【完結】機動戦士ガンダムSEED Revelation ~紅蓮のフレイ~ 作:kayako
烈しい陽射しから突然押し出されたのは、何もない闇の空間。
サイは一瞬、平衡感覚を失う。
そこへ響く、フレイの声。
「サイ。
──貴方が、貴方自身と定義出来るものって、何?」
目の前の闇に、ふっと一輪の真っ赤な薔薇が現れた。
うっすらと紅の光を放ちながら、それはサイの顔を照らす。
手に取ろうとしても、指は薔薇をすり抜けた。
しかし薔薇の光はやがて少しずつ強くなり、周囲の光景を映し出す──
そこにあったものは、サイの周囲いっぱいに広がる、星々だった。
足元を見ると、いつの間にか薔薇の敷き詰められた小さなひし形の花壇がサイを支えるように拡がっており、それが満天の星空に浮かんでいた。
星たちは天を流れ、花壇も空を滑り始めた。まるで、宇宙を悠々と航行しているように。
それが鏡ばりの部屋によるトリックだということをサイは頭で認識してはいたが、脳の芯を揺るがすような不安定な感覚は否定出来ない。
サイの両手の間で、薔薇が二輪に分裂する。
フレイの声。
「貴方をサイ・アーガイルだと証明出来るものは、何?」
「俺は、俺だろ……何を言ってるんだよ?」
サイの言葉に答えるように、フレイの姿が正面に現れた。
正面と言ってもそれは、星空の遥か向こう側のようにサイには見える。
同じようなひし形の薔薇の花壇が現れ、フレイがその中心に立っている。ワンピースが薔薇の中で、うっすらと白い光を放っていた。
「人を人として形づくるもの──それは積み重ねられた記憶、過去、名前。
サイが当たり前のように自分は自分だと言えるのは、その記憶が確かだから。
でも私は、その全てを失くしてしまった」
星空全体が、急速に二人の周囲を回り始める。
同時に、噴水のように薔薇がフレイの足元から散った。
二人を乗せた花壇がゆっくり星空を不規則に回り、近づいては離れ、離れては近づく──
そういえば、オーブの遊園地にもこんなアトラクションがあった。無重力疑似体験とか……
「フレイ!」サイは眩暈を起こしそうになりながらも叫ぶ。「君は、記憶を取り戻したんだろ?」
「どうかしら?
私が記憶を取り戻したと言ったら、貴方は信じるの? 虚しいことよ」
「さっきから、君は何を言ってるんだよ!?」
「人の記憶というものは、とても曖昧なもの。
例えば──昨日あった出来事を、貴方は正確に全て、思い出せるかしら?
昨日あったはずのことは、実は全て夢だった。そうじゃないと断言出来る?」
近づいては遠ざかる、フレイの紅の髪。
飛び散る薔薇と星の中で、サイは必死で反論を試みる。
「そりゃ、昨日までに自分が積み重ねてきたものがあるだろう……日記とか、仕事のログとか。
残してきた記録や、証しがあるはずだ。どこかに必ず!」
自分で言っていて何とも虚しく、阿呆な台詞だと思った。
過去の自分の積み重ね。自分が自分たる証明――
いざ指摘されてみれば、これほどあいまいなものもない。特に今のように、誰かの気まぐれで何もかもが吹き飛ばされかねない世界では。
だがその言葉についとフレイは近寄り、細い指で優しくサイの左肩に触れる。
「そうね。貴方の傷も、貴方が確かに傷を受けたという事実を証明する」
「それだけじゃない、周りの人間だってそうだ。
俺が忘れても、周りが覚えていることなんて幾らでもある。それが……」
「そうね、サイ。貴方の周りには、たくさんの人たちがいる。
でも私には、誰かいたかしら? ちゃんと、私のことを知ってくれる人が」
フレイの指がみるみるうちにサイから離れ、二つの薔薇の床は宇宙の端と端に別れてしまう。
サイは懸命に呼びかけるしかない。
「俺がいる。
俺だってキラだって、ミリアリアだっていたじゃないか!」
そうだろうか。言ってしまってから、サイは思った。
俺はあの時のフレイを、彼女の心情を、どれだけ知っていた? どれだけ真剣に考えていた?
むしろ、キラやミリアリアの方がずっと――
離れ離れになったサイとフレイの間に宇宙は流れ、薔薇が流れていく。
「アークエンジェルから離れた後は?
あの後の私を知る人は、誰かいるかしら?」
無限の星空の中に自分が浮かび上がっているように錯覚させるこのアトラクションは、トリックを理解していても平衡感覚の乱れは止められない。
眩暈に呻くサイの眼前に、現れたり消えたりを繰り返しながら――
フレイは語りかける。優雅に、泳ぐような仕草で。
「ザフトには、クルーゼしかいなかった。その彼も死んでしまったわ。
ドミニオンにはナタルさんがいたけれど、彼女も死んでしまった。
殺したのはアークエンジェルよ」
そうだ──あの時、ほぼ機械的にしろ、俺はオペレーターとして、ローエングリンを撃った。
あの時からもう、俺の手は血で汚れていたんだ。
いや──もっと、ずっと前から。
キラに、守られていた時から。キラを、戦わせていた時から――
「ドミニオンから脱出した人たちも、みんな死んでしまった。私と一緒に。
だから、私が最期に何を想ったのか。知る人は誰もいない。
その時私が『いた』ことを証明するものも、ない。
唯一確かなのは、救助艇が撃たれたあの瞬間から、フレイ・アルスターとしての記録は途絶えたということ。
フレイ・アルスターの時間は、
それ以降、誰の記憶にも、フレイ・アルスターはいないはずよ」
サイは真っ向から反論する。
「しかし、君はフレイなんだろ。
君はフレイだ。自分でそう言ったじゃないか!
今ここにいる自分が、フレイ・アルスターの真実だって!」
あの炎の街でフレイが言い放った言葉は、未だ強烈にサイを捉えて離さない。
その言葉に縋りたい自分を、サイは感じ始めていた──
何を恐れている、俺は? 何を迷っている?
フレイの真実をあれだけ求めていたのに、俺は怖がっている──何を?
フレイはぽつりと、淋しげに呟いた。
「そうよ。
『私の存在』こそが、現状のフレイ・アルスターを示すもの」
フレイが手にした薔薇が、ふっと消える。吐息と共に。
「2年前──
キラが謝りたかったのと同じに、
サイを愛しげに見つめる、灰色の瞳。
やめろ、やめろ、やめろ――その先を言うな!
サイの中で、何かが叫び出す。
薔薇の花びらが、血の流れのように闇を飛ぶ。
フレイはサイを真っ直ぐに見つめたまま――
ゆっくりと、一言ずつ、はっきりと口にした。
やめろ、言うな。
その言葉を言えば、全て終わってしまう!
だがフレイは、サイが最も恐れていた、そして最も欲していた言葉を、優しく告げた。
「だから──サイ。
本当に、ごめんね──」
その言葉と、淋しげな微笑と共に、
彼女の姿は──ふっとかき消えた。
その言葉の意味も分からないまま、分かりたくないまま。
サイはたった一人、星空の中に立ち尽くす。
だがそれも一瞬で、再び星空は周囲で高速回転を始め、全てが光の弧を描く流星となった。
――どういう意味だ、今のは。
全てを終わらせるような彼女の謝罪の言葉を、サイはただ考えていた。
眩暈を起こさぬよう、反射的に右腕で両目を覆い隠す。
その耳に、フレイの言葉だけがこだました。
──ごめんね。
彼女は貴方に、ずっと言いたかったはず。
――「彼女」?
閉じた瞼の裏側の闇に、うっすらとオレンジ色の光が差し込んでくる。
フレイの声は、まだ聴こえていた。
「サイ。貴方は必死で、自分の時間を動かそうとしていた。
でもずっと、私が止めてしまっていたの。
だからもう、終わりにしましょう」
サイはその声に導かれるように、ゆっくりと片目を開く――
眩しい夕陽が、まず目に焼きついた。
その大きな夕陽の前に立つもの。紅の髪の少女──
それは確かに、フレイ・アルスターのはずだ。
見間違えるはずがない。サイの記憶と全く同じ、フレイだ。
「ここは?」
見渡すとそこは、いつかサイがフレイと共に出かけた、海の見える高台の公園。
サイが全てをフレイに打ち明け、彼女の記憶を取り戻させようとした場所。
柱時計に集まってくる蛾。
燃えるような陽。
血のように赤く染まる人影。
足元だけは何故か、一面の薔薇の海だった。
「あの場所はテロで破壊されてしまったが、今もこうして再現することが出来る。
いい世の中になったものだな」
フレイ・アルスターは自嘲的に笑う。
既に、先ほどまでの朗らかなフレイの声も表情も、何処かへかき消えていた。
明らかに、「姫」たるフレイが戻ってきてしまっている──
海と共に、チュウザンの街が見渡せる高台。
あの時のままに、まだ焼けていない街が再現されていた。高台を囲むように造られた、腰ほどの高さの柵。
その柵に手を触れながら、彼女はそっとサイに目をやった。
「ミーア・キャンベルという少女を知っているか?」
「いや……」
サイはそれ以外に答えようがない。
唐突に出された、見ず知らずの女性の名前。
「その名を知るものはごく僅かだ。だがサイ、お前は知っているはずだ。
ラクス・クラインを模した彼女のことを」
サイは懸命に、会話の意味の理解に努める。
「まさか……
そのミーアって娘が、今ザフトにいるラクス・クラインだと?」
あのラクスが偽者だということは、既にキラから聞いていた。しかし、このような処で出す話題か?
しかもそのような重要情報を、何故今わざわざ俺に? 何故君が知っている?
じれったさにサイは叫びたくなったが、フレイは続ける。
「彼女は完全に平和の歌姫・ラクスとしてのつとめを果たしている。
懸命にラクスを模した結果として、今の彼女がある。
ほぼ全ての人々が、彼女をラクスと認めている。以前の彼女よりもファンが増えたくらいだ。
ただ一つのミスを除けば、彼女はずっとラクスでいられただろう」
ただ一つの、致命的なミス。ここまで話をされればサイにも分かった。
「ラクス・クライン本人を、消さなかったことか」
「その通り」顔色一つ変えずに、フレイは長い髪を後ろに靡かせる。「ミーアは純にラクスを想い、ラクスを研究し、ラクスとなる努力を欠かさぬ少女だ。
仮にラクス本人がいなければ、彼女は本物のラクスとなり得ただろう」
「待てよ。待てって……」
サイは反論しかかる。
だが頭の中で、何かが凝固した。
思考を先に進めたいのに、何故か結論が浮かばない。『分からない』という白い霧の中へ、思考が沈んでいく。
黙ってしまったサイに、フレイはずいと顔を寄せた。結論を促すように。
「お前はどう思う?
ミーアを、ラクス・クラインだと認められるか?
たとえ、ラクス本人が消えても」
「ラクスさんは、キラの大切な人だ。不謹慎だよ」
答えから逃げている自分を、サイは自覚した。
だが、会話からの逃走を許す彼女ではない。
「仮の話をしている!」
フレイはサイの顎を持ち上げ、強引に視線を合わせてくる。「答えろ、サイ」
「無理だ。俺には……」
サイは何とか言葉を絞り出す。
相変わらず、頭は霧の中だ。答えはこの霧の向こうにあるはずなのに、肩が重くて手が伸ばせない。
「何より本人が、自分はミーアだと分かっているんじゃないのか?
だったらどんなに否定しても、彼女はミーア・キャンベルだよ」
「そうか」
フレイはぷいと視線を外すと、サイに背を向けた。
夕映えに流れる紅い髪が血のようだ。
「では、質問を変えよう。
お前が今日、死んだとする。
お前の今までの記憶は、お前と顔も身体つきも、遺伝子まで全く同じ、いわばクローンに移されたとする。
手術をした医者や関係者は全て消されたが、そのクローンだけは無事にオーブへ戻った。
クローン自身は何も知らない。事実を知るものはいない。
さて──そいつは、『お前』かな?」