昔から、絵を描くのが好きだったと思う。
幼稚園の時はほとんど絵を描いて遊んでいたし、家でも絵を描いていた。
1枚絵が完成する度に、私は恐らく仕事中であるにも関わらず部屋に突撃して、お父さんに見せに行った。
お父さんは無愛想で、顔に表情はあまり出ない。ただ、言葉の端に乗る優しい色が好きだった。
『よくできている』と。言葉にはせずともそう言ってくれているのが伝わるようで、最後に頭を撫でられるのが、幼いころの私は好きだった。
そんな記憶は、今では色も何もない昔の話。
絵を描く才能がないとお父さんに断言されたあの日から、私のこれまでが崩れ始める音がした。
完全に心が折れてしまったのは、心配そうな顔でお母さんから渡された、封の空いていない封筒を渡された時。
東雲絵名、15歳。
目指していた絵の学校は落ちて、滑り止めの高校に受かった書類を持つ昼下がり。
新しい夢、募集中。
〈♪〉
時が経つのは早いもので。
気付いた時には私は神山高校に通う2年生になっていた。
自分のやりたいことが自分でもわかっていない、知り合い以上友達以下のクラスメイトによればそんな奴は意外といるらしい。
例にもれず私も、そんな奴になっているわけだが。
神山高校に入ってた1年の間で、妙なこともあった。。
まず謎のサークルに誘われた。
きっかけは、ただ私が惰性で描いていた絵の作業用BGM用に流していた曲。
なんとなく気に入ったその曲をテーマに絵を描こうと決めた私は、ついでにと、これが最後の絵にしようと決めた。
完全に、デッサンすらもやらないというわけじゃない。昔取った杵柄とでも言うようなものにできればいいか、と考えていたのだ。
文字通り私の全てを込めて描いたそれが、タグ付けして投稿したのが良くなかったのか作曲者の目に留まり、曲のイラストを担当してくれないか、という話に。
特にやることもなかった私はそのまま承諾したわけだけど…サークルメンバーもみんな年齢の近い女性で、意外と悪くない環境だった。
まさか、そんな環境がおかしなことになるなんて、入ったばかりの頃は想像もしていなかったのだけど。
私の入ったサークル、『25時、ナイトコードで。』とかいう名前の関係は、ある日を境に一瞬で変わる。
構成メンバーはK、雪、Amiaと、えななんこと東雲絵名の4人。
自撮り垢の名前がえななんなせいで、Amiaにすぐばれた…いや、それはどうでもいいか。
共有フォルダの中にいつの間にか入っていた謎の楽曲『Untitled』。これを再生することで、セカイと呼ばれる謎の空間へと入ることが出来るようになった。
「今じゃ、『想いが曲になった』って言って、名前は変わっちゃってるけど…」
SNSでネタ探しをしていたスマホを操作して、アプリを起動する。『悔やむと書いてミライ』という名前の楽曲が、今ではセカイへの切符だ。
セカイは意味不明な空間だし、その住人のような存在として初音ミクがいるし。
雪は『消えたい』って言って周りを振り回して、Kは『必ず救う』と言葉の呪いをかけて。
ぶっちゃけこの間までの話って、私とAmiaがいるのかどうかも微妙なところだった。
まぁなんだかんだで解決した…雪を救わなくちゃいけないから、完全に解決したわけじゃないけど、その後初めてのオフ会をすることになった。
その時に初めて、私はそれぞれのリアルネームを知った。と言うか、私だけがお互いの名前を知らなかったわけだけど。
そもそも、他人に興味なかったし。そこまで踏み込むつもりもなかったのだから、別に良くないだろうか。
「はぁ…その時に私の自撮り垢フォローされちゃうし…いやまぁ、フォローするのは自由なんだろうけど、知り合いが見てるっていうのがなんか…」
ファミレスに集まった私たちだが、ある程度話をしている間に議題にあがったのが、なぜか私の自撮り垢だった。
Amiaこと、暁山瑞希が推していて、微妙な気持ちになったっけ。Kこと宵崎奏が『作曲の参考になるかも』って言って、瑞希に教えてもらいながらアカウントを新しく作成してフォローしてくれてたけど。
雪こと朝比奈まふゆは、あんまり興味なさそうに、ただアカウントは優等生を演じるのに必要だったのか持っている様子で、しれっとフォローしていた。
こそばゆい。自分の顔を誰ともわからない不特定多数相手に晒しているけれど、こんな感情を覚えたことはない。
次に、神山高校の変人ワンツーの片方を知り合いになった。
神代類。
まさに天才と呼ばれるその男との初対面は、屋上だった。
芸術方向に明るいクラスメイトに、私の父親の事を根掘り葉掘り聞かれて精神的に参った頃。どうにか人目のない場所をと求めて彷徨いたどり着いた場所が屋上だったわけだが、そこで金属部品をいじっている謎の人物と目が合った。
『あ…っと、邪魔しちゃった?』
『いいや、ここは僕だけの場所ではないからね。来るもの拒まずだとも』
孟子かこいつは、と思った私は間違ってないはず。
それからちょくちょく屋上へと足を運んで、たまに世間話をする程度の関係に落ち着いたので…やっぱり他人以上友達以下みたいな関係だろう。
ぶっちゃけ、変人ワンツーのもう片方とよく暴れているのを見るので、それに巻き込まれる可能性があると考えるとお近づきにはなりたくない。
彼単体で話してみると、存外普通の人なのだけれど。
ちなみに、『25時、ナイトコードで。』、通称ニーゴでの事件が起きた後、普通に屋上に瑞希がいて、屋上仲間だね、なんて笑みを浮かべていた。
別に私は不真面目なわけじゃないんだが。
「ま、今日はいないみたいだけど」
静かでいい、と続けながら私は屋上のコンクリート床に腰を下ろした。
そのままポケットからスマホとイヤホンを取り出して、奏の作った音を聴く。歌詞もなければただ打ち込まれたそれだけど、どういう方向性の曲なのかぐらいは理解しておかないと、絵を描いてもこれじゃない感が出てきてしまう。
絵に対する情熱はもう失われて久しいレベルになっているけれど、奏たちは本気だ。少なくとも、奏は自分の命を対価に誰かを救おうとしている。
それに対してなぁなぁな気持ちで応えるのは、私が一番嫌いな人種だ。
やるからには全力で。
「…とはいえ、技術的な面で行き詰まってる気がするのよね」
絵画教室もいかなくなって既に1年以上経過している。
私に新しい技術を教えてくれるのがネットか本かの2択しかないので、上達もそれなりに遅い。
実際に手取り足取り教えてもらえずとも、その道のプロに直接教えてもらえるというのがいかに貴重なのか、私はようやく理解していた。
「…本当は嫌だけど、お父さんにでも見せようかな…」
本当は嫌どころではない。ぶっちゃけ死ぬほど嫌だ。
だがしかし、将来絵描きで食っていこうとしているわけでもないのに絵画教室に通うためのお金を出してもらうわけにもいかないし、使える物は何でも使ったほうがいいだろう。
そうだ、利用してやるぐらいの気持ちでいたほうがいい。絵をまだ本気で描いていた時の自分の部屋に、ノックもせずにずかずかと入ってくるような男相手は、それぐらいがちょうどいい。
まぁ、私が絵描きの道を目指さなくなったぐらいから、妙に私の部屋に立ち寄らなくなったのだけど。
最終的には変な奴、という印象だ。実の父親に対して思う物でもないかもしれないけど。
絵がある場所にはふらふらと歩いて行ってしまう習性があるんだろうか?
〈♪〉
高校2年生になったことで、いよいよ将来に関して真面目に考えなければいけない時期になってきた。
2年のうちには進路をある程度決めておかないと、就職するにしても進学するにしても、高校3年にはもう動き出すぐらいだと上級生から聞いたので、苦労することになるだろう。
と。頭で理解していても、現実としてそう簡単にいくはずもなく。
どうしたものか、と担任に相談してみれば、『今の世の中的にはとりあえず大学に進学してから考える人もいるくらいだぞ』と返された。
なるほど、大学に行ってから考えると言う手もあるのか、と思うと同時に、名も知らぬ上級生の事を若干恨んだ。
『親切に教えてる俺かっこいー』みたいなオーラを出しながら恩着せがましく教えてきたあの男、向こう3年は忘れない。まぁ、連絡先は教えなかったし、実害はないから忘れても問題はないけど。
とはいえ、大学に行ってから考えるというのも、ただの先延ばしにすぎないだろうか。
今焦って決めても良くないとは思うものの、大学でも将来について悩んでいそうな気がする。
大学に行くのも、安くない金がかかる。
お母さんは大人に任せなさい、なんて言ってくれたけど、やっぱりそういうところに行くなら何か目的を持っていたほうがいい気がしてならない。
以前瑞希にそれとなく将来の話をしたところ、迷わず私が将来の進路について悩んでいることを看破されてしまった。
それと同時に、やりたいことが見つかっていない迷子なんだね、とも。
迷子…迷子か。
それがぴったり当てはまるのはきっとまふゆの方なんだろう。
私の場合は…当てもなく彷徨って出口が見つかるだろうか。なんとなく、入り口に戻ってきてため息を吐いていそう。
迷子なんてものは、出口が存在しているから迷子になれるのだ。
私の人生の中で、ゴールなんてものはあるんだろうか。
〈♪〉
「バイトをしたいって、どうしたの?」
「ちょっとネタ探しにね。ちょっと目についたんだけど、エキストラってどうなの?」
「あぁ、そういう…そうね、エキストラ程度なら、大丈夫だと思うけど…ねえ、別に芸能界を目指してるってわけじゃないのよね?」
「まだ考え中、かな」
愛莉に連絡を送った数日後、放課後に時間が空いてるからと言われて集合場所に示されたのは、駅前の個室のあるカフェ。
カフェの中で雑談をしたいという要望が、多く、元々はしきりも何もなかったこの店を、多少の席数を犠牲にしてまで個室のカフェに改造したのだという。
随分と思い切った改装をしたものだ。それでいて、客もかなりの数入っているから、成功した、のだろうけど。
そうして愛莉と飲み物を1つずつ頼んだ後、早速とばかりに愛莉に詳細を聞かれた。
エキストラ、か。
所謂ドラマとかで写っているような、名前を当てられているわけじゃなく、カメラのスポットも当たらない、ただの通行人Dくらいのレベル。
それくらいなら、一般人に私にも出来るだろう。別に演技力を求められているわけじゃないだろうし、逃げ惑うとか、ただ歩いてるとか、その程度のはず。
なんなら、それがテレビドラマで、放送された後にSNSなんかで報告したらそれなりのいいねも付きそうだ。
「…先に言っておくけど、絵名はやるなら事務所に所属したほうがいいと思うわ」
「そんなに管理できなさそうな人間に見える?」
「できても面倒くさがりそう、の方が正しいかしら」
まぁ、確かに。
「普通に、ショップ店員のバイトでもしようかな。学校が終わってからだから…17時ぐらいからあんまり夜遅くまではできないけど」
「そうね、その方がいいと思うわ。正直、その顔面のレベルならモデルもありだけど…」
「? 何か言った?」
「いいえ、何も」
「そう? ならいいんだけど…もうこんな時間。今日はありがとう、愛莉。相談に乗ってもらっちゃって」
私の礼に、愛莉は首を横に振って当然よ、と胸を張った。
愛莉との間に貸し借りなんてものをあまり作りたくないから、この場の支払いは私が持とう。
「ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくる」
「ええ、私もいいところがないかちょっと調べてるわ」
そうしてスマホをカバンから取り出そうと愛莉の目がこちらから外れた時に、机の下にある伝票を取る。
レジに立っていた店員の元へと向かい、笑顔を浮かべたのに対してこちらも笑顔で返す。
「すみません、先に支払いを済ませたいんですけど」
「かしこまりました~」
これは私の悩みに、忙しい中わざわざ時間を取ってまで付き合ってくれた愛莉への御礼だ。
金銭的な事情で言えば愛莉の方が持っているだろうけど、そんなことは関係ない。むしろバイトを始めればお釣りが来る。
別にお金が欲しくてバイトを始めるわけじゃないし。
パパっと会計を済ませた私は、個室の戻って愛莉と一緒に店を出た。
「何か困ったら何でも言いなさいね。絵名、結構抱え込むこと多いし」
「わかってるってば。昔はただ頑固だっただけだって」
また今度一緒に食事でもしよう、と言葉を交わして、私たちは帰路を分かれた。
そういえば、配信者なんかってどうなんだろう。
ずっと猫を被ることになるだろうけど、自撮り垢もあることだし、初めて見るのもいいかもしれない。
サークルで作ってる曲は全て自分たちで歌うことにしているから、いつか私の声繋がりでばれるかもしれないけど…それが問題になるかは微妙な所だ。
私自身が炎上でもした際には、私はサークルから脱退は必至だろうけど。
「はぁ~あ。簡単に稼げたら楽なのにな~」
そんなものがあったら世の中苦しむ人間はいない。
頭の中ではわかりきっているものの、働いてお金を稼ぐということに今更ながら憂鬱になってきた私は、一つ伸びをして歩き出した。