フリーレンがあまり出てこないフリーレンの短編集 作:あまつか
勇者ヒンメルの死から18年後。
中央諸国 聖都シュトラール郊外。
森の中にひっそりと建つ一軒家。
そこにフェルンとハイターは暮らしていた。
「それでは、この恵みに感謝を捧げましょう」
ハイターの言葉を受けて、フェルンは手を組み合わせる。
食卓に並ぶのは柔らかなパンと、湯気の立つ茸のスープ。
不揃いの野菜と茸が煮込まれたスープは、フェルンの努力の賜物だった。
「――ハイター様」
「ええ。あなたのスープは、実に味わい深い」
パン以上に柔らかな笑顔でハイターは言う。
フェルンが何かを食べる時、そして料理を作った時。
ハイターは穏やかに微笑んでフェルンのほうを見てきた。その顔には、どこか安堵のようなものも感じられた。
「フェルン、たくさん食べてくださいね」
「私を太らせて、食べてしまうおつもりですか」
かつて両親と暮らしていた頃に読んだ絵本だ。
森の奥に住む魔法使いは、迷い込んだ兄妹を太らせて食べようとする。
フェルンの冗談に、ハイターは歯を見せて笑った。
「それも悪くないですが、私はパンとスープが大の好物でして」
「よかったです。今日のスープは、お野菜まで残さず食べていただけるのですね」
「……ええ、もちろん」
地味に偏食家らしきハイターのため、フェルンは今回、彼の苦手そうな野菜を細かく刻むようにしてみた。その工夫と労力が報われるなら、それに越したことはない。
そうしてハイターは老人特有の感情の読めない笑みを浮かべたまま、スープを完食してくれたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
祈りと食事。
魔法の勉強や読書。
森の中の散策。
時々聖都への買い出し。
ハイターとの日々は、そうして穏やかに過ぎてゆく。
このような生活が送れるようになるとは、フェルン自身も思っていなかった。
あの日、断崖の縁まで歩を進めた自分にかけられた言葉は、今でも心の中にある。
――今 死ぬのは勿体ないと思いますよ。
「死ぬな」ではなく「生きろ」でもない。「勿体ない」との一言が、なぜかフェルンの足をその場に留めさせた。
それはきっと、左手に握りしめた思い出の重みだった。
ただ、ハイターとの暮らしの中で、フェルンの考えも少しずつ変化してくる。
思い出は大事だ。しかし、この先も生きてゆくには、それだけではいけないのだと。
こうしてフェルンは色々なことを学ぶようになった。
料理の仕方もそうだし、魔法の使い方もそうだ。
けれどもそれ以上にフェルンが知りたいと思ったのは、もっとも身近にいる人物。
すなわち、ハイターその人のことである。
ハイターは聖都の司祭であり、隠居を考えた身であり。
とある村の孤児院出身で、後の勇者ヒンメルと同郷であり。
10年にわたる旅の末に魔王を討ち果たした勇者一行の一員だった。
そしてもうひとつ。
ハイターという人物を知る上で、抜きにすることができないものがあった。
◆ ◇ ◆ ◇
「ハイター様は、本当に美味しそうにお飲みになりますね」
夕食後。
夜の帳も下り、辺りからは昼とはまた違った鳥の鳴き声が聞こえてくる。
吊り下げられた灯りに照らされ、グラスに注がれた琥珀色の液体が煌めく。
ハイターはそれを呷り、フェルンに微笑みかけた。
「これはお薬ですからね」
「お薬、ですか」
「ええ。百薬の長です。こればかりは止められません」
顎に指先を当て、フェルンはしばし黙考する。
フェルンの知る限り、ハイターは責任感のある大人で、幅広く深い知識を蓄えており、人徳を備えた聖職者だ。
他人を思いやる心を持ち、人助けのためなら労を惜しまない。
実際、森に迷い込んだ旅人を案内したり、聖都での買い出しの時に露店の陳列棚からこぼれ落ちた果物を拾ったり、といったことは日常茶飯事だった。
そんなハイターが「薬」を飲むのはどうしてなのか。
聖典にある《健やかに生きよ》との教えに従っているという理由もあるだろう。
だが、それ以上に当てはまると思われる理由がひとつある。
それは、人助けのためだ。
ハイターはよく他者を助ける。
目が合うと、「ヒンメルならきっとそうしていましたから」などと言うが、それは謙虚さの表れだろうとフェルンは考えていた。
単純な話、ハイターが健康で長生きをすればするほど、彼に救われる人も増える。
だからこそハイターは「薬」を飲み、健康に気遣うのだろう。まさしく聖職者の鑑だ。
完全に理解したフェルンがハイターに向かって発する言葉は、ゆえにこれ以外あり得なかった。
「ハイター様は、本当に素晴らしいお方でございますね……!」
「え、っ……?」
その瞬間のハイターの表情は、今までにフェルンが見たことのないものだった。
敢えて表すなら、
フェルンは、なぜか自身の胸中に強い拍動を感じた。
「あ、あー。そうでしょう、そうでしょう。はっはっは」
フェルンの戸惑いが伝わってしまったのか、ハイターはすぐにいつもの笑顔に戻り、軽くグラスを振ってみせた。
だが――。
フェルンは無意識的に胸を押さえる。今しがたの表情はどういうことなのだろうか。
普段のハイターは穏やかな聖職者然としていて、ある意味ではフェルンに本心を見せてくれていないような節があった。まるで「かくあるべし」という仮面を付けているというか、何かの振りをしているというか……。
それがほんの一瞬、揺らいだように感じられたのだ。
――どうしてなんだろう。
フェルンは優秀だ。ハイターもよくそう言って褒めてくれる。
ゆえに、すぐ結論に至ることができた。つまり、ハイター様はあまりにも率直に褒められて気恥ずかしかったのだ、と。
褒められてちょっと恥ずかしくなる気持ちはフェルンにもよくわかる。ハイターはフェルンが何を行っても褒めてくれるが、嬉しさと綯い交ぜになった恥ずかしさを覚えることもしばしばだった。
けれども、だからといって褒められたくないわけではない。
フェルンは決意した。自分もハイター様の素敵な部分をもっと褒めるべきだ、と。
ただ、なんでもかんでも褒めるのはいささか軽薄になってしまうし、もしかしたら失礼に当たるかも知れない。
なので、そう。ハイター様が「薬」をお飲みになる時にだけ――。
◆ ◇ ◆ ◇
「あっ、ハイター様、お薬の時間ですね。本当に素晴らしいです」
「そ、そうですか? はっはっは」
「ハイター様、今宵もお薬ですか。素敵ですね!」
「そう、ですかね。いや、はっはっは」
「お薬をお飲みになるハイター様、実に素晴らしい……!」
「はっ、はっ、は……」
◆ ◇ ◆ ◇
数か月後。
心なしかやつれた面持ちのハイターは、フェルンに向かって神妙に告げた。
「もう飲むのをやめます……」
フェルンは驚愕した。
ハイターといえば薬。薬といえばハイター。
百薬の長なのにどうして……。
目で疑問を投げかけるフェルンに、ハイターは苦笑交じりで答える。
「確かにこの飲み物は素晴らしい薬ですが、なにしろ効能が高いものでしてね。とり過ぎると毒になってしまうのですよ」
だからあなたにも「まだ飲んではいけない」と言いましたよね、とハイターは続けた。
純粋な力が体内に満ちている子供には、強い薬も毒となりかねない。なのでこれは飲んではならないのだと、かつてフェルンに対してハイターは言い聞かせたことがある。
そうした経緯もあり、フェルンの優秀な頭脳は完璧で究極の理解に至った。
「ハイター様は、純粋になられたのですね……!」
幼子は純粋で、それゆえ強い薬が毒になるという。
大人になるにつれて不純なものが身体に蓄えられていくから、強い薬も毒にならない。
しかし、ハイターはあまりに聖職者として徳を積み過ぎたため、幼子のごとき純粋な力を取り戻してしまったのだろう。
だから、もうその「薬」は飲めないのだ。
「――そういうことですよね、ハイター様!」
身を乗り出すようにして言うフェルンに、ハイターは。
「……………………そういうことです。ええ」
まさしく聖職者と呼ばれるに相応しい笑みを向けたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
勇者ヒンメルの死から20年後。
中央諸国 聖都シュトラール郊外。
森の中の家を訪れたのは、フリーレンである。
旧交を温める、というほどの感慨もなく挨拶を交わしたフリーレンは、家の中に招き入れられて、傍らを歩くハイターに話しかけた。
「墓に供える酒、買ってきちゃったけど一杯やる?」
「酒はもうやめたんです」
ハイターの返答に軽く驚きつつ、フリーレンは肩をすくめた。
「そう。今更いい子ぶったって女神様は許してくれないと思うけどね」
「はっはっは」
ハイターはかつてのように笑う。
しかし、その複雑な表情の意味をフリーレンが理解できるようになるまでには、まだいくばくかの年月が必要なのであった。
ハイター「いっそ生臭坊主と呼んでくれたほうがどれほど気が楽だったか……」
-----
『葬送のフリーレン』、いいですよね。
第28話「僧侶と後悔」3ページ、5コマ目のフェルンの表情がなんか良かったので生まれた話。
お読みくださった方に感謝を。