「はぁ…全く、してやられましたねぇ……。」
フレイヤ・ファミリアの襲撃を受けたリューは間一髪のところでアスフィの助けを受けて難を逃れたが、それが幸か不幸かは分からない。
いや、間違いなく幸ではあるのだが、それと同時に自分は間違いなく今まで生きてきた中でも最難関の状況に陥ってしまっている。
深層でもかなりの苦汁をなめたが、あの時とは別のベクトルでヤバい。
「ベルが最初からフレイヤ・ファミリアに所属していたと改竄されている…。女神祭の前やシルとのデートの時に色々動いていたのはこのため……?こんなことなら、アイズ殿達に話をしておくべきだったか…」
あの時ああしていれば、などと様々な後悔が湧き上がってくる。
英雄に全てを曝け出してもなお、彼女の身には際限ない慚愧が燻り続けている。
そのことに若干の自己嫌悪を覚えながらも、それを押し殺して行動を続けるしかない。
「遠目で確認した限り、アリーゼ達もダメ。アストレア様も向こうの手中に落ちていると考えるべきですね。アイズ殿たちの現状はまだ確認していませんが、アテには出来ない。八方塞がりですね…。というより、一番の問題は―――」
リューは服を握りしめ、背中に意識を集中させる。
そこに刻まれているスキルを強く思いながら集中するが、思うような効果は得られなかった。
「【
ベルと自分たちを繋ぐスキルだが、今はその役目を果たしていない。
【
「考えられるのは、ベルが魅了され私達への思いを失ったから……いや、これは有り得ない。もしそうなら、都市全土の魅了なんて馬鹿げた真似をする必要はない。となると、問題があるのはアイズ殿達の方…。魅了により認識が歪み機能しなくなったとして、なぜ私まで…。ファミリアやその他の組織と同じように、過半数がいなくなれば体制を維持できなくなる…?」
3人しかいないファミリアで、もし1人がいなくなったとしても残る2人さえいればファミリアとして存続できるだろう。
だが、9人いるファミリアでそのうちの7名がいなくなれば、それを維持するのは不可能だ。
仮に再興するとしても、再興する後と前とではそれはほぼ別物と言えるだろう。
リューはその理屈と同じではないかと当たりをつける。
とはいえ、これはただの推測。
今までこんな状況に陥ったことはないし、今後も陥ることはないだろうから考えるだけ無駄だ。
考えるべきは、今スキル効果を失ったことによる被害と、その補い方だ。
「今一番苦境に立たされているのはベル。他のすべてが正気を失っている中、いつまでそれに呑まれずにいられるか…。共鳴があればともかく、それがない以上直接接触するしか……。いや、ベルのこともですが、シルも気がかりだ…。」
女神祭のあとから、様子がおかしかった。
想い人にフラレておかしくならない方がおかしいのだが、それとは何かが違う気がする。
「はてさて、どう動くべきか……。私は現状、フレイヤ・ファミリアの手によって行方不明になった事になっている。もし仮にベルがヘスティア、アストレア・ファミリアと接触すれば、最悪なことになりますねぇ…。防ごうにも当然監視の目はついているでしょうし、姿をさらした時点でゲームオーバー。彼らに勝てないことは先の戦いで分かってますからね。雷霆の力を使えばともかく、あれはリスクもありますし。使った後に動けなくなる力なんぞ、意味はない。レフィーヤ殿は確かリヴェリアの遠征に……、いや、
思考がどんどん深く沈んでいく中、眼の前を通ったとある人物達に気がついた。
「アーニャ…?」
よく行く酒場の店員。
そして、仲の良い友人でもある彼女。
そんな彼女が、【
彼女が元フレイヤ・ファミリアであり、彼女の兄が彼であることは知っている。
だが、様子がおかしい。
それ以前にあんな事があった以上、どのような事柄であれフレイヤ・ファミリアの行動を無視することは出来ない。
友人が関わることなら、なおさら。
幸いにもアスフィから借り受けた兜の力は第一級冒険者にも有効だ。
姿を消した状態で後を追い、その場所に行き着く。
そこはなんてことはない広場。
ただ、人っ子一人いないだけの広場。
昼間なのに、通りの真ん中にある大きな広場なのに、誰一人としていない。
間違いなく、『魅了』が使われている。
当然のごとく、そこにいるのは女神フレイヤ。
こんな馬鹿げた箱庭を作らんとしている馬鹿な女神。
そして、眼の前で有り得ない光景が広がり始める。
友人を…、シルをどこにやったと叫ぶアーニャの前で、フレイヤはシルの容姿に変貌を遂げる。
全てただのロールプレイであり、ただの遊びだったと告げる。
信じていた友人を失い、眼の前で広がる現実を受け入れたくなく狼狽するアーニャ。
だが、フレイヤは残酷な現実を突きつけていく。
すべてに裏切られた少女はとうとう耐えきれなくなり、叫び声を上げる。
それを見ていたリューも、何も分からなくなる。
入ってくる情報を整理するのに精一杯で、息の仕方も忘れるほどだった。
そのせいで、やらかしてしまった。
友の裏切りと真実と、泣き叫ぶアーニャの声。
それらに気を取られすぎたせいで、近くにあった木箱の重なりに当たり、崩してしまった。
いくら姿が隠れていても、音を立てて崩れる木箱の不審さを見逃してくれるほど、アレン・フローメルは優しくない。
そしてこのタイミングになってようやく気がついた。
自分は誘き出されたのだということに。
「そこか」
「―――ッ、【使命は果たせず、道化を乞い願う】!」
迫りくるアレンの攻撃をなんとか躱しながら、リューは詠唱をする。
並行詠唱は得意な方だが、彼の猛攻を受けながらとなると難易度は跳ね上がる。
それでも口と手を休めず、なんとか詠唱を続ける。
「【楽園の悲劇、復讐の騎士、無限の魔物。無力な自分を投げ捨て、踊り明かす道化の如く、今度こそ私は希望を歌う。喜劇をここに】―――ッ!!」
詠唱を完成させ、その名を叫ぶ。
「【ジェスター・レコード】――――、【契約に答えよ、森羅の風よ。我が命に従い敵対者を薙げ】【ゲイル・ブラスト】!!」
魔法名を叫ぶと同時に詠唱を続ける。
前世でフィーナが使っていた風の魔法。
魔物を一撃で吹き飛ばすほどの威力だが、第一級冒険者相手にはどこまで効くのかは分からない。
仰け反ってくれるとありがたいのだが……、そう上手くはいかなかったようだ。
風の合間を縫うように槍が差し込まれる。
マズいと思い、回避しようとするが間に合わない。
だが、救いの手は思わぬところから差し出された。
「アレン、止まりなさい」
フレイヤのその言葉に、眼前にまで迫っていた槍はピタリと止まった。
一応止めたが、槍は突きつけられたまま。
何かあれば、このまま殺されるだろう。
緊張感が走る中、アレンは不服そうにフレイヤの方を見つめる。
「アレン、槍を下ろして」
「必要ありません。このまま叩きのめして―――」
「下ろして」
「――――………分かりました」
有無を言わせない主の声に、不承不承に従う。
槍が眼前からどき、ようやく友人とまっすぐ向き合う事ができたリュー。
そして、否が応でも分からされてしまう。
フレイヤは、シルなのだと。
「いやぁ、助かりましたよ、シル。あのままだとまたリンチにされるところでしたからねぇ」
「……思ってた反応と違うね。もっと動揺したり、認めないって怒鳴り散らすかと思ってた」
「彼と出会う前の私でしたら、そうしていたでしょうね。ですが生憎、今の私はそうもいかなくて。いっそ、感情的に罵れたら気が楽なんですけどね」
「……ベルのおかげ?」
「さあ?どうでしょう?」
精一杯強がり、余裕を崩さないリューにシルはどこか不自然さを覚える。
変わったとか、そういうレベルじゃない。
魂の色は同じだ。
同一人物に間違いない。
だがそれでも、どこか別人のように思えてしまう。
「しかし、フラれた腹いせにすることが都市全土の魅了とは、神はやることのスケールが違いますなぁ。どうです?今の気分は?ベルは堕とせそうですか?」
「……うん、順調だよ。もう少しで堕とせそう。もう少しでベルの憧憬の呪いを解いてあげられる」
「あぁ、ベルのスキルを見たんですね。しかし、呪い!なるほど、それは的を射た表現ですね!確かに、純粋な思いもあそこまで行けば呪いです。しかも、それが他者に掛けられたものではなく自分で掛けたものだというのからタチが悪い」
「流石リュー。よく分かってるね。そうだっ。どう?リューも一緒にベルを独り占めしない?」
「独り占め?」
「あ、そうだね。二人だから二人占めだね。他の人は嫌だけど、リューならいいよ?リューなら許してあげる。私はベルのことが好きだけど、リューのことも大好きなんだから」
「…………。」
そのあまりの言い分に、思わずリューも笑みを消して黙り込む。
だが、すぐにニヘラと笑い、温和な雰囲気に戻る。
「なるほど、それは魅力的な提案ですね」
「でしょ?二人でベルを愛でるの。三人だけで体を触って、唇をなぞって、香りを楽しんで、いっぱい抱きしめて」
「なるほどなるほど」
「部屋に閉じこもって、ベッドの上で、身体の境界が消えてドロドロになるまで愛し合って、一つになるの」
「随分と退廃的で破滅的。それでいて、抗いがたい魅力がありますね。ついつい揺らいでしまいます」
「それに、そうすればリューはベルとの子供が出来るかもよ?私はできないけど、私、リューとベルの子供なら自分の子供みたいに可愛がれると思うの」
「あなたは優しいですからね。そりゃあもう、慈母のように甘やかすでしょう。むしろ、甘やかしすぎて私が怒ってしまうかもしれませんね」
「フフッ、そうなるかもね。でも、それも楽しそうでしょ?どう?一緒に来ない?」
未来に思いを馳せ、楽しそうに語るシル。
彼女と同じように、リューも楽しそうに笑い合っている。
神に嘘は通じない。
だからこそ、シルは安心して話していられる。
リューはこの話に乗ってくれる、と。
「流石に、“はい、行きます”と即答は出来ませんね。私はあなたと友人ですが、同時にアイズ殿達とも友人ですから。彼女たち、今どうしてます?」
「心配ないよ。もう、全部忘れちゃってるから。ベルと過ごした日々の全部を」
「そうですか…。しかし、一体どういう理屈で忘れさせてるんです?いくら記憶を改竄しても、違和感が出てくるでしょう?」
「適当な人物に置き換えたり、周囲の記憶や人物を引き伸ばして埋めたり、色々だよ。全体的に一気にかけたから詳しいことは分からないけど、埋めきれなかったらポッカリ穴が空いたような感じになるんじゃないかな?それでも思い出せないようになってるし、思い出そうとすればその記憶をリセットするから大丈夫」
「凄まじいですなぁ…。人間がいくら月日を費やそうと叶わない文字通りの神の御業。思わず身震いしてしまいます」
「大丈夫。私、リューの輝きが好きだからリューに掛けたりはしないよ」
「それはありがたい。ベルを忘れた彼女たち、どんな様子でしたか?あなたのことです。ロキ・ファミリアと抗争になるような真似は出来ずとも、監視くらいつけているのでしょう?」
「うん、そりゃあね。色々だったよ。【
「それはなんとも…。痛ましいですなぁ」
「可哀想だけど、仕方ないよね?」
「……喧嘩に明け暮れたり人形姫時代に戻った、と言っていましたが、具体的にどんな?」
「具体的に?そうだね…。粗野になったり、ガサツになったり、無表情になったり。まるで、半年前に戻ったみたい――――」
「なるほど……」
フレイヤの口から語られる彼女たちの様子を聞いて、リューは考え込むように口に手を当てる。
そして、目を細め、なにかに思いを馳せる。
「―――やはり、そこが限界ですか」
先程までの温和な口調と声色ではなく、底冷えするような低い声だった。
様子を一変させたリューにフレイヤも思わず警戒を露わにし、顔を強張らせる。
「……リュー?」
「そこが一番の懸念点でした。適当な埋め合わせでそもそも違和感を覚えないくらいだったら、もう打つ手はありませんでしたから。ですが、いくら神とは言え限界はある。彼という大き過ぎる存在を何の違和感もなく消すことなど出来はしない」
「リュー?どういうこと?私の提案に乗ってくれるんじゃないの?」
「貴女方神々は、人間を些か下に見ている節がある。だからこそ、付け入る隙がある」
「……………。」
「ベルが教えてくれたことです。神々は嘘が分かるが、それだけだ。嘘が分かるが故に、大抵の神々は眼の前の事実を鵜呑みにし、そこで思考を止めてしまう。言葉の裏に隠された真意に気づきはしない。ま、彼も受け売りだったそうですがね」
「……………。」
「先程までの饒舌はどうしました?ほら、明るく未来のことを語り合いましょう」
リューはニッコリと微笑みながら、そう告げる。
だが、その瞳は笑っておらず、隠しきれない怒りがある。
「リューは私の気持ち、分かってくれると思ってたんだけどな…。」
「ええ、分かりますとも。初めて覚えた身を焦がすほどの恋。私も抱いていますとも。むしろ、私の方が酷いですよ?なにせ三千年モノの片思いですからね。熟成を通り越して腐り始めてるくらいです」
「じゃあ、なんで?あっちの友達の方が大事?」
「いいえ?仲間意識も友情もありますが、それはそれ。恋は争いですからね。他者の思いを止める資格など、持ち合わせていませんとも」
「じゃあ――――」
「ベルが笑ってないでしょう」
そこが一番重要なのだと、リューは睨みを効かせる。
彼女にとって、決して譲れない一線はそこだ、そこだけだ。
それさえあれば、他はどうでもいい。
「ぶっちゃけ、それさえあれば私はこの状況を受け入れてもいいと思ってるんですよ。私が子をなす云々はさておき、彼が女性と真摯に向き合って一緒になるのは歓迎ですし」
「………ベルは、楽しくやれるよ?今すぐは無理かもしれないけど、時間が経てば――――」
「彼を侮辱するなよ。時間で彼の思いが薄れるのであれば、人類など疾うの昔に滅んでいる。失った全てを抱え続けた彼が、思いを少しも薄めることなく足掻き続けたからこそ、今があるんだ」
「…………。」
リューの言っていることが、フレイヤには分からなかった。
ずっとずっと、それだけが分からなかったのだ。
ベルの経歴を調べても、辺境の村からやって来た。
病弱な母と叔父がいて、祖父母がいる。
本人に聞いても、それだけしか分からなかった。
彼女たちとの関係がわからない。
彼女たちとの絆が分からない。
分からなくて、気持ち悪かった。
なぜあそこまでの思いを抱いているのか。
一目惚れだとか、絆を育んだとか、そんなチャチなものじゃない。
もっとずっと、別な理由があるはずだ。
だが、そんなものはフレイヤには関係ない。
どんな思いを抱こうが、無意味だ。
すべて、自身の力の前に屈したのだから。
「どんな思いを抱こうが無意味だよ。ベル一人じゃ何も出来ない。それに、言ったでしょ?もう少しで堕ちそうだって」
「アイズ殿たちがいるでしょう?」
「無理だよ。あの子達は魅了に屈した。今更何も出来ない」
「私も言ったはずです。付け入る隙はある、と。彼の存在を消し切れていない時点で、私達の勝ちは確定してます」
「ベルに関する記憶は――――」
「ええ、消えているでしょう。でもね、消えてないんですよ、彼は」
「リュー、あなたは何を――――」
矛盾した発言。
踊り明かす道化のごとく歌い上げる彼女。
その笑顔が、気持ち悪い。
「雄弁は銀、沈黙は金。少し喋りすぎましたね。頃合いもいいですし、ここらでお暇するとしましょう。アーニャは…、申し訳ないですが、この場に置いていきます。頼みましたよ、シル?」
「……リュー」
「逃げられると思ってんのか?」
「ええ、逃げられますとも。少し、卑怯ですけどね――――燃やせ、“ウルカヌス”」
リューは剣を一凪すると、爆炎を生み出す。
その炎は人形を型どり、周囲に広がっていく。
リューはアレンの心境を正しく把握している。
この場に守るべき二人がいる以上、彼は反撃できない。
「っとっと、少しやり過ぎましたか。ま、それはこの前のリンチとお相子ということで」
「テメェ…。」
「油断しましたね。一度詠唱してしまえば、魔法は維持されたまま。精霊の力であれば、即座に使うことが出来る。ここで明かしたくはなかったのですが、まあ仕方ないですね」
爆炎が晴れた後、リューは建物の屋根の上にまで退避していた。
だが、まだ油断できない。
ここはまだ、アレンの射程圏内なのだから。
「追ってこない方がいいですよ。貴方より速いとまでは言いませんが、貴方から人の多い場所まで逃げ遂せるくらいは出来ますから。そうなれば、また魅了を掛ける必要が出てくる。仕様変更を重ねると、ボロが出かねませんよ?」
「…………。」
「では、私はこれで……っと、忘れるところでした。シル、私は貴女の友人として、彼の笑顔を願う彼の英雄として、貴女を止めてみせます。全部終わったらぶん殴りますから、覚悟しておいてくださいね。――――“雷霆”よ」
そう言い残すと、リューは雷を纏いこの場から姿を消した。
「追いますか?」
「………いいわ。リューの言う通り、大規模な魅了の掛け直しはリスクが高い。帰りましょう」
踵を返してベルのいるホームに戻ろうとするフレイヤだったが、一度だけ立ち止まり、リューの立っていた建物の上を見つめる。
何を思っているのかは分からないが、その表情は険しい。
「リュー……。」
一度だけ彼女の名を呟くと、今度こそ振り返ることなくフレイヤは去っていった。
……………
…………
………
……
…
アレンたちから逃げ遂せたリューは、人のいない路地裏で動きを止めた。
流石に、身体が動かなくなってしまった。
「ゲホッゲホッ!ハァ、ハァ……。私の力が紛い物とは言え、このザマですか。使えば雷で中から身体が焼け耐え難い激痛が走る…。まったく、一体どれだけの覚悟を持てばこんな発想が出てくるのやら」
許容範囲内の能力向上程度なら、問題はない。
ただ、限界を超えて身体を動かそうとすれば、無理が出てくる。
今回のリューはレベルを一つ超えた動きをした。
一つ越えただけでこれだ。
神の恩恵がある今の自分が戦っても勝てるか怪しいあの雄牛と真っ向から斬りあった彼は、どれだけの……。
「……感傷に浸っている暇はありませんね。アスフィとの合流はリスクが高いから避けておいた方がいいでしょう。となると、私に出来ることは――――」
そこまで考えて動こうとした時、ついに倒れ込んでしまった。
幸いにも追手は来ていないため、見つかる心配はないが暫くは動けそうにない。
「ほんっとに、不甲斐ない自分が嫌になりますねぇ……。」
地面の味を噛み締めながら、リューは仰向けになって空を見上げる。
そして、今もなお足掻き続けているであろう彼女たちに、祈る。
「頼みましたよ、皆さん」
ベルを救うことが出来るとすれば、彼女たちだけだ。
壊れた教会。
アポロン・ファミリアの襲撃により焼け落ちた母の思い出を前に、ベルは立ち尽くす。
ヘディンの薫陶、フレイヤ・ファミリアの洗礼、あそこで過ごした日々。
決して長くない日々だったが、もう何もかもが分からなくなった。
呪詛を受けて記憶が混濁したというフレイヤ・ファミリアの面々。
だが、自分は確かにヘスティア・ファミリアとして過ごした日々を思い出せる。
唯一確かな母の遺したモノ。
それすらも、都合の良い記憶に過ぎないのだろうか?
ここは、自分とは関係ないただの廃教会に過ぎないのだろうか?
そんなことはない。
そう思いたい。
そう思い込みたい。
だがそれでも、信じる全てがあやふやになった今のベルには、何も分からない。
「お義母さんに手紙を……、でも、僕に母親なんていないって……」
フレイヤには、自分に手紙の遣り取りをするような母親はいないと言われた。
信じられなかった。
でも、信じられないという思いすら、今のベルには信じられなかった。
何もかもが分からなくなり、立ち尽くす。
監視…警護?をするフレイヤ・ファミリアも、今はいない。
思う存分、自分を疑い続けることが出来る。
思い起こされるのは、仲間や友だと思っていた人物から受けた言葉の数々。
『ファミリアを襲撃しておいて、よく来れましたね。リュー様をどこにやったんですか!?』
『あなた、フレイヤの……。リオンはどこ!?』
『なんの用だ、小僧?あの青二才に手を出してよくノコノコ顔を出せたな』
『君、フレイヤ・ファミリアの…。お願い、リオンの居場所を教えて!』
誰か一人でも自分を肯定してくれると思っていた。
今思えば、甘い幻想だった。
だからこそ、その幻想は容易く打ち砕かれた。
行方不明になったリューの安否を気遣う声。
そして、そんな状況を作るに至ったと認識されているベルへの冷たい暴言。
「……、……、もう、何がなんだか分かんないよ」
唯一、確認できていない人物がいる。
関わりのあるヘファイストス、ミアハ、タケミカヅチ・ファミリアや他の人物は全員確認したが、それでもまだ会っていない人物達がいる。
会おうと思えば、会えると思う。
でも、会うのが怖かった。
彼女たちに否定されれば、自分は完全に折れてしまうと分かっているから。
それと同時に、彼女たちは自分のことを覚えていないということも、分かっているから。
「アイズさん…。」
憧憬を抱く彼女の名を呼ぶ。
「ベートさん…。」
自分を厳しくも優しく励ましてくれた彼の名を呼ぶ。
「レフィーヤさん…。」
姉のように優しく微笑んでくれた彼女の名を呼ぶ。
「ティオナさん…。」
共に英雄譚で笑いあった彼女の名を呼ぶ。
「ティオネさん…。」
不器用だけど頼もしい彼女の名を呼ぶ。
「ガレスさん…。」
好々爺のように優しく接してくれた彼の名を呼ぶ。
「ヴェルフ…、リューさん…。」
そして、会えなかった友の名を呼ぶ。
今も行方がわからない彼女の名を呼ぶ。
彼女たちが自分を覚えていないのは確かだ。
いや、もしかしたら最初から繋がりなどなかったのかもしれない。
なぜなら、ずっと感じていたはずの繋がりを、まったく感じないから。
背中に刻まれたスキルは、黙したまま。
「僕は……。」
自分が作り上げた思い出の中でさえ、あやふやだった関係だ。
彼女たちはベルを英雄と呼ぶが、それが自分のことだとはどうしても思えなかった。
彼女たちに抱く憧憬に迷いなどない。
だが、彼女たちにとって自分は憧憬でも英雄でもない。
その代わりでしかない。
結局、ベル・クラネルは彼女たちの英雄にはなれなかった。
「ハハッ…」
自嘲がこぼれる。
涙も溢れる。
そして、何もかもがこぼれていく。
晴天が広がる中、彼の心だけは曇っていた。
「誰か教えて…。僕は、一体――――」
足に力が入らない。
膝から崩れ落ちていく。
絶望に負けるように、全てに屈するように、倒れ込む。
パシッ――――
だが、その直前で誰かが手を取った。
倒れそうになる彼の手を、絶望に負けそうになる彼の手を取り、救い上げる。
「―――見つけた!」
振り返るとそこには、今にも泣きそうな英雄たちがいた。
一番最初に違和感に気がついたのはティオナだった。
ベートとの喧嘩を終えて不貞腐れながら部屋に戻ると、ずっと本棚に眠っていたはずの本が机の上に出ていたのだ。
なぜ?という疑問を覚える間もなく、ティオナはその本を手に取った。
本のタイトルは『アルゴノゥト』。
世界で最も有名な童話の一つ。
英雄譚であり、滑稽な喜劇の物語でもある。
ティオナの大好きな物語だ。
だが、それでも最近はこの本を開くことは少なかった。
「あたし、なんで読まなくなったんだっけ…?」
武器の借金を背負いながらもティオネに頼み込んで借りたお金で買った、豪華な装丁が施されたお気に入りの一冊。
半年前までは毎日のように手に取っていた。
だが、いつの間にか読まなくなった。
嫌いになったわけでもないのに、なぜか。
そんなことを考えながら何気なしにページを捲る。
すると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「なに、これ…?」
ページには物語と共に、赤黒い血の跡が一面に広がっていた。
変色し、乾燥しきった血の跡。
その形は文字となっており、彼女に訴えかけてくる。
『考えるな!』
『動け!』
『苦しんでる!』
何がなんだか分からない。
だが、一番分からないのはその血文字の筆跡が、自分のものであるということ。
これは間違いなく自分が書いたものだ。
なのに、何一つ覚えてない。
それが何よりも不気味だった。
だが、そんな思考はすぐに捨てられる。
『アルゴノゥトを探せ!!』
その言葉は、彼女の胸のうちにストンと落ちた。
自分たちは何を燻っていたのだろう。
何かを失った事実を受け止めきれずに喧嘩などして、馬鹿じゃないのか。
失くなったのなら、探さなきゃいけないのに。
“彼”は今も、戦い続けているのに。
その瞬間、彼女は部屋を飛び出た。
「レフィーヤ!行くよ!」
「てぃ、ティオナさん…!?」
部屋に閉じこもっていた妖精の首根っこを捕まえ、無理やり引きずり出す。
そして、彼女を抱えて館内を走る。
勢いよく扉を開けると、騒動の説教を受けている彼ら彼女らと、失意の底に沈んでいる彼女がいる。
「アイズ!ベート!ガレス!ティオネ!それと、クロッゾとリューも後で回収する!」
「ちょ、いきなり何なのよ、あんた!?何するつもり!?」
「探すよ!!」
疑問を叫ぶティオネに、ティオナは叫び返す。
決意と覚悟を込めて、必死に叫ぶのだ。
「あ?探すだぁ?お前、何言って――――」
「探すの!!失くした何かを!!今一人で苦しんでる“あの子”を!!」
失くしたものが何なのかは分からない。
でも、口をついて“あの子”という言葉がこぼれ出た。
「迎えに行くよ!!」
そして、その瞬間全員が部屋を飛び出た。
一瞬だけ振り返って、フィンの様子を見る。
彼はわかりやすくため息を吐いた後、苦笑していた。
「いってらっしゃい」
「行ってくる!!」
団長の言葉を背に、彼女たちは走る。
街に飛び出て、ヘスティア・ファミリアのホームに向かう。
「おい、クソ鍛冶師!いるか!?」
「ちょ、何なんですか、いきなり!?大派閥様が――――」
「ごめん、あたし達余裕がないの!クロッゾはどこ!?」
「ゔぇ、ヴェルフ様でしたら工房に――――って、ちょ!?」
ホームで一番最初に出会ったリリルカに怒鳴り散らすようにしながらヴェルフの居場所を聞くと、そのまま彼の工房に雪崩込むように駆け込んでいく。
扉を壊しかねない勢いで駆け込んできた彼女たちを見て、ヴェルフはどこか呆れるような表情を向ける。
そして、その手には見たことがない軽鎧が握られていた。
「何やってんだよ、お前ら?」
「探しに行くよ!!」
ティオナのその言葉に、ヴェルフは持っていた軽鎧を大切に仕舞いながら、思いを馳せる。
思い出せない過去に、必死に思いを巡らせる。
「やっぱり、いたんだな…。勘違いでもなんでもなく、俺達が思い出せないあいつは―――」
「感傷は後!!一番苦しんでるのはその子!探すよ!!」
「―――ッ、ああ!!」
感傷も後悔も今はどうでもいい。
ただ、今も悲しんでいるであろうその子を探すだけだ。
「ていうか、リューは!?」
「行方不明!!多分生きてるけど、どこにいるのかは分からねえ!!」
「あのクソエルフの奴は何やって――いや、あいつもあいつで動いてやがるな!?」
「ていうか、なんか分かんないけど、違和感がすごいんだけど!?気持ち悪い!!」
「それこそどうでもいいでしょ!?」
「それよりも……探さないと……。」
「探すと言うが、手がかりは!?」
「流石に何も手がかりなしだと無理ですよ!?」
「手がかりはアルゴノゥト!!まずはそこから調べていく!!」
「調べるも何も、あんたが一番くわしいでしょ!?」
「わかんない!なんか思い出せない!」
「ぶっ飛ば……――――いや、思い出せないってことが重要?」
「それも含めて、アルゴノゥトを調べるの!!」
「図書館にでも行くの?」
「時間がないから、人に聞く!!私と同じくらいアルゴノゥトに詳しい子に!!」
……………
…………
………
……
…
「アーディ!!教えてほしいことが――――」
「アルゴノゥトは白髪赤目のヒューマン!私も忙しいから早く帰って!」
英雄譚に詳しいアーディにアルゴノゥトについて教えてもらおうと彼女のホームを訪れると、彼女は苛立ちながらそれだけ告げる。
その様子にティオナ達も違和感を覚えたのか、怪訝そうな顔をしている。
「どういうこと…?なんであたし達が聞きたいこと――――」
「今週に入ってから何回目だと思ってるの!?私もリューの捜索で忙しんだって!!」
「やっぱり、あたしは何回も……。他に、あたしは何か言ってなかった!?」
「『何も考えずに走れ』『答えは聞くな』。この二つだけ。私は白髪赤目のヒューマンを知ってるけど、その子について絶対に自分たちに教えるなとも言われた」
「頭が痛くなってきた…。どういうこと?」
「私に聞かれても分からないよ。ていうか、なんで今回は7人で来てるの?」
過去のティオナに言伝を頼まれたアーディですら、意味が分からないまま伝えているだけ。
だが、その口ぶりから何度も自分は記憶を失っていることと、7人で来たのは今回が初めてだということは分かった。
考えるなと言われてる以上、今の自分達に出来ることは我武者羅に白髪赤目のヒューマンを探すことだけだ。
「ごめん、アーディ!全部終わったら説明できると思うから!また来るかもしれないけど――――」
「それも聞いた!急いでるんでしょう?早く行ってあげて」
「ありがとう!」
7人はとにかく夢中で走り続ける。
どれだけ走り続けても、探している人物は見当たらない。
見つからない焦燥感が増してくる。
考えてはいけないことも、考えてしまう。
「記憶のリセット…?なんでそんなことが…?」
「分かんないけど、考えちゃダメ!!考えた瞬間にすべてを忘れる!!」
「ていうか、そもそもなんでアルゴノゥトなの?」
「わかんない!でも、今はそれを信じるしかないでしょ!?」
「でも――――」
「だから考えちゃダメだって!!ああ、もう!し・り・と・り!アイズ、“リ”!!」
「いきなり何…!?」
「考えちゃダメなんだから、別のことで気を紛らわせるの!アイズ、“リ”!」
「り…“リル・ラファーガ”!ベートさん、“ガ”!」
「俺かよ!?が…」
思考を紛らわせるためにティオナから突如始まったしりとり。
一切走るスピードを落とすことなく、それを続けていく。
「“楽器”!クソ鍛冶師、“キ”!」
「“金属”!ガレス、“ク”!」
「“曇り空”!レフィーヤ、“ラ”じゃ!」
「ら…、“雷光”!ティオネさん、“ウ”です!」
「ああもう!う…“牛”!ティオナ、“シ”!」
「“尻尾”!」
第一級冒険者が全力疾走しながらしりとりをするなど異色極まりない光景だが、本人たちに体裁を気にするような余裕はない。
とにかく、胸のうちに空いた穴を埋める何かを探したかったのだ。
そして、都市全土を走り回る。
市場から、住宅街。
街の至る所を探して回った。
そして、墓地の方にまでその足は運ばれた。
「暖炉!」
「ロバ!」
「バック!」
「蜘蛛!」
「も…、モニュメント!」
そして、とある英雄のモニュメントの前で立ち止まる。
英雄アルゴノゥトのモニュメント。
ティオナ以外にとってどうでもいい英雄のはずなのに、なぜかこの場から動けなくなる。
アルゴノゥトを探しているからなどではない。
この像は探しているものではない。
だが、それでも動けなくなる。
「と……、“時”」
ティオナが小さくしりとりの続きを答える。
考えないようにするためのそのゲームは続いている。
次はアイズの番だ。
「き……」
アルゴノゥトのモニュメントを眺めながら、アイズは答えに詰まる。
“キ”のつくものなどいくらでもあるはずなのに、何かを思い出しそうになるせいで答えが出てこない。
モニュメントを見つめる。
自分たちが進むべき道を示してくれているようなこのモニュメント。
彼の顔を、その笑顔を。
「……教会」
そして、答えは出た。
アイズは走り出す。
「ちょ、アイズ!?」
「教会…、教会に行く!街の外れにある、焼け落ちた廃教会!そこにいるはず!」
何の確証もない。
だが、そこにいると確信できた。
行ったことがある。
この場にいる全員とリュー、それにアーディとリヴェリアとフィンも合わせて来たことがある。
あのときは何をしにこの場所に来たのか。
神ヘスティアに謝罪をしに来たはずだ。
何を謝罪に来たのか…?
分からない。
でも、そこに行くだけの理由があったのは確かだ。
アイズたちは走る。
そこにいると信じるその人を目指して。
そこにいた。
処女雪のような真っ白な髪に、ルビーのような赤い瞳。
アルゴノゥトと同じ特徴を持つ少年。
だが、彼女たちにとってそんなものはただの後付の理由に過ぎない。
見た瞬間に理解したのだ。
彼女たちの魂が、彼を求めているのだ。
彼こそが、自分たちが探し求めている相手だということを。
「―――見つけた!」
その手を取る。
今も泣き続けている彼を、救うために。
今最も会いたかった彼女たち。
今最も会いたくなかった彼女たち。
矛盾するような感情を抱く彼女たちを見て、ベルは呆然とする。
「アイズ…さん?」
彼女の名を呼ぶ。
期待してしまった。
自分を見つけてくれたのであれば、覚えているのではないかと。
しかし、その期待はすぐに裏切られることになる。
名を呼ばれたアイズたちの瞳を見て、違うことが分かった。
揺れるその瞳は覚えている人間のそれではない。
現実に打ちのめされて、絶望に負けそうになる。
流したくもない涙が溢れてくる。
「――――ないで」
「……え?」
「泣かないで…!」
自分たちが涙しながら泣かないでと懇願する彼女を見て、ベルは言葉を失う。
自分も泣いているのに、ベルのことなんか覚えてないのに。
なのに、涙を流して悲しんでいる。
「なんで、僕に――――。あなた達は、僕を覚えてないはずなのに……。」
「ごめんなさい、ごめんなさい…!私達は、君を、覚えてない…!」
いくら魂が訴えかけようと、美の女神の権能はそう簡単に打破できるものではない。
魅了の一切が効かないベルが特例なのであって、それ以外は神であろうと魅了の魔の手から逃れることは出来ない。
だが、それでも彼女たちは諦められない。
覚えられなくても、覚えていなくても、彼女たちにとって彼は愛すべき存在なのだから。
彼を力の限り抱きしめる。
アイズだけでなく、ティオナとレフィーヤも。
ベート、ガレス、ティオネ、ヴェルフも、ベルの傍に駆け寄る。
「あたし達は君の名前も分からない…。君を、何一つ……!」
「じゃあ、なんで――――?」
覚えていない相手にここまで気にかけることなど、ありえない。
事情も何も知らない見ず知らずの他人のために涙を流すことなど、ありえない。
「―――ッ、愛しているから!」
「…………。」
「覚えていなくても、覚えられなくても、私達の中にある何かが叫ぶんです。あなたは、私達が愛した存在だと」
「俺達は、テメエのことなんざ知らねえ。だがそれでも、テメエから感じる全てが俺達を救ってくれる」
「儂らはそれを信じるだけじゃ。理屈なんぞ知ったことか」
「あんたからしてみれば、馬鹿みたいに思えるかもしれないけど、私達にとってはそれが全てなのよ。我ながら馬鹿だと思うけどね」
「工房にあった軽鎧。ずっと誰のために作ったのか分からなかったが…、お前のためだったんだな。通りで魂の込もった出来なわけだ」
「自分でもなんでか分かんないけど、あたし達君のことが大好きなんだよ…!」
思い思いに全てをぶつける彼女たちが、ベルには分からなかった。
自分は彼女たちにとって、大切な存在の代わりでしかないはずなのに。
なぜこんなにも、彼女たちは愛してくれるのだろうか。
「諦めないで…!戦い続けて…!諦めた先に、未来はないから!君なら出来る…。君は私達の愛した――――」
ずっとずっと、言葉にならなかった思い。
自分たちにとって、彼がどういう存在なのかという疑問。
それは魂の叫びが声になることで、ようやく形になる。
「『英雄』、だから……!!」
それはきっと、呪いだ。
この言葉に、ベル・クラネルは未来永劫囚われ続ける。
幼い頃、母から貰ったあの呪いと同じだ。
でも、その言葉はベルにとって希望となる。
「代わりなんかじゃ、なかったんだ……。」
彼女たちは、ベルをベルとして愛している。
代わりなどではなく、ベルを英雄だと思っている。
こんな状況にならないと分からない、彼女たちの思い。
それが痛いくらい、ベルに突き刺さる。
「いつかきっと、私達も追いつく…。君を一人にはしない、絶対に追いついてみせるから……!こんな箱庭なんて、壊して見せる…!だから、きっと、その時まで――――」
「―――ッ、アイズさん!?」
その瞬間、アイズ達は糸が切れたように倒れる。
リセットされてしまった。
ベル個人への思いから、彼を取り巻く感情に意識を向けたのがいけなかった。
箱庭を壊そうとするその意志を、女神は決して許さない。
10秒もしないうちに起き上がるアイズたちだったが、ベルを見つめるその瞳には戸惑いがある。
彼が自分たちにとって欠かせない存在であることは分かっても、それ以外に何もかもが分かっていないようだ。
「君は……」
「―――皆さん、ダメですよ?いくらお疲れでも、こんな所でお昼寝なんてされたら」
不用意に話せばまたリセットが働く。
それを危惧したベルは優しい嘘をつく。
常日頃は嘘なんて殆どつけないくせに、こんな時にはみんなを騙してしまうのだから嫌になる。
「僕はもう行きますね。やらなくちゃいけないことが、あるので」
「待って!君は、一人で――――!」
「大丈夫ですよ」
なぜかは分からないが、彼を止めなくてはいけない。
アイズはそう思ってしまった。
だからこそ、彼に手を伸ばし引き留めようとする。
だが、ベルはアイズの手をそっと握り、引き留めようとする手を収めさせる。
そして、彼女たちから受け取った全てを思い出しながら、優しく微笑む。
「信じてます。いつかきっと、皆さんは僕を救ってくれるって。その時をずっと待ってます。その時まで、頑張ってますから」
「でも、一人じゃ――――」
「心配しないでください」
彼女たちを安心させるように、ベルはニッコリと笑う。
そこに絶望などありはしない。
もう、何も疑ったりしていない。
自分の中の真実は取り戻したのだから。
「なんて言ったって、僕はあなた達の『英雄』なんですから!」
自分を英雄と呼び笑ってくれる彼女たちがいるのだから、もう何も大丈夫だ。
彼女たちから受け取った言葉を誇らしく告げると、ベルは走り出す。
「行ってきます!!」
あとがき
本当は17巻の終わりくらいまで一気にまとめたかったんですが、二万字超えそうなんでここで一回切ります。
いくつか頂いた感想や質問。
『都市全土の魅了を前世組はどうやって切り抜けるのか?』
まあ、文脈や意味合いは多少違うかもしれませんが、総括ということで。
それに対する答え。
『気合と根性』
ということで、ほぼほぼ根性論です。
ティオナは全部で30~40回くらいリセットされてますし、他の面々もなんとか探そうとして思考を巡らせて何回もリセットされてます。
本当はリューさんも魅了させたかったんですけど、フレイヤ様を煽る人が欲しくて原作のままにしました。
あと、お義母さんたちを参戦させたかったんですけど、あの人達参戦させたら盤面が全部ひっくり返るので断念しました。
社会人陸上選手と中学生がハンデありで競争してるところに、ウサイン・ボルトが乱入するようなもんですし。
それと、前世組と他のヒロインたちはほぼ同じ条件ですけど、アルゴノゥトというベルでありベルでない存在がいたことが、唯一の違いかなって思ってます。
以上、あとがきでした。