本編の前にいくつか前置きをさせて頂きます。
これまでのエピソードでラブラが車に轢かれたり、高い所から落ちても復活するような描写がありましたが、これは彼がいずれ変身するオルフェノクの固有能力の一つが発現したものであるので、この作品でラブラが死亡したのは第1話のみである事を述べておきます。
これ以降も他の固有能力によって彼の身に様々な現象起きる予定ではありますが『オルフェノクにそんな能力描写なんてない』と思われるかもしれませんが、私の勝手な独自解釈なんだと受け止めて頂ければと思います。
今回は残酷な描写や不快な表現、直接的ではないものの性犯罪的な描写があります。ご注意ください。
「~♪」
幼稚園で行われている作品制作にルビーはだいぶ興に乗ってきたようで、最後の紙人形を鼻歌まじりに作っていた。 そんな彼女の幼稚園の園長が声をかけてきた。
「あら~ 上手に可愛くできたわね。 それは誰のを作ってるの?」
「これ? ママを作ってるの!」
ルビーの返事に園長は首を傾げ、アクアの席を見やる。
そこにはアクアたち兄弟の保護者として認知されている斉藤夫妻と、アクアを模した紙人形が置かれている。 それに対してルビーの席にはルビーとラブラを模した紙人形があり、今ルビーが制作しているのは紫がかった長い黒髪で紫の瞳を持つ女性の紙人形だった。
「変ねぇ…ルビーちゃんたちのママは茶髪じゃなかったかしら……」
「……あっ」
数秒遅れでルビーは自身の失言に気づいた。
「これはっ…その……前の! 前のママ!」
咄嗟に出した苦し紛れの嘘。 しかし、それを聞いた園長はハッとした顔をする。
ルビーたち3兄弟が斉藤夫妻の里子として育てられている事を思い出したのか、気まずそうにルビーの肩に手を置く。
「ご…ごめんなさいね。 余計な事言っちゃって…」
「う、うん…」
心の中でルビーはホッと胸をなでおろす。そして紙人形作りを再開しようとした時、保育室の戸がパァンッと勢いよく開け放たれた。
ルビーと園長、そして他の園児たちがそちらに視線を向け―――ギョッとする。
ところどころ破けて薄汚れた病衣。 泥だらけの素足。 赤く染まる包帯で覆われた頭。
あまりにも異様な姿をした少年が息を切らせながら立っていた。
「だ…誰なのあなた!?」
園長の呼びかけに少年が一瞥すると、頭を覆う包帯がはらりとほどけ、その顔が露わになった。 その顔を見たルビーが目を見開く。
「ラブラ!?」
少年はラブラだった。 ルビーは駆け寄り、彼の肩を掴んだ。
「あんた、なんでここに…ってか足は? 骨折してんじゃないの? 平気なの?」
ルビーは混乱する。 3週間前に事故に遭って入院しているはずのラブラが、自分の足でしっかりと立っているのだ。
しかし、ルビーの矢継ぎ早な質問にラブラは答えることなく保育室を見渡し、彼女に向き直った。
「ルビ姉…アク兄はどこ?」
「は? 何言って――」
「どこって聞いてんの!!」
「!? つ、ついさっきトイレに行ったけど……」
気圧される形でルビーが答えると、ラブラはその場で踵を返して走り出そうとした。 そこへ園長がラブラの手を掴む。
「待ちなさいラブラくんっ…あなた怪我してるじゃない! 早く手当てしないと――」
「ぼくなんかどうでもいいよ!」
園長の手を振り払ってラブラが叫ぶ。 彼の顔からは怯えにも似た焦りの色があり、何かに追い詰められているかのようだった。 まるであの時のような―――
「あれ、園長どうかしたんですか?」
声をかけてきたのは別の組を担当する
彼女の方を見やったルビーが あっ!と声を上げて、指をさす。
「先生、それって…!」
「これ? 職員トイレで拾ったんだけど、あなたの?」
そう言いながら日下部が手渡した物を受け取ったルビーは、呆然とそれを見つめた。
それはB小町のライブ限定品のハンカチで、アクアが愛用していたものだった。
なぜこのハンカチが職員トイレに? アクアはどこへ行った?
ただならぬ事態を察したルビーのそばで、ラブラは園長に詰め寄った。
「えんちょー先生! この近くに畳とキッチンがあるとこ知らない!?」
「は?…急にどうしたの?」
「お願い! 大事なことなの!!」
縋りついて答えを求めるラブラに園長は少し思案し、思い出したようにボソッと口にした。
「――…用務員室」
「え…?」
「畳とかキッチンが設置されている部屋は他にもあるけど、その2つが一緒にあるのはそこだけだのはずよ」
「そっ…そこってどこにあるの?」
「たしか花壇の近くにあるプレハブ小屋―――…ってラブラくん!?」
園長が言い終えるよりも早くラブラは一目散に駆けだしていった。
誰もが呆気にとられる中、少し遅れてルビーも駆け出して彼を追いかけていった。
目を覚まして最初に見たのは薄暗い天井だった。
ここはどこなのだろうか。 それにしても何だか両腕が痛い―――
「…!?」
その時になってアクアは後ろ手に縛られている事に気づいた。 なんだこれは、と叫ぼうとしたが口がガムテープらしきもので塞がれて声を出すこともできなかった。
アクアは足をばたつかせながら身をよじり、うつぶせになってあたりを見渡す。
カーテンで閉め切られた狭い部屋でキッチンやロッカーなどがあり、自分は畳の上で寝かされているようだ。 ここはいったい―――
「目ぇ覚めたか」
背後からの声にアクアは身をよじって後ろを見やる。 そこには薄い水色の作業着を着た30代ぐらいの男がいた。
アクアはこの男を知っている。 2週間ほど前に幼稚園で働いている用務員だ。
「保育士の連中が京極夏彦の本読んでるガキがいるって話してたから気にはなってたが……」
用務員はアクアのそばにしゃがむと、彼の髪を雑に掴んで顔を上げさせ、吟味するように顔を覗き込んだ。
「あの星野アクアだったとはなぁ…まさかこんな所にちょっとした有名人がいるとは思わなかったぜ」
こいつ…俺を人質に身代金でも要求するつもりなのか。
ふざけるなと言わんばかりに睨むアクアに、用務員は黄ばんだ歯をむき出しに笑った。
「おぉっと、勘違いすんなよ? 別に俺はお前を人質に金を要求する趣味はねぇ……」
ただな、と用務員は人差し指を立てるとアクアの喉元に指先を当てる。 そして指先を腹部に向かってなぞるように這わせ、にたりと笑う。
「この小せぇ体に俺のをぶち込んでスッキリさせるって趣味がある」
用務員の言葉を理解するのにアクアは数秒の時間を要し―――顔をひきつらせた。
うははっ! と用務員が笑う。
「俺は今までいろんなガキをハメてきてなぁ。 生意気なやつとか、陰キャなやつとか男女区別なくよぉ。 ただまぁどいつもこいつもビービー泣いて『パパに言いつける』だの、『ママに言いつける』だの、『先生に言いつける』だの言ってくるからさぁ。 めんどくせーからヤッた後で……こう、な?」
そう言いながら用務員は立てた親指で喉を掻っ切るジェスチャーを見せた。
自身の歪んだ性癖と所業を武勇伝のように語る姿に、アクアは吐き気を催した。
「まぁ俺としてはいちいち殺るのがめんどーだし、そろそろ長く使えるセ〇レ的なモンがほしいわけよ。んで都合のいいガキいねぇかなーってここに就職してみればだ……お前が居たってわけだ」
用務員はアクアの顔に触れる。 じっとりと汗ばんだ手の平のペタペタとした感触が非常に不快だった。
「しっかし3歳にしてこのルックスとは、お前の父ちゃんと母ちゃんはよほどの美男美女なんだろうなぁ……あぁそうそう、忘れてた」
用務員がポケットから何かを取り出す。 それは小型のハンディカムで、カチャカチャと操作しながら用務員が語りだす。
「お前、『掃除中』の看板見て別のトイレへ行ったろ? 普通のガキなら漢字読めねぇから無視して入るのをわざわざそうしたって事は、ルールを破ってるとこを見られたくないくらい世間体を気にする賢くてお行儀良いタイプって事だろ?」
用務員はハンディカムの液晶パネルをクルンと裏返し、画面にアクアの顔を映した。
「3歳のガキといえど立派なタレント…そんな奴がハメられてる動画をネットにばら撒いたらどうなるだろうなぁ~?」
その言葉にアクアの顔が蒼く強張る。ハンディカムの画面に映るアクアも同様の表情になった。
「安心しな。 俺に従っときゃばら撒きはしねぇよ……さて」
用務員はハンディカムをアクアの方へ向けてちゃぶ台に置く。 いつの間にか男のズボンにテントが張られていた。
「あんまり時間かけると怪しまれっから、さっさと済ませてやるよ」
「…ッ!!」
にじり寄る用務員から逃げようとアクアは出口へ這いずろうとする。 しかし―――
「逃げんじゃ…ねぇ!」
その行動は無駄な抵抗に終わった。
まるで床を這う虫を潰すかのように用務員の手の平がアクアの頭に叩きつけられ、顔に畳の跡が付くんじゃないかと思うほどの力で押さえつけられた。
用務員の体格は恵まれたものではない。 むしろ痩せすぎともいえるだろう。 だが、そんな相手にさえ碌に抵抗できない己の非力さにアクアは打ちのめされていた。
自分はこの男に辱められる。 1度っきりで終わるはずがない。 飽きるまで何度でも何度でも何度でも繰り返すのだろう。 いやだ……いやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!
逃れようのない絶望にアクアはポロポロと涙をこぼし、ガタガタと体を震わせた。
まるで小動物のように怯えるアクアを前にして用務員が嗜虐的な笑いを浮かべた。
「あーもっ…そんな顔されたら我慢できねぇよ…!」
用務員がアクアのズボンに手をかけようとした―――まさにその時、
ドンドンッ! ドンドンッ!
突然の打撃音に用務員は手を止める。
何事かと玄関の方へ視線を向けると、再び扉からドンドンと音が鳴る。
『アク兄! そこにいるの!? いたら返事して!!』
甲高い子供の声。 これはラブラの声だ。 しかしあいつは入院中のはずだ。 なぜここにいる?
「なっ…なんでもうバレてんだ? ここに来るまで誰にも見られなかったのに、こいつ拉致って3分も経ってねぇぞ…!」
用務員が困惑していると、ルビーの声が聞こえた。
『ラブラっ! ここにアクアがいるの!?』
『はっきり言えないけどっ…畳とキッチンのあるお部屋で
『裸ってなんなの!?』
『わかんないよっ…』
2人の会話からアクアは過去の出来事を思い出した。
ラブラが飛んでくるバットからミヤコを救う直前に、ミヤコが怪我するのを見たと言っていた事を。 あの時は冗談半分に未来予知みたいだとラブラに言ったが、その直後にまるでルビーが車に轢かれるのを知っていたかのように道路へ飛び出した事を。
まさか、ラブラには本当に予知能力があるというのか? この用務員に襲われる事まで? そんな都合の良いことがあるのか?
『ルビーちゃん! ラブラくん!』
『もう2人とも! 勝手に外に出ちゃ駄目じゃないの!』
そうこうしていると、女性2人の声が外から聞こえた。 声から察するに園長と別の組の保育士のようだ。
『えんちょー先生! ここにアク兄がいるかもしれないの! ここ開けてよ!』
『私からもお願い!』
『落ち着いて2人とも。 ここは用務員さんの仕事場だからアクアくんがいるわけ――』
『まぁまぁ、日下部先生。 ここは用務員さんに聞いてみましょう。 ひょっとしたらアクアくんを見かけたかもしれませんし』
園長がそう言い終えると、プレハブ玄関のドアノブが回される。 しかしガチャガチャと空回りするだけで扉が開く事が無かった。
『変ねぇ…鍵がかかってる。 今の時間だと開いてるはずなんだけど……待っててね、今開けるから』
しめた、園長が不審に思ってくれている。 用務員の顔にも動揺の色が見え始めた。
もしかしたら助かるかもしれない……そう思った時、
『ラブラ? どうかしたの――ちょ、どこ行くのよ!?』
外にいるルビーが急に騒ぎ出した。
何かあったのだろうかと思っていると、用務員が頭をがりがりと掻き始め、アクアの方へ目を向ける。
「――…しゃあねぇ……予定変更だ」
言い終えた途端、用務員の両手がアクアの首に掛けられた。
「…っ!?」
「まだ捕まりたくねぇからよぉ…このまま絞め殺してリュックへ詰め込んで奴らをやり過ごすことにするよ。 その後でお前の体が温いうちに使ってやらぁ…!」
そう言うや否や、気管を潰さんとばかりに体重をかけ始めた。
何とか抵抗しようと足をばたつかせるアクアだったが、大人の腕よりも短い足では掠る事さえ出来なかった。
―――…あぁ、俺…また殺されるのか……
自身の死を悟った時、アクアの耳は妙な音をとらえた。 遠くの方からゴリゴリと石臼を挽くような重々しい音が次第に大きく――いや、近づいて来ていた。
『らっ…ラブラなにしてるの!?』
『きみっ! 危ないからそれ捨てなさ――』
ルビーや保育士の動揺する声を聞いた直後、けたたましい音とともに窓ガラスがぶち破られ、ゴンッ!と鈍く重い音が部屋に響いた。
「な、なんだ…!?」
用務員がアクアから手を放す。 そして窓から飛び込んできたものを見て目を剥いた。
窓から飛び込んできたもの、それは建築用のコンクリートブロックだった。 ガラスの破片が散乱する床に鎮座するそれは、よほどの勢いで投げ込まれたのか真っ二つに割れていた。
「なっ…なんでこんなもんが――」
その時、割られた窓から小さな影が転がり込んだ。 それに気づいた用務員が目を向けようとした瞬間、影は用務員の頭に飛びかかり――ガリッと音を立てて用務員の右顔面に4本の赤い線を刻んだ。
「がっ…ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーっ!!!」
用務員は耳障りな悲鳴を上げながら顔を押さえて床を転げ回った。
影はアクアに駆け寄ると、彼の口をふさぐガムテープを剥がした。
「ぷはっ!! はぁっ…はぁっ…はぁっ…!」
息を切らしながらアクアは自分を助けてくれた者を見て、驚愕した。
目の前にラブラがいる。 骨折してベッドに寝込んでいたはずの彼が自分の足で立っていた。
「アク兄っ…もうだいじょぶだよ…!」
「えっ…は? お前なんで立って……骨折は?」
「そんなのあと! とにかく後ろのを外したげるから――」
そう言ってラブラがアクアの縛られている腕をほどこうとした時、アクアはラブラの背後に用務員が迫っている事に気づいた。
「ッ…ラブラ後ろ――」
その叫びよりも早く用務員がラブラの襟首を掴んでアクアから引き離し、おもちゃの人形のように振り上げてガラス片が散乱する床へと叩きつけた
「ぎぁっ!」
猫のような悲鳴をあげたラブラが身をよじる。 いくつものガラス片が刺さったのか、血によって無地の病衣が赤の水玉模様に染まっていた。
痛みに悶えるラブラへ用務員が顔を押さえながら歩み寄る。 先ほどラブラに付けられた爪痕から血が流れており、憎悪に顔を歪めていた。
「痛ってぇだろうがこのガキがぁ!!」
怒号とともに用務員の足底がラブラの喉に落とされ、ラブラの口から踏み潰された蛙のような声が漏れる。
「てめぇなんか犯す価値もねぇ! ぶち殺してやるっ!」
口汚く罵りながら用務員が踏みつけた足を捻じり、ラブラの細い首をミシミシと軋ませた。
初めは抵抗するラブラだったが、次第にその力が失われつつあった。
「らっ…ラブラっ…!」
目の前で殺されようとしている弟を救いたいとアクアは這いずる。 ほんの2~3mほどの距離なのに遠く感じた。
「ラブラぁ!」
アクアの叫びにラブラが弱々しく手を伸ばす―――…だが、
ゴキリ、と硬いものが折れる音と共にラブラの首があらぬ方向へねじれ―――伸ばした腕は力なく床に落ちていった。
「なに…今の音?」
中から聞こえた音にルビーは声を震わせる。
今から数十秒前に園長がプレハブ小屋に鍵がかかっている事に不信を抱いていた時、ルビーはラブラが顔を引きつらせている事に気付いた。
どうかしたのかと声をかけようとした途端、ラブラはその場から離れ、花壇の片隅に積まれていたコンクリートブロックを引きずって戻ってきたのだ。
それを見た保育士の日下部が止めようとした瞬間、ラブラは見るからに重たそうなコンクリートブロックを片手で持ち上げ、プレハブの窓へと投げ込んだ。
ガラスが割れるけたたましい音にラブラ以外が委縮していると、ラブラは割られた窓に飛びついて屋内へと転がり込んでいったのだった。
それからだった。 男の悲鳴が聞こえたかと思ったら、何かを叩きつける音とともにラブラの悲鳴が上がり、男の怒号が響くなど明らかに異常事態が起きていた。
「ラブラっ…!」
プレハブへ行こうとするルビーを園長が押さえる。
「ルビーちゃん!行っちゃだめよ!」
「で、でも…!」
「私たちじゃどうにもならないわっ…ひとまずここを離れて警察を――」
園長がルビーをプレハブから離そうとした次の瞬間、
ドオンッ!!
バイクが突っ込んできたかのような衝撃音とともにプレハブが軋みながら揺れた。
「ひっ…!」
「こっ…今度は何なの!?」
園長と日下部が困惑していると、プレハブの中から ガスッ ガスッ と、柔らかいものを殴りつけるような音が聞こえだした。
その音は初めは断続的だったが段々とペースが速く、大きなものになっていき―――
バキッ ドガッ グチャッ グシャッ!
いつしか生理的に不快に感じるほどの湿り気のある音へと変わっていった。
「え、園長……」
「日下部先生、急いで警察に連絡を…それと他の先生方に園児たちの安全を確保するよう伝えてください……早くっ!」
「はっ…はい!」
園長の指示に日下部はその場から逃げるように離れていった。
そして園長はプレハブの方を見つめるルビーに向かって呼びかける。
「ルビーちゃんっ…ここは危ないわ。 さ、早く行きましょ…!」
その呼びかけに反応したのか、ルビーは踵を返して園長に駆け寄っていく。
駆け寄るルビーを抱きかかえようと園長がしゃがんで両手を差し出したとき、ルビーは差し出された両手をすり抜け、園長の胸ポケットに手を突っ込んだ。
「ルビーちゃん!?」
園長が驚きの声を上げている間に、ルビーは胸ポケットへ突っ込んだ手を引っ込めてプレハブへと駆けだした。
園長はハッとして胸ポケットに手を当て、気づく。 胸ポケットに仕舞っていたマスターキーが抜き取られている事に。
「だめっ! 戻ってルビーちゃん!」
園長の叫びを無視し、ルビーはマスターキーで解錠する。
そして扉を開いた瞬間、扉の隙間から空気とともに漏れ出た鉄さびのような臭気がルビーの鼻を打った。
「ッ! うぇ…!」
思わず
口の中まで鉄の味を感じさせるほどの臭気に3週間前の出来事がフラッシュバックする。
「――ラブラっ…!」
ルビーは意を決して扉を開け放つ。
より一層きつくなった臭いにルビーは顔をしかめながらも屋内に目を凝らし、出口から差し込む光の先に横たわる人影――後ろ手に縛られているアクアを目に捉えた。
「アクアっ!」
ルビーはアクアのもとに駆け寄り、彼を抱き起した。
何度も声をかけ、頬を叩くがアクアはがっくりと項垂れたまま気を失っていた。
これじゃ埒が明かない……それよりラブラはどこに?
グチャッ! ベシャッ! ベチャッ!
先ほどから外まで聞こえていた打撃音が暗い部屋に大きく響く。
音のした方へルビーが見やると、部屋の片隅に作業着を着た男が大の字で仰向けに横たわっており、男の胸元に自分と同じくらいの子供が馬乗りになっていた。
子供は右腕を男の頭に叩きつけている。 何度も、何度も、何度も。
子供が右腕を叩きつけるたびに赤い飛沫が飛び散り、白い粒が床を跳ねた。 よく見れば赤い飛沫が近くの壁に広く付着しており、柳の枝のようにいくつもの赤い液が列をなして下へ垂れていた。
「ぁ…ぁぁ……」
凄惨な光景を前にルビーが言葉を出せずに茫然と見ていると、園長が遅れてプレハブに駆け込んできた。
「二人とも大丈夫!? 早く外に――」
アクアとルビーを抱え上げようとした園長は、部屋の片隅に広がる惨状を目にして固まる。
倒れる男への凶行を続ける子供の後ろ姿に、彼女はぽつりと言った。
「ラブラ…くん?」
園長の声に子供は振り上げた右腕を止め、ゆっくりとルビーたちの方へ向く。
それと同時に破られた窓から風が吹き込み、カーテンがはためいて薄暗い部屋へ光が差し込むと、ルビーと園長は絶句した。
ラブラの顔が返り血でまみれていた。 口元を袖で拭ったのか、血が左右の頬まで塗り伸ばされ、右目はパンダの目玉模様のような赤い斑紋に塗りつぶされている。その顔は大口を開けて笑うピエロのようだった。
そんな彼の足元には用務員らしき男がいる。 だが、その顔は元々の顔がどんなものだったのかも分からないほどにグシャグシャに潰され、原型が無かった。 料理番組でよく聞く『肉を叩いて柔らかくする』という文言を人間の顔面で実践したかのような有様だ。
「あっ、ルビ姉にえんちょー先生! 二人とも来てくれたんだ!」
二人を認めたラブラは顔を綻ばせ、その場の雰囲気に不釣り合いなほどの明るい声を投げかけた。軽く挨拶するように掲げた右腕は肘から先が真っ赤に染まり、血が肘を伝って滴り落ちていた。
「もうだいじょぶだよ! 悪い人やっつけたから!」
そう言ってラブラは笑った。
血にまみれながらも誇らしげに笑った顔は、良くも悪くもアイに似ていた。