フリーレンがあまり出てこないフリーレンの短編集 作:あまつか
勇者ヒンメルが魔王を討伐してから約60年後。
とある国の宮廷内の執務室にて。
宮廷魔法使い。
それは国の魔法使いの中では名実ともに頂点といえる存在であり、国をも動かすほどの権力を行使できる地位だ。数多の権力闘争に勝ち抜き、そんな宮廷魔法使いの地位を手に入れたデンケン。彼は今、深刻な悩みに囚われていた。
――俺には決定的に不足しているものがある。
陰謀、策謀の渦巻く宮廷内で生き残るためには、自身に欠けているものをいち早く把握することが不可欠だ。弱点を政敵に晒していればそこを早晩突かれ、無様に追い落とされてしまう。そのような隙を見せなかったからこそ、デンケンは今日の権勢を得たのだ。
しかし、人間の求めるものには際限がなく、人間の欠点もまた限りがない。ここまで成り上がったデンケンにさえ欠如しているものがあった。それは――。
――そう、威厳だ。
◆ ◇ ◆ ◇
元々デンケンは大柄な体格ではなく、しかも加齢とともに背が縮んだ節もあって、お世辞にも見た目に迫力があるタイプではない。目つきこそ鋭いとは言われるものの、それだけでは威厳があるというより単なる悪人面である。
彼なりに考え、40代半ばあたりから口ひげを伸ばすようにしてみた。あまり若いうちからひげを伸ばすと、生意気な若造だと年長者から睨まれかねない。40代に差し掛かったあたりから「まあ魔法使いなんだしひげぐらい生えてても……」という空気が、騎士連中を中心に出てくるのである。ここらへんの空気感を掴むのも権力を握る上では重要だ。
が、足りない。
口ひげは確かに魔法使いデンケンの雰囲気作りには一役買ったが、それでは「ドワーフっぽいおじさん」になるだけだ。別にドワーフっぽいのが悪いとは言わないが、それは威厳とは別の話である。
――威厳、威厳か。俺にはよくわからない。どうしたものかな、レクテューレ。
地位が地位だけに、おいそれと悩みを他人へ打ち明けるわけにもいかず、デンケンには脳内で愛する妻に話しかける癖がついていた。レクテューレの思い出は、数十年経とうと彼の心を慰めてくれる。
脳内レクテューレは、花開くような笑顔で即答してくれた。
『簡単な方法があるわ、デンケン。その「俺」っていうのを変えてみましょうよ!』
――何っ!?
デンケンは驚愕した。いかに妻にぞっこんだった彼とはいえ、脳内でのレクテューレはあくまでも自らが生み出した虚像に過ぎないと自覚している。つまり、自分の願望の反映だ。
――俺はもしかして、この『俺』という一人称を変えたいと思っていた……?
デンケンは机の上に置いてある鏡へと視線を向ける。そこには年相応にくたびれた壮年男性の顔が映し出されていた。役職柄、人前に出ることも多いので髪はしっかりと撫でつけてあり、口周りを覆うひげも丁寧に整えてはいるが、それでもくすんだ感じがするのは否めない。輝く黄金の傍らに置かれた錬鉄のように。
――うーむ、こんな冴えない風体のおっさんが今更一人称を変えてみたところでな……。
『大丈夫よデンケン。何かを変えるのに遅過ぎるということはないわ。あと、あなたは十分イケてる』
――そうか。
最愛の妻の一言は、いつだってデンケンに一歩を踏み出す勇気をくれる。
◆ ◇ ◆ ◇
デンケンは悩んでいた。
一人称を変えるのはいい。問題はどう変えるかだ。候補はいくつか考えられる。
・「私」:無難だが、別に威厳が出るわけでもないし、公的な場では元々使われる一人称だから代わり映えしない。
・「僕」:これはどちらかというと可愛らしさを出すためのもので、デンケンのような人物が用いると、あざとさが出てくる。あと威厳からはむしろ全力で遠ざかる。ちなみに脳内レクテューレによれば『これはこれで』との評。
・「我」:攻めた感じにはなるが、偉そうな感じが前面に出てしまうのが難点。帝に対する越権の叛心ありと勘ぐられかねず、リスクも大きい。脳内レクテューレも『ちょっと違うかな』との評。
・「デンケン」:掟破りの自分の名で自分を呼ぶやつ。幼い子供だと微笑ましいが、いい歳をした人間がやっているとドン引きされる。デンケンがやると周りから心配され、引退を勧められる可能性が高い。脳内レクテューレはノーコメント。
以上のような検討を経てデンケンは、やはり「
――よし、「儂」だ。俺は俺のことを「儂」と呼ぶぞ……!
『いいわね。「儂」って言っているあなたも素敵よ、デンケン』
脳内レクテューレのお墨付きも得て、デンケンの決意は固まった。言語による自己規定は、内面の変革にもつながる。良い言葉を用いれば善良になり、悪い言葉を使えば気分が荒んでくるようなものだ。
とりわけ魔法使いにとっては、自分をどのように捉えるか、自己認識が重要となる。宮廷内の闘争で勝ち抜いたデンケンが、これからも勝ち続けるには、こうした内省も求められるのであった。
◆ ◇ ◆ ◇
デンケンがすっきりとして顔を上げたちょうどその時、執務室の扉がノックされた。
入室を許可すると、若い使用人が入ってくる。
「デンケン様、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
使用人はデンケンの顔を見ると、ふっと微笑む。
「何やら清々しいお顔をしていらっしゃいますね」
「む、そうか?」
「ここのところ、ずっと思い悩んだような表情をされていたので」
デンケンの表情は変わりにくく口調も淡々としているので、その内心には気づかれにくい。「何を考えているかわからない人物」だと彼を評する人間も少なくなかった。だが、ある程度の付き合いがある人間にとっては、むしろわかりやすくなるらしい。この使用人もそうだ。
「まあ、そうだな。歳を取ると色々あるものだ……」
もちろん、デンケンはいかなる悩みごとがあったところで、それを使用人に軽々しく打ち明けるようなことはしない。これは秘密主義であるとか守秘義務であるとかの前に、使用人を守るためでもある。政敵から主の秘密を知っていると見なされた側仕えの末路がどのようなものかは、古来ひとつしかない。
使用人の側もそれを弁えており、デンケンの目の前で丁寧にお茶を注いでくれる。薄い黄金色に輝く液体を見るともなしに見ながら、ふとデンケンは思った。
――今が絶好のチャンスなのではないか?
デンケンは使用人たちに対して、基本的には「私」という一人称を用いていた。宮廷内は彼にとって職場であるため当然なのだが、宮廷魔法使いの地位にある今のデンケンなら、別に自らをどう呼ぼうと目くじらを立てる者はいない。そもそもデンケンより年長者がほとんどいないのである。
お茶を淹れてくれている使用人は、若いとはいえ身元の確かな人物だし、デンケンにとって新たな一人称を試すには格好の相手だ。
「デンケン様、お茶をどうぞ」
「うむ」
デンケンはお茶の入ったカップに口をつけ、思考を高速で巡らせる。
――さて、何と言えばいいか。不自然に一人称を出すのも浮いてしまう。そうだ、せっかくだからお茶への感謝と合わせればいいのではないか。つまり『いつも美味しいお茶を淹れてくれて、儂はありがたく思っているぞ』。これだ……!
デンケンはカップを皿に置くと、使用人に視線を向けた。
そしておもむろに口を開く。
「あー、いつも美味しいお茶を淹れてくれて、わ、たしはありがたく思っているぞっ」
――しまった!
デンケンは内心で舌打ちした。
使用人は一瞬不思議そうな顔でデンケンを見てきたが、笑顔になって深く礼をする。
「過大なお言葉。こちらこそありがとう存じます。それでは失礼いたします」
静かに閉められた執務室の扉を見ながら、デンケンは思わず頭を抱えた。
一人称を変えるのは、思ったより困難なようだ。
◆ ◇ ◆ ◇
こういうのは慣れである、とデンケンは経験上知っていた。
軍隊上がりのデンケンは魔物や魔族との実戦も経験している。最初に魔物と相対したときは、いかにマハトとの模擬戦を繰り返していたとはいえ、杖の先が少し震えたものだ。
しかし一度攻撃魔法を撃ってしまえば、あとは身体が勝手に動いた。
一人称を変えるのだって同じようなことだ。一度そのように話してしまえば、あとは自然と馴染んでいくものである。
とはいえ、いきなり一人称を変えるのも気恥ずかしい。昨日までうっすらと風通しの良さそうな見た目だった人物が、いきなりフサフサになっていたらどう思われるか。「私・俺」→「儂」という変化には、そうした違和感が付きまとう。
――うーむ、どうしたものか。
初対面の相手しかいない場で「儂」と言う。これは一つの手だ。相手は元々のデンケンの一人称など知らないのだから、違和感も何も生じまい。当たり前のように受け入れられるはずだ。
が、この作戦には問題があった。宮廷魔法使いほどの地位に成り上がったデンケンが、まったくの初対面の人物と一対一で顔を合わせる機会というのが、ほとんどないのである。そばには騎士が控えていたり、使用人がいたり、部下の魔法使いが同席していたりする。誰かがデンケンに会おうとすれば、原則として仲介者の存在は不可欠だ。
――その中には当然、元々俺を知っている人間が含まれるわけで、どうにもならない。
しばし黙考し、やがてデンケンは立ち上がる。
自分が今の地位に就く上では、多くの人々に助けられた。八方塞がりに思えたときには、人脈を活用すればいい。つまり、この場合は気心のしれた旧友の存在を。
◆ ◇ ◆ ◇
「やあ、レルネン」
「おお、デンケンじゃないか。久しぶりだね」
レルネンは両腕を広げ、邸宅を訪れたデンケンを歓迎した。
一級魔法使いレルネン。
彼が宮廷勤めをしていた時代においてデンケンの同期であり、親しく話した仲である。デンケンがする妻との惚け話を聞き、その妻が亡くなってからは思い出話を聞いた。今や本人以上にデンケンの妻のエピソードに詳しいのではないかというほどだ。
「こうして君と会うのは一昨年ぶりか。わ、俺も会って話したいと思っていたんだ」
「そうだね」
レルネンはデンケンの不自然な調子に内心で首を傾げるが、そのまま応接室へと招き入れる。ソファに向かい合って腰を落ち着け、レルネンは口を開いた。
「どうだい、宮廷魔法使いは。さぞかし忙しいんだろう」
「ああ、わ、俺もそれなりに覚悟していたが、やることは山積みだよ」
「そうか……」
長年の付き合いがあるレルネンでなくとも、今のデンケンの挙動が妙であることには気づけただろう。どこかそわそわしているというか、もじもじしているというか、彼に似つかわしくない様子であった。
使用人がお茶と茶菓子を運んできて、テーブルに並べる。応接室に上質な紅茶の香りが広がった。
彼女らが退室したタイミングで、レルネンは意を決して聞いてみた。
「先ほどから気になっていたんだが、今日の君は何かおかしいよ。まるで初恋の相手への告白をためらう少年のようだ」
「馬鹿を言うな。俺が想うのはレクテューレだけだ」
「あっ、そこはいつも通りなんだね」
レルネンは少し安心したが、だからといって気がかりが解消されたわけではない。デンケンの様子はやはり変であった。
「なあ、君と私の仲じゃないか。何か問題があるなら遠慮なく言ってくれ」
「……うむ。元々そのために来たのもある。レルネン、笑わないで聞いてほしいんだが」
デンケンの真剣な面持ちに、思わずレルネンはごくりとつばを飲み込む。宮廷魔法使いともあろう旧友の悩みとはなんなのだろう。
「俺は、威厳を身につけたいんだ」
「いげん」
虚を突かれたレルネンはオウム返ししてしまった。いげん。イゲン。威厳……。
「そ、そうか。威厳か」
「ああ。そのための方法として、自分のことを『儂』って呼ぼうと思うんだが、どうだろうか?」
どうだろうか? と言われても困る。レルネンはゆっくりと紅茶を飲んだ。背中にじんわりと汗が滲む。ひょっとして何かからかわれているのだろうか、と室内を見回したが、ここは自分の邸宅だ。仕掛けがあろうはずもない。
確かにデンケンは真顔で冗談を言うようなところがあった。だが、今の彼はふざけているようには見えない。ならば、真面目な話なのだろう。
レルネンは一呼吸おき、デンケンを見た。
「威厳、大事だよね。うん。宮廷魔法使いだし。いいんじゃないかな、儂。君にも似合っている感じだ。たぶん」
「そうか……そう言ってくれるとありがたい」
少し顔を伏せ、嬉しそうな様子になるデンケン。ほとんど表情は変わっていないが、レルネンほどの付き合いになればわかるのだ。
「だけど、それの何が問題だと言うんだい」
「長年、『私』と『俺』で来てしまったものでな、今更『儂』に変えるのもいささか……」
「なるほど」
思春期だなコレ、とレルネンは理解した。思春期の男の子が同年代の友人と関わる中で「僕」から「俺」に変えようとするときに直面する感じの悩みだ。それをこの歳になって思い悩むとは。
――いくつになっても若々しい奴だな、デンケン。
レルネンは内心で微かに笑うと、真面目な面持ちでデンケンに視線を向ける。
「君もわかっていると思うが、こういうのは慣れだ」
「だろうな」
「なので、私に向かって言ってみてくれ。思い切って」
デンケンはレルネンを見てきた。ふたりの視線が合う。
レルネンは頷いて見せた。
「……儂はデンケン」
「声、小さいよ」
「儂はデンケンだ」
「もうちょっと!」
「儂は、デンケンだ」
「もう一声! 重々しく自信に満ちた感じで!」
「儂は――」
「――儂は宮廷魔法使い、デンケンじゃぁぁぁぁッ!!!!」
◆ ◇ ◆ ◇
「…フリーレン。…どれほどの年月が経った?」
「さあ。一時間くらいじゃない?」
「俺は…」
「俺?」
フリーレンによって
彼女に己の一人称を聞きとがめられたデンケンは、内心で苦笑した。威厳を出すために自分を「儂」と呼ぶなど、格好ばかり付けて馬鹿みたいだ。
だが、そんな馬鹿だからこそ追い求められるものがある。馬鹿になってこそ、成し遂げられることがある。
こちらに向かってくるのは黄金郷のマハト。七崩賢最後にして、最強のひとり。
デンケンは追憶を振り払い、前を見据えた。
デンケン、いいですよね。
彼の良さは色々とあるのですが、とにかく魅力的だと思います。
見た目に反してアグレッシブだったり、存外若々しかったり。
第98話「報い」より着想を得て生まれた話。
お読みくださった方に感謝を。