
私は我儘のために背負った罪を正義という聞こえの良い言葉で誤魔化し、さらにその石を投げた相手からも逃げるという罪を犯した。
それを知っても、まだ彼女は私が必要だなどと言うのか。
ここで本当の私をぶちまけても彼女はまだそんなことを言うのか。
もしそうだと言うのなら、私は、…………わたしは。
私は心の中で迸る混沌とした感情を抑えるために奥歯を食いしばり、手前まで出かかっていた言葉と涙を必死で堪えながら、それでも尾刃局長に否を突きつけた。
「それでも、できません。私は、ヴァルキューレには戻りません」
声は弱々しく震えていたが、私はその意思だけは貫き通した。
本当は自分がどうしたいかなんて考えるまでもないが、それでも私はそうするわけにはいかなかった。
ここまでやってしまった以上、戻るべき家は私にはない。
そして組織にもそんな我儘な家出娘を親切に戻してやる理由はない。
「そうか。…………ならば、力ずくでも連れ戻す」
しかし反抗期の娘のような私の拒絶を聞いてもなお、尾刃局長は無理矢理だろうが私を組織に戻すと言った。
口での説得を諦めた尾刃局長は再び私の方へと歩き出した。
嬉しいやら、恥ずかしいやら、苦しいやら、寂しいやら。
色んな感情がごちゃ混ぜになっていた私は、制服の袖で目に滲んだ涙をがしがしと乱暴に拭って眼前の尾刃局長をきっと見つめた。
まあ、やっぱりそういう展開になりますよね。わかってました。
ここでもやはり、衝突は避け得ない。
こちらに近づいてくる尾刃局長が私を捕えるために十分な距離を得る前にと、私は肩にかけていた鞄へと素早く手を入れてそれを取り出す。
私の用意していた最終手段、奥の手である。
尾刃局長は私の動きに警戒して止まったが、私が取り出したそれを見て怪訝な顔を浮かべた。
それはどう見ても巨大な水筒のようにしか見えなかったからだ。
秘密兵器第二弾。ミレニアムのエンジニア部特製、強制加速装置である。
私が白石部長に依頼していた武器はマキビシだけではなかった。
いざ捕まった時や囲まれた時にその場から離脱することを考えてそれを彼女に頼んだのだ。
そして私は今この包囲網を、自らの体をぶっ飛ばすことで正面から突破しようとしているのである。
先輩に使ったマキビシのえげつなさを考えると本当に使って大丈夫かと怖い感じもありますが。ま、まあ大丈夫でしょう。
エンジニア部も使用者の体を無視した機械は流石に作らないでしょう。技術者として安全管理は徹底しているはずです。
ダストシュートの時も死ななかったし、今回もきっと大丈夫。いけるいける。
若干危険意識が馬鹿になっている私は白石部長から事前に説明してもらった通りに、その円筒の曲面を両手で掴み左右に引っ張った。
すると筒はガシャンと両側に伸びて両側に頭のついたハンマーのような形をとった。
その持ち手の中央部には背中に装着するための固定具とベルトが備え付けてあり、コードで繋がれたボタンが一つ。
突然謎の装置を取り出し展開した私に尾刃局長と他生徒たちがぽかんとしている間に、私はその思惑を悟られる前に素早くそれを鞄の紐の上から背中に装着してベルトをしっかりと締めた。
よし、あとはこのボタンを押せば。
私は一息つくまでの間も与えずそれを一気にやって、手のひらの中のボタンを強く握りしめた。
「ん? あれ、故障ですか?」
白石部長から「ボタンを押せば一気に加速してみるみるうちに遠くへ行けるよ」と聞かされていた私はてっきりすぐに加速し始めるのかと思っていた。
そのために前傾姿勢をとり衝撃に構えていたというのに。
しかし私の予想に反して機械は唸りを上げて震えるばかりで一向に加速しない。
ま、不味いぞ。何をする気なのか察した尾刃局長たちが急いで私を捕えようとこちらに駆け出してきている。
た、頼むから動いてくれ! 天下のミレニアム製だろ! こんな時まで神様は私の邪魔をするのか!?
そんな私の必死な感情をそっちのけに、腰につけた機械はやっとエンジンの点火を始めた。
が、しかしやはりそれは私の予想していた挙動とは違ったようだった。
ゴゴゴゴ、という地響きのような音を立てて火を吹く加速装置は斜め後ろではなく垂直方向、つまり真っ直ぐ地面に向けてに火を放っていた。
慌てて私が姿勢を戻して直立状態になっても、ジャイロセンサーでも入っているのか火は地面に向いたまま固定されている。
そしてひとつ大きく爆発したと思ったら、私の体は宙に浮いていた。
三メートルほどの高さで宙に固定されている私を、眼下の尾刃局長や他のヴァルキューレの生徒たちがぽかんと口を開けて見ている。
同じく口を開いて思考停止してしまった私を他所に、機械はもくもくと白い煙を出し続けている。
それはまるで、ロケットが飛ぶ前段階のエンジン点火の様子みたいで。
ま、まさか。嘘だろ。加速装置ってそういう……。
瞬間、更に爆発的に勢いを増したブースターは急加速を開始し私を空の彼方へと打ち上げた。
私の体は一瞬でヴァルキューレ本部ビルの高さを抜き、更に高いビル群すらも数秒もしないうちに抜き去ってしまった。
圧倒的加速力による重力負荷で私は声も出せないままキヴォトスの遥かな空へと昇っていった。
拝啓、キヴォトスに暮らす皆様方。
キヴォトスという大地はかくも美しい形をしているのですね。
烈々たるゲヘナのヒノム火山、雄大なアビドスの砂漠、洗練されたトリニティのスクエア。
ああ、遠くに見えるサンクトゥムタワーの全体像があんなにも綺麗に見えます。
こんな高度から生身でアレを見るのは、キヴォトス広しといえども私が史上初なのではないのでしょうか。
現実逃避する私の思いなど露も知らず、機械はまだまだ私を上へ上へと押し上げていく。
加速に加速を重ねたロケットブースターはもはやD.U.全体が優に眼下に収まるほどの高度まで私を打ち上げていった。
その日私は宇宙を見た気がした。
なぜ人が
キヴォトスの空を覆う巨大な光輪は地上からでは大きすぎて、その形をしっかり把握しようとすれば首が疲れ果てるほど見回してもまだその全容が見えないくらいには遼遠。
この世界のものでありながらまるで別の次元にあるもののような感じすら覚えるものだった。
それが今はこんなにも近い。
キヴォトスの空は青く、どこまでも青く輝いていた。
私は今その青の中に一本の線を引く鳥となった。
機械の羽は溶けることなく、私はその青の中へと深く、深く沈み込んでいった。
爆発的推進力でキヴォトスの大空と一体化した私は、その日を境にミレニアムが嫌いになった。